第1話
俺は風呂に浸かりながら、また「高橋アイ」の姿を頭に浮かべていた。そうしてると心が気持ちいいから。体勢を変えるたびにぽちゃぽちゃと音を立てる湯の中で、彼女の後ろで縛った髪の毛や、引き締まったジーンズ、それからあの愛らしい丸顔に意識を集中させた。でも、この時いつも彼女の顔だけはうまく思い出せない気がする。キャンパス内ですれ違った時、自分がどれだけ恥ずかしがって視線を逸らしているかが分かる。そんな自分が嫌になる。だって、そのままじゃいつまで経っても「高橋アイ」には近づけないんだから。彼女とやりたいことがたくさんある。なのに、彼女とはまだ一度も顔を合わせて話したことがない。向こうはまだ俺のことを認識していないし、話した時お互いどんな感じになるのか分からない。頭の中ではもう何度も「会ってる」けど。勝手に憧れてるだけだ。アイさんのあの大人びた物腰、喋り方……顔はおっとりして柔らかそうに見えるのに、いつも見る洋服は持前の長身が際立つような凛と引き締まった、クールなものばかりだ。そのコントラストが風呂の湯の温かさよりも俺の頭の中をのぼせたようにさせる。
風呂から上がり、体をタオルで拭く。室内ではあるけれど、もうすっかり肌寒くなってきた。11月の秋。早くしなきゃ。なぜかそんな押し寄せるような感じ。気温の変化が俺の妄想に心地よい衝撃を与えた。夜。渋谷駅前。待ち合わせ場所で顔を見合わせる、俺とアイさん。それと、おしゃれなレストラン。暖かな照明。楽しそうに俺を見返すアイさん。二つのイメージが同時に現われた。その時のアイさんの可愛い顔、素敵な洋服、肌から香ってくる色気……風呂に入ってぽかぽかとしているからなのか……おそらくどちらともだと思うけど、突如、指先からつま先まで気力が漲ってきて生き生きとし始めた。下半身の一か所は特に。
お互い3時限目のゼミで今日は終わりだったから、俺は同じゼミ生の梅澤ミズキに誘われるままキャンパス内の国際交流館に立ち寄った。ミズキはここに外国人の友達がおり、よく講義終わりに来るらしい。俺は日本人相手でも初めての人は緊張するのに、海外の人はより一層ぎこちなくなるから、出来れば来たくなかった。
でも、建物に入ってすぐにその考えは変わった。高橋アイさんが扉を開けて廊下を歩いていく姿が見えた。俺はあまりに予想外のことで心臓が飛び上がった。普段キャンパスの外を歩いているときに遠くから見かけることが多いから、室内だし距離も近いしで、驚いた。
ミズキは彼女に気づいていないようだった。俺は昨夜の溜め込んだ熱気が今この瞬間に噴出するようだった。
「なぁミズキ、あれって同じ学科の高橋さんだよな?」
「ああ。そうだよ。ナオキ、高橋さんと知り合い?」
「いや……ただ、知ってるってだけ……」
「ふーん」
「え?」
「高橋さん好きなの?」
「え!? いや、そういうわけじゃ……というか、まぁ。うん、魅力的な人だなーとは思うけど……」
「話しかけに行く?」
「ちょ! マジ!? 待って! そんな、急に!」
「好きなんだろ。顔にはっきり出てるぞ。俺、ここに来た時たまに高橋さんと話すから」
「えーーーー。ちょっと、心の準備が。マ、ジ、で???」
「高橋さん」
「あ、梅澤くん」
「今日デイヴィッドいないんだね」
「そう、リサとウェンディもいないよ。なんかみんなでパーティに行くらしい」
「あ、そうだったんだ。ところで、こちら、顔見かけたことあるかな、同じ学科の安藤ナオキ」
「うん、見かけたことあるよ。はじめまして。よく梅澤くんと一緒にいるよね」
「あ、はい……。僕も高橋さん、たまに、見かけます……」
「ナオキは高橋さんのこと気になってるみたい」
「!!??」
「え? そうなのー? 嬉しいなぁ」
「......!!」
「高橋さんは今彼氏いるの?」
「いないよー」
「お! よかったじゃん。チャンスじゃん! こんな完璧な人なかなかいないぞ。いけいけ!」
「え...。あ、あのー......。今までキャンパス内とか講義とかで何回か見かけて、そのたびに本当に、素敵な人だなって思ってました。今までずっと憧れてました。ずっと話したいって思ってました。もしよければなんですけど、美味しいイタリアンのお店知ってるんで、今度一緒にご飯でも行きませんか?」