第46話 --世界にひと口の休符を--
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和ら木の午前。
湯気の立つポットのそばで、三郎はゆっくりと紅茶を注いでいた。
カウンターには、見慣れぬ包装の焼き菓子が並んでいる。
「……これ、ミュリエルさんの?」
カリスがうれしそうに頷いた。
カリス:「はいっ! 今日は“午後の休符シエスタタルト”の新作が届いてます!」
「もう定番になったんですね。」
三郎は箱を手に取り、やわらかく微笑んだ。
そこには、“菓子工房ミストラル”のロゴと、こう記されていた。
――甘く、時には休符を。
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数年が経ち、ミュリエルの工房は街の象徴となっていた。
“正確さの中に温度を残す”その菓子は、料理人だけでなく、
詩人や音楽家、外交官までも虜にしていた。
今では、和ら木のスイーツも全て彼女の工房から届く。
ティーカップの横に添えられるひと口の焼き菓子――
それはどれも、世界のどこかで同じように味わわれているものだ。
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【街の目新聞・第160号】
「世界にひと口の休符を
――菓子職人ミュリエルが奏でる“間”の革命」
「菓子は音楽に似ている」と言ったのは、彼女だった。
甘さを封印していた頃のミュリエル・ド・ミストラルは、
正確さの化身だった。
だが今、彼女の菓子は世界に“安らぎの拍”を刻んでいる。
“午後の休符”シリーズは、王都のティーサロンをはじめ、
夜の民(※摩族。摩は本来“摩訶不思議”に由来)の大使館でも提供されている。
摩族の外交官トゥルカはこう語る。
「この菓子は、沈黙の間に寄り添う。
言葉を挟まず、互いに微笑む時間が生まれる。」
いまや“休符”という言葉は、政治にも使われる。
交渉が行き詰まった時、“ミストラル・ブレイク”を取ることが
和平会議の慣例となった。
それは小休止の合図であり、再開の約束でもある。一拍をとるのだ。
ミュリエルは言う。
「甘さは、焦りをやわらげる。
人は休んでこそ、もう一度まっすぐに働けるんです。」
彼女の作る菓子は、もはや嗜好品ではない。
それは、働く者の“生き方”のリズムを整える、世界共通の“休符”だ。
そして今、彼女は新たな挑戦を始めている。
それは、“誰もが作れる休符”――
家庭の台所でできるよう、全てのレシピを無料公開するという試みだ。
「誰かの一日の中に、小さな“おいしい間”が生まれたら、
それが私の一番の報酬です。」
和ら木の午後に流れる音楽。
その拍の隙間には、彼女が残した“やさしい間”がいつもある。
記:アルベルト・シュナイダー
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「……“世界にひと口の休符を”か。いいタイトルですね。」
三郎は新聞をたたみ、タルトを一口かじった。
香ばしいアーモンドの層の奥から、穏やかな甘みがふわりと広がる。
それは、ひと仕事を終えたあとに深呼吸するような味だった。
「……甘さが、時間を止めますね。」
カリス:「はい。働く人のための“休符”ですよ。」
「きっとこの甘さが、世界をゆっくりにしてるんでしょうね。」
カリスは笑ってうなずいた。
カリス:「急ぐ人が多すぎましたからね。
でも、誰かが止まる勇気をくれたら、それも平和の一歩です。」
ワタまるがぽふっと鳴き、タルトの香りに包まれて目を細めた。
三郎はカップを持ち上げ、ゆっくりと一口。
「……焦らず、慌てず、甘く生きる。いい時代になってきましたね。」
外では午後の風が、街をやさしく撫でていた。
窓辺の鈴が小さく鳴り、和ら木の中に静かな“休符”が響いた。




