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よろしくお願いします。

後はもう辞書を引くしかないなと書類をしまい重い腰を上げた。日も幾分傾き風も冷たくなってきた。

2時間ほど経っただろうか。空を見上げると、空の遥か上空で鳥が飛んでいた。

この世界は携帯電話や腕時計の電子機器の類は普及していないらしい。他の人が持っている様子も無いし、壁掛け時計もない。私は教育を受ける以外はやることもなく、緩やかな時間の流れにいた。


しかし使用人達はこちらが呼ばなくても時間になりましたと呼びに来る。

謎だ。この世界の人々は腹時計が正確なのか。


「まさかね。」


あまりにあほらしい思いつきに思わず声に出して笑ったのだが、その声はかすれて、続いて咳き込んだ。声を出す機会があまりにも少なくて、喉が仕事を忘れたようだ。


「週 末 は どうやって過ごそうかな。」


次は確認しながら声を出した。ちゃんと出てほっとする。乾燥気味な気候だからだと思うが、しゃべる機会がなければ喉の調子もわからない。


そう、この世界の生活も5日働いて2日休むことが基本で、明日から二日間お休みなのだ。ここに来て二月程経つが、週末の使い道がわからない。

唯一の予定である授業もなく、話す相手がいないのだ。まあ、セクハラに耐えながらの授業で楽しく会話をしているわけではないが、暇を持て余すよりマシだろう。

2日もすることがなければ暇を持て余してしまうが、そうかといってナプルガンさんとお話して仲良くなりたいとは思わない。ならば子作りしようとなりそうで恐ろしい。使用人達も表面上は無視しなくなったが、必要以上は関わりたくなさそうだった。


「考えても仕方ないか。」


それに、私が週末に頑張って予定を作っても、ナプルガンさん側の都合が入れば選択肢はないだろう。現に何度か週末に健康診断のようなことをさせられたり、聞き取り調査のようなものも受けた。私の予定などあっても問答無用だろう。考えるだけ無駄になりそうだ。

何だか空しくなってしまったが、宿題もはかどったし、今日は有意義な一日だったことは間違いない。前向きになろう自分。

夕食までまだ時間があるなら先に風呂に入ろうかなと部屋に向かった。今与えられている部屋は最初の部屋と違って窓がある客室だ。なんとバス・トイレ付きのホテル使用だ。ナプルガンさんは待遇改善と言っていたが、生贄から客扱いしてくれるようになったのだ。さらに、食事も病人食から通常食に戻り、毎食見た目も味も素晴らしい。


「今日のご飯は何かなあ。」


喉の調子の確認として独り言をいいつつ部屋に入った。食事はこちらの生活で数少ない楽しみの一つだ。おかげで少し太ったかもしれない。


「小熊のシチューと蜂蜜のプディングでございます。」


「おぎゃー!」


反射で醜い叫び声がでた。後ろからキイロさんが返事をしてくれたようだったが、居るなんて知らなかった。抱えていた書類は握りこんでクシャクシャになっていた。


「も、申し訳ありません! お嬢様はご存知かと思って控えておりました。」


慌てたのはキイロさんもだった。なぜキイロさんは、私が彼が部屋にいることをご存知だと思っていたのだろう。言われたのに忘れていたなんてことはないと思うんだけどな。

昼食を給仕してくれた時にも、特に会話した覚えもない。私達、基本会話なんてしないよね、という意味の言葉を遠回しに言ってみたところ、キイロさんはムッとした顔をした。


「そうですね。お嬢様は下々の予定など知る必要もございませんね。」


「予定?どこで確認できるの?それ、教えてください。」


ヤバい。使用人達の予定はどこかに書いてあり確認しなくてはいけなかったようだ。せっかく無視されないようになってきたのに、また使用人達の機嫌を損ねたくない。

是非教えてください!と勢いよく頭を下げた。


「何で知らないんですか?」


キイロさんは怪訝そうに言った。そうは言うが、私にそれを教えてくれる人はいないという事に気が付いてくれないだろうか。キイロさんは嫌そうにこちらを見たが、二、三度瞬きすると、次は変なものを見るような目つきで見てきた。




「いや、そんな不思議な顔されても。知らないからどこで確認するか教えて下さい。次からちゃんと確認しますって。」


キイロさんはこちらをキョトンとした顔で見て、また不思議な顔をした。


「今送ってみたんですが、お嬢様に接続すらできないようです。え?壊れている?」


キイロさんが右手を自分の右耳にそっと当てたまま首を少し傾けた。何か壊れたらしい。

なんだろう。キイロさんの言葉はわかるが、理解できない。予定はどこで確認するかと聞いただけなのに。


「セツゾク?場所を教えてくれたら自分で見に行きますから。難しいことを言われても、私はわかりませんよ。」


胸を張っていう事じゃないが、ここの世界事情はチャーチ先生に二月程習っているだけだ。


「いや、だから。ちょっと待てって。接続して情報を送らないと・・・・・・・。」


会話がすれ違っているようだが、何がいけないのかカケラもわからない。イライラしたキイロさんなんか早々に敬語が外れてしまっている。本格的にキイロさんの言っていることがわからない。私はとりあえず待つという意思表示をするため、ライティングデスクへ座り書類のしわを伸ばすことにした。


「ビーンズの調子が悪いのかな。あ、お嬢様は前に頭を打ったか。いやまさかそれごときで?

 お嬢様、最近ビーンズは調子悪くないですか?」


「ビーンズって何?豆?」


しわを伸ばすことに気を向けていたら話しかけられた。豆の話なんてしてたっけ?


「・・・・・・・。」


返事がないなとキイロさんを見れば、彼はこちらを凝視していた。


私は何かやらかしたかのかな。嫌な汗が背中を伝う。


キイロさんは数秒で視線を私から外すと、黙って自分の耳たぶを神経質そうに触っていた。ピアスでも落としたんだろうか。私も憧れているが、学校では禁止されているし、大学生活でピアスを開けるんだ!と楽しみにしていた。


「ピアスが取れちゃったんですか?こちらは男性でも普通にピアスを開けるんですか?」


沈黙に耐えきれず、男性でもピアスを開ける文化なのかと話しかけた。日本でもおしゃれな男子がピアスをしていてもおかしくなかったが、一般的に男性に普及しているかと言えばそうではない。

キイロさんの使用人という堅い職業で、さらにこの年齢(30代半ば、いや40代だろうか?)で付けているなら、この世界の男性にも広く浸透しているのだろう。そういえばナプルガンさんはピアスしていたっけ?


「ピア・す? ・・・・・・・お嬢様、失礼なのは承知しておりますが、少し耳を触ってもよろしいですか?」


「へ?ピアスって伝わらないかな。耳に穴をあけてアクセサリーを付けるやつです。私はまだ開けていませんよ?」


キイロさんは失礼、とゆっくりと近づき、私の耳に手を伸ばしてきた。私は突然の恐怖で、背もたれにのけぞるしかできなかった。


セクハラを受けてから、私は男性の接近、接触に恐怖を感じるようになった。それも身体が動かなくなってしまうという情けない症状で、近づかれればじっと耐えることしかできなかった。


私の給仕の仕事が多いキイロさんが一番にこの異変に気が付いてくれたと思う。私が怖がらないように、なるべく近寄らないようにしてくれていたと思う。敵ながら紳士な対応をしてくれていた。なのに今は手を伸ばして触れようとしてきた。キイロさんは身体は離してくれているが、こちらに手を伸ばしてきた途端、私は怖くて硬直してしまった。怖くて動けないなんて、とんだ役立たずの身体だ。


手を握りしめて長い時間我慢していたように思うが、実際は数秒だったようだ。失礼しました、と少し離れたところからキイロさんの声が聞こえた。知らぬ間に目も瞑っていたようで、視界が明けるとキイロさんは思ったよりも離れた位置に立っていた。


「お嬢様は、ビーンズを入れていないのですね。」


なんでなんだ?と驚いた顔をしていた。

ビーンズとはピアスのことだろうか。見てわからないものなのだろうか。握りしめていた手を開き、血の通い始めた手をこすり合わせつつ聞いた。


キイロさんは何で知らないんだという表情でだが、丁寧に教えてくれた。

こちらの世界の人達は、生まれた時に耳タブにビーンズという通信チップのようなものを埋め込む!のだそうだ。成長するにつれてビーンズの扱いも慣れていくから説明書に悩まされることもないらしい。こちらの不思議な常識を聞いて、改めて異世界だなと認識した。


「で、それを知らないあんたは何者なんだ。」


ギクリ。思わず肩が揺れた。


「孤児だったらそんな高価なもの入れることできないよね?」


「孤児?高価?ビーンズなんてようは木の実だ。草むら行けばいくらでも落ちてる。耳にちょっと傷をつけて、拾ったビーンズを擦り込めば定着する。お貴族様は教会の祝福を受けたビーンズを入れるそうだから、寄付金は高いかもしれないがな。」


なんだと!携帯電話のような機能があるらしいのに木の実?異世界エコだ。

なんだろう、キイロさんの目線に冷や汗が止まりません。


「孤児だったらなおさらだ。働かせるために、周りの大人が利用しようと真っ先にビーンズをいれるだろうよ。」


「なんてヒドイ。高度な文明社会だと思っていたのに。福祉制度とかないの?」


ここにも格差社会が、とつい言ってしまってから血の気が引いた。キイロさんが静かにこちらを見ていたからだ。


「大昔、ビーンズが見つかってすぐは、高貴な身分のお嬢様は身体に傷をつけるなんて考えられないといって入れなかったそうだ。 用事は全て使用人がこなすし、他人と連絡を取ったり予定を共有する必要もないからだ。ビーンズは下々の者が使うものだった。

 しかし利用の幅が大きく広がった現代、もうそんなことを言う貴族はいない。日常の情報伝達になくてはならないからだ。その上、あんたは耳に傷をつけてアクセサリーを付ける予定があったようだな。ピアスといったか。それならばビーンズを入れない理由などないよな。」


私は黙るしかない。


「で、ビーンズを存在から知らないあんたは何者なんだ? 旦那様はご存知なのか?」


キイロさんは静かだが、有無を言わせない圧力があった。私の出自はナプルガンさんから特に口止めをされたわけじゃない。言ってしまえば良いのだが、信じてもらえる自信がない。本当のことを話して、余計に怪しまれて、ナプルガンさんに苦情が行って、もっと悪い状況になったら?

キイロさんは唯一、セクハラで傷ついた私を気遣ってくれる人だったが、やはり敵であったのだとひしひしと感じた。



「何者かは、貴方が判断してください。ナプルガンさんはわかっています。」


そう、ナプルガンさんは私の話を信じているかわからないが、私を聖貴人として利用できることはわかって・・・・いる。彼にとって私の出自など、どうでもいいのだ。


「どういうことだ。」


「私の言葉は理解されにくいから。」


「・・・・・・。」


キイロさんはそれ以降、黙って給仕に努めた。

今日は夕食が早めに届くらしかった。お風呂に入っていなくて良かった。


不審者認定された私だが、キイロさんは不思議と態度を変えずにいてくれた。

てっきりまた無視されるだろうと思っていたが、後日、結局ビーンズってなんだろう?とうっかり出てしまった独り言にキイロさんは親切に答えてくれた。やはり何で知らないんだという表情でだが。

ビーンズとは共通認識できるスマホのようなものらしい。映像や情報の発信、お互いの予定なども共有認識できる。もちろん時間も電波時計並に正確にわかるため、時計は現代ではアンティークなアクセサリーだそうだ。頭の中でネットができるスマホようなものだろう。ビーンズは小さい頃から慣れていくものだから、私には使えないだろうと言われた。



そして、キイロさんは朝の給仕時に使用人達の予定も報告してくれるようになった。

読んでいただきありがとうございました。

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