第八話:【存在理由】
貴族たちは、すでにそのほとんどが逃げ去るか、屍となって横たわっていた。
山賊たちは、新たな俺の主人——レティシア・ヴェルメイユを取り囲んでいる。
俺は、茂みの中を這うように進み、草陰に身を潜めた。
そこから、山賊の包囲網が見渡せる。
——彼女は、槍を構えたまま、山賊たちと睨み合いを続けていた。
レティの足元には山賊の屍が数体、横たわっている。
山賊は不用意にレティには近づけないようだ。
俺は息を整え、周囲の様子を見極めながら、一歩ずつ静かに前へ進む。
途中、逃げ出した傭兵のひとりが落としていった盾が草に埋もれていた。
それを拾い上げ、左腕に装着する。
もともと借り物の装備だ。
それでも、俺の体には不思議としっくりきた。
そして、俺は姿勢を正し、息を深く吸い込む。
喉の奥で、あの声を作る。
草の匂いと鉄の味を鼻の奥で感じながら、俺は声を吐いた。
喉の奥から、獣のような不協和音。
「グゥゥゥッ……」
かつて、モンスター狩りの囮として使ったこの声は、
人間相手にも有効なのか。
山賊たちの笑い声が止まったり、次第にざわめきが広がり始めた。
「……今の声、なんだ?」
「後ろからか? いや、近いぞ……」
再び、唸り声を重ねる。
それは人間には出せないはずの、不快な響き。
剣が半端に抜かれたまま、動けない山賊たちの顔が、ざわざわと濁った空気を作る。
ざわめきは警戒へと変わり、ついに俺の存在が露わになる。
「てめぇ……誰だ」
振り向いた山賊のひとりが、俺を見た瞬間に足をすくませた。
「生きてんのか……こいつ……?」
その視線には、驚きと、何か言葉にできない違和感が混ざっていた。
彼らが俺を奴隷と呼ばなかったのは、おそらくこの服装のせいだ。
先ほど川で体を洗ったあとに着替えたのは、貴族から支給された簡素な詰襟の礼服。
戦場に不釣り合いだが、布も縫製も安物ではない。
盾を構えたその姿は、下級とはいえ貴族の従者にも見えただろう。
「やっちまえ! 下級貴族だろうが関係ねぇ!」
誰かが叫び、剣を抜いて突進してくる。
俺はただ、盾を前に出す。
まるで、それが日常であるかのように。
ギンッ!
衝撃は肩を抜けたが、体は揺れなかった。
山賊の腕が痙攣していた。
「……な、なんだコイツ!」
その一撃だけで、周囲の意識がすべて俺に集まった。
気づけば、誰ひとりレティに手を出していない。
“どう処理するか”——
それが、今この場の焦点となった。
俺は武器を構えず、攻撃もせず、ただ立ち尽くしていた。
レティは、俺を一瞥し、ふっと笑う
「……ほんと、便利ね、クロード」
やがて刃が交錯し、俺は膝をつく。
盾は外れ、左腕は動かず、呼吸するたびに肋骨が軋む。
それでも視線は、俺に注がれ続けていた。
「……なんだ、あいつ」
「まだ生きてるぞ」
「くそ、立てんのか!?」
俺を囲む山賊たちは、完全にレティから意識を切り離していた。
(……なんでだよ)
理解できなかった。
ただそこにいた。それだけだ。
今はもう、立てすらしないのに。
(……なんなんだよ、俺)
それが“スキル”なのか、“呪い”なのかは知らない。
だが、誰かの逃げ道を作れたのなら——
それでいい。
「お嬢様! 今です!」
貴族のひとりがレティの腕を掴み、火の中を走り抜ける。
レティは一度だけ振り返り、俺と目を合わせた。
「ふぅん……“まだ”死なないのね」
そう言って、子供のような笑みを浮かべる。
そして、炎の向こうへと消えていった。
——ああ、そうか。
これが“終わり”か。
役割を果たせば、捨てられる。
いつも通りだ。
「貴族の従者か? それとも……」
「服はまともだし、使えるな」
「連れてけ。尋問すりゃ何か吐くだろ」
遠くでそんな声がする。
山賊連中のそんな声が聞こえてくる・・・・俺の服を見て言ってんのか?あいつらの判断基準はそこかよ。
燃えた空の向こうに、レティの姿は消えた。
抵抗する理由も——もう、なくなった。