14.精霊の実る木
マナの木に着いた。
私は肩で息をしながら、マナの木を見上げた。
アルトさんを引き離すのに夢中になって、思わず全力疾走してしまったのだ。
暗い足元が少し不安だったが、根元に気を付ければ存外走りやすかった。
見上げたマナの木は、二日前にお世話になったマナの木より二回り程大きい。
相変わらず、人口着色料で染めたような青いリンゴがたわわに実っている。
木の実の色は、二日前の木に比べてより原色に近く真っ青だ。
遠くにいるときはわからなかったが、光っていたのは木全体ではなく木の実であった。
青いリンゴが一つずつ光を放っていて、まるでイルミネーションのようだ。
幻想的な光景に見とれていると、後ろから声をかけられた。
「カナ!
いきなり走っちゃダメだよ。
森の中だし、もう日も落ちて足元危ないんだからね!」
アルトさんだ。
息も乱さず、私の後ろで仁王立ちしていた。
珍しく表情が厳しい。
まずい。
質問攻めに辟易したとはいえ、逃げたのはやりすぎたか。
「アルトさん、光っていたのはマナの木ではなくマナの実でしたよ」
「えっ?
そうなの!?」
私はすかさず話を逸らす。
アルトさんが再び狩人の目になり、再びメモを取り出した。
「お姉ちゃん、マナの実が光って見えるの?」
近づいてきたポーラちゃんが、アルトさんと同じ顔で私に尋ねた。
「そうみたい。
イルミネ…いや、マナの実一つ一つが小さいランタンみたいに光って見えるよ」
「なるほど…。
ラ、ン、タ、ン、と」
アルトさんはメモを取り出し、書き込み始めた。
「お姉ちゃん。
マナの木は、精霊が生まれる満月の夜にだけ光るんだよ」
「マナの木が?
マナの実ではなくて?」
「うん」
空を見上げると、雲の隙間からちょうど月が顔を出していた。
その姿は下限の月。
満月ではなかった。
「精霊と契約を望む者は、満月の夜にマナの木を訪れる。
生まれたての無垢な精霊と契約を結ぶためだ。
そのため、精霊が生まれるのをマナの木の元で一晩明かして待つ。
精霊が生まれるタイミングは誰にもわからない。
宵の口に生まれることもあれば、明け方に生まれることもある。
ただし、必ず精霊は生まれるとは限らない。
このように沢山実っていても一人も生まれないことがあれば、わずかしか実っていなくても沢山生まれることもある。
沢山生まれたとしても、精霊の目に敵わなければ契約できないしね」
アルトさんがそう説明した。
「ポーラちゃんの時はどうだったんですか?」
「ポーラはこの前の満月の夜に無事契約できたよ。
二日前のマナの木で契約したんだ」
「ポーラの時はよく晴れた満月の夜だったんだよ。
精霊も沢山生まれて、ぱあっと空に舞って綺麗だったなぁ」
ポーラちゃんは、うっとりとその時の様子を思い出しているようだった。
「アルトさん、満月の周期はどの位なのですか?」
「そうだね、30日かな」
ふむ。
地球と一緒か。
今が下限の月だから、満月は1週間前だ。
…次は3週間後か。
「カナの場合はまだ精霊が見えないからね。
見えないことには契約しようがない。
焦らず、修練を積もう」
アルトさんは、私の気持ちを見透かしたかのようにそう言った。
今宵はマナの木に到着するのが遅かったので、夕食はごく簡単に済ました。
スープは作らず、炙った干し肉をパンに挟み温かいお茶で流し込んだ。
そして、早々に寝支度を始める。
マナの木の根元に頭を向け、毛布に包まり横になる。
ポーラちゃんを挟んで今日も川の字だ。
上を向くと空一面に広がる綺麗な星空…ではなく、淡く光る青いリンゴ。
ひとつひとつの明かりは小さくても、数が多いのでかなり眩しい。
星なんて見えやしない。
このまま上を見続けても眠れそうにないので、私はポーラちゃんの方に顔を向けて寝ることにする。
体勢を変えると、ポーラちゃんも私の方を向いていて目が合った。
…というよりも、じいっと私を凝視していた。
「ポーラちゃん、どうかしたの?」
ポーラちゃんの熱視線に耐えられず、聞いてみた。
「…お姉ちゃんは、本当に精霊のオーラが見えないの?」
「うん?
全く見えていないけど?」
「本当にほんと?」
「うん。
そうだよ?」
アルトさんではあるまいし、ポーラちゃんにしては随分しつこく聞くなあ。
そう思っていると、アルトさんがクスクスと笑いだした。
「ポーラが不思議がるのも仕方がないよ。
今日のマナの木は、いつもと様子が違う。
木は光っていないけれど、まだまだ生まれるはずもない精霊の卵たちがざわついているんだ。
こんなのは初めてだよ」
そうなのか?
私には眩しいだけで、何も感じない。
「…私には全く感じないですよ?」
「二日前のマナの木は特に異常がなかった。
今日のマナの木だけこんなに反応するなんて…。
これも『加護持ち』の影響なのかな。
いや、それだったら二日前にも何らかの反応があっていいはず…」
アルトさんの説明は途中で独りごとになり、その後もああでもないこうでもないとぶつぶつ言い続けた。
アルトさんの言う通り、『加護持ち』だという私が原因でマナの木がいつもと違うのだとすれば、二日前のマナの木で何もなかったのは説明がつかない。
一つ違うことと言えば、今日はなぜかマナの実が光って見えるくらいだ。
しかも光って見えるのは私だけ。
アルトさんやポーラちゃんには見えないという。
そして、精霊のオーラが見えない私にはそれ以外の違いがわからない。
アルトさんとポーラちゃんは騒がしいのだという。
…。
他に何か違いは無かったか?
「あ」
そうだ。
もうひとつ違いがあった。
「どうしたの?
おねえちゃん」
「マナの実の色が違う」
「「え?」」
アルトさんとポーラちゃんは声を揃えて聞き返した。
「今日のマナの実が光っていること以外に、何か変わったことがなかったか考えていたんです。
このマナの木の実は、二日前のマナの木の実と少し色が違いますよね?」
「「…。」」
アルトさんとポーラちゃんは目を合わせて無言になった。
「どのように違うか、具体的に説明してくれる?」
「…二日前のマナの木の実は、コバルトブルーでした。
夏の海のような、緑の混ざった青です。
今日のマナの木の実は、青の中の青です。
今日みたいに晴れた夏の空のような、混じり気のない青です」
私はなるべく具体的に伝わるよう、言葉を選んで慎重に答えた。
アルトさんは暫く考え込んで無言になった。
「ポーラ、今の違いはわかるかい?」
「…わかんない。
二日前も今日もマナの木の実は同じ青だよ。
緑がほんのり混ざった青いマナの実しか、見たことない」
「…俺もそうだ」
…なんと。
色の違いも私だけだったのか。
「断っておきますが、光っていることと色が違って見える以外は、何にも感じませんからね」
私はそれ以上引き出しがないことを示し、それ以上の質問を暗に拒否した。
考えても答えが出ず、かといって再び質問攻めは避けたかったので、私は再び空を仰いだ。
マナの木の実は相変わらず、光っている。
「ん?」
私はマナの木の実のひとつに違和感を覚えた。
風が吹いていないのに、実がゆらゆらと揺れているのだ。
しかも揺れているのは私の頭上。
寝ているときに落ちてきたら危ないではないか。
今のうちに寝床をずれておくか…。
「カナ、どうかしたのか?」
私がもぞもぞと毛布から抜け出そうとしていると、アルトさんが声をかけてきた。
「私の頭上のマナの実が風も吹いていないのに、揺れているんですよ。
寝てる時に落ちてきたら嫌なので、今のうちにずれようと思って…」
「なんだって!?」
アルトさんとポーラちゃんはそろって起き上がって、揺れているマナの実を見つめた。
そんなに珍しいのか?
木の実だもの、その時が来れば重力に従い落ちるだろうに。
「カナ、移動してはダメだ。
マナの実は普通の木の実のように落ちない。
枝から離れるときは、精霊が生まれるときなんだ」
「…へ?」
私が間抜けな返事をしたと同時に、マナの実の揺れが激しくなり今にも落ちそうになる。
もはや、風がどうのという揺れではない。
まるで木の実が意思を持っているようだ。
「マナ、必ず受け止めるんだ!」
アルトさんはそういうけれど、私はまだ毛布に包まっていてミノムシだ。
慌てて毛布から手を出す。
そう思った瞬間、マナの実が枝から離れた。
「!」
重力に従い、マナの実が落ちる。
さながらニュートンの実験のようだ。
落下地点にいる私にはスローモーションのように見える。
…これは、フライだ。
小中9年とさらに高校球児を扱いた高校3年を足せば、私の野球に費やした時間は12年に及ぶ。
取りこぼしてなるものか。
しかし、ここで信じられないことが起こる。
両手は間違いなくマナの実の落下地点ジャストであった。
視覚ではキャッチを確認できた。
しかし、手にマナの実の感触が伝わってこない。
マナの実が両手をすり抜けていったのである。
更に目を疑う光景が…。
すり抜けたマナの実が私のお腹に落ちた。
そして吸い込まれるように消えたのである。
…はい?