第13話 --子供は何でも頑張っちゃう--
和ら木の夕方。
窓から差し込む光が赤みを帯びて、店内をやわらかく染めていた。
三郎がカップを磨いていると、ふわりと光が舞う。
カリス:「三郎さん、本日は……とても“真剣”な方をお連れしました。」
「真剣…ですか…?」
ちりん、とドアベルが鳴く。
入ってきたのは背筋の伸びた女性だった。三十代半ばほど。
きりりとした目つきで、座る前から口を開いた。
女性:「――私は、子どもを立派に育てなければならないんです。」
カリスはにこっと笑って席を示し「アメリアさんです。」と促した。
凛とした女性――アメリアは腰を下ろすと、両手を膝に置き、まっすぐ三郎を見た。
アメリア:「ピアノも、習字も、英語も。塾も通わせています。
毎日予定を詰めて、将来に備えているんです。」
「ずいぶんご熱心なんですね。」
アメリア:「当然です。遊んでばかりでは、社会に出てから苦労しますから。」
「……そうですか…、お子さん本人はどうなんでしょう?」
アメリアの眉がぴくりと動く。
アメリア:「“友達と遊びたい”なんて甘えを言います。でもそんな時間は無駄。
私は厳しく言いました。『今さえ我慢すれば、将来楽になるんだ』と。」
三郎はしばし黙り、ポットに視線を落とす。
湯気が静かに立ちのぼる。
「……将来のために、今の笑顔まで捨てるんですか。」
アメリア:「捨てるんじゃありません。投資です。
私の世代が苦労した分を、味わわせたくないんです。」
三郎はそっと微笑んだ。
「……投資ですか、時間はそうでしょうが、“笑顔”までですか?」
アメリアの視線が揺れる。
それでも姿勢を崩さず、紅茶のカップを持ったまま言葉を重ねた。
アメリア:「しつけをするのは当然ですわ。子どもは未来を自分の力で背負うのですから。甘やかしてはならないのです。」
三郎は静かに問いかけた。
「……その“ならない”って、誰のためにですか?」
アメリアの眉がぴくりと動いた。
アメリア:「もちろん、子どものためですわ。」
「じゃあ……子どもが笑顔を失っても、まだ“子どもため”って言えますか?」
アメリアはわずかに言葉を詰まらせる。すぐに視線をそらさず、反論した。
アメリア:「笑顔など一時のもの。人生は厳しい。幼いうちから耐える力をつけねば――」
「それ、アメリアさんがそう言われて育ったからじゃないですか?」
アメリアの指先が震え、カップの紅茶が小さく揺れた。
アメリア:「……っ、そうですわ。ええ、そうです!私も厳しく育てられました。でも、そのおかげで――」
「おかげで、ですか? それとも、今も苦しいですか?」
アメリア:「……!」
沈黙。
ワタまるが「ぽふっ」と鳴き少し甘い香りを纏いながら、机の上をころんと転がる。
その音に救われるように、アメリアは吐息をこぼした。
アメリア:「……ええ。苦しかったですわ。褒められた記憶は一度もない。努力しても、さらに上を求められる。……子どもの頃の私は、ずっと置き去りでした。」
三郎はカップを置き、じっと彼女を見つめた。
「……それで、自分の子どもには同じ思いをさせたくない、と?」
アメリアはかぶりを振る。目が潤んでいる。
アメリア:「違うのです。……気づけば、子どもに“完璧であれ”と求めていた…。あの頃の私と変わらないように。」
声は震え、胸に両手を当てた。
アメリア:「……これは、子どものためではなく……私が認められたいだけでした。」
三郎は息をつき、胸中で「少し意地悪を言いすぎたか」とつぶやく。
アメリアは視線を落とし、手の甲を握りしめたまま言葉を絞り出した。
アメリア:「……私、なんてことを……。」
三郎はやわらかく笑い、首を横に振った。
「なんてこともないですよ。子どもはね、アメリアさんに育てられて、ここまでちゃんと生きてこれたんです。だから、今日まで頑張って期待に応えてきたお子さんを、めちゃくちゃ褒めてあげてください。」
アメリアは目を瞬かせ、思わず聞き返した。
アメリア:「……褒める、ですか?」
三郎は力強く頷く。
「ええ。だってアメリアさんに認めてほしくて頑張ったんです。子どものころそうじゃなかったですか?そしてアメリアさん自身も自分の事同じくらい褒めてください。ここまで必死に子どものためを想ってやってきたんだから。」
アメリアの喉が震え、堪えきれずに声が漏れた。
アメリア:「……そんなふうに言ってもらえたの、初めてですわ。」
三郎は微笑んだ。
「“ちゃんとやれてきた”。それが事実です。いままでの想いは嘘じゃないですよ。これからの景色が違うだけで。今日からは小さな笑顔や、ほんの少しの努力を数えていけるはずです。」
アメリアは胸の奥の重石が外れたように、肩を落とす。
耳まで赤くし、涙をぬぐいながら、震える声でつぶやいた。
アメリア:「……あの子と、そして私自身を、認めてみます。今日から。」
三郎はゆっくりうなずいた。
「きっとそれが一番のご褒美ですよ。子どもにとっても、アメリアさんにとっても。」
アメリアはようやく安堵の笑みを浮かべた。
その笑顔は、ほんの少し子どものように見えた。
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数日後の和ら木。
ちりん、とドアベルが鳴き、アメリアと小さな娘が入ってきた。
今日は二人とも柔らかな笑顔を浮かべている。
アメリア:「三郎さん、今日もこの子、とっても頑張りましたのよ!」
娘:「えへへ……。」
アメリアは娘の頭をなでながら、目を細める。
アメリア:「宿題もきちんと済ませて……道で転んでも泣かずに立ち上がって……ほんとうに、えらい子ですわ。」
娘は少し照れながら三郎に視線を向ける。
三郎は優しく笑い、ティーカップを差し出した。
「えらかったですねぇ。……うん、よく頑張りました。」
娘は耳まで真っ赤になり、嬉しそうに笑った。
アメリアも満ち足りたようにうなずく。
カリスがくすっと笑い、三郎の横に腰を下ろした。
カリス:「……なんだか、すっかり“甘やかすお母さん”になりましたね。」
三郎は首を振り、少し真剣に言った。
「違いますよ。カリス様。甘やかすのと甘くするのは違うんです。
今日まで頑張った分、そして今日も頑張った分
をちゃんと褒めてあげるのは、“甘くする”ほうですから。」
カリスは目を丸くし、それからにっこり笑った。
カリス:「なるほど……やっぱり三郎さんは、いい先生ですね。」
三郎は少し照れくさそうに、カップを拭きながら小さく答えた。
「……僕もまだまだ、教わりながらですけどね。」
小さな声で「カリス様以外からね。」といたずらに笑った。
娘の笑い声と、アメリアの「よくできましたわ」という声が重なり、
和ら木は今日も甘く喜びに満ちた空気に包まれていた。




