#1 合図よし進行!
「……以上が、私の立案した『DNR(大日本鉄道)7社統合および公営化推進プログラム』の骨子です」
溜池の一角に構える、元祖ロビイング企業「東亜政経研究舎」のミーティングルームは静まり返っていた。私の声が震えていたのが自分でもわかる。窓の外は都心の喧騒を映す鏡みたいだ。私はそんな窓辺から一番遠い壇上に立っていた。内向きな性格だが、人前での発言は苦ではない。苦手なのは、会話と人間関係の構築だ。
「……真理ちゃん、出雲崎真理さん」
柔らかい声が私の名を呼んだ。視線を上げると、象潟幸恵先輩が穏やかな微笑みを浮かべていた。32歳とは思えないほど肌艶が良くて、いつもふわっといい香りがする。
「いやぁ……すごいものですねぇ。まるでSF小説みたい」
幸恵先輩が軽やかに笑う。彼女の手にはいつも通りのコーヒーカップがあった。
「DNR7社が再び一つに……しかも各都道府県が資金出してホールディングスなんて……誰も考えつかなかった」
「そうなんですよ!」
真理が食いついた。
「現在の分断状態こそが諸悪の根源なんです。運賃制度も直通運転もバラバラ。これじゃ乗客も納得しない!」
「でもねぇ……」
隣席の中年アナリストが首をひねる。
「国鉄解体時の『地域密着』の理念はどうなるんです?各地域の独自性は?」
「それこそが誤謬でした!」
真理はテーブルを叩きそうになった。
「独立採算なんて机上の空論!例えば、DNR東日本は、東北地方の在来線をおざなりにして、首都圏と新幹線に投資を偏らせています。分割すれば地域密着になるなんて、ただの幻想でした。でも、沿線自治体が株式の過半数を抑える仕組みができれば…」
突然、低い笑い声が響いた。振り返ると、入口に背の高い影が立っていた。
「面白い考え方だな、真理君」
創業者の奈良井健三社長だった。シルバーグレーの髪が鋭角的に撫でつけられ、切れ長の目が光る。
「社長……!?」全員が立ち上がった。
「聞かせてもらったよ。だが問題点は多い」
奈良井が真理を指差した。
「特に『各県からの出資』……地元議会をどう説得する?『おらが県の金で他県の鉄道を助けるのか』と言われるのがオチだ」
「それが……」
真理が言葉に詰まった。
「しかし」
奈良井が不意に微笑んだ。
「君の情熱は素晴らしい。どうだ?正式なプロジェクトとしてやってみないか?」
「本当ですか!?」
「ただし条件がある」
社長が周囲を見渡した。
「会社の全面的な支援を得られるか否か……それは今から決める」
彼が片手を挙げると、壁面の巨大スクリーンが点灯した。重要な意思決定は全社員の秘密投票で決める。それがうちのやり方だ。
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【緊急投票】東亜政経社内案第774号
* 真理案をプロジェクト化し、予算配分(A案)
* 現在進行中の案件優先(B案)
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「賛成多数で即実施」
奈良井の声が冷たく響く。
「もし否決なら……この案は忘れたまえ」
真理の喉が鳴った。会場の空気が変わる。社員たちの視線が突き刺さる。
(負けたら……)
幸恵先輩がそっと彼女の手を握った。
「真理ちゃん……あなたの想いは本物よ」
震える指が『A案』ボタンに触れる。会議室の空気が張り詰めた。
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投票結果発表前にトイレに駆け込んだ真理は、洗面台で必死に深呼吸していた。鏡に映る自分の顔は真っ青だ。
「やっぱり無謀だったかも……」
背後でドアが開く音がした。開けると、廊下には椿山一姫君が立っていた。
「出雲崎さん……大丈夫ですか?」
化粧水の甘い香りが漂う。椿山は男性ながら、華奢な中性的ルックスが特徴の、いわゆる男の娘だ。社長室付き秘書一筋3年目の彼は、接待スキルも抜群で、社内のオジサマ達は「東亜の姫」と呼ぶ。でも、どこか無理をしているように見えるのは、私だけではないと思う。
考えてみれば、この会社で若手と呼べるのは、椿山君と私と幸恵先輩の3人だけかもしれない。うちの会社は中途採用が中心で、新卒入社は創業以来この3人だけだと聞く。女性枠(?)も、全社員50人の中で、恐らくたった3人。もっとも、私と幸恵先輩は、異性に無頓着すぎて、女性枠として認識されているかどうかも怪しいくらいだが……
「椿山くん……?どうしてここに?」
「僕も投票する側ですから。それに……」
彼が小さな箱を取り出した。
「奈良井社長からこれを預かってきました」
箱を開けると中身は—DNR7社の株主優待券セットだった。
「これは……社長が?」
「『真理君が勝ったらプレゼントしようと思っている』そうです。社長がこんなことするなんて珍しい」
「でも……まだ結果が出る前なのに」
「社長はもう予測してるんですよ」
椿山が小さく笑う。
「『このプランは絶対に実現する』って」
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「結果発表だ」奈良井社長が重々しく告げた。「賛成27票、反対23票……君の案が可決された」
真理は息を呑んだ。
「本当ですか?」
「ああ。そして……」
社長がニヤリとした。
「君一人では到底無理だろう?協力してくれる他の社員と、チームを作った方が良い」
「チーム……?」
すると、社員の中から2つの手が挙がった。
「つ…椿山です!私、この班に加わってもよろしいでしょうか?」
控えめに手を挙げる椿山に、オジサマ達の視線は一挙に集まる。人前であえて遠慮気味に発言する辺りに、彼のあざとさが垣間見える。
「象潟で〜す♪財務と法務面の調整は任せて〜」
真理の目に涙が滲んだ。
「2人とも、ありがとうございます……!」
「それと」
奈良井が声を落とした。
「1つ忠告しておく。このプランには裏がある」
「裏……?」
「既存の利権構造を根本から覆す可能性があるということだ。特に鉄道族議員……彼らは猛烈な抵抗を見せるだろう」
窓越しに、夕焼けに染まる霞が関のビル群が見えた。真理の心にも、これから立ち向かうべき巨大な壁がぼんやりと浮かび上がった。
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「それで、プロジェクト名はどうするの〜?」
幸恵先輩がソファに寝転がりながら尋ねた。
ここは東亜政経研究舎の地下にある休憩室。壁一面に書かれた「鉄道再統合プロジェクト」の張り紙の前で、真理は資料を広げていた。
「『DNR(大日本鉄道)ホールディングス計画』です」
「長いわね〜。略して『DNRH』とか?」
「それもいいですが……」
真理が眉をひそめる。
「『ホールディングス』では一般受けが悪い気がします。もっと親しみやすい名前を……」
「ならこうしましょう」
椿山がペンを走らせた。
「『日本の鉄道がバラバラになって消滅しかけたので、もう一度ふたりで繋げてみました』計画!」
真理と幸恵が同時に吹き出した。
「椿山くん、ラノベのタイトルじゃないんだからさ……それに『ふたり』って、誰と誰?」
「いいじゃないの〜♪略して『にち(日)もう!』ね」
幸恵がパチッと指を鳴らした。こうして、「にちもう!」計画は船出となった。