明日ファルト
アスファルトは詩的。
アスファルトでぬりかためた道は
どこから どこへと つづいてるのかって
たずねられたら
今日から 明日へと ってこたえるけども
日があければ 明日のはずのいちにちが
あたらしい今日になってて
「はぁい♡
いまあたしは 明日にいます」なんて
手を振ることができないのがもどかしい
まっくろで肌荒れしたアスファルトも
今日フォルトのまま
ころんですりむいた だれかのひざに
赤い血をにじませるいぢわるをやめて
クッションのようにやわらかく
ころんだひざをうけとめてやれる
明日ファルトになれる日なんか
きっと やっては来ないだろう
だったら
今日のじぶんとはちがう
明日のじぶんを待ったりしないで
今日のじぶんを ちがうじぶんに変えてみようよ
カスタードクリームを包みこむ
ワッフルみたいなやさしさも
へし折れたみずからをまた削りあげて
何度でも するどさをとりもどす
鉛筆みたいな強さも
ドーナツのわっかのむこうに
世界を見とおすかしこさも
アゲハチョウの翅ごしの太陽に
ステンドグラスへさしこむ光をみつける
こまやかさも
明日に受け取り予定で
コンビニに配送をたのむんじゃなくて
今日のじぶんが手に入れるために
うでをのばして 汗を流して
眉間にしわを寄せながらも
にかって笑おう
そしたら
今日のあたしと 明日のあたしが
たとえ同一人物だって
そこに失望はないはずだから
そんでもって
明日も 明後日も 変わらずに
まっくろで肌荒れした
今日フォルトのいぢわるにだって
あたしは負けたりなんかしない
ころんですりむいたひざを
赤い血でにじませながら 歩いてゆこう
ことばの響きも好き。