選択の余地
昼休み。
「やっぱり母さんの作ってくれた弁当は美味しいな」
独り言をつぶやきながら、母・千里の料理を堪能する。
そんな中、一本の放送があった。
「緊急連絡、緊急連絡。二年一組泰隆零、二年一組泰隆零。至急中央職員室まで」
緊急連絡という文字にクラスがざわめき始める。なぜなら緊急連絡なんてこの高校生活で一度も流れていないからである。
「一体何なんだ…」
その疑問を抱えたまま教室を出ていった。
担任の先生の机は職員室入って真ん中の列の真ん中辺り。
緊急連絡は担任のものだった。
「先生」
その名前を呼ぶ。
「…零、落ち着いて聞け」
「はい」
「お前の母さん…心臓発作で病院に運ばれた」
「…!」
さすがの零でも同様を隠せなかった。
「母さんが…?」
「ああ。町に買い物に出かけていた時、店の前で倒れたそうだ。それで今は病院にいらっしゃる…。心臓発作だったが一命を取り留め後遺症も残る可能性も低いとされているが…」
すこし安心したのも束の間。
「お前の母さん、グレゴリウス症候群の一人らしいな。その症状が急激に悪化した。心臓発作はグレゴリウス症候群によるものではなく過労や栄養失調によるものだった」
「じゃあ母は…」
「まだ意識を取り戻していないらしい。正直命を取り留めたといっても無くなる可能性は今、十分に高い。零、今日はもう早退していいから母さんのところへいってやれ。お前もその状態じゃ授業受けれないだろ」
手足は痙攣を起こし、汗が大量に噴出している状態を見ていったのだろう。とても大丈夫な状態には見えない。
決断を下した。
「はい、今から向かいます…」
零の母が入院している病院までは学校から歩いて約に十分だが、先生が気を利かしてくれて車を出してくれた。そのおかげで目的地へは五分で着いた。
「さぁ着いたぞ。俺も本当は行きたいところなんだが、授業をさぼるわけにも行かない。意識を取り戻したら今度伺うと伝えといてくれ」
そう言い残して車に戻り、学校へと戻って行った。
窓口で面会届を出し、面会謝絶というところだったのだが、零の見た目と家族ということが証明できたので特別に面会の許可を貰えた。
三階の三〇一号室に母はいる。
零はその扉を開けた。
そこは個室で、普段なら心地いいはずの風でカーテンが靡いている。
その下には、目を一向に開かない千里の姿があった。
「母さん…」
命の状態を現すメーターは一定のリズムで一定の音階を刻みながら病室に響き渡る。素人が見ても血圧が低い。この状態がしばらく続けば死に至る危険性が増えてくる。
「お願い母さん、目を覚ましてよ…」
たとえそう願ったとしても無慈悲なことに状況は何も変わらない。
「担任の先生が今度ここに来るってさ…聞いているよね…?」
零の目から涙が零れ落ちる。大粒の涙はシーツの上に吸い込まれていく。これが母に通じる直接の経路だったらいいのに、そう思った。
「零れ落ちる」の漢字も「零」を用いる。母さんの付けてくれた名前は感情豊かという意味が込められていたのかもしれないと悟った。
目の当たりにする現実。何も変わらない現実。
「義母さん…」
グレゴリウス症候群は遺伝のもの。零は検査さえも受けていない。なぜなら彼は養子だからだ。
母はもともと子供の出来ない体で、さらに重病を負っているということで子供を産むのは断念した。しかし養子という手があった。だからもらった。
零は、クラスメートのあの女の子・東条紗希の家系になるのだ。これが事実。零は高校の入学式の前日、母子手帳を見て知った。
つまり零は紗希の兄ということとなる。それも一日違いの。
もちろん紗希はこのことを知らない。
その後、距離を取るようになってしまっていた。
「義母さん…どうか生き残ってくれ!」
耳の下で大きめの声で言って、病室を後にした。
「全てが事実、理論的にも感性的にも全てが事実。空想や妄想なんて何処にも無い。紛れもない事実、リアル」
事実>空想>妄想の比較級が成り立っている以上、覆すことなんて出来ないんだ。
母が死ぬ可能性を目の前にしてなぜか思想がすっきりしていた。
ある程度読めていた展開で、いつ起こるかわからなかったのもあるが、つまりそれは当たり前のことだと信じていたからだ。今はこう思っているが本当に存在無き者のレッテルに触れてしまったとき、自我崩壊が始まるだろう。
だから今は涙を流さない。
「でもこうしていると母さんが死ぬこと前提だよな」
そう、死ぬこと前提で考えているのに涙を流さないなんて本当におかしいこと。
感性がもの言う心にすり替わってしまったのだろうか。
もう心の中には「安堵」や「恐怖」といった感情が生まれてきている。
原因は、不明。何がどうなってこうなったのか他人に分からない。分かるとすれば自分だけ。だがその自分が知らないとなれば誰も知らないだろう。
そんなとき、彼女が通った。
「零…」
「…紗希か」
「中学以来だね、まさか一緒になるなんて思ってもいなかったよ。久しぶり」
「…」
「ねぇ、どうして独りなの」
「え…」
「高校の零と中学の零、違うもの。全然違う。なんか、クールキャラ気取ってるのかもしれないけど、それは違うからね」
紗希は零に歩み寄った。
「別にクールなんて気取っていない。これが俺自身の性格だ。誰にも文句言われる筋合いは無い」
「そうなの? …私には見えないな。中学のころの零は輝いていたよ」
「俺の記憶にない」
「零の記憶に無くても私の記憶にはあるんだよ」
「…だからどうした」
「ねぇ、覚えてる? ゲーム制作時代の私を」
「一応な」
会話は途切れ途切れだったがなんとか続いていた。
「なら話は早いや。私ね、中学の頃零が好きだった」
さすがの零もこの内容については驚きを隠せないでいた。
動揺が募る。
「今もそう、そのままの気持ちのつもり。でも何か違うんだよ、昔と」
「俺の性格が変わったから、とか言うなよ」
「そう…その通りなんだよ、零。高校になってがらんと変わった。何かの真実を隠すために心を閉ざすように。一体何があったというの」
「なぁ、その前に何故俺が此処に来てるかの理由から考察してくれないか」
そう、紗希は零がこの病院に来ている理由について一度たりとも触れていない。
「今日の緊急放送がきっかけ?」
「そんなとこだ」
「聞いたよ、お母様が倒れられたらしいね…独り暮らしの状態になるのに大丈夫なの?」
「そっちを心配するのか、まぁいいけど」
「どういうこと?」
「別になんでもない」
ふぅーん、といった表情で何度かちらちら零の顔を見る。何かを期待しているような目で。
「それで容体は?」
別の議題に移りかけていたので、喋りかけられたとき、零ははっとした表情をして紗希と向き合った。
「意識が、戻らない。命は取り留めたがグレゴリウス症候群が進行してしまう事態に陥った」
「グレゴリ…なにそれ」
「母の遺伝性の病気だよ。一生治らない」
「そうなのね…突然で悪いんだけど、私もお母様のところへ行ってもいいかな」
「別に俺が許可するなら構わない」
「ありがとう」
母の病室の前まで来た。紗希は生唾を飲んで病室の扉を開けた。
「失礼します」
常識の挨拶をして入った。
さっきと変わらない雰囲気。カーテンは薄い緑でさっき添えた花が花瓶に挿してある。もちろん母の心拍数もさっきと変わらず一定で、低い。
どう足掻いても変わらない現実。
「お久しぶりです、お母様」
紗希は目を閉じたままの母に話しかけた。
「中学の時以来ですね、ゲーム制作で零の家に急に押し掛けたりして迷惑を掛けてしまったことは今謝ります。そして、私はここに宣言します。私は零が好きです。好きでたまりません、本当に。いつかきっと幸せな未来を描いてみせます」
「…俺のいる前でよくも告白なんか言えるな」
「独り言だよ、零。それとも聞こえてた?」
「いや、何も」
「なら問題ないでしょ」
強引に押しとどめた。
「ありがとう、言いたいことは言えたよ、ほんと」
零は俯いていて、紗希の言葉など全く耳に入ってこなかった。紗希はいろいろ思ってることでもあるんだろうと、+の方向で考えているらしく、介入してこなかった。
「なぁ、猫玉、選択肢の前においてどうしても何がいいか分からないとき、お前ならどうする」
「私はプログラムでできていますからそういった感情はあまり生まれてこないのですが…強いて言えば、新たな選択肢を作るということですよ。プログラム的にはおかしいことなんですけどね」
「新たな選択肢か…」
プログラム上、AIで無い限り結局人間が作成した文章に従って動いているだけのもの。新たな選択肢を考えるというルートは無いのだ。フローチャートでも分かるように、一定パターンしか無いのだ。さっきも述べたとおり、AIである猫玉にとっては人工知能で次に何をするかを自分で文章を作成できるようにしている。しかし結局プログラムはプログラムでしかない。その作成パターンも無限では無いのだ。
無限に近い有限、その永遠ループ。
「それも一つかもしれない。でもそれが無いとしたら、もう一度問うが選択肢は二つしかない。どうする」
「自分がそれを行った後に幸せになる方に私は向かいます。だって不幸な選択肢を選びたくないですもん」
「幸せ…か。俺はいま幸せなのか?」
「私は幸せですよ。私を生み出してくれたのは零なのですから。少なくともこの世界、もちろん現実と仮想世界含めのことですが、一人幸せな人が今ここにいることは証明できます」
「それは嬉しいな」
久しぶりの笑顔を零は見せた。
「ふふ…」
「どうした」
「いえ、なんでも」
「ならいいんだが…バグがあれば直すぞ?」
「いえ、これは内臓のものです」
絶対の選択は、この後すぐにやって来る。
「零」
「紗希…」
声のする方に振り向くと紗希がいた。
「また会ったね、病院で…お見舞いだよね?」
「ああ」
「私も一緒に行っていいかな」
三度目の訪問。一度目は卒倒を聞きつけたときに自分で、二回目は紗希、今回の三回目も紗希といた。
このタイミングと言い、図ったかのような、しかしそんな仕草は見せないがそんな感じがした。
前と変わらない病室。窓は開けてある。少ししおれた花はこれから挿し替える。
「母さん、おはよう…!」
何かが違う。異変を感じた。
「まさか…」
計器の方を見た。心拍数が最低ラインを走っている。正直例えるなら歩くと言った方が正しいかもしれない。
その状態に紗希も近づき、ベッドのある方へやって来た。
「どうしたのって…え?」
紗希は疑問が先に浮かび、その後、事の重大さに気づいた様子だった。
慌ててナースコールを押した。警告音が鳴り響く。しかしそれは一方向からのものでなく、音源は二方向から耳に届いた。
「嘘だろ…これが現実なんて信じたくないぞ…!」
廊下を駆ける足音が聞こえてくる。二十秒後のことだった。
「看護師来たよ!!」
「どうされましたか!?」
「母の心臓が止まって…もう何を信じていいのか分からなくて…」
説明している間に、後からやって来た白衣姿の医師、この病院の医院長が続いて、
「合併症の扱いになるのか…今すぐ手術の準備だ、他の医師と看護師を呼べ!」
看護師は病室からまた去って行った。しばらくしてその看護師ともう一人の看護師がきて、ベッドの両サイドに着く。
「すいません、手術室に運びます。どいてください!」
紗希と零は何も考えないままその場所から退いた。
「どうしよう…俺どうしよう…」
「落ち着いて、零…きっと大丈夫。一緒に願おうよ」
「願うって言っても未来は変わらないんだぞ…!」
「願うの! きっと大丈夫だからっ」
目を閉じて心を落ち着かせてから願おうとする。
しかし瞼の下に浮かぶのは最悪の現実しか無い。母が死んで自分が独りになってどうしようもない現実をただ生きているだけの廃人。少ない感情が全くなくなった蛻の殻。
気力が見えず、瞳孔は開いたままか、最低限採光するための瞼か。
次に瞼を開けた瞬間、母はすでに病室から消えていた。運び出されたのだ。
「とりあえず…手術室前まで行こう…?」
紗希に手を取られ、零は撹乱する頭も無理やり連れて行かれた。
手術室前の席、二人はそこに座っていた。
足音さえもしない、頭の考え事が鮮明に浮かんでくる状態。
手術中のランプは実に三時間以上に及ぶ。全く消える気配もしない。
「私ね、零のお母様が意識を取り戻したら、ちゃんと今の気持ちを伝える気持ちだよ」
「…」
「お母様に認めてもらいたい、そしてアピールしたい。私が零のことをどれだけ好きでいるかの証明。だからね、今は生きることだけを考えるの。死ぬ予想なんて立てちゃダメ、ネガティブでいるなんて余計現実がマイナスになるだけなんだよ。もちろん思いで現実が変えれるなんてそんな甘い事はないよ。でも気持ちって大事なんだ。だから零も祈って」
「現実は変わらないんだよ!! 分かったような口をきくな!!」
激しく気性が荒れて、いつもの零らしくない感情表現だ。怒りと苦しみに満ちている。
「落ち着いて、零」
「こんな状況で落ち着いていられるかよ!! 自分の立場で考えてみろ!!」
「…だって零が悲しむところなんて見たくないんだもん」
「…!」
「零は…零はだって…」
言いかけているとき、目の前が少し暗くなった。手術中のランプが消えた。続いてドアが開けられ、医師その他一同が出てくる。
担当医は言った。
「泰隆零さんでよろしいでしょうか…」
「はい」
「二十時二十一分、御臨終です」
はっきりと告げられたその言葉に、最初は意味を解さなかった。というよりは出来なかった、理解を。
心の中では母が生きることを願っていた零にとって、その言葉はあまりにも残酷な言葉だった。
「うそ…でしょ…」
「私どもの病院に搬送され、術を行いました。そのときすでにグレゴリウス症候群が心臓発作によって意識が取り戻すことが困難な状態までに陥ってました。そして今日、術中に亡くなられました。すいません、たった一つの命を救うことができなかった…!」
「そうですか…最後までありがとうございました」
「…はい」
深くお礼をし、医師はその場を惜しむように去って行った。零はその場で全く動けずいた。
「うああああああ!!」
頭を抱え込んで地面に伏す。
「どうしてなんだ、どうしてなんだ! 何故ここでロード出来ない!? なんで電源を切れないんだ! 夢であってくれよ!!」
狂ったように叫びだす。すでに自我が崩壊しかけている。
「…!」
紗希も自分の母親ではないとはいえ、涙ぐんで全く発せない状態だった。二人とも悲しみに明け暮れている。心が悲しみでたくさんだ。しかし形無い感情はどこにも寄せることが出来ない。
現実は、変わらない。
そう思ったとき、零は動きを止めた。
「紗希…ちょっと一人にしてくれ…」
紗希は無言でうなずいた。
風が顔にあたる。いつもなら気持ちいいはずの風が今日は虚しさしか感じない。
病院の屋上でフェンスに手を乗せる形で零はいた。
「母さん…」
大粒の涙を零すところだが、零の場合そうはいかなかった。
悲しみか苦しみか分からない無表情で目の前の青く冴えた空に視線を送っていた。
「…生きる意味が見いだせなくなりそうだ…ルートもこれで終焉、BADENDかも知れないな」
一定に空を飛ぶ飛行機が、今日は鬱陶しく思えた。
全てが目の前から消えろ、形あるもの、事項含め全てが消え去ればいいと本当に思う。
時計を見た。
九時三十分過ぎ。一時間近くはここにいる。
「俺は何をしているんだ」
もう既にここにいる間の記憶が薄れかかっている。屋上のドアを激しく開けた自分も、風を気持ち悪いと感じた自分も。そして母が死んだという事実を消え去りたいと思う自分も。
何も考えられないのだ、何も。
最後の望みとして、輪廻の輪に入ってほしいと思う。しかし結局それは証明できない空想かつ非現実的さらに死後の世界のことなのだ。母の死を認めてしまうことになる。
「…」
「零…」
「なぁ紗希、考えたか」
「自分の立場ってやつ…?」
「ああ。実際なってみるとな、命って薄っぺらいものなんだと感じることが出来るよ」
「そんな…でも命は人が生きてきた証だよ」
「でも形に表せれない、見えないんだ。見えないものを見ようとしても不可能なんだよ。不可能は考えられない。未来も考えられない。そう思うともう自分なんてちっぽけな存在だと気づくよ」
「そう…」
さっきのことがあるから紗希もあまり入ってこない。だから紗希はさっきの会話で十分だったのだ。
「中学時代に言ったと思うが、確か『人生は楽しむものだ』って言ったと思う。でも今は楽しめない」
「そうだね…」
「俺は高校になってから感情を無にして生きてきた。今日が初めてだよ」
風で顔の横に逸れた涙が月の光で反射する。少し離れているが横にいる紗希にとっては分かりやすいものだった。
次の選択肢のピースがはまらない状態にある。バッドエンドもノーマルエンドもハッピーエンドもハーレムエンドも。全ての可能性が封じられている状態。
「正直母さんの死を認めたくないんだよ」
「誰だってそうだよ。私も多分そうなると思う」
「でも認めざるを得ない。そうでないと次が開けない」
「次…?」
「俺は世界に名を馳せる天才プログラマー泰隆零、として知られている。仕事に支障をきたすと大勢の人間に迷惑が掛かってしまう。俺にとってはこの出来事は一生悔やむ出来事かもしれないが、周りの人間にとっては一出来事でしかないのだと知っている。世界は広く、そして非道だ。一歩踏み外したらもう戻って来れない。だからこればっかりは母さんの死を認めるよ」
ただ月を見る。
「仕方…ないよね。部外者が何も言えないけど。それに私はいつもの零であってほしい…」
「紗希…?」
「ううん、なんでもない。特に気に障ることなんて言ってないからね」
「そうか。もうここに思い残すことは無いから俺は帰るよ」
月に背中を向け、ドアの方へ歩いて行った。
「バイバイ、零…」
紗希の虚しい声だけが鈍く響いた。
次の学校の日。零は何事も無かったのように登校し、教室へ入っていた。
周りでは俺の名前が囁かれている。昨日のことだろう。どこから情報源が出たのかは不思議だが、そんなことは気にしない。
「零の母さん死んじゃったんだって」
「可哀想…」
「不幸だよね」
同情と他人事のように扱う言葉。正直言うと鬱陶しい。
同情は要らない。他人事のように言う奴らの言葉なんてなんの重みも感じられないただの空白。
そんな風に思っている。
しかし零の心情は一変した。
クラス中の笑い声。男子も女子も、中には男女一組というのもある。
今までなら何にも感じなかったその風景が今日は違って見える。
何故かこう、切ないのだ。
切ない、それも感情の一種。種類が増えた。
零は苦痛を感じながら今日の時間を過ごした。
カタカタカタ…。
キーボードの打つ音が部屋に響き渡る。
家で二日間手を付けられなかった仕事をいつもより早いペースでこなしている。
百行ごとにミスを確認しているのだが、今日のミスはいつもの二倍以上に及ぶ。もちろんいつものミスが一か二個、またゼロのときが多いので、普通に比べたら多いとは言えず、むしろ少ないと言える。
「くそ…」
それでも悩んでいる。機嫌は最悪のようだ。
今作っているのは仮想現実型多人数参加型ロールプレイングゲーム(通称MMORPG)のシステムコンソールの改変を行っている。
この間バグが出て、ログインの際に変な画像、感覚が出るという問題。
しかしさっきからずっと調べているがそのような報告は一切ない。実際にログインしてみたが無かった。
「猫玉、お前何か知らないか?」
「いえ、知らないです零。そんな報告があることは最近知りましたけど…」
「ならどこが問題なんだよ!」
机を両手拳で叩いた。幸い机には傷がいかなかったが、猫玉を驚かせてしまった。
「ごめん…つい感情的に」
「そちらの零も好きですよ」
「え…」
「感情があるのは普通のことなんですよ」
零は決心した。
「留守番頼むな」
「どこへ行くんですか?」
「いや、特にそんなに重要じゃない」
そう言って家から出て行った。鍵は猫玉の電子サーバからかけてもらうのがいつものこと。