プロローグ
よろしくお願いします。
気が付くと薄暗い部屋に立っていた。
ぼんやりと目に入ったのは板張りの床とローファーを履いた自分の足。俯いた顔を上げれば大きな窓に厚いカーテンが見えた。カーテンの閉じきれなかった隙間から、擦りガラスがはめ込まれた窓にぼんやりと葉の茂ったような緑が見えた。
ぐるりと部屋を見回せば、自分のすぐ横にはベッドにサイドテーブル、反対の壁には四角いだけのクローゼットが置かれている。この最低限しかない家具は全て木材で出来ていて、ニスで仕上げただけのシンプルなものばかり。合宿で泊まったことのある安いペンションみたいだった。
目の端にゆっくりと橙色が入ってきた。はっとして目線をやれば、カーテンの隙間から夕焼けらしい日差しが入ってきた。夜はすぐにやってきそうだ。
そして、夜が来るならこの恰好じゃ寒いかもと思った。
そうだ、夏の制服を着ているのだ。
半袖の白いブラウスとチェックのプリーツスカートというどこにでもある制服。
この時間まで制服を着ているのは何故だろう?
だが、頭が霞がかったような感じで、今まで何をしていたのかも思い出せない。
手には何も持っていないし、周りを見ても私物はなにも置かれていない。
急に疲労感が押し寄せてきた。
そんなに長い時間立ち続けていたのだろうか。
飾り気のないシンプルなベッドへ座ると埃が舞った。上にかけてあった布は寝るためじゃなく埃除けのシーツのようだった。
埃を吸い込まないようにハンカチを顔に当てようとポケットを探ると、指先に何か堅いものが当たった。ハンカチと共に取り出してみれば、無色透明なガラス玉にジャラリと細い金の鎖のついたネックレスだった。
ビー玉みたいだけど繋いでいる金具がガラスに直接埋め込んであるみたい。
手の込んだ感じだけど、ガラスは細かい気泡も入っているし高価な品じゃなさそう。
窓からの最後の日の光にかざすも、ぼんやりと明かりを通すだけでガラス玉に違いない。
ここに来るまでの記憶があやふやな時に自分で拾ったのだろうか。
または幼い妹のおもちゃか。
最近は色々な所におもちゃを隠すのが楽しくでしょうがないらしく、油断すると通学カバンはおもちゃ箱になった。
あの子は大丈夫かしら。
一歳を前に歩き出した義理の妹は、直ぐに走り回るようになった。
三歳になった今は、片時も目が離せない子になった。
次第に子守り役は私に任されるようになったが、私は学生であって母親ではない。
色々と不都合が出てきた。
ある日の事。
私は締め切り間近の課題をしなくてはいけないと焦っていた。そこへちょっとの間だから見ていて、と継母が言ってきたのだ。語気も強く言い付ける継母と、珍しく言い合ったのがいけなかったのだろうか。
私がトイレに入った隙に出かけてしまったあの人は、追いかけるあの子を見ていただろうに。
高台にある我が家は、平地になるまでの道は所々で階段でつながっているものが多い。幼いあの子は親を探して外に出て、階段を踏み外してしまった。
幸い近所の人が直ぐに見つけてくれたので命に別状はなかった。
ただ、一生右足を引きずる障害を負った。
あの人は初め、父と一緒に私を責めた。私は嫌な娘だったので言い返し、あの人が子供を勝手に置いて行った証拠を集めた。
暇を持て余した田舎では、我が家の言い争いは誰もが面白おかしいイベントだったらしい。普段から聞き耳を立てていた近所の人達は次々と証言してくれた。おかげで私の正当性はすぐに証明できた。
ここで終われば良かったのだが私は容赦しなかった。あの人に対する日頃の不満が爆発した。
怒りの感情のままに、何故あの日無理やり外出したのかまで白状させたのだ。
泣きながらあの人は、元カレに呼び出されたと言った。
父は顔色を無くしていた。
あの人は元カレとは何でもない、決して間違いは起こしていないと必死だった。元カレは幼馴染で良く相談に乗る仲だと言った。
父は女を見る目がないのだ。
私の母も子供を置いてすぐに出て行ったそうだ。
本当に俺の子か怪しいと言われたことは何度もあった。
DNA鑑定を、と言われる前に家を出ようとずっと思っていたが、出る前に自分で親子関係を壊してしまうとは思わなかった。
結局、父はあの人を取ったのだ。私は身内の恥を近所に広めたと叱られた。父とあの人は初めはギクシャクしたが、妹が間を取り持ってくれると思っているのだろう、二人は関係修復に前向きだ。
人間関係は共通の敵がいると結束が強くなるという。
私は裏切り者で憎むべき敵になった。
私は家族を修復するための生贄にされた。家庭の輪からはじき出されたのだ。
良かったこともある。子守りはしなくてよくなった。
可愛いあの子も生贄だ。良い母親であるために、あの子を常に傍に置くようになった。
そして、私と親の会話は無くなった。
私はどうしたら良かったのだろう。子守りを手伝えばあの人はほかの男に行き、断れば家族から排除される。
高校生最後の夏休みが始まり、自分の居場所は家にはない。
私はエスカレータ―式で大学進学が決まっていた。親の見栄で学校は名門と言われるところに通えていた。これは感謝している。受験勉強をすることもなく、高校生活で唯一の楽しみである部活動のため、学校に向かった。
その後、私はどうなってここにいるのだろう?
不意に足元で人の走り回るような音がした。バタバタと階段を上るような音がして、人の気配がこちらへ向かってくるようだった。
漠然と、ああ、私以外に人がいたんだと思った。
すると突然、ガチャガチャと鋭い音に心臓が飛び上がった。今座っているベッドから一番遠い壁に扉があり、そのドアノブが忙しなく回る音だった。
開かないためドアを無理やり開けようとしているのだろう、押したり引いたりしているようだ。
段々と激しくなる音に、やっと、鍵を開けてあげなくてはドアが壊れるのではと気づく。
ノックがなかったから、開けると言う選択に気が付かなかった。
「待ってください。今開けます。」
ドアノブに手をかけ、鍵を開けようと探すが見当たらない。
鍵がない?
どうやら建て付けが悪いだけのようだった。
かがんでいた体制を伸ばして扉の前に立ちあがり、そのことを伝えようと口を開いた瞬間、思いきり開いた扉が頭にぶつかった。
そこから私は真っ暗闇へ投げ出された。
二度目に気が付いたのは前に居たのと違う、石壁に囲まれた部屋のベッドの上だった。
照明が柔らかく辺りを照らし、サイドテーブルにはきれいなレースが敷かれ水差しが置かれていた。家具も落ち着いた木製のものが一揃え配置してある。手元に目線を落とせば清潔そうな真っ白のシーツが敷かれていた。
よかった。このベッドは埃臭くない。
今の状況は、気を失う前よりもっと現実味があった。額がじくじくと痛み、とても夢とは思えなかったからだ。
思わず手で押さえると布のようなもので巻かれていた。
内側がべとつくのは湿布だろうか。とりあえず血でないことを願う。
一通り周囲をみて、ふと違和感を感じた。
もう一度部屋を見回してみると、なんと窓がない。
テーブルセットやクローゼットはあるのに。
ここは奥にもう一部屋続いていて狭くはない。だが窓は無く、石壁の迫る重苦しい部屋に感じた。
そのせいかのどの渇きを覚えて、サイドテーブルにあるレトロな水差しから水を2杯も飲み干した。
夢じゃない。
頭には痛みがある。
水を飲んだら喉が潤い、渇きが癒された。
今の状況が現実とすれば何が起こったのだろう。
気を失うまえは扉の向こうには人がいたと思われる。
今は手当てもされている。
無人島でもなさそうだし、絶望を感じる状況でないと思いたい。
ガチャリとドアノブが回った。
ビックリして身体が数センチ浮き上がった。
重そうな分厚い扉がゆっくり開き、そこから黒目黒髪の鋭い目つきをした男の人が入ってきた。全く見た覚えがなかった。あの足音の人だろうか。
身体にぴったりとしたグレーのスーツを着ていて、黒い革靴はつやつやで傷一つない。胸板が厚く足が長い。なんとも日本人離れした体系だ。近づいてくると背が思った以上に高いのもわかった。威圧感がすごい。
ベットに座っている私を見ると、眉毛がピクリと上がった。
ああ、不機嫌そうな顔。父にもよくそんな顔をされていた。
無言のまま男の人はつかつかとこちらへ歩いてきた。
ベッドに少し距離を開けて停まり、こちらを見た。
思わず座ったまま会釈をしてしまった。咄嗟に声が出なかったのだ。
「お前はこれから私の預かりになる。私はホーン家のナプルガンだ。」
声まで威圧的だ。低く大きな声。ベッドに座った私を立ったまま睨んでくるのは返事の催促みたいだ。
恐る恐る声を出す。
「私は桐子、キリコです。長谷川家のキリコ。でいいのかな。」
妙な自己紹介で、変な名前を教えてもらった。土地柄なのかと思い、私も真似してみた。
相手のナプルガン?さんは眉間にしわを刻んで小首をかしげた。
これは私の名前も変だと思われているのだろうか?
「ハセガワ、家の、キャリー?」
おい、コはどこ行った。
「キリ、コ、です。」
コを強調して言ってみた。
「キャリー・オ。お前はホーン家のモノとなった。勝手は許されない。部屋からでるな。また来る。」
「え、物ですか?」
思わず言ってしまったが、返事は貰えなかった。
そして変な名前にされてしまった。ちょっと陽気な感じじゃないか、キャリーオ。
ナプルガンという国籍不明な名前の御仁はそれ以上はしゃべらず、さっさと部屋を出て行った。
ナプルガンは黒目黒髪だが、彫りが深めで顔つきも国籍不明だった。それに黒は黒でも青く光るのだ。
今までの人生で、茶色寄りの黒しか周りに居なかったが、藍色に近い黒の人って居たのかしら。
でも日本語だしなあ。ハーフだろうか?
そしてナプルガンの言いっ放しな態度に、時間差でじわじわと不満が湧いて来た。
物ってなんだ。つうかなんで命令?
出てくんなと言われても、ここどこよ。
えと?
あれ?
ホントにここどこだろ。
気付いてゾッとした。
私、自分がここにいる理由がわからない。
だって絵を描きに学校に行くつもりで家を出て。
部室に辿り着いた?
日が暮れるまでいた?
掌を嗅いでみるが、油絵の具の独特の臭いはしなかった。美術部最後の作品は油彩にしたのだ。作業をしていれば必ず匂いは付くはずだった。
考えても何も思い出せなかった。まるでブヨブヨの壁が頭を囲い、思考を跳ね返しているような感覚だ。
考えていたら頭の打ち付けた傷が痛み始めた。普段使わない頭に無理をさせたからか知恵熱でもでたのだろうか。
ガチャガチャ、とドアノブが回る音がしてまたしても飛び上がった。
しかし扉は開かなかった。
鍵はかかっていないように見えるけど・・・・・・・。
すると今度はもう少し乱暴にガチャガチャとノブが回った。
「どうぞ。」
恐る恐る声をかけると、すぐに扉が開き、食事を乗せたワゴンを押した人が入ってきた。
どうやらノブを鳴らすのがノックのようだ。心臓に悪い習慣だ。
入ってきた小柄に見える男性(先程のナプルガンさんに比べれば)は、黒い燕尾服のような小奇麗な恰好をしていた。
そして一言もしゃべらず、テーブルへ食事を並べ終えたら出て行ってしまった。
あれは執事? いや男性版のメイドさんなのかな。
それよりあれ、食べろってことかな。
テーブルに乗っているのはメインの肉っぽい料理に果物三個、緑色のスープ、棒状の黄色いパンっぽい何かだった。
しかし茶色の肉っぽい塊の傍に、黒い虫っぽいやつが入っているように見える。
近づいてみたら足が6本。見えてしまった。
今は空腹は我慢できる。
食文化が違えば身体を壊すかも。心身共に弱っている今は食べないほうが良さそうだ。私は元気なときは何ともないが、胃腸が弱っているときに青魚を食べると中ったりするのだ。まさしく弱り目に祟り目だ。
食欲がないので要らないと丁寧に言ってみたが、返事どころか使用人は目線も合わせず空のワゴンを引いて出て行った。
言葉が通じないの?
いや、こちらを見もしない態度は良く知っている。
無視だ。
家庭で慣れっこになった対応だった。
それにナプルガンさんも嫌そうにしゃべってたな。
なんでかわからないけど、私はここで嫌われているようだ。
父や継母と生活して嫌われるのに慣れたはずだが、やはり胸は痛んだ。
なにやら所有物になったっぽい事を言っていたけど、取り敢えず理由を聞かなくては何ともならない。
ナプルガンさんに今の状況を聞いて、何かわからないが誤解を解いて送り返してもらおう。
私を嫌々待遇しているし、誤解なら解放してもらえるはず。
シーツを持っている手は固く握りしめられ、皺になっていた。
読んで頂きありがとうございました。




