第2章:幸運の獣シルと「欠落した記憶」
群れで襲いかかってきた『カオス・ウルフ』が、その最後の1匹まで跡形もなく消滅し、そこには耳が痛くなるような静寂だけが残っていた。
僕の周囲には、数万の武器の破片が星の輪のように浮遊し、鈍い銀光を放っている。
「……はあ、はあ……。これが、僕の……力」
体中の激痛は消え、代わりに底知れない活力が溢れていた。
レオンたちに押し付けられた『永劫の腐食』の呪いは、僕の体内で【万物錬成】という名のエンジンに注ぎ込まれ、純粋なエネルギーへと変換されている。
だが、代償は確かに支払われた。
先ほどまで僕の胸を締め付けていた「裏切りへの怒り」や「悲しみ」が、まるで古い写真をシュレッダーにかけたあとのように、断片的で無機質な「記録」へと変わっている。
「……僕は、あいつらを許さない。……はずだ」
口に出してみるが、感情が追いつかない。
復讐心すらも、効率的に動くための「燃料」にリサイクルされ始めているのかもしれない。
「ピィ……」
ふと、瓦礫の山の隙間から微かな音がした。
僕は警戒して、浮遊する剣の破片をそちらに向けた。だが、見えたのは凶悪な魔物ではなく、手のひらに乗るほど小さな、真っ白でふわふわした塊だった。
大きな耳と、夜空のように深い青色の瞳。尻尾の先だけが金属のような銀色に輝いている。
[鑑定:[迷い込んだ幸運鼠の変異種] ]
[状態:衰弱・死に至る呪縛。右足に「世界の不運」を固定する廃棄罠]
「……お前も、捨てられたのか」
その小さな右足には、どす黒い魔力を放つ鉄の枷が食い込んでいた。
本来、この魔物は「幸運」を司る稀少種だが、この個体はあまりに多くの「不運」を吸わされすぎて、もはや死を待つだけのゴミとしてこの階層へ落ちてきたのだろう。
「……【リサイクル】……実行」
僕が枷に触れた瞬間、枷に込められた呪いが僕の腕を伝って吸収されていく。
鉄の枷は飴細工のようにドロリと溶け、純粋な魔力へと分解された。
――【システム】固有条件達成。
――【契約】『幸運の化身』とのパスを確立しますか?
――【警告】契約の代償として:今後、あなたが『日常の小さな幸せ』を感じる機能が永続的に焼却されます。
日常の、幸せ。
朝、日が昇るのが綺麗だとか。飯が美味いとか。誰かと笑うのが楽しいとか。
そんな「生きていく上で不可欠ではない贅沢品」を差し出せと、システムは告げている。
「……今の僕に、そんなものは必要ない」
「承認」を念じた瞬間。
脳の奥で、カチリと冷たい錠前が下りる音がした。
それまで微かに残っていた「助けられてよかった」という安堵感が、灰になって消えていく。
[契約完了。個体名:シル。]
[パッシブ効果:『不運の超効率リサイクル』が解放。呪いをエネルギーに変換する際のロスが0%になります]
「ピュイッ!」
自由になった白い小動物――シルが、信じられない速さで僕の肩に駆け上がってきた。
そして、僕の頬を、必死に、何度もなめ始めた。
「……くすぐったいな。シル、やめろ」
言葉では拒絶するが、その温かさに、僕の心は何も反応しない。
温かいのはわかる。だが、それが「心地よい」という感情に結びつかない。
感情の回路が物理的に切断されたような、奇妙な感覚。
だが、シルは諦めなかった。
僕がどれほど冷たい目をしても、彼は悲しそうに目を細め、僕が「人間」であることを繋ぎ止めるように、何度も何度も喉を鳴らして擦り寄ってくる。
その時だ。
ゴゴゴゴゴ……!
廃棄階層の奥底から、地響きと共に巨大な影が現れた。
カオス・ウルフの全滅を察知し、階層の均衡を保つために派遣された世界の免疫システム――『アース・ゴーレム』の集団だ。
その数、およそ五十。
一体一体が家一軒ほどの巨体を持ち、全身が硬質の魔導岩石で覆われている。
「シル、しっかり掴まってろ。……リサイクルの時間だ」
「ピュイッ!」
シルが僕の肩で、尻尾をアンテナのようにピンと立てた。
シルの「幸運」が僕に流れ込み、世界に満ちる「不運(呪い)」をエネルギーとして吸い上げる効率が跳ね上がる。
僕は地面に転がっている無数の石ころと、折れた矢の先端に手をかざした。
【成分抽出:硬質石、魔力伝導体】
【高速錬成:[10万発の精密石礫] 】
【追加効果:『幸運の急所必中』】
一瞬。
僕の周囲にある数万の小石が、一点の曇りもない「弾丸」へと書き換えられた。
シルの力によって「不運」が排除されたその一撃は、確率論を無視してゴーレムたちの最短の弱点へと導かれる。
「……消えろ」
僕が指を鳴らす。
次の瞬間、廃棄階層の空気が爆ぜた。
シュドドドドドドド!
音速を超えた10万発の弾丸が、暴風となってゴーレムたちに降り注ぐ。
堅牢な岩石の体は、まるで紙細工のように粉砕され、ゴーレムたちは反撃の暇もなく、文字通り「砂」へとリサイクルされていった。
圧倒的。
世界を滅ぼす軍勢であっても、今の僕の前では「素材」に過ぎない。
「……ふぅ。終わったか」
僕はゴーレムが崩れた後の「砂」を見る。
それはただの砂ではない。高度に精錬された『魔導銀の粉末』へと変わっていた。
「ピュイ……ピィ」
シルが僕の頭の上に飛び乗り、心配そうに僕の瞳を覗き込む。
戦いに勝った。素材も手に入った。
けれど、僕の心には達成感も、生き延びた喜びもない。
ただ「タスクを完了した」という冷徹な事実だけが積み上がっていく。
「シル。……お前がいくらなめても、僕はもう、何も感じないんだぞ」
僕は、自分を救ってくれたはずの小さな相棒を、突き放すような声で呼んだ。
だがシルは、僕の冷たい言葉を無視して、小さな前脚で僕の頬をぎゅっと抱きしめた。
それは、感情を失い続ける僕に贈られた、この地獄で唯一の「本物」の温もりだった。
「……行くぞ。もっと素材を集めて、ここを『城』にする」
僕はシルを連れて、さらに奥へと歩き出した。
感情を捨てれば捨てるほど、僕は強くなる。
だが、その歩みの先に何が残るのか。
その山の一角で。
僕は、不自然な光を放つ「巨大なゴミ」を見つけた。
それは、ボロボロに破損しているにも関わらず、何故か僕の「欠落した部分」を激しく揺さぶる、銀色の髪をした少女の残骸――。




