時間軸
零はメールを返信し、さらにその返信は直ぐに帰ってきた。
示されている場所は、スカイツリーの展望台。
入場料は高いがそんなものは気にしない。
エレベーターで六百メートルの高さを上る。
十階建てマンションが二十五メートルぐらいで、エレベーターでも十秒ぐらいなので、単純計算して四分程度かかることになるが、スピードが違うため、実際もう少し早く着けた。
ドアが開く。当然夜のこの時間はカップルが多く、夜景を眺めに来ている人も少なくない。零はあたりを見回した。しかし、場所はこの展望台であって詳しい場所設定までは聞いていない。
もしかして読み間違えたのではないかと思い、メールの内容を見返したが、「東京スカイツリーの展望台にて」としか明記されていない。
不安が募る。
騙された可能性は無きにしも非ず。あるとも言えないが、無いとも言えない。
一人で歩く零に対してエレベーターガールが話しかけてきた。
「どうされました?」
聞かれて零はこう答えた。
「いや、スカイツリー展望台の絶景ポイントを見たくて」
「それなら」
と、連れられたのはまだ確認できていなかった、謎の階段。
下から見て、上まで大体二十個の段差がある。思ったより高い。
一つ一つ踏みしめていくように歩く。
この先には未来が待っているはず。
最後の一段で終わりだと思ったが、踊り場があった。
左へ旋回するとさらに二十個の階段がある。
しかし案内役のエレベーターガールはそこで昇ろうとせず、そこで止まった。
「やっと来てくれたね」
「…?」
「君はクローンを創造にしに来たのだよね」
「どうしてそれを…」
「私が創設二千百十二年、クローンカンパニー代表取締役羽山ミュウよ」
「二千百十二年…どういうことだ、今は二千二十年のはずだが」
「そうだね、なんて説明しようか。まぁ目を瞑ってよ」
「エレベーターの仕事はどうするんだ」
「あれはクローンに擦り替えといたわよ、とっくの前に」
衝撃の言葉を聞いた。
「とりあえず行くよ」
その言葉と同時に空を飛んだ。
さっきまでいたスカイツリーが目線の下にある。風が体中にあたる。こんな感覚は初めてだ。
「どう、初めての人は慣れないみたいだけど、この時代の人間になるとゲームで慣れるみたいだね」
「俺はそんなにしていない」
分かっているが、感情丸出しだ。
恐らく、鏡で見ると悔しいが笑顔になっているだろう。
それほど気持ちいいのだ。
「まぁいいけど。景色変わるよ」
その瞬間今度は次元の狭間に入った。
さっきの景色とは一変し、なにやら空間が歪んでいるような感覚に陥る。実際そうなのかもしれないが、前例がないので証明できる訳ではない。
「これは記念だ…!」
ポケットに入っていたボールペン型カメラで今の景色を動画に撮る。
延々と不思議な景色が続き、やがて一段落ついたところでまた景色は変わる。
「どこだ、ここは…」
見たこともない景色が眼下に聳える。
「というより…廃墟…なのか?」
恐らく未来。過去ではないことは明白なのだが、景色が廃と化している。中庸でも突飛でもなく、それ以下、未満。そもそもその範疇に入らないほどに酷い景色だ。
空気は霞み、眼下に存在するビルその他建物は見るも無残な姿に。
「どうしてこんな…」
「驚いた…? これが未来の東京なの。でももう昔の姿は無いの。だからそこは理解したうえで来て欲しい」
「分かった…正直驚いた、未来の東京がこんな風になっているだなんて…」
高度は降下し、廃墟の羅列に近づいてきた。
羽山ミュウと零はその中に入って行った。
暗い路地、人のいない風景。風景と呼ぶのにも躊躇ってしまう画。
しばらく飛んでいると、スピードが落ちていき、やがて一軒の小さな家の前にたどり着いた。、
「さぁ入って」
わざわざ手招きされ勧誘された。ここら辺はエレベーターガールの職業柄があるだろう。
扉の向こうには違和感を感じた。
何故か広い。認知能力を超えている。
「この家ね、空間拡張システムを用いているの。だから四次元っていった方がいいのかもしれないけど、実際の存在空間をこの部屋では体積二十七倍にしてあるの」
二十七は三の三乗。各辺x、y、zが全て三倍になっている。
大まか一辺五メートル程度の広さだとすると、この四次元拡張空間では十五メートル四方の大きさであろう。
とにかく大きい。学校の教室縦の長さの二倍だ。
「あ、扉閉めて。一応空気洗浄装置は働かせてるけど万が一のことを備えてね」
「そんなに重要なのか」
「この時代の空気には、殺人的汚染物質が蔓延しているの。だから家の中に入ってこられると大変なことになる。さっき空を飛んでいるときの汚染度は常識を超えたものでしょ? 君の時代の中国のバブル期より酷い」
「悪い、すぐに閉める。でもなんで俺と羽山ミュウは安全なんだ?」
「ミュウでいいよ。理由はシールド貼っているから。目にも見えない、手で触れることもできない。でも私のこの腕時計でコントロールしているけどね」
「はぁ…大分科学が進歩したんだな…」
「そうでもないよ…詳しいことは家に入ってからしよう」
零は扉を閉め、中へ入った。気づけば靴のままでいいのだろうかと思ったが、この家は土足可能らしい。珍しい家だ。
「あ、靴は脱がないでね、危ないから」
「聞く前に言うのかよ」
「あれ、そうだったの? まぁ実験してるから脱がない方がいいよってことなんだけど…君の好きにして。別に汚染されるわけでもないから」
「いや、その場所のルールを適用するのが俺のプライドでもあるから君の言うとおり、この実験空間のしきたりに従うことにするよ」
「珍しい子だね…あの子なら絶対にしないよ」
「誰だそれ」
「直に分かるよ」
玄関は普通。しかしその先にも扉が存在し、二重扉の形式になっているんだろう、防御が厳しい。
その扉もあっさり潜り抜ける。これぐらいのセキュリティなら破れそうな気がするが、多分九十年後のプログラム言語、それ以前にパソコンがどんな形になっているのかも予想がつかないが、不適合の可能性が過ぎる。
「おお…」
研究室と思しきその部屋は壁は白く、いかにも、という雰囲気を醸し出していた。
意外なことにパソコンはそのままだ。画面がホログラムになることや脳で思ったことを映像に出来るというところが過去と現代の相違点だ。
「あんまり俺の時代と変わっていないんだな」
さっき思った率直な意見を述べてみた。
「そんなに変わる必要がないからね。いかに使いやすくするかっていうのが人間のミソ(・・)なわけでさ」
そんなパソコンを入力しているのは数人いる。
向かって左側に髪を後ろでくくっている男性。映像処理を行っている様子。
正面にはこちらに背中を向ける形で企画書を書いている様子の男性。
右側にはショートヘアーの女性。
何故か面影が残っている。もちろん未来なのだから住んでいた時代の誰かには会うのかもしれないが、何しろ九十年後。医療技術がいくら発達したとしても、百歳を超えてまだ生きていたという人は無いと言えないが、少数であるという見当は付く。
そうやってぼぉっと眺めていたとき、ミュウが、
「愛想さん、愛想さん」
と呼びかけた。しかし彼女の呼び掛けには一切反応せず、ミュウは溜息を付いた様子で、
「泰隆愛想さん、聞いていますか!!」
と叫んだところ、ようやく気づいてもらえた。
「もう、集中してたのに…」
髪を靡かせてこちらを向く。
しかし振り向きざまに、
「え…」
という単音。
俺もまた、
「どういう…ことだ…?」
と言った。
「零…!」
零の名前を知っているかのような仕草で飛びついた。
「どうして零がここに…でもそんなことよりまた会えたことが嬉しい…」
零自身にも記憶があった。
最初感じた面影は正しかった。
彼女は、猫玉そのもの(・・・・)なのである。
「お前、猫玉なのか…?」
「その名前、懐かしいですね…人間の名前が付いてから忘れていました…零…!」
「もうどういうことなのか全く理解できないのだが…」
「人間よ、脳にあたる部分は人工知能、すなわちAIだけどれっきとした人間の体を持つ人間そのものなのよ、彼女は。だから零の思ってることは正しいの」
「つまり、猫玉はクローン精製法で生み出された人間…というものなのか…?」
「そういうことよ。それで、なんで愛想が懐かしいって言ったのか、理由は分かる?」
「そりゃ時間が経てば…九十年もの歳月を経たら死ぬ運命に近づくだろうな」
「残念ながら君、泰隆零は殺されたわ」
その一言が心に深く刺さった。
「どういうことだ」
「未来…君にとっての人生を言うとね、君はMMORPGのシステムコンソールの担当をしていた。それは世界名を残した天才プログラマーだから」
この時代にまで名前が残っているのかと正直驚く。
「それが君は代表取締役となり、MMORPGの管理者となった。それは君が二十歳の頃の話。で、青少年法は知っているでしょ?」
「ああ、俺もその企画に参加した」
「どこかの誰かがね、そのルールを破り捨てたの、ハッキングで」
零のプログラムをハッキングできる技術を持った者がいたという事実が自動的に成り立ってくる。それに零はそのことをまだ知らない。
「それで定められた時刻になってもゲームを継続できるようになった…。この後はどうなるか分かるよね?」
半分頷いた。
「小さい子供から社会人まで、全ての人がこのゲームに参加できるようになった。もともと無料でできるオンラインRPGであったからハッキングのニュースが流れたときAIなどを通じて広まったんだ。もちろんニュースにはその時は報道されていない。なぜならニュースキャスターさえも仮想世界の中に入り込んでしまったから…。その後、経済は狂い、外交関係も成り立たなくなってきた。大手の企業は生産ストップに陥り、事実上の倒産。他の中小企業も倒産に追いやられたの。やったのは人間。自業自得よね。そんななかで、MMORPGを成り立てていたのが…」
「俺という訳か」
「そう、泰隆零。その名前は広まったわ。そして日本が奈落の底に落ちた時、一人の人物が言ったの。『泰隆が現実を殺した。仮想世界が現実と化し、現実は存在無きものにされた』とね。それから恐らく同一人物によって君は殺された」
「俺が…この未来の状況の全ての原因を受け持っているということなのか…」
「いやいや、そんな訳じゃないんだ。MMORPGは日本中で愛されていたし、プレイ人数も多かった。問題は青少年法を破った者がいけないんだよ」
零は今、高プレッシャーで押しつぶされそうになっている。
この時代に来て酷いと思った廃墟の数々、その原因はここにいる自分にあると。
「実はもう一人の君が前に此処に来ている」
目を見開いた。
「ここに来て、世界の全貌を知った君がまた現代に戻ってクローンを作成するCPUとなる猫玉…愛想を取りに帰るなんてないよね。話はややこしくなるけど、この日本を救うために私は君の住んでいる時代へ一回目の時航を行った。二千百年代のクローン技術を使って日本を再建させようという取り組みを。あの時代の人々に共通観念を送り、クローンの必要性を話した。そして君もその一人。君が中心と成ってクローン作製を手掛けた。しかしそれは大きな過ちを犯した。クローンはAIまたは人間の複製、コピー。結局感情なども全て一緒。クローンさえも仮想世界へと飛び立って行ってしまった。そして結局零は歴史上二回目の死亡。そんな中、AI埋め込みの人間がクローン作製を説いた私に寄って来た。『私は悲しい。零が返ってこない。ずっと帰ってこない』と言ってきた」
「それは猫玉…なんだよな」
「そうですよ、零」
今まで回想を聞いていたりプログラムを組んでいたりしていた愛想が突然口を挟んできた。
「私は零が殺されたことに怒ったんです。私自身は零に組まれた人工知能だから未来から来た人間だということが理解できたのです。そして付いて行ったんです。私は零を助けるべく源田への二回目の時航を決定しました。もちろん歴史の改変が行われる前、つまり一度目の時航の前へと行きました。これが今回です。でもまだ歴史の大筋が変わったわけではない、またはパラレルワールドという存在があるため、まだ未来が変わっていないのです」
頭が真っ白になってきた。
自分が殺される、原因根源、そんな言葉が巡り巡ってきて全く考え事が出来なくなっていた。
「ちょっと長くなったけど…」
ミュウが結論を呈した。
「要は仮想世界と現実世界の区別化…今の虚空状態へと陥らないためにハッキングを犯したとされる人物と関係性を描いてほしいの。そしてハッキングを阻止する。これが最終目的よ。大丈夫かな」
「多分。さて方法を考えないといけないと思うのだが、どうするんだ?」
「零を母が死んだ直後の時代へ戻す。すなわちスカイツリーにいたときだ。今ここであった出来事の記憶はそのまま保存する。私たちはずっと君のことを監視している」
険しい形相でこちらを見る。余程日本を救うことに対して真剣なのだろうと思う。
「そういや母が…いやそのことはもう忘れよう…。」
「あ…」
ミュウと愛想が口籠る。
「…だから、零には三つの世界を体験してもらうことになる」
「三つ…もしかしてミュウ達からの勧誘が来ない未来、本来の未来とクローン呼び込みの失敗の未来と…いまの時間軸か?」
「さすが飲み込みが早いね、天才君」
天才と呼ばれると逆に重圧がかかってきて辛くなってくる。天才という称号は本来誉となるものなのだが、未来を知ってしまった以上喜ぶことはできない。
「本当は四つ目の世界もあるんだ」
愛想は言った。
「それは零が創造する未来、平和な世界だよ」
零が世界を変えていく。そんな言葉に新しい感覚を覚えた。未来を作り出す、正しく言えば未来を正しく導く創造者になるのだ。
それはそれで面白いじゃないか。
「具体的にはどうすればいいんだ」
「零にはハッキング前の未来、根本となる筋へ行ってもらう。もちろんその時間の人間との接触は絶対に避けなさい。歴史が変わる。特に関係性を築いていた者に対しては。一番気を付けなければならないのが、自分との接触。これだけは避けないとダメ」
「分かった、理解した。準備は大丈夫だ、飛ばしてくれ」
「えらい上から目線だよね…まぁいいけど」
シールドを張って外に出た。
さっきと何も変わらないただの廃墟。ただドアは全て閉まっている。
「なぁ、一つ聞きたいのだが」
「何?」
「この時代の人間はどうした」
「私達少数派を除いて全員仮想世界にいるわよ、私もアカウントは持っているけどね」
「管理は誰がしているんだ」
「過去に行くと分かるよ」
その言葉を最後に、あの感覚が体を包んだ。
またもや廃墟が眼下にある。
しばらくして四次元空間に入り、しばらく浮いていた。
今度は時間が遡りしているせいか、気持ち的にスピードが遅くなっている感じだ。
やがて零の目の前の景色はフラッシュした。