21.金属バットのポテンシャル
「いやあ、カナの世界の『野球』とやらは楽しいねえ」
「…」
アルトさんはあれからずっとニコニコだ。
私は疲労困憊でへろへろだ。
因みにポーラちゃんは、アルトさんのはしゃぎっぷりにドン引きしっぱなしである。
あれからアルトさんは嬉々として熊の毛皮を剥いだ。
クマは肉も美味しいらしく、鼻歌交じりでクマを精肉に変えていった。
もちろん精肉も魔法で全て収納されていった。
…収納された肉は腐らないのだろうか?
その後は川辺に戻ると、アルトさんはお山の大将と化し、日が暮れるまでマウンドを譲らなかった。
私はというと戦々恐々とバッターボックスに立ち続けた。
何に恐れ嘶いていたかというと、アルトさんの放つ球だ。
いや、あれは果たして球というべきなの…か?
アルトさんは何も手にしない。
どこで覚えたのかわからないが、見事なオーバースローでアルトさんは振りかぶる。
リリースの瞬間にならないと何が放たれるのかわからないのだ。
…そう、アルトさんは魔法で出した何かを投げるのである。
始めのうちは、火や氷の球だった。
アルトさんは私の限界を試すように、徐々に放つ球を大きくしていった。
バスケットボールから大玉スイカ、なんと直径50cm程の球まで私は空高く打ち返すことが出来た。
通常では考えられない。
普通ならバット諸共腕が折れている。
しかし、腕への衝撃はバレーボール級でも50cm級でもビリリと来る程度であった。
これもあれか。
『加護』とやらのせいか。
それ以上の大きさになると、ミート後すぐに水風船のように弾けた。
そう、弾けたのは火の玉だった。
弾けた火の雨が私の正面にいるアルトさんを襲う。
ポーラちゃんが悲鳴をあげる。
私からは火でアルトさんの姿が見えなかった。
やばい!
アルトさん死んじゃうかも?
私は焦ったが、一歩も動くことが出来ない。
今思えば、動けたところで出来ることは何もないんだけど。
しかし、アルトさんは死ななかった。
というか無傷だった。
アルトさんは体に薄い膜を張り、火の雨から自らの体を守ったのである。
「いやー、久々に死ぬかと思った!
結界が間に合って良かったよ」
アルトさんは爽やかな笑顔でそう言った。
…とても、命の危険を感じた人が浮かべる笑顔ではなかったのは気のせいか?
その後も研究バカはピッチャーを続けた。
さすがに命が惜しいのか球の大きさを50cm以上大きくせず、様々な球を投げ続けた。
ゼリーのようにふにゃふにゃなもの、
ゴムのように弾力のあるもの、
ガムのように粘着性が高いもの、
鉄のように重く固いものなどなど…。
よくもまあ、こんなに色々と出せるものだな。
私はアルトさんの放つ魔法の多様性に呆れながらも感心した。
それと同時に金属バットのポテンシャルにも驚きだ。
通常、球は固いほど遠くに飛ぶ。
しかし、このバットは固かろうが柔らかろうが粘つこうが飛距離は変わらないし、べた付くこともなかった。
飛距離と言えば、これも『加護』のせいだろうか飛躍的に伸びた。
元の世界の頃ならば内野を抜けるのがせいぜい、ホームランなど余程狭い球場でもない限り拝めなかった。
しかし、今はどうだろう。
気持ちよく振り抜けば球はぐんぐん伸びて、間違いないなくホームラン級の飛距離だ。
時々、ありえぬ方向に獲物目掛けて飛んでいくこともあるが、芯さえ捉えればほぼホームランだ。
ちなみに、熊以降の獲物はそのまま森へ還ってもらっている。
アルトさんの収納魔法の容量の余裕がもう少ないのだそうだ…。
芯と言えば、これもほとんど捉え損ねることは無いような気がする。
これも…『加護』なのか?
試せば試すほど、私の愛用の金属バットとは思えない。
元の世界の唯一の持ち物である金属バット。
この変わり果てた姿に一抹の寂しさを感じたし、狼どころか熊まで仕留めたときも嬉しさなんて欠片も感じなかった。
この気持ちに嘘は無い。
…だけど!
今の私は、別の気持ちが心を占めている。
…気持ちいい!!
私は顔がゆるむのを必死に抑える。
…滅茶苦茶気持ちいいんですけど!
言い訳はするまい。
正直に白状しようと思う。
私は今目の前の快楽に溺れているのだ。
私の18年の人生はそのほとんどが野球で占められていた。
高校三年間はマネージャーとして携わっていたが、小中9年間はプレーヤーとして白いユニフォームを身に纏ってきたのだ。
自慢ではないが、女子の中ではそこそこ野球が出来る方だった。
しかし、出来たといってもそれは女子の中でのこと。
小学生の時はともかく、中高になるとあらゆる点で男子には敵わなかった。
その点については悔しくは思ったけれど、別に卑屈になるほどではなかった。
ただ、やはり憧れるのである。
真芯を捉えた白球が空高く舞い、バックスクリーンを直撃させるのを。
この世界にバックスクリーンはもちろん無い。
しかし、私は今憧れていたホームラン級の飛距離をこのバットで生み出している。
もちろん、私の実力ではないことはわかっている。
それでも、この気持ちの良さはなんだ。
打っても打っても、清々しい程飛んでいく。
た、堪らん!
私は口ではアルトさんに付き合いきれないとぼやきつつ、心の中では夢にまで見た長距離打力を堪能するのであった。
日がとっぷり落ちかける頃、ようやくホームラン大会は終わった。
アルトさんはまだまだ投げたりなさそうだったけど、私の腕がとうとう上がらなくなってしまった。
ポーラちゃんも飽きて寝てしまっていた。
「また明日続きをやろうねっ」
「いや、明日はコポの村に行くんじゃ…」
さすがに二日連続は避けたい。
確かに気持ちよかったけれど、明日は間違いなく筋肉痛だ。
アルトさんこそ、あんなに投げ続けて肩の方は大丈夫なんだろうか。
アルトさんは自身の肩など気にすることなく寝入ったポーラちゃんを背負った。
「じゃあ、しょうがない。
また森に戻ってきたら、色々試してみようか。
俺もそれまでに今回の結果をまとめるとしよう」
「…」
アルトさんはそういうと、マナの木目指して歩き始めた。
私は重い体を引きずりその後を付いていくのだった。
マナの木に着くころには、すっかり太陽は沈んでしまっていた。
昨日のマナの木と違い、今日のマナの木は光っていなかった。
アルトさんは根元にポーラちゃんを横たわらせ、手元が暗いにも関わらず手早く薪を用意し火を着けた。
「アルトさん、私に何か手伝えることはないですか?」
「じゃ、この野菜を切ってくれるかな?」
アルトさんは乾燥野菜とじゃがいものような野菜をナイフと共に私に手渡した。
アルトさんはというと熊の肉を水洗いしお酒に漬け、その間にお鍋を薪にかけていた。
…今日は熊鍋のようだ。
お湯が沸騰し、肉ともどもお鍋に入れると堪らない動物性のお出汁の香りが漂ってきた。
熊鍋を口にしたことは無いが、とてもよい香りだ。
「この時期の熊は獰猛だから、なかなかこんなごちそうにはお目にかかれないんだよ」
アルトさんは意味ありげな視線を私に向けながら、鍋の灰汁を取っていた。
「バット様様ですね」
私も負けずににやりと笑って言い返した。
不思議なことに、今の私にバットを否定する気持ちは少しも無かった。
バットは武器でも棍棒でもなく、あまつさえ抜身で持ち歩くべきではないという気持ちに変わりはない。
けれども、『加護』付とわかったときに感じたような、訝しげに思う気持ちは無くなっていた。
自分でも思う。
この気持ちの変わり様はなんなのか。
気持ちよさに頭がやられてしまったのか。
…そうかもしれない。
元来私は考えることが得意ではない。
考えるよりも行動が先に出る性質だ。
今日は久々に思う存分バットを振ることが出来て、何かが吹っ切れたのだろう。
手足は重くだるいが凝っていた心はずいぶん軽くなっていて、晴れ晴れとした気分ですらある。
そうだ、今までの私は柄にもなく頭を使い過ぎていたんだ。
理解できないものは理解できないものだと受け入れ、譲れないものは譲らず、もやもやするときは発散すればよいのだ。
今、私は異世界にいる。
手元にあるバットも長年愛用している軽量アルミの金属バットだ。
ただそれだけだ。
鍋が出来上がる頃、ポーラちゃんもタイミングよく目を覚ました。
私たちはほかほかの熊鍋に舌鼓を打ち、今日もまたマナの木の根元で眠りについたのである。