第7章:【対消滅】レオンの「英雄形態」との決戦
「――貴様だ。貴様がいるから、世界の歯車が狂う」
白銀の城の謁見の間。粉砕された門の向こうに立つ「それ」を、もはやレオンと呼ぶことは困難だった。
金色の甲冑は肉体と癒着し、背中からは幾何学的な光の翼が十六枚、ノイズを撒き散らしながら生えている。
彼の頭上には、巨大なシステムログが浮遊していた。
――【管理者代行:勇者レオン】
――【ステータス:存在確立】
――【パッシブ:因果無効。バグによる分解・再構成を拒絶します】
「マスター。敵対個体の解析を完了」
感情を封印したエルゼが、淡々と報告する。その瞳には、もはやヴァンへの案じも、戸惑いもない。
「対象は世界OSより『この座標における唯一の正解』として固定されています。我々の[万物錬成]による干渉は、すべて『間違い』として棄却されます」
「……リサイクルが効かない、か」
ヴァンは漆黒の剣を構え直す。
腹の底から、焼けるような「飢え」がせり上がってきた。レオンという巨大なエネルギーの塊を目の前にして、ヴァンの細胞がそれを「喰らえ」と叫んでいる。
「死ね、ヴァン! この世界にゴミ拾いの居場所など、最初から無かったんだ!」
レオンが踏み込む。
その一撃は、重力も慣性も無視し、ヴァンが回避を選択するよりも「先に」彼の胸を貫くという結末を確定させていた。
ドォォォォン!!
城の床が、衝撃波だけで霧散する。
ヴァンは、咄嗟に盾として錬成した一万本の剣を粉砕されながら、後方へと吹き飛ばされた。
「ハハハ! 見ろ! これが『正解』の力だ! お前が何を拾おうが、何を造ろうが、世界が認めた俺の輝きには傷一つつけられない!」
「……ピィィッ!」
シルがヴァンの肩で必死に叫ぶ。シルの「幸運」がレオンの「確定」と衝突し、空間がガラスのようにひび割れる。
だが、世界の修正圧力は、一匹の聖獣が抗えるレベルを超えていた。
ヴァンは血を吐きながら、冷徹な思考を巡らせる。
相手は「絶対に壊れない」というルールを世界から与えられた無敵の駒だ。
ならば。
「ルールそのものを、燃料にするしかないな」
ヴァンが虚空に手をかざす。
――【システム警告】存在確立の破壊には、論理矛盾の発生が必要です。
――【承認】代償となる『最も重い記憶』を選択してください。
――【警告】この対消滅を実行した場合、あなたは自身の『名前』という個体識別記録を永久に焼却します。
名前。
かつて母が呼び、仲間たちが呼び、自分が自分であることを証明するための、魂の最深部に刻まれたコード。
それを失えば、ヴァンという人間はこの世から「存在の根拠」を失う。
「……マスター。その演算は、あなたの完全な『消失』を示唆します」
エルゼが、感情のない声で事実のみを告げる。
「いいさ。……名前なんて、ゴミを拾うには邪魔なだけだ」
ヴァンは、自らの魂に手を突っ込み、そこにある「ヴァン」という文字を掴み出した。
それはまばゆい白光を放ち、次の瞬間、どす黒い呪いの炎と混ざり合って、一振りの「何も無い」剣へと変貌した。
「喰らえ、レオン。……これが、お前に捨てられた男の最後の『持ち物』だ」
【奥義:対消滅】
ヴァンが踏み出す。
レオンの「正解の軌道」がヴァンの体を切り裂くが、ヴァンは止まらない。
彼が通った後の空間が、消しゴムで消されたように「無」へと変わっていく。
「な、なんだ……? 剣が、俺の鎧を……素通りして……!?」
レオンが恐怖に顔を歪める。
彼の「存在確立」は、存在するものを対象とする。だが、今のヴァンは「名前」を捨て、世界から存在を抹消された「無」の概念。
盾は意味をなさず、剣は空を切り、世界が与えた最強の補正が、ヴァンの「空白」に吸い込まれて消えていく。
「やめろ……来るな! 俺は英雄だ! 俺は、世界に愛されて――」
「お前はただの、燃えカスのゴミだ」
ヴァンの「無」の剣が、レオンの胸の中央――世界と繋がっていた「黄金の回路」を貫いた。
――カチリ。
世界の音が、止まった。
レオンの体が、金色の砂となって足元から崩れ落ちていく。
彼を英雄に仕立て上げていたシステム・バフが、逆流してヴァンの剣に吸い込まれていく。莫大なエネルギーがヴァンを潤し、飢えを満たしていく。
「あ、が……あ……。俺、は……」
金色の砂塵が舞う中、最後に残ったレオンの瞳が、呆然とヴァンを見つめた。
そこには「世界の意思」ではなく、死の恐怖に震える一人の男としての、醜くも人間らしい光が宿っていた。
だが。
「……お前、誰だっけ」
ヴァンは、冷たくそう呟いた。
嫌味でも、復讐の言葉でもない。
ただ、純粋に。目の前で消えていく男が何者であったか、なぜ自分をこれほど憎んでいたのか、その記憶のピースが、ヴァンの脳内から完全に欠落していた。
レオンの瞳に、絶望が走る。
殺されることよりも、憎まれることよりも。
自分が人生をかけて奪い、貶め、執着した相手から「認識すらされない」という究極の虚無。
「あ……あああ……っ!」
レオンは、その叫び声さえも砂に変わり、地獄の底へと消えていった。
静寂が戻る。
ヴァンは、自分が貫いた「空虚」を見つめたまま、立ち尽くしていた。
右腕には、レオンから奪い取った膨大な「英雄のリソース」が、黒い脈動となって宿っている。
「……終わったぞ、エルゼ。……ええと、僕は……何をしてたんだっけ」
「報告。マスターは、領域の維持を脅かす『高エネルギー廃棄物』の処理を完了しました」
エルゼが歩み寄り、ヴァンの返り血を無機質に拭い取る。
「現在、マスターを識別するための名前は存在しません。便宜上、これまで通り『マスター』と呼称します」
「……そうか。まあ、いい。腹が減ったな。……次のゴミを探しに行こう」
ヴァンの瞳からは、もはや一欠片の「ヴァン」らしさも消えていた。
彼は肩に乗ったシルを撫でようとして、その感触を「単なる熱量」としてしか認識できない自分に、疑問を持つことさえしなかった。
白銀の城は、主の名前を失ったまま、より一層冷たく、美しく輝き始めた。




