片想いの彼と、初めてのごはん④
先にドリンクがきて
2人で乾杯をする。
私はシャンパンの入ったグラスを
彼よりも下げようとするけれど
彼はもっと下げてくるから
観念してグラス同士を合わせる。
“おつかれさまです”
そのひと言が
こんなにも私のなかで
反芻した日が
これまでにあっただろうか?
取るに足らない
ひとつひとつを
何ひとつとして
無駄にしたくなくて
丁寧に丁寧に
私は感じ続けた。
彼が動くたびに
ふわっとかおる
甘いような
爽やかなような
そんな香水のかおり。
駅で会った瞬間にも
同じように香ったことを
そこでハッと思い出す。
きつくなく
ときどき感じるように
きっと少しだけ
ふりかけている。
ジムでは一度も
彼から香水のかおりを
感じたことはないから
普段お出かけのときに
つけているんだろうなぁと
そう考えて
にっこりとする。
彼の中で
今日の“ごはんに行く”は
香水をつけるお出かけなのだ!
と思った途端に
今度はニヤニヤしてくる。
今のこの時間を
彼はどう思っているのだろうか?
“デート”だと思っているかな。
なんて考えてから
まぁそれはいいか!
とストップした。
彼とはいろんな話をした。
そのほとんどは
ビックトークとは
決して言えない
“天気がいいですね”
のようなことだった気もする。
でもそれは同時に
私にとって
“月が綺麗ですね”
と同じくらいの
尊さと愛おしさを
秘めていた。
彼はトマトだけは
どうしても受け入れられない
と真顔で言う。
私は“知ってる”と
心の中で思う。
トレーニング中に
何度も聞いたことのある
好き嫌いの話。
トマトのどこが
そんなに嫌いなの?
と訊くと
全部です!
と言う彼。
私がトマトだったら
生きていけんな。
と思うけど
それは口にしなかった。
トマトの匂いもダメだとか
福島の焼き鳥屋によく行くとか
そこのもやしが真っ黒だとか
仲良しのお友だちの話とか
テキーラ飲むゲームでズルするとか
ほんと何話したんだろう?
と思うくらい
他愛のないことばかり。
あぁなんてくだらない話で
あぁなんて楽しいのだろう?
私はどうしてこんなにも
ずっと笑っているのだろう?
ここ数年
本音で話す大切さを
身に染みるほど
感じていて
夢を語ったり
未来を描いたり
目標を立てたり
過去を癒したり
私はどうしたいのか?
そればかりを
追い求めてきて
本音ではないものを
切り捨てるように
走ってきたのに。
今このとき
この瞬間には
すべてが関係なくて
すべてが大切で
すべてがまっさらで
すべてが真実になる。
なんて不思議なのだろう。
なんて心地いいのだろう。
彼のはにかんだ笑顔も
ときどき吹き出す笑顔も
淡々と話す横顔も
そのどれもすべてが
愛おしくて
大好きすぎて
私はもう何もいらない
そう何度も思っていた。
話す内容は
本当は関係なかったと
今ならわかる。
大好きな彼がいて
大好きな彼が笑っていて
その隣にいられること。
それがすべて。
ここにいる
2人をつつむ空気が
私とって
なによりも大切で
なによりも愛おしかった。
⑤へつづく。