第16話 --笑わない教師--
和ら木の夕方。
外は夕焼けが赤く広がり、店の窓を照らしていた。
三郎がカウンターを拭いていると、ふわりと光が舞う。
カリス:「三郎さん、今日は“とても厳しい方”をお連れしました!」
「……また厳しい方ですか。」
ちりん、とドアベルが鳴く。
入ってきたのは細身の女性。三十歳前後だろうか。
黒髪をきちんとまとめ、背筋をぴんと伸ばし、真剣そのものの表情をしていた。
カリス:「こちら、教師のセリナさんです。」
セリナは深々と頭を下げた。
セリナ:「……セリナと申します。失礼いたします。」
三郎も立ち上がり、誠実に頭を下げる。
「和ら木へようこそ。私は三郎です。どうぞ、こちらへ。」
席につき、お茶が注がれる。
湯気がふわりと立ちのぼるが、セリナは手を伸ばさず、すぐに言葉を口にした。
セリナ:「……私は教師です。生徒に勉強を教えるとき、絶対に笑わないようにしています。」
「笑わないように、ですか?」
セリナ:「はい。授業は真剣勝負。笑えば生徒は気を抜く。私は……彼らを甘やかすわけにはいきません。」
三郎は黙って相槌を打ち、お茶をひとくち飲んだ。
セリナ:「けれど、最近気づいたんです。私のクラスの子たち……休み時間や放課後は笑っているのに、私の授業中だけは俯いて黙っている。……それでも私は、“これでいい”と言い聞かせてきました。」
ワタまるが「ぽふっ」と鳴いて、ころんと机の上を転がる。
セリナはその姿に一瞬だけ目を奪われ、すぐに表情を引き締めた。
「……セリナさん。厳しさで守れることもあります。でも、笑顔でしか守れないものもあるんですよ。」
セリナの眉がぴくりと動いた。
セリナ:「……笑えば、生徒に軽く見られます。教師としての権威が崩れます。」
「では伺いますが、生徒さんたちは……笑わない先生を“信じている”ように見えますか?」
セリナは言葉を失い、唇を噛んだ。
「権威で縛れば、確かに言うことは聞くでしょう。でも、笑顔を失った子どもたちはどうなりますか? 勉強だけじゃなく、“心”まで黙らせてしまうんじゃないですか?」
セリナ:「……でも、私は……失敗したくないんです。笑って、授業が崩れてしまうのが怖いんです。」
「それだと生徒のためじゃなくて、セリナさん自身のためですね。」
セリナの目が大きく見開かれる。
セリナ:「……!」
三郎はゆっくり続けた。
「子どもに厳しいのは、彼らの未来を思ってのこと。でも、笑わないのは“先生として弱く見られたくない自分”を守るためになってるんじゃないでしょうか。」
セリナの喉が震え、手元のカップが小さく揺れた。
セリナ:「……私は……笑ったら壊れてしまうと思っていました。……そうやって今まで耐えてきたから。」
「壊れるのは笑った時じゃないです。笑えないまま抱え込んで、いつか心が折れてしまう、その時です。」
セリナは俯き、指先を握りしめた。
やがて、かすれた声でつぶやく。
セリナ:「……生徒たちの笑顔、見たいです。ほんとは、私も一緒に笑いたいんです……。」
三郎はそっと微笑んだ。
「それなら、今日からひとつでいい。授業の最後に“ありがとう”って笑って言ってあげてください。それだけで十分です。」
セリナの目に涙がにじんだ。
セリナ:「……そんな小さなことで……いいんでしょうか。」
「小さいからこそ、大きいんです。先生の一言で、子どもは一日中笑えることもありますから。」
セリナは両手で顔を覆い、肩を震わせた。
セリナ:「……私、怖がってただけなんですね……。」
ワタまるが「ぽふっ」と鳴いて、そっとセリナの膝に転がった。
セリナは目元をぬぐい、ようやく柔らかな笑みを浮かべた。
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数日後の和ら木。
ちりん、とドアベルが鳴き、セリナが生徒たちを数人連れて入ってきた。
生徒たち:「先生ー! ここでお茶飲めるんだね!」
セリナ:「うるさくしては駄目ですよ……。……ふふ、でも今日は特別です。」
セリナは頬を少し赤らめ、三郎に会釈した。
セリナ:「授業の終わりに“ありがとう”と言ってみたんです。……生徒たちが、ぱっと顔を上げて笑いました。」
子どもたちが笑い声をあげ、ワタまるを追いかけてころころ遊ぶ。
三郎はカップを磨きながら、目を細めた。
「それは……いいクラスになりますね。」
カリスがふわりと現れ、採点を告げる。
カリス:「今回のポイントは……“笑顔を許す勇気”+50ポイント!」
セリナは驚き、思わず笑ってしまった。
セリナ:「…フフフッ…あら、笑ってしまいましたわ。」
三郎はにっこり頷いた。
「それが一番、子どもたちに伝わるんですよ。」
笑い声と甘い香りに包まれて、和ら木は夕暮れを温かく照らしていた。




