第54話 --平和の外交官--
ご覧いただきありがとうございます。
1日2話以上の更新を目指しています。
多くの人に届くように、評価だけでもよろしくお願いします。
和ら木の昼前。
外では風がそっと弾み、木漏れ日をゆったりと揺らしていた。木々はサラサラと歌っていた。
三郎はカウンターでポットを傾けながら、静かな音に耳を澄ませていた。
ちりん――。
ドアベルが鳴き、ふわりと光が舞う。
カリスが現れ、少し落ち着いた声で言った。
カリス:「……今日の記事、読みましたか? アーレンさんの特集です。」
「……あの外交官の?」
三郎が新聞を受け取る。
そこには、見覚えのある男の横顔が写っていた。
かつて和ら木で“押しつけの正義”に苦しみ、
言葉を失いかけていた外交官――アーレン=クロード。
三郎はゆっくりと紙面を開いた。
---
【街の目新聞・第200号】
「沈黙の外交官、最後の席にて
――十年語り、そして“聴くこと”を選んだ男」
十年前、アーレン=クロードは“最も雄弁な外交官”と呼ばれていた。
彼の言葉の力を信じた人族は、その力強い語りと理屈で、
国を動かそうとした。
だが、どの会談も決裂し、どの演説も届かなかった。
正義を掲げれば掲げるほど、相手の正義が反発した。
訴えれば訴えるほど、心は遠のいた。
それでも彼は語り続けた。十年もの間。
――そしてある夜。
旅の途中で立ち寄った小さな喫茶店「和ら木」で、
彼は“沈黙の意味”を知ることになる。
店主との対話の中で、アーレンは初めて“語らない勇気”を教わった。
言葉は相手を説得する道具ではなく、想いを聴くための扉だと。
それ以来、彼は語ることをやめ、ただ人々の声を“聴く外交官”となった。
人族の将軍が怒鳴っても、反論せず。
夜の民が涙しても、言葉を挟まず。
彼はただ静かに、想いを受け取った。
その姿勢はやがて、“沈黙の外交官”として知られるようになった。
和平協定の終盤、交渉は行き詰まりを見せていた。
人族と摩族の代表は、お互いに最後の正義を譲らなかった。
その時、アーレンはゆっくりと立ち上がり、
一枚の紙を机に置いた。
「わたしの正義はこれだけです。」
それは――子どもたちが描いた、“共に生きる未来”の絵。
笑い合う人々、寄り添う魔獣、空を分け合う太陽。
沈黙が会場を包む。
やがて、年老いた人族代表がぽつりと呟いた。
「……この絵に、勝てる正義はない。」
その言葉に続くように、全員が席に着いた。
剣を置き、筆を取る。
署名の音が静かに響く。
その音はまるで――“争いの終わり”そのもののようだった。
摩族の評議員ルルシアは語る。
「彼の沈黙は、壁ではなく鏡でした。
私たちはそこに、自分の怒りと悲しみを見たんです。」
こうして、世界は沈黙の中で結ばれた。
誰もが言葉を失い、
そのとき初めて、“想い”だけが残った。
記:アルベルト・シュナイダー
(※摩族の摩は本来“摩訶不思議”に由来する)
---
新聞を閉じ、三郎は静かに息をついた。
「……十年語って、ようやく“聴くこと”にたどり着いたんですね。」
カリス:「ええ。沈黙でつないだ和平なんて、あの人にしかできません。」
ワタまる:「ぽふー!(沈黙って最強!)」
そのとき、ちりん――。
ドアベルが鳴き、外の風がふわりと入ってくる。
そこに立っていたのは、外套を脱いだアーレンだった。
かつての疲れた影は消え、穏やかな笑みをたたえている。
アーレン:「……三郎殿。十年かかりましたが、やっと一杯の茶の意味が分かりました。」
「そうですか。では、今日も静かな一杯を。」
アーレンはカップを受け取り、湯気の向こうで目を細めた。
アーレン:「……この味は、あの日のままだ。」
「沈黙の味です。」
アーレン:「ふっ……いい名だな。」
「おめでとうございます、“沈黙の外交官”。
あなたの沈黙が、世界を動かしました。」
アーレンは静かにうなずき、
「……語らぬままに届く言葉が、こんなにも多くなるとはな。」
と呟いた。
窓の外で、風が鈴を揺らしていた。
その音は、平和の鐘よりも静かで、言葉よりも雄弁だった。
そして確かに――世界が聴き合う時代の到来を告げていた。




