第8章:軍勢消失 ーーそれは「世界OSのフォーマット」
「マスター、空の色彩が定義外の周波数にシフトしています。……世界が『諦めた』ようです」
エルゼが仰ぎ見る空は、もはや青でも夜の黒でもなかった。
デジタルノイズのような赤紫の亀裂が走り、地平線の彼方からは、あり得ない軍勢が押し寄せていた。
人類最強の「王都聖騎士団」と、人類の天敵であるはずの「魔王軍」。
本来、決して手を取り合うはずのない両軍が、虚ろな瞳で足並みを揃え、白銀の城を目指して進軍してくる。その頭上には一様に、レオンの時と同じ、あるいはそれ以上に不気味なシステムログが浮かんでいた。
――【執行者:一括削除プロセス(クリンナップ・軍勢)】
――【目的:領域『管理外セクター』の物理的初期化】
「……なるほど。僕というバグを消すために、世界は『敵と味方』という設定すらゴミ箱に捨てたわけか」
僕は城のバルコニーに立ち、迫りくる数万の軍勢を見下ろした。
腹が減っている。
だが、目の前の軍勢を「素材」として見ても、どこか違和感があった。彼らからは生命の鼓動が感じられない。ただの「消去プログラム」の末端として、世界に操られているだけの肉塊だ。
「マスター、高エネルギー反応。上空より『フォーマット命令(削除コード)』が降下します」
エルゼの警告と同時に、空が割れた。
巨大な「白光の柱」が、進軍する騎士団と魔王軍のど真ん中に突き刺さる。
「……!?」
悲鳴すらあがらなかった。
光に触れた兵士たちは、塵になることすら許されず、まるで最初からそこに存在しなかったかのように、空間ごと「消滅」していった。
それは僕の【万物錬成】による分解ではない。世界そのものが、この座標一帯を「なかったこと」にするための、強制初期化だった。
「ひどいな。僕を消すために、総力戦で有耶無耶にして、まとめてゴミに出すつもりか」
僕はその光の柱を、あえてその手で掴み取った。
――【システム警告】致命的エラー。削除コードへの直接接触を確認。
――【執行】個体名:[消失] の存在情報を消去します。
「……拾い上げる(リサイクル)と言ったはずだ。この『消去命令』さえもな」
――【万物錬成】発動。
――【変換対象】世界OS直轄:削除命令。
――【代償】あなたの『過去の全ての功績』の記憶を焼却します。あなたが誰を救い、何に感謝されたか、その輝きを全て差し出しなさい。
脳の奥で、かつて「ありがとう」と言われた記憶が、温かな光の粒となって霧散していく。
誰を救ったのか、なぜ感謝されたのか、その理由はもう思い出せない。
だが、代償と引き換えに、僕の手の中には「世界を消すための力」が握られていた。
「エルゼ、シル。……この城を『存在しない場所』に書き換えるぞ」
僕は掴み取った「削除コード」を反転させ、白銀の城全体に再分配した。
城の壁が、ノイズを放ちながら透明化していく。
世界が「ここを消せ」と命じるコードを逆手に取り、城の情報を「すでに消去済み(NULL)」として偽装する――ステルス戦への移行だ。
「……ピィッ!?」
シルの鳴き声が、存在しない空間に虚しく響く。
外では、光の柱が次々と降り注ぎ、数万の軍勢を飲み込み続けていた。
彼らは自分たちが何のために死ぬのかも分からず、ただ世界の掃除に巻き込まれ、消えていく。
「マスター。外部観測より、当領域は『完全消滅』したと処理されました。……世界は、私たちが消えたと誤認しています」
エルゼが、ノイズの混じる腕で僕の肩に触れた。
彼女の指先は、もはや質量を感じさせないほどに希薄になっている。
「……そうか。なら、ここからは僕たちの時間だ」
僕は、消えゆく軍勢の最後尾にいた「魔王」の影を見つめた。
彼は他の兵士とは違い、消去に抗おうと、その眼窩に絶望の火を灯していた。
「あいつも、世界に捨てられた『ゴミ』なんだろうな」
僕は、透明化した城から一歩踏み出し、消滅が続く戦場へと歩き出した。
世界が「消した」ことにしたものを、全て拾い集めるために。
もはや、僕がかつて守ろうとした「平和」も「正義」も、記憶の彼方へ消えてしまった。
残ったのは、ただ一つ。
世界が捨てた「ゴミ」で、世界を埋め尽くしてやるという、底冷えするような執着だけ。
「行こう。……世界が『いらない』と言ったものを、一つ残らず僕のものにする」
ヴァンの瞳から、最後の人間の色が剥がれ落ちた。
そこには、神のシステムログさえも飲み込む、深淵のような「虚無」が広がっていた。




