6.異世界と金属バットの秘密
説明回になります。少し長めです。
不適切もしくは不快に思われる表現があります。
ご注意ください。
アルトさんが今夜の野営の場所に選んだのは、意外にも森の中だった。
鬱蒼とした森の中の、ある木の下でアルトさんは歩みを止めた。
その木はリンゴの木にそっくりだった。
ただし実っているのは、目が覚めるようなコバルトブルーのリンゴだったけれども。
「さぁ、ここが今夜の寝床だ。
今火を起こすから少し待ってね」
アルトさんは薪など、野営に必要なものを魔法とやらで取り出した。
薪が崩れないよう積み上げ、手をかざすと火が付いた。
…もう驚くまい。
これもきっと魔法なんだろう。
「あの、アルトさん。
この木はいったい何ですか?」
私はポーラちゃんの手伝いをしながら、アルトさんに問いかけた。
「この木かい?
この木はマナの木と言って、精霊が生まれる木だよ。
この木の加護が及ぶ範囲では、例え魔物であっても襲うことが出来ないんだ」
……。
お、驚いてなんかいないよ?
アルトさん曰く。
安全な野営を行うコツは、マナの木を見つけることだそうだ。
精霊はマナの木から満月の夜にだけ生まれ、このコバルトブルーのリンゴが精霊の卵なのだそうだ。
精霊は地上で命を与えられているもの全てを加護する神様みたいな存在であるため、マナの木の元では、いかなる者であっても生殺与奪を許さない。
禁忌を犯せば、その魂は輪廻を繰り返しても呪われ続けるのだという。
……。
「異世界には精霊も存在しないのかい?
それならば驚くのも無理はないかもね」
アルトさんは薪にお鍋をかけながら、ふっと笑った。
……。
お、驚いて言葉が出なかった訳ではないんだからねっ。
気を取り直してアルトさんに質問を投げかける。
「アルトさん。
その、異世界ってなんなのでしょう?」
私は異世界なんて知らない。
私の知っている世界は、地球という惑星の日本という国の中で野球漬けの高校生活を送るちっぽけなものだ。
アルトさんの話す魔法や精霊は架空のものであって、私の知っている世界には存在しないものだ。
「異世界ね…。
俺も詳しくは知らないんだけど、言葉のとおり『異なる世界』さ」
『異なる世界』、文字通りの意味なら私だって理解できる。
「納得していない顔だね。
カナさん、そもそも世の中に腑に落ちることなんてたかが知れていると思わないかい?
『異なる世界』があることを証明するということは、今ある世界が一つしか存在しないということを否定することなんだ。
今俺たちが存在するこの世界には魔法や精霊がいて、ニホンやカナガワという地名は存在しない。
一方で、カナさんが存在していた世界には魔法や精霊はおらず、ファーランやヒューイは存在しない。
あまり難しく考える必要はないと思うよ。
あるものが無くて、無いものがある。
それが異世界なんじゃないかな」
うーん。
わかったような、わからないような…。
とりあえず、深く考えてもしょうがないということなんだろうか。
「異世界がなんなのかはなんとなくわかったような気がします。(要はわかっていない)
元の世界に戻る方法ってあるんでしょうか?」
野球部を引退したとはいえ、私はまだ18歳だ。
これから待ち受ける地獄の大学受験を制すれば、楽しい大学生活が待っているはずだ。
今まで野球に比重を置いて勉強を疎かにしていた分、私には無駄にできる日は少ないのだ。
アルトさんは沸騰したお鍋の中に、ポーラちゃんが刻んだ干し肉や乾燥野菜を入れながら少し考え込んだ。
「そうだねぇ。
実は、この世界はカナさんがいた世界と違って、異世界からやってくる人は結構いるんだ。
ただ、元いた世界に戻れるかどうか、俺は聞いたことない。
異世界から人が渡って来たという情報は、わりと世間には広がりやすいんだ。
理が違う人間が突然混ざりこむってことだろう?
目立つからすぐに情報が伝わりやすくなるんだ。
一方で戻ってしまうときは目立たない。
だって、時がたてば大なり小なり環境に馴染むだろう?
馴染んだものがふっと消えてしまって、気が付く人は少ないだろう。
まあ、よっぽど偉業を成し遂げたりして、馴染んでも逆に目立ってしまう人は別だろうけど。
おそらくそういう人の記録が残っているとしたら、冒険者ギルドだと思うよ」
「冒険者ギルド?」
「そう。
この世界で自分の身を最低限守って旅をする力を持つ人を冒険者というんだ。
全ての人が力を持っているわけではないからね。
力を持たないものは、冒険者に対価を払い守ってもらう。
それを管理するのが冒険者ギルドなのさ」
アルトさんはそういうとオタマのようなもので味見をする。
「さぁ、出来たよ。
お腹が減っただろう。
続きは食事のあとにしよう」
アルトさんが用意してくれた食事は、干し肉の出汁がきいた野菜スープと固めの黒パンだ。
異世界に来てから木苺と水しか口にしていない私にとって、久方ぶりの文明的な食事だ。
湯気の立つスープを啜ると、味付けは干し肉から染み出た塩のみなのにもかかわらず、口の中は動物性タンパク質のコクの深い香りが広がる。
黒パンは某アルプスの少女アニメのパンを再現したような代物だが、麦の香ばしさが食欲を刺激する。
要するに美味しい。
私はデザート代わりに、ささやかながら木苺を提供すると、思いのほか喜ばれた。
なんでもこの木苺は血のように赤いことからブラッドベリーと呼ばれ、栄養価が非常に高い苺らしい。
ヒューイの森の狼の縄張りど真ん中にしか生育しない希少種だそうである。
わさわさ育っていたけど、全く狼に遭遇しなかったな。
運がよかったのかな?
とにかくバットケースが空になったので、ようやくマイバットをしまうことが出来る。
これで脱☆不審者だ。
バットケースにマイバットを収納しようとするのを、アルトさんは興味深げに見ていた。
「…カナは不思議な武器を持っているんだね」
アルトさんには、さん付けを辞めてもらった。
私より年上だし、一宿一飯のご恩があるし、なによりむず痒い。
ちなみに、ポーラちゃんにはお姉ちゃんと呼んでもらうことにした。
弟妹が欲しかったので願ったり叶ったりだ。
「このバットのことですか?」
「うん。
良かったら少し見せてもらえるかな?」
武器といわれていささか抵抗を感じるが、特に隠すようなものでもないのでアルトさんにバットを手渡す。
「ふーむ…。
ずいぶん軽いんだな」
そりゃそうですとも。
マイバットは中学硬式野球用のアルミニウムを主成分にした軽量金属バット。
成長期の子供の腕に負担をかけないよう、その重さは確か800g前後だったはず。
「これはすべり止めかな?
この素材も見たことないな…」
グリップのことですか?
布とゴムの中間のような…説明するのが難しいな。
「お父さん!
お姉ちゃんはその棍棒でね、追いかけてきた狼のお腹めがけてズバーンって叩きのめしたの。
一撃で狼を仕留めたんだよ。
すごくかっこよかったんだよ」
ポーラちゃんは目を輝かせながら、中々過激な表現で私の雄姿を語ってくれる。
うーん。
それにしても棍棒って。
それ以前に、金属バットは武器では断じてないからね。
この世界に野球というスポーツがないのなら、理解は難しいかもしれないけれど。
「…こんなに軽い武器で狼を叩きのめしたのかい?」
アルトさんは信じられないものを見るように、私とバットを交互に見る。
それは私も不思議に思っていた。
金属バットで生き物を叩きのめしたことは、18年間の生涯の中で一度もない。
しかし、木製バットなら何度か佐々木達のお尻を叩きのめしたことがある。
所謂ケツバットだ。
ここで断言しておくが、私には人様のお尻を叩きのめして喜ぶ趣味はない。
時々佐々木達はなぜか「気合が足りない」と私にお尻を差し出すのだ。
思春期真っ只中のチームメイトに「思いっきり頼む」と言われて、手加減する情けは私にはない。
大事なことなので2度言わせてもらう。
私には人様のお尻を叩きのめして喜ぶ趣味は 断 じ て ない。
木製バットととはいえ、フルスイングしても奴らの体は、今日の狼のように数m吹っ飛ぶということは一度もなかった。
木製バットより重さもミートも軽い金属バットで、数m吹っ飛ぶなんて考えにくい。
「ところで、これはなんて書いてあるの?」
アルトさんは『一打入魂』を指して言った。
異世界だと文字も違うのかな?
「それは、いちだにゅうこんと書いてます」
「…意味は?」
「これはバットと言って武器ではないのですが、魂を込めるように一打ごと振りぬくといったような意味です」
たしか『一打入魂』は『一球入魂』のさらなる造語だったから、意味をうまく説明できない。
野球を知らない人に説明するのだからなおさらだ。
しかし、アルトさんにピンとくるものがあったらしい。
「…なるほどね。
この軽い武器で狼を倒せた理由がわかったよ」
だから、武器じゃないんですけど…。
「…理由ってなんですか?」
「この武器は精霊に加護されている。
もしかしたら、精霊が宿ってすらいるかもしれない」
……はい?
次回も説明回になる予定です。
ケツバットエピソードが書きたくて…