第9話 『悲しくて、嬉しくて』
「ぐあっ!? ッ……げほっ! げほっ!」
蹴り飛ばされて、受け身も取れず背中を床にしたたかに打ち付け、咳き込む。血の味がする。
自分の吐血で溺れかけながら、現状を把握。
肋骨が折れて、肺に食い込んだらしく、痛い。
痛いなんてもんじゃない。脂汗が滲む。
息も苦しい。血塗れの口元を拭う余裕もない。
「よくもボクの期待を裏切ってくれたね」
気がつくと生徒会長がこちらを見下ろしており、仰向けに寝転がったまま彼女のノーパンのスカートの裾が際どいなと、ぼんやりと思う。
「わざわざこの高校に入学して情報収集してた結果がこれじゃあ、時間の無駄もいいとこだ」
何を言ってるかわからない。
誰か通訳してくれ。
なあ、神よ。
見てるんだろ?
「なんだい? じっとボクを見て、まさか此の期に及んでまた覗きでもするつもりかい?」
スカートを押さえながら、会長は呆れた声で。
「ふん。NPCを巻き込んだのは悪かったよ。さすがにスカートの中は見せられないけれど……とりあえず、この約束の報酬で我慢してくれ」
パサッと俺の顔に布切れが舞い落ちる。
それはオレンジ色の会長の紐パンだ。
口元を濡らす血を吸って、顔に張り付く。
生地が薄いの為、パンツ越しでもうっすらと明かりは感じられる。蛍光灯の光がぼんやりと。
「冥土の土産だよ。いい思い出になったろ?」
確かにこのパンツは上等な代物だろう。
けれど、いい思い出にはなりそうにない。
神の余命宣告を聞いた瞬間から覚悟していた。
しかし、まさか、こんな最期だなんて。
あんまりだ。あんまりじゃないか。
色気に釣られて浮かれた挙句に、殺される。
しかも、顔にパンツを貼り付けて、だ。
そんな死に様を見た姉ちゃんはどう思うか。
ふざけんな。
他のどんな死に方よりも屈辱的だ。
そんな死に方なんざ、ごめんだ。
最後の力を振り絞って、パンツを除ける。
「おや? せっかく視界を塞いであげたのに」
会長は嘆息して、やれやれと首を振って。
「死ぬ瞬間の恐怖を和らげてあげようって心優しいボクの配慮を無駄にしないでくれよ」
そんな自分勝手な配慮とやらを押し付けんな。
睨み付けてやると、会長はくすくす笑い、困ったように赤毛のボブカットの髪を弄って。
「死ぬ間際に失禁だけはしないでね?」
弄っていた髪を抜き取るような仕草。
その瞬間、彼女の髪がメラメラ燃え上がり、指先にその炎が一筋の光となって伸びる。
幻想的な炎の剣が、完成した。
「この火で、ジュッと殺っちゃうから☆」
その屈託ない笑顔を見て、ちょっと後悔した。
パンツは被って置くべきだったな。
なんて思って顔を引きつらせていると、まるで介錯をするように会長はノーパンの股を開き、空間を焦がす程の熱量によって巻き起こった上昇気流によってスカートがはためく。
それを見て、燃える髪の異能をお持ちらしい会長のアンダーヘアもまた、燃えているのだろうかなんて、くだらない疑念を抱いて、その余りのどうしようも無さに失笑して、観念した。
駄目だ。どうにも助かる気がしない。
この瞬間に秘められた異能に目覚めて、燃える生徒会長を打倒出来るとは到底思えないし、此の期に及んでアンダーヘアが燃えているかどうかなんて考えてる時点で、詰んでいる。
詰んだ。詰んじまった。なんでだろうな。
俺は才能ゼロの無能力者で、つまらないのに。
初めから詰んでいたようなつまらない人生。
それでも、つまらないゆえに詰まなかった。
つまらないのに、何故詰んでしまったのか。
なんとなく思い当たる節はある。
だって、この状況はちょっと、面白い。
転生者だのスキルだの、まったく意味不明だ。
けれど、厨二病を患っていた頃の妄想が現実になったみたいで、胸が高鳴っていた。
最後の最後で、死ぬ間際で、面白くなった。
だからこそ、詰んだのだろう。
それが酷く惜しいと感じた。
垣間見た世界の深淵に触れたいと願う。
叶いっこないその願いを、誰に祈るべきか。
それを叶えてくれそうな存在は誰か。
それを俺は知っている。だから、祈った。
「ぐすっ。神様、頼む……助けてくれ」
ボロボロの涙を零して、嗚咽を漏らして。
みっともなく泣きながら、笑う。
会長はそんな俺を怪訝そうに見下して。
「泣きながら笑うなんて随分と器用なことをするね。正直言って、かなりキモいよ」
「ぐすっ……だって、悲しくて、嬉しくて」
悲しくて、嬉しかった。面白かった。
ようやく、人生の醍醐味を感じられたのだ。
だから、何が何でも、死にたくなかった。
そんな感情が入り混じった俺を奇妙な物を眺めるようにしげしげ見つめて、一笑に伏す会長。
「キモいから、もう死んでいいよ」
マジかよ。それは余りに酷くないか?
などと反論する間も無く、炎の剣が迫る。
ブワッと熱風に吹き荒れて、目を瞑る。
あ、死んだ。
チリチリと髪が焼ける匂いがする。
鼻の頭を火傷したらしく、ヒリヒリする。
しかし、その程度だ。こんなもんか?
「いや〜悪い悪い。スカートの中をガン見してたら、割とギリギリになっちまったぜ」
そんな場違いな軽薄な声が聞こえて。
ポカンとして、目を開けると。
西日に照らされた俺の影から腕が生えていて。
赤色の炎の剣を、その白い手で掴んでいた。
「あ?」
影から腕が生える? そんな馬鹿な。
パチパチと瞬きしても、その腕は生えたまま。
ジュウジュウと肉が焼ける音がする。
しかし、離そうとしない手を見て、生徒会長は酷く狼狽えた様子で、俺を問いただした。
「な、なんだいこの腕は? 君の能力かい?」
「い、いや、俺にも何がなんだかさっぱり」
ここで、そうだ。これこそが俺の力だ!
なんて言って高笑い出来たら、すこぶる気持ちが良いのだろうが、生憎そんな度胸はない。
「だからお前はモブなんだよ」
思考に対して返答された。まるで神のように。
いや、ちょっと待て。影から発せらた声。
その声に聞き覚えがあるぞ。まさか、本当に?
「オレ様の声を、疑うってのか?」
ぎゃははっと、品性の欠片もない洪笑が響く。
その笑い方は間違いなく、神の物であり。
それを認識したその時、影から生えた腕がその長さを増して、頭、胴、足の順にまるで水面から出てくるように、1人の少女が出現した。
「お、お前は、まさか……!」
出現した少女の絹のように細く、艶やかな黒髪を見て、見覚えがあることに気づいた。
毎朝目撃しているその巫女のような黒髪。
少女は生徒会長と対峙する向きで出現しており、こちらからは後ろ姿しか見えないが、きっと間違いなく、その口元には。
「よお。待たせたな。助けにきたぜ」
ちらりとこちらを振り返り、彼女は嗤う。
長く鋭い八重歯が、沈みかけた夕陽で赤く染まり、向けられた視線もまた、赤く発光していた。
間違いない。間違いなく、後ろの席の美少女だ。
その声と口調が、彼女が何者かを語っている。
いやはや、参ったな……マジかよ。
どうやら俺の後ろの席の美少女は。
神様だったらしい。