10.隠し部屋 I
「アリス、早く!」
決して私が不手際を起こしたわけでは無いのにも関わらず、他の下女からの叱責が私に飛ぶ。
「っ、すいません!」
そしてそれが不当な、八つ当たりのようなものであることを知りながら私は感情を押し殺して謝罪する。
それはいつもと何ら変わることない私の日常だった。
何もしていなかろうが、関係なく全ての人に目の敵にされる日常。
それは今まで何度も心が折れそうになり、それでも必死に耐えて来た日々。
常に唇を噛み締め耐え忍んで来た屈辱。
「ふふ、」
だが、今日の私は何故かその対応に心を今までのように痛めることは無かった。
決して罵られ、見下されることに慣れたわけでも、気がおかしくなった訳でもない。
色々な人による対応、それは未だ酷く悲しくて耐え難い。
けれども、それでもその対応に悲しみに飲まれそうになるたび、ある思い出が私の中で蘇る。
それは今朝のこと。
私を綺麗だと言ってくれた、ただ1人アストレア家以外の私の味方になってくれた人の言葉。
ー 貴女は綺麗よ。
「本当に私って単純だなぁ……」
私は他の人に見られないように顔を隠して笑う。
サリーさんの言葉。
それは決して事実ではないだろう。
だが、そう私に言ってくれたサリーさんの私への思いは本物で、そのことに私は口元を笑みの状態から戻せなくなる。
「どうしよう……」
だが、口元の笑みを刻んだまま仕事ができる訳なく、私は少しの間戸惑う。
そして直ぐに自分がしていることが可笑しくなり、さらに笑いが浮かんで来てしまう。
「貴族様!」
「っ!」
しかし次の瞬間その私の可笑しな思いは一瞬にして飛び去った。
掃除を行なっていた手を止め、立ち上がってお辞儀をする他の人々を見習い私も同じように立ち上がる。
この場所に貴族がくる、それはほとんどあり得ない。
それが今回私が掃除をしている場所で、そしてそんな場所に態々くる貴族それは王子の妾である可能性が高い。
つまり、私をいじめる為、それだけにこの場所に来たかもしれないのだ。
そのことを悟り、私の胸の内から先程までの浮かれた気分が消えていくのが分かる。
そして恐る恐る私が顔を上げると、そこにいたのは王子の妾の中では1番美しいと言われている、メリー・マートレアという女性だった。
「はぁ、」
そしてメリーは王子の妾の中、唯一私をいじめようとしない女性だった。
以前、つまり私が未だ王子の婚約者であった時は明らかに私を敵視していたのだが、私が婚約破棄されてからは私に全く興味を持たなくなったのだ。
「ふふ、本当に今日はいい日」
他にいつも現れる妾達がいないことに一安心した私は口元に笑みを浮かべながら押し付けられた掃除を進めていく。
「ふふ、」
そして安心しきった私はと気づくことは無かった。
何故、殆ど貴族がこない場所に私に興味がないはずのメリーが来たのか、
そして、メリーが私の方を見て暗い笑みを浮かべていたということを……
◇◆◇
メリーが現れ、そして去るまでの十数分は何事もなく過ぎていった。
「アリス」
「はい!」
だが、メリーがこの場を立ち去って直ぐに私は下女達の纏め役であるハリスに呼ばれ、
「あんた、私達が仕事やっておくからさこれ持って行って欲しい所があるんだが……」
「えっ、」
そしてそう告げられた。
私はハリスの言葉に思わず言葉を失う。
ハリスに告げられたこと、それはつまり何かを届け物をして欲しいということで、
それは本来私なんかが頼まれる仕事ではない。
普通に考えて掃除をしているよりも届け物をしている方が楽だ。
しかもそれだけではなく、下女をしている人の中には所謂玉の輿を狙っている人も多い。
つまり、貴族に見初められあわよくば妾になろうと常に目を光らせているのだ。
そして届け物を届ける時は例え届け先が貴族では無かったとしても貴族と出会う可能性は掃除をしている時よりも格段に上がる。
それらの理由で届け物の仕事は特に若い下女同士で取り合いが発生する。
そしてだからこそ、私なんかにこんな仕事が回ってくることなどあり得るわけが無かった。
「早く行くんだよ」
「は、はい……」
だがこの仕事が私に回されているのは現実で私は戸惑う。
しかし届け物の仕事は貴族宛である場合もかなりあるので、その異常に関してずっと悩んでいるわけにもいかない。
そう私は判断して走り出した。
ーーー後ろでハリスを含める下女達が私に対して気の毒そうな目を向けていることを知らずに……