分岐点の繁殖
「失敗しちゃったか…」
「ごめん…世界を、救えなかった…」
「ある程度予想していた展開なんだけどね…」
「…え?」
「いやなんでもないよ、うん」
零は彩陽の寝ているうちに書置きを残してマクドナルドを出ていき、翌日スカイツリーの展望台へと再度向かった。
何故ならミュウのクローンがそこで働いているとみたからだ。彼女の分身に会えば、恐らくさっきまでいた世界の監視は出来ており、唯一の通信手段だから。最初に時間を戻ってきたときの通信は自分からは出来ない仕様だったのでこの方法を選んだ。
「零がプログラム書き換えの防止にAIを投入したが全て破壊され、戦闘を繰り返していたが、相手のレベルが徐々に上がってきてもう一人では手に負えなくなった…と」
「ああ、誰かもわからない。と思っていたんだが、どうやら一人は目星がついたみたいだ」
「郡山紗希、その女の子が管理者に」
「ずっと監視していたんなら俺を助けてくれてもよかったじゃないか」
「残念ながら未来から過去の改変は出来ないんだ…理論的には可能だけど時間軸が歪んで、君が帰れなくなる。つまり通信も途絶える」
「帰れなくなると言えば、本当の俺がいた時間の俺自身はどうしているんだ?」
「クローンで代用させてもらっているよ。もちろん記憶は君の母が亡くなった直後の記憶だけどね。少し変えておいた」
「じゃあ、もし俺がここで死んだらどうなるんだ」
「君のクローンが君、“零”自信として生きていくことになる。私たちのクローン技術は最新技術の結晶。世界に一つしか残っていない会社なの。クローンも君のDNAを採取して作っている訳だからあの段階の君の生きる時間で君が生きる。それは寿命どおりを意味する。性格も一緒だから、日常生活に支障は全くきたさない。だからクローンは恐れられた。本当の自分と偽物の自分の区別がつかなくなるから。一度作ってしまうと停止装置というものは無い…本当の人間と差が無いから。だから、殺さなければいけない」
「…!」
「もちろん本当の自分には痛みは伴わない。そのクローンの自分が痛みを感じるだけ。自殺件数が大幅に増加した理由は、どっちの自分も殺してしまうからなの。何もかもが分からなくなって。そして、仮想世界にアバターだけ残った人数が全体の三分の一…」
「じゃあ俺は、死ぬことのできないゲームに入ってしまったのか」
「ゲームじゃない、現実。過去と未来の行き来なんてそれこそリアルでないかもしれないけど、それが今の現実なんだ。だから決してゲームなんかじゃない」
「ごめん…本当はあの世界で死ぬつもりだった。世界も何もかも救えなくて奈落の底に落ちた気分だった。でもミュウとお母さんがかぶって…だから死ねなかった」
ミュウは零の肩を抱き寄せた。
「それが正しかったんだよ…おかえり、零」
「…!」
ミュウと母が重なった気がした。懐かしくてついつい匂いを嗅いでしまった。
「エロイわ!!」
その言葉と同時に零を三メートルほど吹き飛ばした。かなり痛がっている。
「いてて…」
「ちょっと気分良くなったからってそんなことはしてはいけないんだよ!」
「零…まさか零がそんな人だったとは…」
愛想が口を挟んできた。手を口に当ててジト目で零の方を睨んでいる。
「まさか…まさか…」
「愛想までそんな目で見ないでくれ…」
「まぁ少し零君が元気になってくれてよかったんじゃない?」
研究員の望月朔夜が声を掛けてきた。彼女は主に時間軸の変化を監視する役職に就いていて、今の今まで(多分)零のいた時間を重点的に監視していたのだろう。それ以前もクローンのいる時代の監視を行ってきていたため、まだ一度も口をきいたことが無かった。
「そんなに、元気に見えますか…?」
「うん、見える。だって帰ってきたとき顔に表情が灯っていなかったもん。それに比べたら十倍よくなったよ、零。改めて言うね。“おかえり”」
「ただいま、望月さん」
「朔夜でいいよ」
「なら、朔夜」
「そこでなんで“さん”を付けようとしないかな…まぁ朔夜でいいって言ったのはあたしだけどさ。なんか理不尽」
少し頬を脹らました。それが不覚にも可愛くて、零は見入ってしまった。
それが運のツキ。
「あれ、もしかして“可愛い”なんて思っちゃった? 若い男の子は可愛いね~?」
「からかうなよ…」
「ああっと、ごめんごめん。ついついからかいたくなっちゃってさ。あたしどっちかと言えばSだから」
「そんな情報は要らないから」
きっぱりと断った。その言葉に朔夜は目を潤わせて、
「そんなにあたしのこと避けるんだ…もう生きていけないよ…え~ん」
「そんな避けてなんか…冗談…!」
一瞬紗希との記憶が頭の中で攪乱する。学校生活の記憶。仮想世界の、真実。
「避けてなんか…」
「ちょっと何やってんの!」
ミュウが駆け付けた。
「総司令官、零さんの脈拍が異常です。今までに見たことの無い数値が並んでいます! かなり危険な状態と言えるでしょう!!」
会社の人員の健康状態を管理する男の研究者が叫んでいる。だがそんなものは零の耳に届くはずがない。零の精神は既に狂っていた。
「あああああああああああああ!!!!!!」
「どうしたら…いいの…?」
朔夜も自分の何が悪かったのかが分からなくて混乱している。しりもちをついてただ零の経過を見るだけになってしまっていた。
「もう最終手段よ、拓斗。精神安定剤を投与して、今すぐ!!」
健康管理PCが置いてあるデスクの引き出しから精神安定剤のカプセル三粒を取り出してミュウと零の元へ持って行った。
「どうぞ、SA剤です」
「ありがとう…さぁ零、ちゃんと飲み込んでね…!!」
無理やり叫んでいる口を押えてカプセルを放り込む。咀嚼せず飲み込ませるように水をそのまま流し込んで、吐かないように体の角度を高くした。
「うう…はぁ、はぁ…」
苦しそうな零の顔色は徐々に血の気を取り戻していき、呼吸も安定してきた。
「精神値、脈拍それぞれ正常です」
「了解」
さっきの薬の副作用か、零は安定すると眠りに落ちて行った。
「零…零!」
「くっ…」
人工的な光が採光される。条件反射で瞳孔が小さくなりそれにつられて瞼を細める。
「あれ…俺はどうしていたんだ」
「ごめん零、ちょっとハプニングがあって零の精神に異常を来したから精神安定剤を投与させてもらったよ。その副作用でその記憶と、ついでに眠りに落ちてもらったの。こうするしかなかったんだ」
弁解の意を含めて具体的にミュウが説明した。一応それに納得したようで、
「分かった」
と一言。
「それで本題に入りたいんだが」
「過去改変のことね…」
「ああ」
「ちょっと、あれ持ってきて!」
研究していた、精神安定剤を持ってきたあの男がとあるデータを紙十枚程度にまとめて印刷してきた。
「どうぞ、資料です」
「ありがとう」
ちらりと見たところ、そこにはグラフと論文報告が載せられてあった。
「これを見てほしいの」
しかと見ろ、とでも言うように見せてくる。そこには驚きの研究結果が記載されてあった。
「再過去改変危険回避率について…?」
「そう、分かりやすく言い換えれば“再過去改変における死亡率”だけどね。これを見ればわかる。以前にタイムマシンが開発されてから過去に行って戻ってきた後に、再度過去に行ってもう一度過去を改変したものがこの会社の研究員に居たの。あれは多分十年前くらい。世界改変を目指して一度失敗、二回目の時航へ行って大きくは変えなかったけど少しは変えれたの。クローンが許される時代ぐらいには…。そして戻ってこようとしたの、その人は。でもタイムマシンに行先を何度入力しても“ERROR Not Found”としか表示されない」
「その後はどうなったんだ」
「その時代に残されて…もう一人の自分に殺されたわ」
そこにいた全員が下を向く。全員がその時を見ているのだろう。
「でもそれだったら助けてあげればよかったじゃないか!」
声を張り上げて感情的に言った。しかし、
「でも出来なかったんだ…仕方が、無いの…」
の一言で返されてしまった。
「エラーメッセージ、“ERROR Not Found”は自分が元々居た世界が見つからないってことなの…あのとき私たちは確立された空間にいたから大丈夫だったんだけど、実際の世界は消滅した。タイムマシンは時航はできる。でもパラレルワールド同士、つまり異世界どうしの移動なんて不可能なの…! 通信は出来るよ…でも過去改変に直接関係している者以外が異世界に行こうとしてもそれこそ元の世界が…。例えるとね、輪ゴムなんだよ。時間はある程度寿命がある。地球でいうと五十億年という制限時間。でも途中で普通に生きている人が存在自体が急に無くなったら…それは輪ゴムを細分したら分かるんだけど、ゴムの繊維の一本が千切れることと同じ。そしたらどんどん切れていって、終いには輪ゴム自体が切れる。時を進んでいたのに途中で道が無くなる、脱線…そこでその時間の地球というのは消滅する…そういうことなの」
「…」
「それを踏まえてね、過去改変を再度行うかどうか決めてほしいの」
「…行くぞ、俺は」
「本当の決心なの、それは」
「ああ、俺は世界を帰れなかったことに後悔を抱いているんだ。ここで辞める訳にはいかない」
「…精神状態を見なくても分かるぐらいの顔をしているわ…ほんと昔と変わらないんだから」
「昔…?」
「いや、なんでもないの。気にしないで…。さて、時航について話し合いましょうか」
その言葉を機に、研究員全員が真ん中のデスクに集まってきた。全員が零の方を向いていた。彼のやる気と決心に全員が惚れた。
「零…かっこいいです…でも私はそれと同時に心配を抱いています。もし零が今度こそいなくなったら私はどうなるかわかりませんよ…絶対、帰ってきてくださいね、零」
「ああ、揺るがないし、帰ってくるよ。本当の世界にね」
遠回し表現だが、それはいずれ分かることだ。
さて、時航の準備だ。
「次に戻ってもらう時間は…さっき零が失敗したあの時間軸」
「…」
「本来の時間軸に戻ったとしてもまた同じ過ちを犯すだけと思うの。それに根源からの分岐点を増やすとパラレルワールドの繁殖率が比例して多くなっていくから。だからあえてさっきの時間、システムコンソール改変前のあの時間軸に行ってもらう。分かった?」
「俺の頭にそれぐらいのことは予想はできているよ」
「えらい上から目線ね。そんなに自信あるんだ」
「自信というか…後悔してからテンションがおかしいだけかもしれないな」
「精神変動グラフを見てもそんなにおかしいところは見受けられないよ?」
「それがおかしいってことだよ。俺は特別なんだ」
中二病くさいことを言ってしまった。
「はぁ…本当にそのままだ。中二病さん」
「いちいち口をはさむな」
「はいはい…と、時間もそろそろ無くなって来たわ。そろそろ時航準備を始めてもいいかしら」
巨大タンクにエネルギーが貯蔵されていく。時航には莫大なエネルギーがいるため、先ほどから充電していた。今の貯蔵量は八十%。百%になるまで残り二十分と言ったところだろう。
「この調子でいくとあと少しで再度過去に戻れそうだな」
「うん。でもね…」
ミュウが何かを言いかけた。
「ううん、やっぱりいいや」
そう言ってさっき口から飛び出しかけた言葉を引っ込めて、結局謎のまま終わった。
「まぁ、いいか」
零は特に気にする様子もなくその話は終わった。
「さて、そろそろ準備して。飛ぶ準備」
「もう出来てるよ。というかさっき持っていった持ち物とあまり変わらないものでいいからそもそも準備なんて大したものないぞ」
「それもそうか…あ、エネルギーがフルになったみたい。転送ポートに立って」
目線の先にある時航転送ポートの上を目指す。距離にして約二メートル。しかしその機械がほんとに指し示す距離は無限大なのである。時間だけでなく、新しい世界まで作ってしまうほどの巨大さ。それが未来のタイムマシンという訳だ。
零の時代から考えてタイムマシンの原理は出来ていたが、完成には程遠い時間がかかるとされていたから、やはり人類の進歩は軽く見ていてはいけないということを再認識した。
転送ポートの上に立って最終フェイズも完了した。
「さて、零。さっきの失敗を活かして次の未来を形作ってきてね。君の幸せも決まるよ」
「ああ、次こそ必ず」
体がふわりとした感覚に襲われる。これは四度目の感覚。既に慣れっこだ。
「今回で終わればいいのにな…」
そう思った零であった。
「さてと…」
さっきの時間軸に戻ってきた。
詳細を説明すると、零が未来へ無残にも帰った後世界はまた混乱に陥った。そして一つのエンドにまたしても行き着いてしまった。結局あの正体不明…ネット上では紗希か、あいつを止めないとバッドエンド以外にありえない。さらに元の零の姿にも気を付けなければいけない。といっても行動ログを出発前に渡していてくれたので出会うことはまずないのかと察知した。また、未来に戻る前にぎりぎり取ったデータから、相手…恐らく「紗希」がこの町にいたことは確認できた。
一回目の時航より確実に行動は出来るだろう。
零はそのデータと行動ログが入った全形式USBを手に取って自身のPCのUSBポートに差し込んだ。全形式、というのは未来ではUSB5.0まで出ていて、今までの形式全てに対応されたUSBが開発されたことである。もちろんデータ転送形式も高度なものになっているそうだ。
ならなんで百年前のPCに対応できているのかが不思議で仕方がないのだが…そんなのことは今は関係ない。帰ったらまた聞こう。
データを確認すると、帰るまでの手順が愛想の言葉でしっかり記述されていた。