1.プロローグ
初めての投稿です。
よろしくお願いします。
…ああ、夏が終わった。
グラウンドに試合終了のサイレンが鳴り響く。
私はスコアブックを閉じ、空を仰いだ。
太陽は今日も容赦ない。
ベンチからグラウンドを見ると整列する球児達が蒸気で揺らいで見える。
(今日は練習前にたっぷりグラウンドに水蒔かなくちゃ)
(水分もたっぷり用意しておかないと熱中症が怖いな…)
午後の練習準備に思いをはせてから、ハッと気づく。
(試合に負けたんだった…)
今日から私達は練習がない。
3年生は今日で引退するからだ。
うだる暑さの中、白球を追いかけることも今日からはない。
つらつらと考えていると、選手達が目に涙を浮かべてベンチに戻ってきた。
「…小池田、すまん。」
「小池田先輩!
あ、ありがとうございましたっ」
…男の子がそんなに泣くなよ。
悔しいだろうに、こんな時にマネージャーに気を使うな。
そう思うも、自然と目頭が熱くなる。
しかし泣くわけにはいかない。
私は無理やり笑顔を作る。
「皆お疲れ様!
さっさと荷物片付けてベンチを空けるよ」
後輩の背中をポンポンと叩き、手早く荷物をまとめる。
私達は第一試合だったから、感傷に浸っていると次の学校に迷惑をかけてしまうからだ。
それぞれが荷物を抱え、ベンチから出る。
私は忘れ物が無いか確認するため、最後に出る。
これも今日で最後かと思うと感慨深い。
扉から出る前にグラウンドを仰ぐ。
夏の高校野球が終わった。
ああ、今日もグラウンドが眩しい。
私の名前は小池田カナ。
高校三年生で野球部マネージャーをしている。引退する今日までは。
私は野球が好きだ。
二つ上の兄の影響で小学生の頃から少年野球に身を投じ、中学生になっても男の子に混じってシニアに所属していた。
女の子ながらレギュラーを勝ち取っていたのだから、自分で言うのもなんだがなかなかだったと思う。
高校進学を機に選手として活動するか悩んだ。
残念ながら、競技人口が少ない為女子野球部がある高校はなかった。
社会人野球にしても私が住む地域では試合がまともに組めない状況だったので諦めた。
そんな3年前の春。
高校でも白球を追いかけていた兄から誘われた。
マネージャーにならないかと。
私の兄は某県立高校に進学し、部員数ギリギリの野球部に所属していた。
公立で更に進学校であるため甲子園を目指せるレベルでは無いが、少ない練習時間をクレバーに生かせるチームだ。
私も春から兄と同じ高校に通うことになっていた。
はじめはこんな誘いだった。
「なあ、カナ。
春休みだけでもいいんだ。
ノックでもしに来ないか?」
野球漬けの日々から解放され、時間を持て余していた私にとって、かなり魅力的なお誘いだった。
素直じゃない私は、兄にそんな素振りを見せたくなかったので、「しょうがないなぁ」とイヤイヤな態度を見せ、高級アイスで手を打つことに成功した。
兄が私を誘ったのには訳がある。
前任の野球部顧問が定年退職になりノック打ちが足りなかったこと。
私が女子とはいえシニアでレギュラーかつ内野への打ち分けに定評があったからだ。
力不足で外野へのコントロールは今一つだが、部員数の少ない県立高校野球部では貴重な人材となる。
そして私はマイバット(軽量アルミ合金)を手に、兄の待つグラウンドへ通うこととなる。
春休みだけではなく、3年間ずっと。
「いやー、あの時はびっくりしたよ。
シニアで有名な小池田が先輩相手に鬼のようなノックをかましていたのにはさ」
ピッチャーの佐々木が懐かしむようにしみじみという。
引退のあいさつは後日として、今日は簡単なミーティングのあとすぐに解散となった。
3年生は私を含め4人。
なんとなく別れがたく、いつものファミレスで昔話に花を咲かせている。
ちなみに競技人口が少ないので、女の子だというだけで上手い下手関係なく名が知られてしまう。
迷惑な話だ。
「鬼とは失礼ね。
取れそうで取れないぎりぎりを狙うのがノックじゃない」
「そりゃそうなんだけどさ。
春休みから参加しようとグラウンドに行ったら、先輩たちがすでにノックでヘロヘロでさ。
ノック打ちをしていたのが俺らとタメの小池田だったんだ。
驚かないわけないよ」
そう佐々木をフォローするのはキャッチャーの安田。
さすが女房役だ。
「そうそう。
しかもバットには『一打入魂』て書いててさ。
どこのド〇ベンかと」
佐々木がそういうと私以外のみんなが笑う。
ちなみにこの『一打入魂』は油性ペンで何度も書き直している私の直筆だ。
白球に対する私の誠意なのに。ひどい。
そんな風に思われていたなんて。
「…あの鬼ノックがもう取れないと思うと、
なんだか寂しくなるな……」
しんみりと加納がいう。
加納はショートだ。
内野の要として集中してよく扱いたものだ。
ノックの付き合いは加納が一番長いかもしれない。
「そんなに寂しいなら、付き合ってあげてもいいよ。」
「「「えっ!?」」」
がばっと皆が一斉に私の方を見た。
ん?なんか変なこと言ったかな?
「つつつ、付き合うって、お前らいつの間にっ…」
おや、佐々木の様子がおかしい。
安田も大きな目をこれでもかと見開いているし、加納は金魚のように顔を赤くして口をパクパクさせている。
「そんなにノックしたいなら、みんなに付き合うよ?」
ノック位で、なんだこの反応は。
3年も部活を共にしたのだ。
部活じゃなくても付き合うサービス精神は持ち合わせているつもりだ。
おかしくなった3人の顔を見回していると、携帯電話がなった。
「あ、兄ちゃんからだ。
わり。もう帰るね」
自分の分のお金をテーブルに置いて、ぎこちなく固まる3人を残しファミレスを出た。
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「…あいつ、ぜってぇわかってねーよな」
「俺らがどれだけ甘さ控えめ酸っぱい3年間を過ごしたか…」
「そもそも中学時代はシニアのアイドルと騒がれ、
高校に入ってからも美人女子マネって言われてる自覚無いだろ」
「はぁ…俺らのピュアハートを返しやがれ」
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ファミレスを出て、早足で自宅へ急ぐ。
今日の試合結果を聞いて、兄が進学先から2時間かけて帰ってきたようだ。
別にブラコンなわけでは無いが、同じ野球を愛するものとして気持ちを分かち合えるのは嬉しい。
(兄ちゃん、妹を労ってケーキでも買ってきてくれてないかなぁ…)
ファミレスではドリンクバーだけだったので、お腹はペコペコだ。
いやしくもその時は、思考の殆どが食欲が占めていたのだろうか。
一瞬のことだったので判断が全くつかないが。
「危ないっ!」
気づいたのは誰かの声だった。
慌てて振り向くと大型トラックのライトが目の前にあった。
かなりの至近距離で。
視界が真っ白になり、私の意識はそこで途絶えた。