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よろしくお願いします。
ナプルガンさんが訪れた次の日の朝には外出の許可が出た。
あの黄色い目のおじさんが、朝食を準備しながら教えてくれた。軟禁生活を覚悟していたから意外と早くて驚いた。あとまた黄色い目のおじさんが普通に使用人っぽい対応をしてくれて、朝から二度驚いた。
私は思ったよりも早く逃げられるのではないかと朝食中ひそかに興奮していた。
そして現在、私は建物の出入り口に来ていた。食事の後、すぐに外に出たいと言ったら本当に連れてきてもらえた。
部屋を出てわかったのだが、私の部屋は建物の奥まった地下にあった。薄暗い廊下を歩き、三度異なる扉を潜り、やっと地上階に出た。まるで座敷牢のようだ。
地上階に案内されて見た建物内部は上品な老舗ホテルのようだった(行ったことないから想像だけど)。宗教施設っぽくないのは私の精神衛生上大変良ろしい。
そして不可解なことが一つ。
言語が見たことがない表記だということ。
ここに来るまでに明らかに厨房やボイラー室等のバックヤードを通ってきた。そこには使用人達の書いたメモ書きや注意書きがいくつか壁に貼られていたが、全く見たことのない文字だったのだ。幾何学模様のように見えるが、規則性があるように見えるし、きっと文字だと思う。棚や扉に書いてあるのだから名称を書いてあるのだろう。広い厨房を抜けて、ボイラー室を通った時は配管が天井や壁などそこら中を走り、通路の床を這っているところはたぶん足元注意の意味だろうプレートがかけてあったりした。
文字に日本語要素がないのに、なんで話す言葉は日本語なの?
私は頭を捻って考えたが、答えは出なかった。
出口まで案内をしてくれたのはやはり黄色い目のオジサンで、文字について聞こうとしたが睨まれた。
今朝の対応で会話できる人だと思ったが、やはりこのひとは私を敵対視していたのだった。
溜息を一つ吐いて後は黙るしかなかった。
「ここの領地から出るには、人の足で三日ほどかかります。野生動物もいないわけではありません。
どうぞお気を付けて散策なさって下さい。」
キイロさん(黄色い目のオジサンは長いので心のなかでこう呼ぶ)は廊下の突き当りの扉に着くと、突然振り返ってこう言い捨てた。そして言い終わるか終わらないうちに回れ右をし、そのまま来た廊下をすたすたと歩いて行ってしまった。
「外も案内してくれるんじゃないんだ。」
ぽつりとこぼれた。嫌々世話をされていたとわかっていたけど、改めて態度で示されるとキツい。
私は今までの親の愛が欠けた生活上、同年代よりは孤独に慣れているほうだと思う。だからと言って悪意に晒されても立ち向かっていける前向きな性格でもない。
だが、泣いて叫んでもこの状況は変わらないのだろう。
ならば仕方ない。
諦めて。孤独を無理やり飲み込んで。深呼吸をひとつ。
今出来ることをするんだ。
冷たくなった手で、ドアノブを握りしめた。
扉を開けると、そこはどこまでも続く草原だった。はるか遠くに森らしき緑が所々にこんもりと茂っている。遠近感がわからないけど、あれコケ玉じゃなくて森だよねぇ。
日差しは柔らかく、まるで絵本の挿絵のようだ。
背後にあるお屋敷を見上げれば、それは西洋風の大きなお城であった。
「これは・・・・・・日本じゃ、ない。」
どこかの大使館って線は完全に消えた。
お城が建ってるところってヨーロッパとか?私、パスポートなんて持ってないけど。
私はホントにどこに連れてこられたんだろう?
散歩だ、散歩だ、楽しいなー、とやけくそになって歌いながら歩き始めた。せっかくの自由だ。活用しない手はない。逃走経路を探すのだ。
日差しは暖かいが、午前中の今は少し肌寒い程度。夏休みも始まったばかりなのに涼しいとは嬉しい誤算でなんとも歩きやすい。しかしどこまで行っても景色は変わらない。三日歩けるほど広い領地なら、馬鹿正直に歩いて逃げることは現代っ子の私には無理だ(というか領地って何だ)。
ああ、どこかで車を見つけたい。運転は無理だからトラックの荷台にもぐりこみたい。
今出てきた出口はたぶん使用人の出入り口だろう。屋敷の裏だし、飾り気の無い廊下だった。だったら搬入口が近くにあるに違いない。スーパーの短期バイト先ではそうだった。
これだけの屋敷を維持するには食材だけでも毎日搬入のために業者が来るだろう。そのトラックの荷台にこっそり乗り込めないだろうか。
キョロキョロと辺りを見回しながら歩けば、すぐにそれは見つかった。
屋敷の角を曲がれば開けたロータリーがあり、そこに面した壁には両開きの大きな扉があった。そこのロータリーは白く舗装され、道は屋敷と反対方向に伸びていたのだ。きっとここが搬入口に違いない。このおとぎ話のような白い道の先に交番が待っているに違いない。
さらに近くを見回すと、2メーターほどの高さの赤いレンガの建物があった。公衆トイレの屋根がないような形のそれは、ゴミ置き場だった。人目を伺いつつ近づいてみると、壁の裏は種類別にレンガの壁で区切られたゴミ置き場になっており、焼却炉も併設されてあった。ゴミが人目に付かないよう壁で隠す作りになっているようだ。まだ午前中の早い時間ということもあるのか、ゴミは置かれていない。今日はここの影に隠れて車の搬入の様子を見ることにした。
◇◇◇
「・・・・・・あんた、なにやってるんだ。」
頭の上から声が聞こえた。すっかり塞がったまぶたをゆるゆると開けた。
・・・・・・う、うっかり寝てしまった。
顔を上げると、自分の座っているひざの横にプレスの効いた黒色のズボンが見えた。
さらに顔を上げると、キイロさんが呆れ顔でこちらを見ていた。
ん?あきれ顔?
もしかして、とよだれがついていないか口元をこする。これは恥ずかしい!
それを見てキイロさんの目が今度は丸くなった。
「あんた。ホント、何やってんだよ。」
「・・・・・・逃走経路探査中です。」
おお私は今何を言った?
寝起きとは恐ろしい。うっかり本音をこぼしてしまった。
「はあ?」
私は幸運らしい。キイロさんは聞こえなかったらしく、間抜けな顔で聞き返してきた。
初めて見たキイロさんの気の抜けた顔は、いつもより幼く見える。もしかして30代前半かも、と頭の端で思った。
「何でもないです。ごめんなさい。」
誤魔化せそうだ。私は会話を終わらせるべく勢いよく頭を下げた。
「え、何で謝るんだよ? あんたお嬢様だろ?」
キイロさんはまた間抜けな顔で言い返してきた。今日は色々な顔を見れたなあと場違いな思いが浮かんだ。
「は?お嬢様?謝ることはダメ?なんですか? すみませ、いえ。・・・・・・失礼しました?」
私はお嬢様でなく生贄様だよ? それに何で謝ったら驚かれるのだろう? と今度こそ口に出さずに思う。
まあここの人達は何を言っても聞こえない振りをするのだけど。
「もういい。・・・そろそろお茶の時間でございます。一度お部屋にお戻りください。」
すぐに気を取り直したキイロさんは、また慇懃無礼な態度になった。お茶の時間と思い出して口元が引き攣ったのは仕方がない。ここは三食昼寝付きだが、昼食はお茶の時間と言ってお菓子と軽食だった。お菓子らしきものは泥や木の皮に似たモノで、虫と同じく口に入れられなかった。作ってくれた方々に申し訳なくて食事の度に心が痛んだ。要らないと言っても、使用人らしき人達は聞こえないかのように振る舞うため断れないのだ。
座りっぱなしで寝て固まった身体を急いで伸ばし立ち上がる。そこかしこが痛むが仕方がない。キイロさんが睨んでいるように感じるので急いだ。そう、なるべく目を合わせないで彼の横を通り過ぎた。
キイロさんはすこしバツが悪そうにしていただけだったが、そんな私は気が付かなかった。
部屋に入るともうお茶の準備は整っていた。ドアを開けるとテーブルがすぐに見えて、その上のモノに驚いた。
「あれ、泥じゃない・・・・・・・。」
ティーセットと一緒に並べられた食事は、ビスケットに色とりどりのジャムやチーズをキレイに載せたカナッペのようなものだった。数種類のキラキラ輝いているジャムはまるで宝石のようだ。今朝は昨夜に引きつづきお粥とフルーツだった。しかし昼はお茶の時間扱いだし、変わらないと思っていたのだ。
「ほう、泥か。」
思わずつぶやいた一言に返事がありギョッとした。
部屋の奥からナプルガンさんが姿を現した。ドアが死角になっていたらしい。やばい。食べ物に対して泥は言っちゃいけなかった。いくら命は取らないと言われても、生贄ごときの私の立場は極弱だ。言葉選びは慎重にしなくては。
「ごめんなさい。あ、ちが、失礼しました。前のお茶の時間のお菓子は見たことのない食材ばかりだったので、思わず言ってしまいました。作ってくれた方に失礼ですよね。」
「・・・・・・娘が鈍くて助かったな。給仕はいらん。下がれ。」
ナプルガンさんはふんと鼻で笑い、キイロさんを下がらせた。何とも尊大な態度だ。ついでに私も下がろうとしたら手首を掴まれた。大きな手はゴツゴツして力が強く、思わず呻き声が出た。
ナプルガンさんもハッとしたようにすぐに手を放してくれたが、万力で挟まれたかのようにジワリと痛んだ。この人、職業はプロレスラーか何かだろうか。
「許せ、力加減がうまくできなかった。いいか、お前は下がらなくていい。」
「・・・・・・はい。」
この人やっぱ怖い。つい、で手首を砕かれるところだった。見た目が整っていてスーツで紳士に見えたが、中身は鍛えた筋肉だるまに違いない。こっそりと手首をさすりながら手洗い場に向かった。
気まずい。たいそう気まずい。
ナプルガンさんは部屋から出なかった。どうやらお茶を一緒にする様子だ。先に食べ終えてくれたら良いのになと思いつつ、食事前の手洗いをこれでもかと丁寧にして時間を稼いだ。まあ、数分もかからずテーブルに着くしかなかったのだが。
先程から会話はゼロだ。ナプルガンさんは会話をしようという気遣いをしてくれない。しかし私はこの人の機嫌を損ねたらどうなるやら想像したくもない。怖くて会話など無理だ。そもそも一般の高校生が大人の男性の喜ぶ会話などできるだろうか。
目の前のごちそう達を食べても良いのか様子を伺うも、ナプルガンさんはお茶しか手を付けない。私も真似していたらお腹はちゃぷちゃぷだ。ここのティーカップはやたらとデカくて、いかんせん飲み終われない。おかげで会話のきっかけは作れないし、そうなると飲み続けなくてはいけない。
もうこれはゲップしたらお茶の噴水ができると思ったころ、ようやく彼から会話が始まった。
「お前はもう少し注意深くなった方がいい。」
まず不機嫌な声色で注意からのスタートだった。
「使用人たちが嫌がらせをしていたのは気付いていないようだが。」
「は?」
思わず失礼な返しをしてしまった。
嫌がらせもなにも、みんな黙っていたし。無視のことならわかってますよ?
むし?ムシ? 虫!?
「あれ、虫って食べ物じゃなかったの!?」
「お前の故郷では虫を食べるのか?」
「・・・・・・一部の地域では。私は食べたことがないです。」
なんてことだ。あの使用人達は食べ物で嫌がらせをしていたのか。もったいない!
一瞬腹もたったが、すぐに怖くなった。キュリールサマに不都合な私はさらに嫌がらせを受けるに違いない。
今更ながら気分が悪くなってきた。顔色は悪いに違いない。
はぁ、と呆れた溜息をついたナプルガンさんは眉間にしわを寄せてこちらを睨んだ。
「お前が何も言わないから使用人はつけあがったんだ。始めは少し驚かせようとしたんだろう。」
テーブルに肘をつき、組んだ手の上に顎を載せてナプルガンさんは続けた。使用人をしつけるのは自己責任だとかなんとか言いだした。
あれ、私っておかしいことを言われていない?あんたのところの使用人じゃないのか。疑問が頭を回る。
「聞いているのか? お前はこれからこの館の婦人として住むんだ。自覚を持て。」
「ヤカタノフジンってなんですか? 私は生贄でしょう?」
「・・・・・・お前は嫌な例えを言う。」
「例え? そうじゃないの? そのヤカタノ何チャラとどう違うの?」
「君は聖貴人だ。」
「セイ・・・・・・?ヤカタ何ちゃらはどこにいったのよ。」
もういい加減理解できない会話に飽きてきた。砕けた言葉になってしまったのは気づいたが、直す気力もなかった。
読んでいただきありがとうございました。