卒業
卒業式の日はどんよりと曇っていた。
まるで俺の心みたいだ、と祥太はけちな詩人のような言葉を紡いだ。
灰色の雲が一面を覆い、乾燥した空気はひやりとしている。
祥太は無事に私立の星陵高校に入学が決まった。四月からは竜之介と同じ制服を着る事になる。
入学式は春爛漫とした暖かい日になればいいな、とささやかに願った。ぽかぽかの日差しにピンクの桜、春風に乗って鼻をくすぐる花々に囲まれたい。
しかし、まずは卒業式だ。
その儀式も無事に終わろうとしている。
祥太は体育館の中から外をぼんやりと眺めていた。
壇上からマイクを通して響いていた宏人の声が、いっそう低くなった事に気付いた。
卒業生代表の宏人の朗々とした声が、体育館を包み込んでいる。女の子はすでに涙ぐみ、ハンカチを持って口を噛みしめていた。
卒業したくない。もっと、みんなと一緒にいたい。
そう願っているのかもしれない。
しかし、祥太の心は違った。
早くここから出たい。いなくなってしまいたかった。
祥太は盗み見るように宏人を見つめてから、視線を床に落とした。
凛とした立ち姿。麗しい宏人の横顔。見るに耐えなかった。
しばらくして声がやんだ。
ピアノの音が流れ始め、在校生が卒業生を送る歌を歌い始めた。
感極まった女子生徒の涙が頬を伝い、それらが伝染して五割の生徒は泣きじゃくっている。
祥太の列が立ち上がった。導かれるように祥太も立ち上がるとゆらりと歩き出す。
俺たちは今日、卒業する。
あれから宏人と口を聞かない日々がずっと続いていた。このまま、卒業してしまうのだ。それでいいのだろうか。
祥太は顔を動かして宏人の座っている席を見た。宏人はまっすぐ前を向いて微動だにしない。
何を考えているのだろう。その横顔は無表情だった。
教室に戻ると涙に濡れた担任の小西が現れ、賛辞の言葉を述べ始めた。最後の別れをしてから、生徒が小西の周りに集まっている。
先生、飲みに行こうよと女子生徒が誘っている。
君たちは未成年ですよ、とまんざらではない顔で小西が笑っていた。
いつの間にか、みんな教室を出ていた。
「記念撮影だってよ」
竜之介の声に我に返った。
「あ、うん」
忘れ物はないか確認して、二人は教室を後にした。
校庭は卒業生で溢れていた。
順番に記念撮影が行われ、先生たちの仕事もこれで最後なのだろう。てきぱきとカメラマンの指示に従って動いている。
そんな先生たちも嬉しそうで、少しさみしそうに見えた。
笑顔で記念写真を撮り、自由になった生徒たちは各自で写真を撮り始めた。母親はすでに帰り、祥太は竜之介のそばに立っていた。
「宏人のボタン、全部なかったな」
「……ふうん」
宏人の名前を聞いたとたん、祥太はびくっと体を揺らした。
竜之介は祥太の肩を抱いた。
「今日は卒業式やで? 何でそんなに暗い顔しとんや。もっと笑えや」
「うん……」
笑いたかったが、笑えないのだ。
「暗いなあ。東高校落ちたんがそんなにショックなんか? もう一ヶ月も前やろ? はよ、忘れや」
東高校は確かに受けたが、どんな問題を解いたかもう覚えていない。
それより何のために受けたのか、その理由も今は分からない。
祥太は押し黙った。
「四月から俺と同じ星陵高校に行けるんやから、幸せやんか。俺はまた三年間、祥太と一緒におれるんかと思うと、はよ高校に行きたくてたまらんわ」
「ねえ、竜之介」
祥太が顔を上げた。
「何や?」
背後では写真を撮っている女子生徒のはしゃぐ声がしていた。
「何で俺、東校落ちたんだろう」
竜太郎がギョッとした。
「え? そ、それはあれやな。お前のレベルに合わんかったんや。逆に受かっとったら大変やったで? お前は大嫌いな勉強を毎日死に物狂いでやって、塾に通って、今よりずっと痩せて骨と皮だけになるかもしれんかったんや。落ちてよかった」
「ひでぇ……」
力なく笑う。確かにここ一ヶ月で祥太は少し痩せてしまった。
「それより、星陵高校はええ高校やで? アホばっかり集まっとるけど、スポーツが強いんや。祥太の好きなサッカーは国体に行けるレベルやしな。あ、宏人や。宏人っ」
いきなり竜之介が手を振る。祥太はびくっと肩を震わせた。
振り向くと、写真を撮り終わったらしい宏人が目の前を歩いて行く。
「宏人っ」
竜之介がもう一度呼んだ。しかし、宏人はこちらの方も見ずに行ってしまった。
「何や、あいつまだ怒っとんのか」
竜之介が鼻を鳴らした。
「あんな奴知らない……」
ぼそりと低い声で祥太が呟いた。
「ケンカしたまま卒業なんて悲しいやんか。何があったんか知らんけど、はよ追いかけて謝って来いや」
「嫌だ」
祥太も強情だった。
あの日以来、二人はひとことも口を聞いていなかった。
「絶対後悔するで。ただでさえ高校が違って会う時間が減るのに」
祥太は黙っている。竜之介はぽんぽんと肩を叩いた。
「宏人って、名前呼ぶだけでいいんや。なあ?」
「うん……」
うな垂れていた祥太はちょっと顔を上げた。優しい目で竜之介が見ている。
「ほら、行って来いや」
「でも……」
「絶対に後悔する。俺の言葉を信じて、宏人に声をかけるんや。名前を呼ぶだけでいいんや。簡単やろ?」
「……うんっ」
口を噛んでいた祥太だったが、決心したように顔を上げると、宏人を追いかけた。
本当はもっと早く仲直りしたかった。
祥太の中ではあの出来事はなかった事にできたのだ。でも、宏人はそうはいかなかったらしい。
何度か話しかけようと試みたが、次の日から徹底的に無視されてしまった。
無視をされるたびに祥太は傷ついた。そして、気が付くと自分も意地になっていた。
祥太は、宏人に追いついた。
「ひ、宏人っ」
声をかけると、女子生徒に囲まれた宏人が振り向いた。
「あ……」
祥太はひやりとする。宏人の視線は冷たかった。
「あの……」
声が急に出なくなった。すると、後ろから、
「柏木くんっ」
と腕をつかまれた。
「え?」
「写真、一緒に入ってくれる?」
クラスの女子がカメラを持って笑っている。
「え? あっ」
断る隙も与えず祥太は女子の集団につかまってしまった。
「あの、俺…あっ、宏人っ」
宏人が背中を向けて遠ざかっていく。
「柏木くん」
焦れた女の子たちが引き寄せる。
「うん……」
祥太はしょんぼりとしたまま写真に写った。それから、とぼとぼと竜之介の所へ戻った。
「謝ったか?」
「ううん……」
「はあ? 何しとんや」
「邪魔が入ったんだよ」
自分でも泣きたくなってくる。
どうしてこんなにタイミングが悪いんだろう。
「祥太の家と宏人の家って近いん?」
少し考えていた竜之介が訊ねた。
「うん。歩いて数分のところにある」
「それやったら、今日家に帰ったらすぐに会いに行け。絶対やで、約束しいや」
念を押されて頷いた。
そうだ。まだ、チャンスはある。
「分かった。約束する」
祥太はしっかりと頷いた。しかし、それはかなわない事だった。
卒業式が終わってすぐに、宏人の家族は田舎に里帰りしてしまったのである。
謝るタイミングを逸して、祥太はがっかりと肩を落とした。