お兄ちゃんは心配性? 2
今朝の出来事は思い出すだけでも恥ずかしい。
見知らぬ男にファーストキスを奪われてしまった。
ファーストキスはレモン味のはずじゃないの? あんなに生々しいものだなんて。
しかも強引に。あの男…許すまじ。
あたしは腕をふりまわして地団駄をふみたくなる。
「修子、どうしたの? 顔が真っ赤だよ」
その声にあたしは我に返った。
体育館で行われている入学式の最中。となりに座っている沙紀があたしをいぶかしげに見ていた。
夏目沙紀はあたしと同じ一年A組。教室でたまたま前後の席になって仲良くなった。今日はじめて会ったとは思えないくらい気が合う。
沙紀はこの学校――夏目学園の理事長の娘。
つまりお嬢様だ。
清楚を絵に描いたような美少女。
どんぐりのような丸い大きな眼にくるくるとした天然パーマの髪。
そして制服の上からでもわかる豊かな胸。
絶壁のあたしにはうらやましすぎる。
「なんでもないよ。大丈夫」
あたしは頭を横にふって、今朝の記憶をふりはらった。
あれはキスとしてカウントしない。
不幸な事故だったんだ、事故。
あたしは自分に言い聞かせながらうなずいていた。
「ならいいけど」
そんなあたしを沙紀は心配そうに見つめる。
「つづいて、夏目学園高等部生徒会長、島崎藤吾くんより新入生の皆さんへのご挨拶です」
司会者の言葉に静かだった場内が急にざわつきはじめた。
「あれだよ、噂の生徒会長」
沙紀が興奮してあたしのわき腹をつつく。
夏目学園高等部生徒会長の噂は教室でさんざん聞かされた。
学園はじまって以来の秀才。スポーツ万能、眉目秀麗、人望もあつく、女子生徒と男子生徒問わずに人気がある。教師からの信頼も厚い。
漫画じゃあるまいし、そんなパーフェクト超人いるわけがない。
沙紀から生徒会長の噂を聞いたときにあたしは思った。
けれども、沙紀以外のクラスメイトからも話を聞くにつけ、悪い評判はまったくない。
むしろ賞賛ばかりだった。
初等部は児童会長、中等部は中等部生徒会長をつとめあげ、今年高等部二年生ながら三年生をおさえて高等部生徒会長になったのだという。
うさんくさいと思いつつも、それだけ絶賛される生徒会長に会ってみたい気持ちがふくらんだ。
その生徒会長のお目見えだ。あたしは体育館の舞台に作られた壇上をじっと見つめた。
舞台袖から現れたのは眼鏡をかけた男子生徒。紺のブレザーに黒いネクタイ。
さらさらの薄茶色の髪(たぶん天然色?)。切れ長の目だが、柔和そうな微笑を浮かべている。
ちょっと…いや、かなりかっこいい。
んっ???
はて、どこかで見たような気がする。しかも、つい最近。
「かっこいいでしょう。中等部生徒会長の頃なんか、すごい人気でファンクラブもあったんだよ」
「へぇ」
となりの沙紀の言葉が左から右へ耳をすりぬけていった。
あたしの目や意識はすべて、動く生徒会長にそそがれている。
あんな美形、忘れるはずないと思うんだけど。
あたしの脳がそれを認めるのを拒否していたとしか思えない。
しかし現実は残酷だった。
「新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます」
「あの京都なまりの声がなんともいえないんだ」
目をきらきらとさせる沙紀のとなりで、あたしは固まっていた。
背筋に冷たい汗が流れ、さきほどの記憶が脳内にプレイバックする。
そんなことあるはずがない。
他人の空似だ。
あの男は眼鏡をかけてなかった。
京都なまりも今はとても品がいいが、今朝はもっと悪辣だった。
でも、そっくりだ。
今、壇上で祝いの言葉を述べている男と今朝、あたしのファーストキスをうばった男。
とはいえ、それを確かめるすべはない。
これだけ人気のある生徒会長においそれと近づくことはできないだろう。
それに、あたしの制裁を受けた男はきっと報復を考えているに違いない。
ここは、君子危うきに近寄らず。
生徒会長には近づかないようにしよう。
昔の人の教えにもとづき、あたしは平穏な高校生活を選んだ。
だがすでに平穏な高校生活に暗雲が立ちこめていたことを、この時のあたしは知らなかった。




