第51話 --今という未来の形--
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和ら木の朝。
窓の外では鳥の声が響き、店内にやわらかな光が差し込んでいた。
三郎はカップを磨きながら、新聞受けの音に気づく。
カリス:「今日の記事、きっと三郎さんも好きですよ。セオルさんの記事です!」
「おお……セオルさんが?」
ワタまる:「ぽふー!(未来見える人!)」
三郎が紙面を広げると、穏やかな笑みを浮かべたセオルの肖像と共に、こんな見出しが載っていた。
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【街の目新聞・第188号】
「今という名の未来
――占者セオルが語る“時間の真実”」
未来視の占者セオル。
その名を知らぬ者はいない。
各地を巡り、人々の相談に耳を傾け、
“未来の見え方”そのものを変えた男である。
かつて、彼は「未来を視る者」と呼ばれた。
しかし今、人々は彼を「今を見つめる人」と呼ぶ。
彼の説はこうだ。
「――過去は見えない。それぞれが背負ってきたものだからだ。
重すぎて、他人には背負えない。
けれど未来は見える。まだ誰も背負っていない、
決まってはいない、“可能性の物語”だから。」
彼は言う。
「未来が見えると言っても、誰もが半信半疑でした。
なぜなら、結果はその瞬間に変わってしまうからです。
そのくらい未来は軽い。けれど、
変えられない過去は重い、そして
その重さを支えて過ごす“今”はとても重い。
いまこの瞬間をどう生きるかが、
未来の形そのものを決めるんです。」
この言葉は多くの人々に共鳴を与えた。
未来を知ろうと焦るより、今を深く感じることに価値を見出す者が増えた。
占いは“予言”ではなく、“いまを照らす鏡”へと変わったのだ。
また、セオルは各地の学舎で講話を行い、こう語っている。
「――過去を知るものは尊い。
ただ過去は解釈によって変わる。
未来は、これからどうするかで変わる。
どのようにでも出来る。運命は無い。
ただし、“今だけ”は、これまでも、これからも、
ずっとあなたのものだ。」
彼の講話の締めくくりは、いつもこうだ。
「未来は見るものではなく、“今を生きた結果”として現れるものなんです。
だから、今日をどう生きるかが、
いちばん確かな“未来視”なんですよ。」
記:アルベルト・シュナイダー
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三郎は新聞を閉じ、深く息をついた。
「……軽い未来、重い過去、そして“今”の重さか。
なるほど……セオルさんらしい答えの出し方ですね。」
カリス:「はい。未来を見るより、今を見守る人になりましたね。」
ワタまる:「ぽふー!(重いのはケーキだけでいいのに)」
三郎は吹き出し、紅茶を注ぎ直した。
「人は“変えられない過去”に縛られ、“見えない未来”に焦る。
でも“今”を受け入れて丁寧に生きる人は、そのどちらにも迷わない。
……セオルさんは、きっとその境地にたどり着いたんですね。」
そのとき、ドアベルが鳴いた。
ちりん――。
入ってきたのは、軽い旅装のセオルだった。
以前よりも柔らかな笑顔を浮かべ、足取りは穏やかだ。
セオル:「……三郎さん。おかげで、ようやく“今”を歩けるようになりました。」
「ええ、未来視の人が“今”を歩く。これはもう、奇跡のようですよ。」
セオルは笑った。
セオル:「未来が見えると言っても、信じる人は少ない。
でも、誰もが“今を生きる力”は持っている。
だから僕はこれから、その力を信じてもらう旅に出ます。」
カリス:「いいですね……“今という力を信じてもらう旅”。」
ワタまる:「ぽふー!(おみやげは未来味で!)」
三郎は笑いながらカップを差し出した。
「じゃあその旅の前に、一杯どうぞ。“今”を味わうお茶です。」
セオルは受け取り、湯気の向こうに穏やかな目を向けた。
セオル:「……未来は、こういう瞬間の積み重ねなんでしょうね。」
「ええ。だからこそ、今を大事にできる人が未来を変えるんです。」
夕暮れの光がカウンターを照らす。
ワタまるが「ぽふー」と伸びをし、カリスがほほ笑んだ。
その一瞬に流れる温もりこそが、
誰にも見えない――けれど確かにまたひとつ“未来”が確定したときだった。




