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灰とダイヤモンド

作者: 川路 利義

祖父が亡くなって、何年が経つんだろう。もう10年は経った気がする。祖母は、部屋に置かれてある仏前に線香を添え、手を合わせていた。

まだまだ、哀しみを引きずってるのかな。僕は手を下ろした祖母に近づいた。足が不自由になり、1人で歩くことはできなくなったのだ。

身体が一回り小さくなったんじゃないかと思う位、祖母は細身になっていた。ほんの変な力でも加えると、ポッキリと全て折れそうな祖母の身体。それに比べ、遺影に映る祖父の姿は滑稽なものだ。顔真っ赤っかに染め、お猪口片手に笑っている姿はまさに幸福といえるだろう。


「婆ちゃん、今日で爺ちゃんと結婚して60年は経つんだよね。爺ちゃんも天国で喜んでるよ。」


よいしょと、祖母を車椅子に座らせる。祖母はしっかりとした声で話しかけた。


「ありがとう。私はもうほとんど、目が見えなくなったけど、あの人の嬉しそうな姿が瞼の裏に浮かんでくるよ。お猪口片手にさぁ、酒持ってこい。今日も美味いぞ。ってねぇ。」

フッと僕は笑う。

「そうだね。昔から、本当に顔真っ赤っかの印象しかないよ。あの爺ちゃんは。周りから変人扱いされてたけど、僕は好きだったよ。


ドアを開け、外を散歩する。祖父と祖母は元々、幼馴染だったという。幼い頃に遊んだという河原に2人で行くことにした。


「婆ちゃん、ここ覚えてる?昔、ここで爺ちゃんと一緒に2人で遊んだことがあるって、母さんから聞いたことあるんだ。」


そよ風が僕らを包む。近くに咲いている桜の花が太陽の光で、綺麗なピンク色へと輝いていた。周りには、工場とか廃水を流すものはない。チョロチョロと音を立て、緩やかに流れる川の音が妙に心地よかった。


「ああ、覚えてるよ。私達が幼い頃、よくここであの人と遊んでたねぇ。みんなで遊んでる時に、そこに咲いてる桜の木の高い所から、川に飛び降りて両足の骨を折ったことは、今でも笑えるね。」

「そんなことやってたの?爺ちゃん。昔から、馬鹿だったんだなぁ。」


ふふふと、祖母が身体を揺らした。まだ、続きがあるのだろうか。

「どうしたの?婆ちゃん。」

「ふふふ、ごめんごめん。実はこれ、訳があってね。本当の話、その時夏で、私麦わら帽子被ってたんだよ。暑いのは苦手でね。たまたま突風が吹いて、私の帽子があの桜の木の頂上に引っかかったの。それであの人、良いとこ見せようとして、木に登って上まで行ったのは良かったんだけど。」

「だけど?」


祖母はあっさりと、さっき起こった出来事かのように続けた。

「あの人、実はね。高所恐怖症だったのよ。しかも、極度のね。」


思わずずっこけた。なんて阿呆らしいのだろうか。

「それであの人、照れ隠しのために格好良く、川へ飛び込んだんだけど、浅瀬だったから底に当たって、そこで両足とも折れちゃったのよ。大きい声で、いでー、いでーって泣き叫んでた。けど、麦わら帽子だけは絶対に離さなかったし、それを最後まで濡らさなかったからね。」

「へー、なんか格好いいのか、格好悪いのかわかんないなぁ。」

まぁ、祖父らしいといえば、祖父らしい。祖母は笑顔を絶やさなかった。


「私達ね、同じ学校行って勉強したり、遊んだりした。時には喧嘩もしたわ。あの人、宿題なんかそっちのけで外で遊んでばっかだったから、私がずっとあの人の宿題やってたのよ。試験なんて机とテスト用紙に涎垂らして、先生にこっぴどく怒られてたわ。でもね、頭は悪かったけど、体育の成績は学校の中でとびきり凄かったのよ。高校の体育大会であの人、応援団長になってね。それで、『おいがやらんば、誰がやるんや‼︎』って張り切って、全ての種目に出て全部一等賞もらってきたのよ。周りはもう、あの人の身体能力に驚愕してたわ。」

「すごいね、爺ちゃん。確かに、昔の写真見たけど、周りの人と比べて相当引き締まってたもんな。」


だけどね。祖母は更に続けた。

「応援団で周りの人に披露するとき、あの人、上半身裸で詰襟の制服を肩にかけて、日の丸の鉢巻付けてみんなの前に立ったのよ。周りの男子と女子は見とれていたわ。なんせ、小麦色に染まった身体に筋肉が、鉄の塊のようにありふれてたもの。それ以降、彼の下駄箱に女子からの手紙が山積みに入るようになったわ。いちいち、それを私に報告してくるんだから、とても呆れたの。でも内心、嫉妬してたわ。」

「周りの女子に取られたくないと思ったから?」

「そうね。今思えばそうだったかも。でも、そんなことすぐ吹っ飛んだわ。あの人、頭のネジがたくさん抜けてるから、馬鹿なことしかしないのよ。問題児だったし。それに鈍感だったから、女子からの告白も適当に返事してすぐに別れるという生活も当たり前だった。早いときは、告白されて30分後に別れの告白されたって笑いながら自慢してたのよ。」


久しぶりに祖母の笑顔を見た気がした。良かった。時間はかかったけど、元の祖母の姿に戻れた。僕はそれで満足だった。


「相変わらず、破天荒な性格してんなぁ。それで、爺ちゃんと婆ちゃんどっちから告白したの?気になるなぁ。」


祖母は語り出す。どうやら、話すには若干恥ずかしいようだ。

「それがね、あの人から告白してきたの。高校卒業してすぐ、この桜の木の下でね。」

「えっ?そうなの?」

「そう。2人きりで家に帰る途中よ。友達とさよならして、一緒に歩いてたの。そしたら急に、振り向いてこう言ったのよ。」


「『なぁ、お前さんが好きや。ずっと、言えんかったが、おいの心ん中で思ってたんよ。こんな不器用なおいやが、結婚してくいやい。』ってね。」


「あの人もこんな顔するんだなと思った。改めて男らしい人だなと感じたわ。だって、あの吸い込まれるような瞳に見つめられたらね。嫌って断る理由はないわよ。」


余りにも直接すぎるなと、僕は感じた。しかも卒業して告白からの結婚してくれって、頭が追いつかないだろう。祖母は焦らなかったのだろうか。

「で、婆ちゃんはなんて言ったの?」

私?祖母はふふふと笑った。


「こう言ってやったわ。『今更そんなこと言われても知ってるわよ。何年一緒にいると思ってんの。やっぱり、あなたは馬鹿な人。逆に私の気持ちに気づかないなんて、鈍臭いにも程があるわ。亀でも気付くわよ。』って。」

「結構、婆ちゃんも言うね。」

「そうでもしないと、あの人の頭ん中で理解しようとしないのよ。だから、私が言い終わった後に、あの人の唇にキスしたわ。顔真っ赤っかにして、すごく驚いてた。」

「肉食だね。」

「お互い初めてだったし、ずっと心臓が激しく動くのを感じたわ。特にあの人なんか、私より、動いてたもの。長い時間、そうしてたわ。周りなんか気にしない。茂みに隠れてね、あの人からの愛をたくさん注いでもらった。そんな鈍感な彼に惹かれたんだから、私も普通の人とは違う、馬鹿な人だったんだなぁって。今考えると、そう思うの。」


言い終わった後の祖母の顔はスッキリしたような感じだった。思い出に浸れて、さぞ気分はいいのだろう。僕は胸のポケットから小さい箱を取り出した。


「婆ちゃん、それでね。その鈍感で馬鹿な人から婆ちゃん へのプレゼントを持ってきたよ。」

えっと祖母は驚く。何事かわからないのだろう。僕は祖母の前にひざまずき、小箱を差し出した。


「これ、何かわかる?」

祖母は申し訳ないような顔で言った。

「ごめんね。ぼやけて、何があるのかわからないの。これはいったい、何なのかしら?」

僕は中を開け、その純白に輝く、世界で1番硬い光を放つ宝石を祖母に見せた。


「ダイヤモンドだよ。爺ちゃんからの最後のプレゼント。結婚60年目のダイヤモンド婚式、おめでとう。婆ちゃん。」







10年前に遡る。僕は医者としてとある老人の病室に訪れた。ピコン、ピコンと心電図の無機質な音が、小さく響く。その男の余命は残り少なかった。肝臓ガンによるもので末期状態だった。


「爺ちゃん、調子は大丈夫?」

僕は祖父に問いかけた。焦点の合わない目が動き、顔を僕のほうに向けた。髭ぼうぼうで、骨と皮になり、痩せ細ったその姿は見るに絶えなかった。

「調子は…よかよ…お前さんの、出した、薬のおかげじゃあ…あいがとなぁ…」

呂律の回らない声で祖父は笑顔を見せた。


「この間の金婚式の写真が出来たよ。院長先生に許可とって撮影したけど、2人ともいい感じだから。」

ポケットから写真を取り出す。その写真には、病院のベットで寝てる祖父とその祖父に寄り添う祖母の姿があった。互いにピースしてる姿は、まるで童心に帰ってるかのようだ。中央には、ロウソクを立てたショートケーキがあった。チョコの文字で「結婚50周年、おめでとう‼︎」と大きく書かれていた。

祖父は、へへへっと小さく笑った。

「よか写真じゃあ…婆ちゃんが、わっぜ綺麗じゃっどぅ…大切にすっじよぅ…」


右手の拳をグググッと握る。震えが止まらない。泣くのを堪えるのに必死だからだ。

「爺ちゃん…非常に言いづらいんだけど、実は、爺ちゃん…もう…あと」


「ええよ…言わんでええ。何も、言わんでええ。お前さん自身が、辛いだけじゃ…もう、ええんじゃ…」


祖父が言葉を遮った。まるで、自分の未来が見えるかのように。首をゆっくりと振り、祖父は言葉を続けた。

「おいは…もう、十分に生きた…婆ちゃんと出会って、お母さんが、産まれて…そして、お前さんが産まれてきた…今そん孫が、立派になって、おいの最期の姿を、見届けてくれるたぁ、最高の幸せなんじゃあ…」


涙がポタリと、地面に垂れた。泣くな。泣くんじゃない。僕は更に手の握力を強めた。


「思い出が…ゆっくりと、流れて行くんよ…今、思えばおいは、婆ちゃんに迷惑かけてばっかだったなぁ…酒飲み過ぎた結果、神様からバチが当たったんやろなぁ…」


辞めてくれ。僕はそう思っていた。あの祖父から、こういった言葉は聞きたくない。


「すまんなぁ…すまんなぁ…最期に一目でもよかじぃ…婆ちゃんに会いたいのぅ…こげん姿でも、おいのことを愛してくれた婆ちゃんに…もう…手遅れなのに、死にとぅないよぅ…」


うううっと、祖父は涙を流した。枕は、涙により滲んでしまった。僕は祖父の涙をハンカチで拭いた。自分のことなんか、どうでもいい。涙は滝のようにボタボタと、溢れてくる。自分が、無力だと何もできない自分が悔しかった。

「すまんのぅ…辛かろう…辛かろう…お前さんは、悪ない…よぅ、おいの為にやってくれた…ほんのごって、あいがとなぁ…‼︎」


もう、無理だ。声を出し、僕は泣いた。祖父は優しく肩を撫でてくれる。まだまだ孝行したかったのに。時間を戻して欲しいと、僕は神様を恨んだ。


「頼みがあるんじゃ…」

祖父は、僕にあることを伝えた。これが俺に出来る最期のプレゼントだと。僕は涙を拭き、了解した。祖父はにっこりと笑顔になり、僕の手を力強く握った。







その1週間後、祖父は亡くなった。何も処置はしなかった。祖父の命の灯が燃え尽きるまで、祖母と2人きりで最期の時を過ごした。僕は病室の外にいた。2人きりの空間を邪魔したくなかったし、何より祖父の死に目だけは出逢いたくなかったからだ。

やがて、病室から祖母の泣き声が聞こえてきた。シンと静まった廊下に虚しく、僕の心へと突き刺さる。爺ちゃん、今までお疲れ様。絶対に願いを叶えてあげるから。


病室に入ると、祖母が祖父のベッドで膝をつき、涙を流していた。祖母の泣く姿は、はっきり言って現実から逃げたくなるほどだった。

眠ってるかのように、静かな寝息をたてるかのように、祖父の姿があった。

最期の祖父の表情は、笑っていた。とびきりの笑顔だった。

なんだ、笑えるじゃないか。僕の涙を返してくれよ、本当に。大丈夫だよ、爺ちゃん。天国で大好きな酒飲んで、見ていてね。

祖母は泣き止んでも、その場から離れなかった。僕もその姿を離したくなかった。








「ダイヤモンドってね。石言葉で『純潔・清純無垢・永遠の絆』っていうんだ。まぁ、要は離れても互いの心は一緒ってことだよ。ちょうど、これの誕生石も4月だし、結婚記念日に当てはまるからね。」


ダイヤの指輪を祖母の左手の薬指にはめる。それはなかなかの重みだった。祖母は終始、驚いていた。


「これは…?あの人が考えたのかい?」

僕はフッと笑った。

「まぁ、こういうロマンチストな部分があるんだなと今更ながら、感心したよ。不器用なりの婆ちゃんへの孝行だってさ。」

祖母は、ダイヤの質感を確かめた。ゴツゴツしているが、温かみを感じると、案外祖母もロマンチストなんだなと感じた。やはり、似た物夫婦なんだろう。


「嬉しいよ…まさか、10年越しにあの人からのプレゼントなんて。ありがとう…」

祖母の目元はキラリと輝いている。だが、それだけではない。僕はとびきりの追い打ちをかけた。


「あとね、それ。ただのダイヤじゃないんだよ。どういうことかわかる?」

祖母は首をかしげた。僕は言葉を続けた。







「それはね。爺ちゃんの、遺灰の一部を使って完成したダイヤなんだよ。最期の最期まで、婆ちゃんと一緒にいたいんだって。こうでもしないと、アイツは気付かないだろうな。なんせ、鈍臭いんだからって。俺は、お前のことを誰よりも知ってるし、愛してるんだぞってね。顔真っ赤っかにしながら、僕に伝えてたよ。」


しだいに、祖母の目から涙がポタリと垂れた。やがて涙は、滝のように溢れ祖母は嗚咽を漏らした。


「馬鹿な人……本当に、馬鹿な人…ったら。」

祖母は嗚咽混じりに、言葉を絞り出した。それなりの祖父に対する愛情なのだろう。

「知ってるわよ…昔から本当の本当に、馬鹿で、鈍感で、無鉄砲で、不器用で…寂しがりやの癖に、臆病の癖に、泣き虫の癖に…」


「でも、優しかった。照れ屋で真っ直ぐな素直な人。明るくて、クラスをまとめてくれた。キスしたときも、怯まず受け止めてくれた。茂みであの人の暖かさと、たくさんの愛を送ってくれた。私だけでなく、この子達に対しても変わらぬ愛を与えてくれた。そして、こんな年老いた私の為に自分の遺灰を使って、最高の贈り物をしてくれた。こんな不器用で、優しい貴方を一瞬でも忘れる訳がないじゃない。」


「やっぱり、貴方は馬鹿よ…大馬鹿よ…もう涙は枯れ果てたと思ってたのに…また、流れ出してきたじゃない…私だって…貴方に会いたいわよ…」




「お互い2人が死ぬまで、私と貴方のうち1人がずっと側にいるからねって…」


僕は祖母の肩に優しく、手をかけた。あの時、祖父が僕にしてくれたように。今度は、僕が婆ちゃんを最期まで看取る番だ。これももはや、運命なのだろう。僕は祖母に話しかけた。


「婆ちゃん、そろそろ夕方だし、お家に帰ろう。今日はめでたい日なんだから。爺ちゃんも、酒の用意をして、婆ちゃんの帰りを待ってるよ。」

祖母はふふふと、笑い出した。

「そうね。そろそろ帰ろうか。今日はめでたい日だもんね。あの人もきっと喜んでいるわ。」


そうに違いない。僕は祖父との10年越しの約束を果たすことが出来て、胸が軽くなるような感じを受けた。

桜の木を背に、僕は車椅子を押した。夕焼けにより、桜の花は綺麗な紅色になっている。春の風は、僕等を暖かく包んでいた。








数年後、祖母は安らかに息を引き取った。死に目に立ち会えることが出来て、とても良かった。祖母は、自分の人生を全く後悔していなかった。



みんなのおかげ、貴方のおかげ、そして、あの人のおかげ。本当に本当に、ありがとう。おかげで、良い人生だった。こんなに嬉しかったことはない。だってあの人に、久しぶりに逢えるんだから。どんな顔で待ってるか楽しみにしてるわ。



「良かったね。婆ちゃん。2人はとても、幸せだったよ。爺ちゃんも、きっとそう思ってる。これからは、僕達が2人の分まで受け継いでいくからね。」


僕はうわあっと、祖母のベッドに膝をつき、大声で泣いた。周りのことなんか、気にしてられるか。ただただ、ひたすら泣いた。涙が止まらない。溢れ出す感情を制止できない。

痩せ細った小さな手を握りしめ、静かな病室に僕の声がわんわん響いた。祖母は最期まで、笑顔を絶やさなかった。左手の薬指には、ダイヤモンドの指輪がキラリと輝いていた。








それから数年たったある日、僕等は2人の思い出の場所へと尋ねた。桜の花が綺麗に咲いている。春の風がとても心地よく、寝てしまいそうだ。


「おとーーさぁーーーーん‼︎‼︎」


大声で僕を呼ぶ声が聞こえた。顔をあげると、遠くの川で妻と娘が両手を振っている。どうやら、娘はビショビショのようだ。せっかく、お出掛け用に買ってきたのに、初日から汚しちゃダメじゃないか。僕は、そんな娘のほのぼのした姿に見とれていた。

「おとうさんも、こっちおいでーー‼︎‼︎」

天使が僕を手招きしている。これで、行かない馬鹿は見たことがない。


「わかった、わかった。今から、そっち行くよー‼︎ 待ってろー‼︎ サクラー‼︎」


間もなく5歳の誕生日を迎える娘の名前を呼び、僕は川へ飛び出した。裸足で走ると、水の冷たさが身に染みる。それでも、走りを弱めなかった。


おかげで、3人とも水浸しになった。疲れ切ったのか、娘は僕の背中でスヤスヤと寝息を立てている。

「まるで、眠り姫のように眠ってるわね。」

妻が娘の顔を見て微笑んだ。

「そりゃそうだ。遊んだ後の寝顔ほど可愛いものはないね。」


娘はムニャムニャと、寝言を言った。僕等はともに笑った。夕焼けが疲れた身体を癒してくれている。


「ねぇ。今度、お爺さんとお婆さんのお墓参り行くんでしょ?サクラの幼稚園の入園式の報告も兼ねて。」

妻が僕に、尋ねてきた。

「うん、もちろんだよ。それがどうかした?」

妻の顔は、若干赤くなっていた。夕焼けのせいでは無いらしい。


「そうなんだけど、実はね。もうひとつ、追加で、報告することが増えたの。なんとね…」


妻が僕の耳元で、ゴニョゴニョと囁く。全ての内容を聞いた後、「嘘ッ⁉︎」と大声で叫んだ。妻の顔は、抱きしめてしまうほどの笑顔で満ち溢れていた。


「ほんとほんと‼︎ 嘘じゃないよ‼︎」

ピョンピョンと子供のようにはしゃぐ妻に僕は、微笑んだ。

「おめでとう…大変だろうけど、また、迷惑かけるね。」

妻はブンブンと手を左右に振った。

「いいよいいよ。また新しい家族が増えるんだもの。お父さんお母さんも喜ぶよ、きっと。」


まぁね。と、僕はチラッと娘の方を向いた。

「でも、サクラが焼き餅焼かないかな。顔真っ赤っかにして、泣き喚くよ。こっちも構ってってさ。」

うーん、彼女はそう呟いた。

「まぁ、そうなったときはビデオに速攻収めようかなぁ。そうすれば、辞めてー‼︎って、もっと真っ赤っかにするだろうね。くぅ、楽しみー‼︎」

「いや。むしろ、逆効果だからね、それ。」


新しい命か。爺ちゃん婆ちゃんも喜んでくれてるかな。僕等は思い出の地を後にして、我が家に辿り着いた。眠たい目を擦って、娘は妻と一緒に風呂の準備をしていた。

今週は、報告することが多いな。とにかく、父と母に報告したら、腰を抜かすだろうな。まぁ、老後の楽しみにはもってこいだな。僕は、一旦ジャージに着替え、仏壇へと手を合わせた。







仏壇の上の遺影に、祖父と祖母の顔が写っている。それぞれ、笑顔を絶やさない。祖父はお酒を飲んでる姿、祖母はそんな祖父と一緒にいる姿を基にしている。まるで、産まれてくる新しい命を歓迎しているかのようだ。

位牌の近くには2人に関する写真が並べられていた。結婚式、銀婚式、金婚式、そして、ダイヤモンド婚式の写真が丁寧に並べられている。

その1枚の写真に祖母が車椅子に乗り、ピースをしている。左手の薬指には、ダイヤモンドの指輪が膝元に添えてある。祖母はありふれた笑顔で僕を見ている。


「爺ちゃん、婆ちゃん。今度、墓参りに行くときに、娘のサクラを連れて行くよ。ひ孫に当たるし、改めて紹介しようと思ってね。それと、今度新しい命も時間があるときに報告するよ。爺ちゃんみたいな暴れん坊の男の子は、ちょっと遠慮しとくけど。」


チーンと、小さな鐘の音が鳴る。線香はゆらゆらと煙をあげている。そろそろ、風呂沸いたかな。


「おとうさーん‼︎ おふろできたよー‼︎」


娘の声がした。リビングには娘が、妻の手を握っていた。娘は更に続けた。


「おとうさんも、おかあさんといっしょに、おふろはいろうよー‼︎ ぜーったいに、たのしいよー‼︎」


キシシっと娘は笑う。こりゃ、どうやら娘は祖父に似たらしい。やっぱり、血は受け継がれるらしい。まぁ、久しぶりに妻と風呂に入れるのだ。今回は娘の案に乗るとしよう。


「わかった、わかった。今夜は長風呂だからな。のぼせるなよ。」

娘は、イェーイと風呂場へ駆け出した。怪我しなければ良いんだがなぁ。僕は最後に祖父と祖母の遺影に話しかけた。


「じゃあ、行ってくるね。」

襖を閉める直前、後ろに気配を感じた。思わず振り向いたが、誰もいない。気のせいかな。おっと、早くしないと姫様が頬を膨らませて、真っ赤っかにして待ち構えているだろう。僕は襖を閉め、風呂場へと向かった。








「おい‼︎ 婆ちゃんよぅ。こりゃ、めでてーど‼︎ 新しい命に乾杯やぁ‼︎ 酒持ってこい、今日の酒は格段に美味いぞぅ‼︎ グッハッハッハッ‼︎」

「もう、顔真っ赤っかじゃない。そんな姿を、新しい命に見せられないよ、みっともない。馬鹿な人。本当に本当に、貴方は馬鹿な人。」


2人の霊が遺影の下の畳で宴会を開いていた。互いの薬指に、ダイヤモンドの指輪がはめられていた。

幸せそうで何より。2人はただ、それだけ思っていた。やっと、互いに愛する人と会うことが出来た。文句を言い合いながらも、2人は常に笑っていた。



祖父と祖母の結婚式の写真。若い姿の2人が横に並んで座っている。その写真の近くには、ダイヤモンドの指輪2つが、寄り添うように置かれていた。

遺灰で作ったダイヤは輝きを失いことなく、灯りを照らすかのように、キラリと輝き続けていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  祖父の口調、個性が出ていて好きです。  病院での祖父の「死にたくない」という言葉。  生への執着というより、愛への執着という印象を受けました。  妻への愛。……素敵です。胸に熱いものを感…
2015/02/14 17:53 退会済み
管理
[良い点] お祖父さんとお祖母さんの充実した人生、医者として家族として支えたお孫さん。そして受け継がれていく命。 じんわりと染み入る様な、素晴らしい物語をありがとうございました。
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