第18話 --未完の地図--
和ら木の昼下がり。
窓からの光がカウンターを照らし、湯気の立つカップが並んでいる。
ワタまるがころんと転がって、三郎の腕に頭をすり寄せた。
ふわりと光が舞い、カリスが微笑む。
カリス:「三郎さん、今日はお久しぶりのお客様がいらっしゃいましたよ!」
ちりん、とドアベルが鳴く。
入ってきたのは、背筋を伸ばし、落ち着いた雰囲気をまとった男――ベルトランだった。
ベルトラン:「……やあ、三郎殿。しばらくぶりだな。」
三郎は驚きと共に立ち上がり、深く頭を下げた。
「ようこそ、ベルトランさん。和ら木へ。」
二人は席につき、茶の香りが立ちのぼる。
ベルトランは一口含んで、静かに微笑んだ。
ベルトラン:「変わらぬ味だな。……だが、ここに流れる空気は以前より柔らかい。」
「……そうでしょうか。」
ベルトランは頷いた。
ベルトラン:「ああ。ここに来た者たちは、皆どこか軽やかな顔になって帰っていったそうではないか。お主の言葉が届いている証拠だ。」
三郎はうつむき、唇を噛んだ。
「……でも、僕はいつも“言いすぎてしまったんじゃないか”と思うんです。相談者の答えを決めつけすぎて……自分で考える余地を奪ったんじゃないかって。」
ベルトランはフムとつぶやいてから少し黙り、やがて懐から一枚の紙を取り出した。
古びた旅の地図だった。
ベルトラン:「三郎殿。地図を渡すとき、全部の道を描く必要はない。」
「……え?」
ベルトラン:「必要なのは、“今いる場所”と“次の目印”だけだ。余白があってこそ、人は自分の道を書き込める。すべてを描けば、旅はただの作業になってしまう。」
三郎は地図を見つめ、しばし言葉を失った。
やがて、息を吐きながらつぶやいた。
「……僕は、全部描こうとしていたんですね。」
ベルトラン:「お主の真剣さがそうさせたのだ。悪いことではない。だが、少々甘やかしになってしまうかもしれん。地図に余白があることは“未完成”ではない。むしろ、“その人自身の旅”を生む力になる。」
カリスが微笑み、やわらかく言葉を添える。
カリス:「でも三郎さんは、みんなに“最初の目印”をちゃんと示してきました。だから、相談者は迷わず一歩を踏み出せたんですよ。」
三郎は顔を上げ、二人を見つめる。
「……僕がしてきたことは、無駄じゃなかったんでしょうか。」
ベルトランはにっこり笑い、短く言った。
ベルトラン:「むしろ必要だった。お主の言葉は道を照らす灯火だ。ただ、灯火の先にどんな景色を描くかは――歩く者自身に委ねるのだ。」
三郎は静かに頷き、深く息を吸った。
「……僕も、もっと余白を信じてみます。」
ベルトランは満足げにうなずき、茶を飲み干した。
ベルトラン:「それでよい。地図は描ききるものではない。渡した後に広がる旅こそ、本当の物語だ。」
ワタまるが「ぽふっ」と鳴き、机の上をくるりと回った。
その小さな姿に、三郎は自然と笑みをこぼした。
カリス:「……やっぱり三郎さんは、よくやってますよ。」
三郎:「……ありがとうございます。」
和ら木はその日、柔らかな余白を抱えた静けさに包まれていた。




