18.野球を愛するからこそ
…。
……。
………。
私たちは昨日と同様、ポーラちゃんを先頭に森の中をざくざく歩いている。
…ただし、無言で。
集中力を高めているポーラちゃんは口数が少なくなっている。
やはり魔法で人の気配を察知するそうで、魔法を契約したばかりの彼女におしゃべりの余裕は無い。
アルトさんは、先生だ。
ポーラちゃんの所作を見守り、この世界の理を知らない私の質問に簡潔に答えてくれるが、自ら端を発して会話をすることは余りなかった。
つまり今この3人に会話が無いのは、主に私が押し黙っているのが原因なのである。
…私は今、大いなる不満を抱えている。
確かに、私は魔法の力を借りる契約こそしているものの、精霊は見えない。
魔法の修練も大切だが、最優先事項は精霊を意識し見えるようになることだ。
そのことについては、なんら不満はない。
…けれど!
私はなぜ抜身のバットを握りしめながら、森の中を歩かねばならないのか。
出立の準備の時、アルトさんは何でもないことのように私に言った。
「これから私達だけで森を移動するときは、棍棒を手にして歩くように」
「…はい?」
「精霊を意識するためにね、背負うよりも直接手に持った方が良いだろう?」
アルトさんの顔は、それはそれは害意の欠片もない爽やかな笑顔だった。
対して私の顔は対照的だ。
私は信じられないものでも見るように、アルトさんの顔を凝視していた。
心の中ではふつふつと疑問がわき起こっていたからだ。
…私がこのような態度をとったのにはもちろん理由がある。
まず一つ目、私のバットは武器ではない!
金属バットとは飛距離が伸び悩む野球少年・女子の夢を叶えてくれる、ある意味魔法の道具である。
相手をやり込める武器では断じてない。
狼をぶっ飛ばしたのはポーラちゃんの命を救うため、涙を飲んでやむを得ずしたこと。
バットは暴力に使うべきものではない。
スポーツマンシップに乗っ取って、12年間白球を追いかけていた私にとって許すまじ扱いだ。
こんなアウトなことは無い。
二つ目、棍棒ってなんだ。
わたしのバットはそんな無粋な名前ではない。
そもそもこの異世界には野球というスポーツは存在しない。
もちろんバットも存在しない。
形状が似ている道具なので棍棒と言われてカチンと来ることも正直あった。
けれどもアウェーは間違いなく私だ。
頭から否定せず、波風を立てぬようやんわりと訂正していたつもりだった。
話の機微を察することが出来るアルトさんなら、きっと理解してくれると期待していたのに。
スポーツマンの純情を踏みにじる悪行に違いない。
せめて理解する姿勢を見せてもらえれば、ここまで反感をもたなかったかもしれない。
…これでツーアウト。
最後に、バットを抜身で歩けとは如何なることか。
まず言わずもがな、日本では不審者扱いになる。
しかし、ここは異世界だ。
確かにブラッドベリーを見つけたとき、バットを抜身にした。
しかしあの時は、お腹がすいていていたのだ。
非常食のストックとして収納できるものが、バットケースしかなかったからだ。
人目が無かったというのも抜身にした要因の一つである。
人目があればそもそも非常食は必要なかったかもしれないし、必要だとしてもスカートのポケットに収める位で我慢しただろう。
例え、パンツが赤く染まる危険を犯したとしても。
アルトさんのいうこともわかる。
精霊の加護をうけているバットを手に持つことによって、意識することを身に着けるのが狙いなのだということはわかっている。
頭では理解できているのだ。
理解はできるんだけども!
…私が危惧していることを是非想像して頂きたい。
静かな森の中、必死に何かを探す可愛らしい女の子。
そのすぐ後ろには、娘を見守る微笑ましいお父さん。
そのさらに後ろには、抜身の金属バットを手にした私。
はい、スリーアウトー。
どれだけ森の中にマイナスイオンが充満していようとも、
どれだけポーラちゃんが可愛らしくても、
どれだけアルトさんがイケメンでも、
私の出で立ちで台無しになってしまう、異様な光景だということをご理解いただけるだろうか。
私の心の審判は高らかにチェンジをコールする。
私はファンタジーな世界を受け入れる。
すぐにわからなくともよい。
マルッと受け入れるつもりだ。
だからと言って、私の馴染んだ理を全て捨てなくてはいけないのか。
地球という惑星の日本という島国で18年間培ってきたものを全て捨てなければ、この異世界では受け入れてもらえないのだろうか。
今、目の前を歩く二人に私を理解する余地が無い人物なのだろうか。
別に二人に怒っている訳ではない。
怒るべきはこの異世界に野球という素晴らしいスポーツが無いことだ。
私が今の時点で理解いただきたいことは3つ。
1.バットは人を傷つける武器ではないこと。
2.バットは棍棒ではないこと。
3.常識的に考えて往来で抜身で使うものではないこと。
以上3点だ。
時間がかかっても構わない。
すぐに理解してもらえるとも思えない。
ただ、以上のことに私が違和感を持っていることはわかってもらいたい。
わたしが、この異世界で自分を見失わないために。
この二人には、私の愛すべきものをわかってもらえるよう、努力すべきなのだと思いたい。