第50話 『微睡みの淵で』
「君は随分と怠惰に過ごしてるみたいだね」
「前にあんたに言いつけられたからな」
あれから平和な日々が続いていた。
召喚したスライム姫はすっかり馴染んでいる。
俺の記憶を見た彼女は大方の事情を把握。
持ち前の抱擁力で俺を甘やかしつつ、諭した。
「それでいい。我々化け物は怠惰が一番さ」
「とはいえ、最近だらけ過ぎじゃないかと」
「おや? 私の膝枕はお気に召さないかね?」
現在俺は、絶賛膝枕中。至福のひと時だ。
気を利かせたスライム姫はミニスカート姿。
淡い水色のプリーツスカートから露わとなった柔らかな太ももが、俺の頬を優しく包み込む。
お気に召さないなんてとんでもない。
感涙の涙が止まらない程、感謝感激雨あられ。
紳士な俺はせめてもの礼に太ももをひと舐め。
「うきゃんっ!?」
「な、なんだ!? 敵襲か!?」
直後、素っ頓狂な悲鳴が響き、飛び起きる。
「実はたった今、痴漢被害に遭ったんだ」
「許せねぇ! すぐに便意促進魔法で……」
「犯人は君だけどね」
どうやら原因は俺のひと舐めらしい。不覚だ。
「えっと……便をぶち撒けようか?」
「出来もしない責任の取り方をしないでくれ」
そういや俺は便意を感じない。なら仕方ない。
「じゃあ、俺があんたの尿を浴びるから……」
「残念ながら、私も尿意を催さないのだよ」
「そりゃ気の毒に……なんか、ごめんな」
ペコリと頭を下げると、彼女は首を傾げて。
「どうして謝ったんだい?」
「尿意の素晴らしさを知らないのが可哀想で」
今は化け物の俺にも、人間の頃の記憶がある。
催した時のあの感覚を彼女は知らないらしい。
それが、何とも不憫で、居た堪れなくなった。
生きとし生けるもの全てが感じる尿意と便意。
その苦しみ、そして快感を共有出来ない不幸。
俺もだいぶ運のない人生だがウンは知ってる。
それに対して、スライム姫はウンを知らない。
いや、この際ウンは関係なく、尿意が重要だ。
そんな薄幸なスライム姫に尿意の感覚を説く。
「尿意ってのはな、込み上げるものなんだ」
「込み上げるのかい?」
「そう。こう、腹の下あたりがパンパンでな」
「ふむふむ。続けたまえ」
「限界まで我慢すると頭の奥がジンジンして」
「それで、どうなるんだい?」
「あっと思ったら、もう遅くてさ」
身振り手振りでおもらしを力説していると。
「あー! またスライムさんといちゃついて!」
やべ。出歯亀に見つかった。
俺は慌ててスライム姫の背後に隠れる。
出歯亀エルフはそんな俺に説教を始める。
「全部見てましたよ! 膝枕も!!」
「仕方ないだろ。化け物は怠惰なんだから」
「ならなんで私の膝で寝ないんですか!?」
「仕方ないだろ。スライム姫の方が美人だし」
「むきゃー!?」
まるで猿みたいな奇声をあげる出歯亀。
最近、益々、手に負えなくなってきた。
そのままタックルされて押し倒される。
後頭部を、城の床に打ち付ける寸前で。
「おっと、大丈夫かね?」
「サンキュー、スライム姫」
スライム姫が柔らかな膝を滑り込ませた。
そこにぽふんと軟着陸。気の利く姫君だ。
事無きを得た俺の胸元で出歯亀がいそいそと。
「おい、出歯亀」
「なんれすか?」
「どうして服を脱いでるんだ?」
「ふっふー! よくぞ聞いてくれたのれす!」
シャツの前を開けて半裸になった出歯亀。
意外とグラマーな胸が、深い谷間を形成。
それを見せつけながら、出歯亀は偉そうに。
「素肌の接触でイライラを解消するでふ!」
「俺のイライラが収まりそうにないんだが?」
「だったら吸血鬼さんも早く脱ぐれす!!」
なにがだったらなのかはさっぱりわからんが。
ここで恥じらう程、俺は初心な童貞ではない。
すぐさま獣人化スキルで作った上着を脱いだ。
互いに半裸となり、素肌同士で触れ合う。
「どうれすか?」
「うん、悪くないな」
「それは良かったれふ!」
彼女の意外とグラマーな胸は、悪くない。
悪いのは出歯亀の胸であるということだけ。
それにより、俺は冷めた思考で問いかける。
「それで、なんのつもりだ?」
「このままお昼寝をするれふ!」
「半裸のままで?」
「その方が気持ちいいですからね〜」
こいつの価値観は気持ちいいことが最優先。
それには俺も異論がないので、黙認した。
素肌の接触は、確かに、苛つきを解消する。
スライム姫の生膝と出歯亀の生乳に挟まれて。
「なんだか、俺まで眠くなってきたな」
「それじゃあ、一緒にお昼寝するれす!」
欠伸をして眠気を告げると出歯亀は嬉しげ。
ひと眠りしようとしたら、スライム姫が。
チョンチョンと俺の頬をつついて、注文。
「あの耳あてとパイプを貸してくれないか?」
「ああ、いいよ」
異空間から陶器のパイプとヘッドホンを出す。
スライム姫は水色のパイプを美味そうに咥え。
ヘッドホンをシャカシャカ鳴らす。絵になる。
その音漏れした音で、うとうとしていると。
「なんじゃ小僧、お昼寝か?」
「ワタシモ、オヒルネ、シタイデス」
怪獣2匹が両隣に寄り添い、添い寝。
スライム姫の優しい鼻歌が、眠りに誘う。
俺はこの場にいない蜘蛛男を一瞬憐れんで。
今晩はいつもより優しくしてやろうと誓う。
そして微睡みの淵で、不吉な予言を聞いた。
「おやすみ、私の可愛いマスター。安らかに眠りたまえ。世界が終わる……その時まで」
優しく、切なげな、スライム姫のその予言。
当時の俺には、まるで意味がわからなかった。
しかし、その数百年後、知ることになる。
怠惰な化け物は、世界の終わりを目撃した。
その異変は、下界で起こった。
平穏な日々を手に入れて、早数十年。
微睡みのうちに、瞬く間に時は流れた。
変わらない毎日を過ごす俺たちとは対照的に。
下界で暮らす人間達の発展は、顕著だった。
二度の怪獣騒動で人間は危機感を抱いた。
彼らはエルフ程の魔法適性を持たず。
ドワーフ程の身体能力も持ち得ない、弱者。
そんな人間達は、エルフとドワーフを崇めた。
時にエルフの魔法に救われて。
時にドワーフの技術力を学び。
人間は持ち前の器用さで、それを応用。
あっと言う間に、国が出来た。
エルフとドワーフに守られて。
外敵である魔獣も人間に手出し出来ない。
とはいえエルフは基本的に放任主義。
助けが必要ならば助けるが、普段は放置。
それとは逆に、ドワーフは積極的だった。
ドワーフの男達は、女に飢えていた。
毛むくじゃらな同族よりも、人間を好んだ。
そんな背景もあり、彼らの技術は漏洩。
人間は自らを守る武器を大量に生産。
すぐに軍が出来て、兵隊が森林を闊歩。
自らの力で魔獣を討伐するようになった。
軍隊の初代元帥は、担任教師だった。
彼は兵に自分の剣技を叩き込んだ。
無論、彼に匹敵する者は皆無だったが。
それでも、魔獣程度ならば簡単に倒せる。
そんな軍隊の仮想敵軍は、魔王軍。
悪名高き糞魔王を打つべく、日々鍛錬。
とはいえ、俺は世界樹のてっぺんの存在。
飛べない人間共は、下界から見上げるばかり。
彼らを歯牙にもかけずに、俺は傍観していた。
それから更に時が流れて。
やがて、世代が変わり、担任教師が死んだ。
殺した訳でも、殺された訳でもない。
剣聖と呼ばれた剣の達人は、老衰にて逝去。
娘のヒヒイロカネ幼女の子孫が、元帥に。
彼の家系は代々剣のスキルを継いでいた。
ヒヒイロカネのスキルはないが、刀を遺した。
切れぬ物はない、ヒヒイロカネの長刀。
それは脈々と伝わり続け、研ぎ澄まされた。
同時に兵士達も、どんどん強くなっていく。
時にはクーデターを起こし、新たな国を生み。
そしてその国と戦争して、また統一。
独立、戦争、併合、分裂、紛争、侵略。
目も当てられない、同族同士の醜い殺し合い。
時には介入しようとしたが、窘められた。
『化け物は、怠惰でなくてはならない』
スライム姫は穏やかに、それでいて、頑なに。
俺にそう言い聞かせて、自制を促した。
なので非殺傷性の魔法にて嫌がらせに留めた。
戦場に降り立ち、便意と尿意を撒き散らす。
数百年を経て、俺はとうとう邪神と称される。
便意と尿意を司る、邪神な神。それが、俺だ。
配下にはスライムの魔王を筆頭に。
盟友たる、強大な真紅の竜王。
しもべの巨大な蝙蝠と、毒蜘蛛。
仮想敵軍は、既に現実的な脅威となった。
しかしながら、人間にはなす術はない。
戦場を荒らして、悠々と世界樹に帰還。
そんな魔王軍を彼らは疎ましく感じていた。
もちろん、それは新聞の影響も大きい。
まるでお伽話のような悪行の数々。
それは伝説として、人間にも伝わった。
悪いことをすれば、邪神が便意を促す、と。
子供達は幼い頃から言い聞かせられ、信じた。
数百年後の国王は、便意を感じる度に怯えた。
とはいえ余程の事態がなければ発動はしない。
抑止力として、俺は世界樹に君臨し続けた。
人間達はまるで何かに急かされるように繁殖。
長い寿命を持つエルフやドワーフとは違う。
極めて寿命の短い人間が持つ、繁殖の才能。
それを遺憾なく発揮して、生息圏を拡大。
活動区域をみるみる広げて、木を切った。
森林は虫食いのように伐採され、荒れ始めた。
切った木を燃やし、武器を作る。人の営み。
その煙は、異世界の大気を汚していく。
あれだけ美しかった蒼い月が、黄ばんでいく。
木が減るごとに、世界樹にも異状が現れた。
年中緑だった葉が、色づいて、枯葉に。
いつしか黄金色の実も、見かけなくなった。
とはいえ、それは、瑣末な問題だった。
待ち受ける、大きな問題は、別にある。
世界樹が弱ったことによる、重大な弊害。
それは、エルフが衰弱していったことだった。




