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完全無欠の一太子様にも、悩みはいろいろあるらしい


「ふむ…」


 台座に乗せられた斧を、トールは一瞥した。


 「なまくら、だな」


 分類としては、長柄の大斧になるだろう。しかし、それにしては柄が短い。

 斧は、他の武器と比較しても「叩き斬る」要素の強い武器だ。刃は重く分厚く、それを狙った通りに振り回すことで、最大限の威力を発揮する。その為、柄は刃と対合う長さにならなくてはならない。


 しかし、台座に恭しく乗せられた斧は、刃の部分がやけに誇張した大きさと分厚さになっており、柄は通常の長柄斧の三分の二ほどしかなかった。これでは、刃の重さで存分に振り回すことが出来ない。


 「…」


 トールの双眸が捉えたのは、斧の欠陥だけではなかった。

 その柄のあちらこちらが、黒く変色している。

 柄は青梻アオダモで出来ているようだが、そのうっすらと緑色を帯びた木目にこびりついた汚れが何であるか、察しはすぐについた。


 人の血。あるいは、肉。


 武器も持たずにこの場所に追いやられた犠牲者は、必死にこの欠陥品でしかない斧を手に取ろうとしたのだろう。

 だが、結果としてそれは自ら重りを背負いこみ、動きを妨げる行為にしかならない。

 それでも、追い詰められた犠牲者の目には、生き残るための唯一の希望に見えた。だから、重たいだけの欠陥品を持ち上げ、振るおうとし。


 そして、持ったまま…殺された。


 「…」


 トールの視線が貫くのは、奥に立つ二体の彫像。

 大きさは、成人男性の倍ほどか。黒い石で造られ、人を模したものなのは間違いないが、関節は全てただの球体であり、その他はただの棒や筒だ。掌や脚は造られているが、指はない。

 そして何より不快感を増しているのは、顔に被せられた、満面の笑みを浮かべる面。トールから向かって右が赤い面、左が青い面をつけている。

 

 趣味の悪い置物だ。まして、粘つくような魔力を内包しているのであれば、なおさらに。


 「石起動兵ゴーレムか」

 

 百年前、アスラン西部にあった国、カリフタン王国。

 五代大王ジルチに滅ぼされたその国は、魔導師至上主義を掲げる国だった。現在のアスランの魔導具の多くも、この国の研究や技術を基にしているほどに。

 石起動兵はその粋とも言えるものであり、同時にカリフタン王国があっけなく敗れ去る原因となった魔導具だ。


 『若きヤルクトの戦士よ!この試合の規則を説明しよう!』


 よくもまあ、こんな骨董品を…と呆れるトールの頭上より、声が撒き散らされる。

 どこかに拡声の魔導具があるのだろう。探そうと思えば簡単だが、わざわざ見つけて壊すほど、手間をかける必要もあるまい。

 この屋敷の主人である男の声ではない。もっと張りのある声だ。


 『君の正面に扉があり、試合開始と共に一本ずつ灯される!』


 確かに、トールが押し込まれた扉とこの広間を挟んで向かい側にも、仰々しい扉がった。

 両開きの扉左右に三本ずつ、確かに蝋燭がたてられている。扉の仰々しい彫刻の一部は、燭台になっているようだ。


 『全ての蠟燭が燃え尽きれば扉が開き、そこから外に出られれば君の勝ちだ!健闘を祈る!』


 声の残響が消える前に、蝋燭が一本、火を灯した。『発火』の魔導が掛けられているのだろう。説明を信じるならば、一定時間で次々に灯るはずだが。


 「…まあ、いい。悠長に蝋燭が点って消えるのを待つ気はない。俺はそれなりに忙しいのだからな」


 首巻を外し、丁寧に畳んで斧の台座に置く。邪魔にはならないが、汚れたり破けたら嫌だ。何せ、母が弟の分と色違いで買ってきてくれた品である。せっかくのお揃いを台無しにしたくない。


 そして、斧の柄に手を伸ばし、掴む。


 「許せ、とは言わぬ。我が民たちよ。其方らが非業の死を遂げた事、俺の力不足が原因でもある。あのような下種を、放置していたのだから」


 ぶん、と空気が割れた。

 トールの振り回した「なまくら」は、鈍い鋼色の軌跡を宙に描く。


 「其方らの無念。このなまくらに乗せて…せめてもの、手向けとしよう」


 トールの声が聞こえたわけではないだろうが、その視線の先で。

 石起動兵の面…その目に当たる部分が、光りだす。


 「ほう…憑依型か」


 かつて、カリフタン王国では石起動兵を生産し、使役していた。

 しかし、石起動兵は無機物に仮初の生命を吹き込むという、高度な魔導を必要とするにも関わらず、あまりにも使えない代物だった。

 命令も非常に簡単なものにしなければ動くことが出来ず、単純作業にしか使用できない。

 

 その欠点を克服したのが、魔導士が意識を乗り移らせて動かす「憑依型」の石起動兵だ。

 動かしているのは魔導士の為、臨機応変な行動が可能であり、複雑な命令もこなすことが出来る。

 この憑依型石起動兵の発明により、カリフタン王国は『不落の国』の名を欲しいままにした。

 

 憑依型石起動兵は魔装兵ヨッセルと呼ばれ、隊列を組んで闊歩する魔装兵軍団に、戦場は支配された。

 矢も剣も槍も斧も、石で造られた魔導で補強された装甲に傷一つつけることはできず、そのまま本陣を攻め落とされる。

 魔装兵を躱したとしても、カリフタンの戦闘魔導士団による強力な魔導の攻撃は熾烈だ。そして、こちらを突こうとすれば魔装兵が庇い、隙を作らせない。


 しかし、その無敗の戦術も五代大王ジルチ率いるアスラン軍に敗れ去った。

 その玄孫たるトールが、たった二体の魔装兵に怯えるはずもなく。


 斧を無造作に肩に担ぎ、悠然と構えるその姿に、拡大された声は一瞬詰まったようだ。不自然な沈黙と、息を呑む音が僅かに聞こえた。


 『…さ、さあ、石起動兵ゴーレムが動きまーす!本日も操縦するのは双子の魔導師、グルリチとダルリチ!試合が終わったらご挨拶させていただきますので、皆さま、褒美を!』


 しかし、気を取り直したらしい。再び大きく声が撒き散らされる。二階の硝子張りの向こうで見ている観客から、野次が飛んだのかもしれない。

 下からは、魔導燈の灯りが邪魔をしてどんな連中がいるのかは見えない。そしてトールも見ようとはしなかった。見たところで不愉快な面が並んでいるだけだしな、と独り言つ。


 石起動兵は、くるりと回って一礼した。トールにではない。観客に向けてだ。

 この「試合」と呼ぶのも悍ましい虐殺劇が石起動兵の勝利で終わることを、見ている人間のうちの一人でさえも、疑っていないのだろう。


 しろが気に病んでなければよいが、とそれだけ気にかかる。

 トールと付き合いの長い部下たちは、もし見ていたとしても抱く感想はせいぜい「もったいない」程度である。動く程に状態のいい魔装兵は、ほとんど現存していないのだ。

 

 「なるべく無傷にしておけば、ゴルダあたりが喜ぶか…。生き物ではないから、弟は多少珍しがる程度であろうが…」


 魔装兵は、おそらくわざと緩慢な動作でトールに向き直った。

 両手を大きく上げ、そして。


 走る。


 「…ほう」


 その速度は、人が走る速度よりやや遅い程度だ。重い石造りで、瞬発力を産む筋肉もない事を考えれば、十分すぎるほど早い。

 

 「『軽量化』も施してあるのか」


 それでも、その重力を片足一点に乗せて踏み込めば、床がいくら石造りとは言え、減り込んで破損する。しかし、がつがつと重い音を立てながらも、床が重みに耐えかねた様子はない。

 起動した際に、『軽量化』の魔導も発動しているのだろう。


 だが、いくら軽量化していようと、石の塊に殴られれば人など簡単に潰れる。

 黒い床の色に紛れてはいるが、あちらこちらにここに連れてこられた犠牲者達の名残がへばりついていた。


 「まったく。憑依などと言う中々高度な魔導を使えるのならば、相対しているものの魔力も多少は測れように」


 空気が唸る。

 赤面の魔装兵が、腰を中心に回転するように、その指のない掌を振り回した。


 トールの首巻が台座から吹き飛ばされ、床に落ちて滑っていく。

 当てる気のない、脅しだ。掌はトールの頭上すれすれを通り過ぎ、その心胆を冷やした…はずだった。


 「遅い」


 魔装兵を操る魔導士にも、観客の誰にも、そのトールの動きを捉えることはできなかった。

 唯一。窓硝子に押し付けられたしろだけが、辛うじて、見ていた。


 魔装兵の攻撃が始まる、ほんの一瞬前。

 トールは軽やかに。

 超重量の斧など持っていると考えられないほどに、駆ける。


 跳躍寸前の疾走は数歩で終わり。

 トールの姿は魔装兵の背後に現れていた。


 激突寸前での側面への回り込みと、その勢いのまま更に舞のように背後へと。

 赤面の魔装兵からしてみれば、忽然とトールの姿が消えたように見えただろう。


 赤面の腕が振り回されると、ほぼ同時。

 腰を捻り、右手で持っていた斧に左手も添えて。

 トールの全身が、斧を振りぬく。


 響く鋼の咆哮。

 血の代わりに飛び散る金の火花。


 「これにて、些少の手向けとなったろうか」


 トールは既に、柄が半ばへし折れた斧を手放し、距離をとっている。

 斧は魔装兵の腰を穿ち、めりこんでいた。いかになまくらと言えど、鋼の塊だ。

 しかるべき技量と力を込めて振りぬけば、防護魔導も石の身体も完全に防げるものではない。


 「しかし、やはりなまくらだな。俺の大斧なら、両断できていた」


 手を軽く振るのは、衝撃を完全には逃がせなかった為だ。しかし、継戦に何ら影響もない。じんじんして不快なだけである。


 それは、本来なら石起動兵もそうだろう。

 石の身体には痛覚はなく、流れ零れる血も肉も内臓もない。完全に破壊するか、核を取り出すまで止まらないのが、石起動兵の厄介な特性なのだから。


 だが、それはあくまで、「石起動兵(ゴーレム)ならば」である。


 赤面の魔装兵は、大きく震えて動かなくなった。青面の魔装兵が、慌てふためいた様子でその肩を許すと、そのまま横倒しに倒れる。


 「完全に意識を乗り移らせておるゆえ、片割れの様子を見ることが出来ぬのか。ならば、教えてやろう。石起動兵は腰に斧を打ち込まれた程度では止まらぬだろうよ。しかしな。人間はそうではない」


 トールにも、当然見ることはできない。

 しかし、理解し(わかっ)ていた。


 赤面を動かしていた魔導師が、昏倒し、おそらく絶命したことを。


 「憑依すれば、魔導士と魔導具は同調する。それゆえ、魔導具が受けた傷や衝撃は、魔導士にとっては『己が受けたもの』として感じられるのだ。だから、憑依術を使う魔導師が最も気をつけなければならないことは、決して攻撃を受けぬことよ。覚えておけ」


 腰に斧を打ち込まれて、死なない人間はいない。


 肉が裂け、腰骨が砕け、内臓が潰される感覚。

 それはあくまで、『感覚』であって現実ではない。しかし、それは幻でもないのだ。意識はそれを『現実』と受け取り、肉体へ伝える。

 強靭な精神力の持ち主や、もっと熟練の憑依術の使い手ならば、耐えきるか、肉体に影響が出る前に術を解いて逃げただろう。

 しかし、赤面の魔装兵を操る魔導士は、そのどちらでもなかったらしい。


 百年前。

 『不落』であったカリフタン王国がアスランに敗北し、魔装兵と言う存在が現在のアスランで研究されていない理由。それが、この感覚の共有という欠点だ。


 矢も槍も剣も斧も、確かに魔装兵には通じない。

 しかし、長らく続いた『不落』の時代は、魔装兵を動かす魔導士から経験を奪った。


 軽騎兵のアスラン軍を追い回し、魔導師団から引き離された魔装兵は、まるで羊を集めるように一ヶ所に集められ…そこに投石器での集中砲撃を浴びせられた。

 投石機は、城壁を打ち砕くための兵器だ。一抱え以上もある石…それはカリフタンの前に落とされた国の元城壁であったり、王城であったりした…は雨のように降りそそぎ、魔装兵の石造りの身体を粉砕した。


 ほどなくして陥落したカリフタン王城の一室からは、眼球が帯び出るほどに目を見開き、口を歪めた大量の魔導師の死体が発見された…とアスラン史書には記載されている。


 『…っ…は…』


 拡散される声は、既に言葉ではなく、荒い息遣いだけになっている。

 信じられないものを見た時、人は大抵、息をするくらいしかできなくなるものだ。


 残る青面は、さて。どう動くか。


 相方の死に激昂して襲い掛かってくるか、それともトールを「敵わない敵」と認めて逃げるか。

 逃げるか、投降するならば、その後の処遇は…と考えたトールだったが、青面の動きに首を振る。


 そのどちらも、選ぶ気はないようだ。


 青面は天井を仰いだ。魔装兵の肩が震える。

 だがそれは、相方の死を嘆いているのではない。


 笑っている。

 

 もともと、面は笑いの形をしていた。しかし、今は、その造られた表情だけでなく、身体全体で笑っている。


 その動きが収まると、青面の魔装兵の笑い顔はトールへと向けられた。

 次の瞬間、魔装兵の足は床にひびを入れながら勢いよく巨体を押し出す。


 「…」


 腕を振るうのは、赤面と同じ。しかし、風を切る音が違う。

 その違うを生むのは速度と…そして、青面の本来なら指である部分。

 魔導燈の光を浴びて、ぎらりと光る。


 避けるトールに追いすがるように、矢継ぎ早に繰り出されるのは斬撃。

 赤面の手が棍棒であったのならば、青面の掌は文字通りの手刀。


 重く、早く、そして人間の倍ほどもある間合い。

 しかも、避けるトールを明確に青面は部屋の隅へと追いやろうと動いていた。


 「成程。それなりの戦士でもあるようだな」


 右を避ければ左、左を躱せば右。

 行きつく暇もなく繰り出される斬撃は、トールの選択肢を奪う。懐に飛び込もうにも、その隙を作らせるつもりはないようだ。


 人間ならば、これほどの連続攻撃は長く保てない。息が上がり、呼吸が乱れ、腕が足が、動きを鈍らせる。

 しかし、石起動兵には体力と言うものがない。魔力切れを起こせば停止するが、動かしている魔力は憑依している魔導士からではなく、埋め込まれた魔晶石から得ているだろう。何せ、質の違う魔力が二つ検知できる。

 となると、魔力切れは当分ない。意外なことに、一度起動してしまえば、石起動兵の消費魔力は微々たるものなのだ。


 「まあ、しかし…だ」


 それでも、動かしているのが人間ならば。

 必ず、何処かにほころびが生じる。


 トールをほぼ壁際に追い詰め、青面は両腕を振り上げた。

 凄まじい速度での振り下ろし。トールは知る由もないが、見物席に歓声があがる。


 だが、その大振りの一撃を、トールは待っていた。

 飛び込むように床を転がり、石の手刀を掻い潜る。

 

 青面の背後に転がり出て、その勢いを殺さないまま距離をとった。

 苛つくように振り向いた青面の目に、その姿がどう映っていたのか。それもまた、トールが知る由もない。 


 転がった拍子に帽子は外れ、朝日の色の髪があふれ出る。

 だが、それよりもきっと、青面は宙に描かれた陣を見ていただろう。魔導師ならば。


 召喚陣。彼方にあるものを、此方へと引き寄せる魔導。

 青く輝く陣の意味、青面が理解できていたかどうか。


 陣から湧き出るように現れたのは、一振りの刀。

 それをトールは掴み、一息に鞘から引き抜いた。


 切先から柄頭までは、ゆうに2シヤク(約1メートル)を超える。しかし、幅は長さと比べて明らかに細い。それゆえに、華奢な印象すら与えた。

 その細身の刀身には淡く揺らめくような刃紋が浮き、魔導燈の白々しい光にすら淑やかに煌めく。


 柄にも、鍔にも、刀身にも、装飾は一切ない。

 ただ、その白く濡れたように佇む刀身は、美の到達点のひとつ。


 この美に余計な飾りは一切要らぬと、刀鍛冶の意志が聞こえてくるような至高。

 いや、ただ無心に天下の名刀を鍛え上げたら、比類なく美しいものだった。そういう美とも言えた。

 

 言葉すら忘れ、視線を逸らすことも許されず、この戦いを見ていた者たちの何人かの脳裏には、決してありえない名が浮かんでいたかも知れない。

 

 『アスランの雷神』が振るう、白刃の名が。

 いや、朝日の髪を煌めかせ、麗しいとすら表現できる刀を持つ者の名の方か。


 「もうひとつ、憑依術を使う際に避けねばならない事を教えてやろう」


 白刃はトールの魔力を帯び、うっすらと青く燐光を纏っていく。するりと構えれば、その燐光が霜のように散る。

 その様を見て、先王がこの一刀に『月下落霜』の銘を贈ったという逸話は、広く知られていた。


 「己より強い魔導士に、決して戦いを挑まぬことだ」


 その言葉に青面は激昂したのか、それともトールが「誰か」という事に思い至り、自棄になったのか。それはわからない。

 ただ、青面は今までの速度さえ加減していたのかと目を見張るような勢いで、トールへと迫った。

 両者の距離は、ほんの十歩程度。まさに一瞬で、隔てる空間は消滅する。


 だが、その一瞬。

 いや、その一瞬にすら満たない刹那。


 トールの足は、床を蹴り。

 青面の魔装兵の突撃を躱し、さらに踏み出す。


 何もないはずの、空中へと。


 りん。

 憑依する魔導士は聞いたかもしれない。するはずがない、その澄んだ音を。


 足場として具現化させた魔力は、青い華のように咲いては散っていく。

 青華の路を駆け抜けるトールは、ちらりと見物席に視線を向けた。魔装兵すら飛び越すほどの高さならば、魔導燈の反射に邪魔されずに中が見える。


 しろの驚いた…というより、呆気にとられた顔に、にっこりとひとつ笑いかけ。

 僅かな自由落下の後、一際強靭な足場を作り出す。


 青い軌跡が、弧を描く。

 夜空を切り裂く三日月のような残影が、完全に消えたと同時に。


 魔装兵の首…切り離された首だけが、重い音を立てて床にぶつかった。


 「ふう」


 音もなくトールは着地し、愛刀を鞘へと納める。

 その背後で、魔装兵が倒れこむ音がとどろいた。


***


 「…おい!!おい、どうしてだ!!どういうことだよ!!」


 男はしろを掴み起こし、その背後の硝子越しに見える光景を拒むかのように首を振る。


 「なんで、なんで、お前みたいな野良猫が…あの方と…!」


 菓子が食いたいから、それにうってつけの人材として紹介されたからっすよ、と答えたとして、信じるだろうか。いや、信じない。普通は。

 それ以前に、しろはまだ声を封じられている。それを解かなければ応える事も出来ないのだが、男には気付く余裕もないようだ。


 金の髪を持つのは、ヤルクト氏族として珍しくはない。

 金の瞳を持つのも、そうだ。


 しかし、金の髪と金の瞳…すなわち、朝日の髪と満月の瞳を兼ね揃えているのは、王族以外にはいないのだと、アスラン人なら子供でも知っている。

 黄金の血(アルタン・ウルク)の証である日月をその身に備え、青く輝く刀を振るう、魔導師。


 それが誰かわからないアスラン人など、いない。

 無論、男も、そしてこの部屋に集った客たちも。


 「こ、この場にわしはいなかった!いいな!」


 酷い話だと嬉しそうに笑った老人が、慌てふためいて立ち上がり、出入り口へと足早に向かう。男がそれを止めようとしたのか、口を開いた瞬間。


 男の動きが、不自然に止った。


 「はあい。動かないでねぇ。動くと、とおっても、痛いよーお」


 部屋中に走る恐慌寸前の緊張に似つかわしくない、のんびりとした声。

 男が止ったことで床に落とされたしろは、それでもなんとか声の主を視界に見つけた。


 壁際。硝子張りの食器棚の上。

 身に纏う色は、髪も瞳も服も、全て暗雲の色。

 その中で、首に巻く布だけが雲の合間から覗く蒼穹のように、鮮やかに青い。


 「な、ななな、なんだお前は!何処から入った!」

 「んー…入ってきたのは、そこの扉からだよお。しろちゃんと一緒に。みぃんな、俺を見ないだけでねえ。んで、誰かって言ったらーさ」


 ぷらりと足を垂らし、伸ばした指も身体の前に垂らしている。

 その指から伸びる糸が、時折揺らぐように輝いて見えた。


 「星龍の守護者(オドンナルガ・スレン)マルト。アンタらには、『灰色蜘蛛』って言った方がわかりやすい?でもねえ、俺、蜘蛛きらーい」

 

 くん、と指が動く。

 その瞬間、床に倒れ伏すしろの目の前に、男の親指が落下してきて、床で跳ねた。


 「あああああああ!!!!ゆ、指ぃ!俺の、俺のゆびいいいい!!」

 「動かないのー。痛いよっていったじゃなーい」


 次に落ちてきたのは、男の耳。左右どちらかまでは見えなかった。

 男は泣きながら、血をぼたぼたと垂れ流しながら、じっとその場に立つ。

 おそらく、自分が他者に対して容赦も遠慮もない男だから、マルトののんびりした声の奥にある、無機質な意志を敏感に感じ取ったのだろう。

 がたがたと男が震える度、断面から血が撒き散らされ、しろの顔にも水玉模様を作った。


 「あ、ごめん、しろちゃん。そこにその人いたら、色々降ってきてやだねえ。どかすよお」


 再びマルトの指が動く。それと同時に、男の身体は大きく吹っ飛び、太った中年と豪奢な椅子を押し潰した。

 

 それにより響いた音と、飛び散った血に、客たちは一斉に恐慌状態に陥った。

 悲鳴を上げてその場にしゃがみ込むもの、椅子の陰に隠れようとするもの、扉に向けて喚き散らしながら走るもの。


 その先頭にいた老人が扉に手を掛けようとした瞬間。

 反対側から、扉が開く。


 「お、おおお!狼藉者じゃ!殺せ、殺せ!!」


 扉が開いた先にいたのは、部屋の前に待機していた護衛の一人だ。

 老人は青ざめていた顔に血色を戻しながら喚き、部屋の隅…そこにマルトはいなかったが…を指す。


 「は…な…う、うあああああ!!!?」


 だが、老人の命令に、護衛は従わなかった。

 老人に抱き着くように倒れこみ、その重さに負けて老人も床に尻をつく。

 そして、目を逸らす暇もなく、見てしまった。


 護衛の首が半ば以上斬られ、老人にぶつかった衝撃で千切れかけている、その様を。

 新たに溢れ出た血が、老人の豪華な服を染めていく。その事実に気付くことなく、老人は白目を剥いて失神した。

 

 「全員、手を頭の上に。そのまま、床に伏せなさい」


 響いた声は、それほど大きくはなかった。

 しかし、異を唱えることも逆らうことも許さない。


 「私は星龍親衛隊隊長イル・オドンナルガ・ケシク、ラーシュ・アーレ。この屋敷は既に、星龍親衛隊が制圧しています。抵抗は無意味と知りなさい」

 

 静かに告げながら入室するラーシュの手には、血を滴らせた剣が握られている。

 一番近くにいた客が、それを見て悲鳴を上げながら伏せた。


 一人が言われたとおりの体勢になると…と言うよりは、怯えて頭を抱えて蹲っただけではあるが…少しずつの時間差はあったものの、まだ意識のある者たち全員が同じように伏せる。

 体勢が微妙に違うのは、今まで彼らは地に臥せることなど一度もなく、常に見下ろす立場だったからだろう。


 しかし、どれだけその立場を声高に叫ぼうと、星龍親衛隊隊長…つまりは、一太子の側近中の側近に通じるわけはない。

 客たちがそれを理解しているのか、たんに恐慌状態に陥り、思考する余裕がないのか。どちらかと言えば後者だろうと、しろは思った。


 部屋の中を見渡すラーシュの若葉色の双眸が、ぐったりと床に転がるしろで止まる。

 冷静そのものだった瞳に動揺が走り、剣をおさめながら駆け寄って、ぐったりと弛緩するしろを抱え起こした。


 「しろ君!…怪我は、ないようですね。腕輪の縛りか…アヤンバルクさん!」

 「はいよ、隊長。投降したものは全員、捕縛しましたぜっと…」


 呼ばれて室内に入ってきたのは、大柄な騎士だ。ラーシュに抱えられたしろを見て、ひとつ頷く。


 「解析と解呪にはいります」

 「ええ。お願いします」

 

 アヤンバルクの手が、しろの腕に嵌められた腕輪の上に翳される。

 その場所に、白く輝く陣が出現した。自身の魔力で陣を描くのはトールだけではないのかと、瞬きできず痛み始めた目で見つめる。


 「すまんなあ。もっと早く解呪してやりゃ良かったんだが、あの胡散臭いおっさんが、下手に外すと動きがバレるって反対してな」

 

 陣はよく見れば、三層になっていた。それぞれの層が回転し、重なり、離れ、そして三つが一つの陣を描く。


 ぱりん、という音が、しろの服の袖の中で響いた。

 その音に驚いて目を瞬かせ…動ける事に、気付く。


 「痛いところはありますか?」

 「…大丈夫っす」


 全身が怠いし目が痛い。しかし、我慢できないほどではなく、溢れ出した涙が速やかに潤してくれている。じきに視力も戻るだろう。


 「殿下もお悩みでしたが、本当にシラミネの民が囚われていた場合、危険に晒すことになると…」

 「それも、大丈夫っす。あのクソ野郎が仕入れたのは…シラミネ人の、頭だけ、だったみたいっすから」

 「そうでしたか…」


 沈痛な表情を浮かべ、胸に拳を当てて目を閉じる。それが鎮魂の祈りだということは、ラーシュの信仰する神を知らないしろにも伝わる。


 「おー、こっちも片付いたみたいじゃなあ」

 「あ、ほら、しろ君!待ったをかけたおっさん来たよ、おっさん!」

 「おっさんにおっさんと言われとうないわい!」

 「ぼかぁ、まだ三十五ですぅ!男盛りですう!」

 「世間一般的に言うて、三十五はおっさんじゃろがい!」

 

 部下になるのか同僚になるのか、アヤンバルクに向かって唾を飛ばしながら言い放った後、ウー老師はしろに視線を向けた。

 ほんの少し、貧相な眉毛が顰められた気もするが、きっと気のせいだろう。そんな殊勝な御仁ではない。


 「ようやったなあ。おかげで大豊作よ」

 「…なら、特別報酬をはずんでほしいもんっすね」

 「そりゃあもう、大盤振る舞いにな。例えば、『ヤクモ様』がどこにおるか、とか」


 ねっちょりとした上機嫌な声に、しろは弾かれたように身を起こそうとし、ラーシュにやんわりと抱き留められた。 

 渾身の力を込めたはずだが、それほど太くないラーシュの腕はびくともしない。この御仁も、人格だけで親衛隊長になっているわけではないのだなと、妙に冷静さを取り戻した頭で考える。


 「実は、かなり前から、『ヤクモ様』がどちらにいらっしゃるか、我々は知っていました。ただ、しろ君の尋ね人と知ったのは…三日前ですが」

 「これ、ラーシュ殿や。さっさと言ってしまっては報酬にならんぞよ」

 「いーじゃなーい。殿下もさー、早く俺が気付けば、しろに余計な苦労させなくて済んだのにってえ、気にしてたし」


 食器棚の上から、マルトの声も飛んでくる。


 「言って謝ろうと思いつつ、それで嫌われたらどーしよーって悩んでてねえ」

 「おぬしが知らん方が、こやつらにも気取られんから終わってからでよろしかろうと献策したのじゃがなあ。星龍君わがきみ、そういうところあるからのう」


 やれやれ、と肩を竦めているが、そう言って自分の「策」にすることで、トールの罪悪感を引き受けたのか。

 この胡散臭い軍師は悪人ぶっているし、本当に悪人だが…主に向ける忠節だけは本物だ。改めてしろは、そうウー老師を見直した。


 だが、それと自分を餌に使ったことを許すのとは、別の問題だが。

 今度、ただひたすらに甘ったるいだけの菓子をコイツ専用に買ってきて食わせてやると心に決める。


 「…ヤクモ様は、いま、どちらに?」


 とは言え、今は胡散臭いおっさんはどうでも良い。

 あの方は。


 毎日、腹は満たせているか。安全な場所で眠れているか。怖い思いをしていないか。嫌な事をさせられていないか。

 誰かと笑いあって、生きているか。


 「隣国、アステリア聖王国にいらっしゃいます。ファン様…ファン・ナランハル・アスラン様が保護されました」

 「何でも、宿屋でぼったくりにあって売り飛ばされそうになっていたところを見つけてなあ。一晩分の宿代を叩きつけて連れ帰ったそうな」

 「…ファン・ナランハル・アスランさまって、言うと…」

 「星龍君のおとうとぉ!君であらせられるな」


 トールの弟、アスラン王国二太子について、しろが知っていたことは微々たるものだった。しかし、今ではやたらと詳しくなっている。


 子供のころから虫や草に興味を示し、士官学校を出て騎士の資格を得た後は、大学…奇人変人が集う、アスラン王国の最高学府に入り直して博物学の研究に没頭し、ついには暗殺未遂で受けた傷を治しつつ、暗殺者から逃れるという名目で、守護者だけ連れて隣国へ遊学に旅立った、という変わり者。

 

 その兄であるトールの口からは美辞麗句が砲撃のように発射され続けるが、側近たち曰く「変わっているけれど普通に良い人」らしい。

 ウー老師曰く「兄は刀、弟は鋼の棒」という評価は気にかかるが。その心はと問えば「刀で一刀両断されんでも、鋼の棒で殴られれば人は死ぬわいな」との事で、ますますわからない。つまりは、侮れない人物であるのだろうと解釈したのだが。


 「かの国では、冒険者と言う様々な依頼を受ける傭兵のような職業があるそうです。ファン様は、現在その冒険者をお楽しみになっていらっしゃいまして…」

 「お金なくてー、なんか、すっごい気持ち悪いおっさんの宿に住んでるらしいよお。あと、でっかい蜥蜴は美味しいって」


 ヤクモ様の環境がものすごく心配になってくるが、二太子は一太子以上に太子らしくない御仁であるという事は既に理解している。貧乏暮らしもこなせるらしい。

 しかし当然ながら、本気で困窮する前にトールが何らかの手を打つに決まっている。溺愛する弟が、その日の食事や寝床にありつけないなど、絶対に許すはずがない。

 だから、少なくとも大都に住みつき始めた頃のしろよりは、まともな生活を送れているはずだ。


 「冒険者と言うのは、一党を組むものなのですが、ヤクモ殿下もご一緒に『冒険』をされていらっしゃると、ファン様からの手紙にありました」

 「じゃあ、ヤクモ様は!」

 「御安心を。日々、恙なくおすごしです」


 全身の力が抜ける。

 急に腕にかかる重みが増したことにラーシュは気付いていただろうが、何も言わずにしろの背を優しく叩いてくれた。


 抜けた力のかわりに、心臓から熾って全身に広がっていくのは、暖かさ。

 それはきっと、しばらく忘れていた『安心』とか『安堵』とかいうもので。

 あの日、久しぶりに風呂に浸かった時の温度に似ていた。


 その温度は周りにも伝わっていたようで、しろを見守る大人たちの口許には、柔らかな笑みが浮かんでいた。

 ウー老師の薄くひん曲がった唇でさえそうだったことは、きっと本人は絶対言認めないだろうが。


 「な、なあ…なあ!」


 ゆるりとした空気を再び緊迫させたのは、媚びを売りながらも居丈高な声だった。


 「待てい。マルト。何をほざくか聞いてみようではないか」

 「えー」


 動きかけたマルトの指が止る。床に転がされているため、それが見えたわけではないだろうが、男は失血で青褪めた顔に歪んだ笑顔を乗せてウー老師を見た。


 「な、なあ!アンタ、金好きなんだろう!?なあ、見逃してくれ!金なら、幾らでもやる!金で足りないなら、女もだ!調教済みでも、仕入れたばっかりのでもいい!好きなのをやる!だから…!」

 「実はのう」


 ひょこひょこと、ウー老師は男に歩み寄り、見下ろした。男の笑みに希望と言う文字が混ざる。

 しかし、その希望と言う眩い光に晦まされた男には、ウー老師の視線の先にあるのがトールの肩掛け鞄であることに気付かなかった。

 ウー老師の貧相な腕が、男が握ったままだった鞄を取り上げる。


 「おぬしが『使える』ようなら、ヒチアジ家に対する埋伏の毒にしようかっつう案もあったのよ」

 「お、俺はなんでもやれる!伯父のトスロは俺を信用してる!く、首だって持ってこれるぜ!その後は、俺がヒチアジ家の当主になりゃ、一太子に永遠の忠誠を誓う!親族会議クリルタイで、一太子が王太子になれるよう動く!絶対だ!だから…!」

 「いーや。おぬし無能じゃでなあ」

 「む、無能だと…っ!?い、いや、アンタに怒ったわけじゃない!本当だ!」

 

 必死に弁解しながら男はウー老師を見上げた。

 そのなんとか開けた目が、ウー老師の双眸を覗き込んだ途端。

 男の顔から、表情が消えていく。


 変わって覆い尽くすのは、絶望の闇。

 軍師の双眸に何を見たのか。それは、男にしかわからず。

 そして、語られることはないだろう。


 「これはな。一太子オドンナルガが典礼の折に身に着ける装身具よ。おぬしがヒチアジ家のものとして、季節ごとの典礼に出席できる立場であれば、気付いたであろう」


 軍師のかさついた掌の上で輝く簪。星を掴む龍を象るそれは、確かに古く、今どき流行の造りではない。しかし、誰が見ても見事な逸品だ。芸術品と言えるほどに。

 

 「そうでなくともよ、これほどのものをヤルクト氏族と名乗る御方が持っておってなあ。王族であると微塵も疑わない辺り、無能と呼ばずして何と呼ぶっちゅうんかと、な。あー、それに安心せい。ヒチアジ家を潰したあかつきには、おぬしもちゃあんと『処分』するつもりであったしのう」

 「…ひ、ヒチアジ家を、潰す…」

 「二太子に暗殺者を送り込む様な真似せんかったら、権力は取り上げても贅沢に暮らすくらいは許したかもしれんがな。まさに龍の逆鱗をひっぱたくような所業よ。それは勇敢ではなく、愚行と言う」

 「そ、そんなこと…いくら、一太子様でも、許されないぞ…!」


 晩秋の蚊よりもか細い声を上げたのは、客の一人だ。その顔を記憶から引っ張り出し、ヨアジ氏族の別の家のもんじゃったなあと、ウー老師は頷く。

 

 「なんぞ勘違いしとるがの。おのれが権勢を振るいたい。そんな下らん野望の為に、太子に暗殺者を向けるような思い上がりを許すほど、大王陛下は甘い御方ではないぞ?なんで許されると思うたのか、理解に苦しむわいな。いやまあ、理解する必要もないかのう」

 「そうですね。死者の妄想を理解する必要はない。そう存じます」

 「であるなあ」


 か細い声を上げた客の顔が、これ以上ないほどに白くなる。

 今ようやく、自分たちが生きて帰れない事を理解したのだろう。


 「これからは、王家に忠誠を誓い、大アスランの為に尽くします…!な、なので、どうか、どうか、御助けを…!!」

 「おぬしらが賭けにしとった者らも、そう命乞いしたのではないかえ?」

 「え、いや…その、その者らに、あ、会ったこともないので…」

 「ものすごぉく憎む相手がなあ。嬲り殺されるのを喜んで見るのはな、わかる。末将もまあ、昔日かつてはおったし。もしくは罪人が処刑されて喜ぶのものう。怖いものなあ。人の命など塵芥程度にしか思っておらん奴がのさばっとるのは」


 肩掛け鞄をアヤンバルクに預け、ウー老師は貧相な顎髭をしごいた。


 「しかしな。怨敵でも罪人でもない赤の他人が目の前で嬲り殺されるのを喜んで見るっつうのは、まあったく、わからん。やはり死人の妄想は、ピッチピチの末将には理解できんなあ」

 「ぴっちぴち…?」

 「末将生涯現役じゃから!!」


 アヤンバルクの薄ら笑いに吠えてから、コホンと咳払いひとつ。


 「星龍君は、甘味がお好きでな」

 「か、甘味ですね!!なれば、職人と、それから…」

 「それでな、末将は一度諫言したことがある。市井の店の菓子を求めるのはおやめくださいと。毒を盛られたりしては危うい。それに末将らを入りにくい店に遣いにだすのホント止めてくだされ…と」

 

 縋りつくような言葉を、ウー老師は容赦なく遮った。

 虚しく口を開閉させるヨアジ氏族の男を一瞥すると、その視線はするりと硝子窓の向こう…彼の主がいる場所へと向かう。


 「だが、星龍君は拒まれ、こう宣われた。『他国と違い、アスランに菓子屋が多い。それが何故かわかるか?』と」


 それは確かにそうだと、しろも疑問に思う。

 しろが知るのはシラミネと、通ってきたアステリア程度だが、大都のようにごく当たり前のものとして菓子屋がある町はなかった。

 甘味とは、店で買うものではなく、身分ある人が職人を抱えて作らせるものだ。何せ、菓子は食わなくても死なない。生きていくために絶対に必要なものではない、贅沢品なのだから。


 そもそも、庶民向けに売ったところで、商売として成り立つほど売れるとは思えない。同じ銀貨を払うのなら、誰もが焼き菓子ひとつより袋いっぱいの小麦粉を求める。


 「末将、応えて曰く。『アスランでは砂糖が安価である故でしょう』とな。北部では甜菜、南部では甘蔗を栽培しておるため、他国比べて砂糖が極めて安い。持ち出せば結構な税金がかかるからのお。アスラン国内だけに流通するようにしとる。粗悪品は交易品になっとるが」


 甘くなければ菓子ではない。だが、何故菓子が高くなるかと言えば、甘くするための材料が高価だからだ。

 なるほどそれでかと、しろは内心で頷いた。


 「しかし、星龍君は『それだけではない』と首を振られてな。曰く『民に菓子を買う余裕がある。生きるためではなく、楽しむためのものを買う豊かさが、アスランにはある。それが、王侯貴族だけでなく、市井の民たちにまで及んでいる。俺が菓子を好むのは、その豊かさを味わっているのだ。だから、市井の店で買わねば意味がない』とな」

 「さすがはトール殿下。深いお考えです」

 「単にいろんな菓子食いたいだけってぇ気もしますがね」


 うっとりと頷くラーシュに比べ、アヤンバルクの方は呆れ顔だ。しろも、どっちかと言えば「ものは言いようっすね!」と思っていたが。

 ただ、きっと、アヤンバルクもわかっている。付き合いの短い、しろですらそうなのだから。


 いろんな店のいろんな菓子を食いたい。本で見れば味が気になり、実際食べてみたくなる。それは事実だろう。

 だが同時に、『豊かさを味わっている』のも、真実だと。


 「そのような御心の星龍君がな。娯楽と称して民を嬲り殺すことを…お許しになると思うかえ?」

 「そのスットコドッコイの言う通りだ。決して許さぬ」


 声と共に現れた姿に、騎士二人は胸に右拳を当て、肘を肩の高さまで上げた。

 軽く頷くトールの後ろから、小太りの青年が泣きべそをかきながら続いて入ってくる。


 「オドンナルガ酷いですよお~!動く魔装兵なんて、ものすごく珍しいのにい」

 「両方とも核は壊しておらぬ。だから、まあ…たぶん、治る…ぞ!」

 「自信ないんじゃないですかあ!」


 ゴルダの嘆きから目を逸らし、トールはしろの前にしゃがみ込んだ。

 じっと見つめてきたかと思うと、つつつ、と逸らす。


 「その…黙っていて、悪かった」

 「ホントっすよ。もっと早く教えてほしかったっす」

 「う…すまぬ…」

 「でも、いいっす。ヤクモ様無事だし。俺が間抜けだったんすから」


 初めてあった時。トールは自分を雇う理由の一つとして、「弟の友人にシラミネ人がいる」と言っていた。

 閉鎖的な山奥の暮らしに厭いて出て行くシラミネ人がいないわけではない。

 しかし、大抵のシラミネ人は、里の外を魔境のように怖がるものだ。そんな変わり者はごく少数である。


 だから、あの時…追求すれば、トールはあっさりと「弟の友人」の名を口にしただろう。

 ヤクモ様はもう生きていない…そう思い込んでいたから、飛びついて貪るような情報を聞き逃した。自分の失態だ。


 「つーか、どっちかって言うとアンタにゃ借りが出来ちまいましたし。菓子買ってくる以外にも、仕事請け負っていいっすよ」


 いや、むしろそうさせてくれ。

 自分の間抜けのせいで、危険に晒してしまったのだから。

 本人からすれば、軽い運動程度だったのかもしれないが、気が済まない。

 …なんだか気恥ずかしいから、絶対にそんなことは口にできないけれども。


 「そうか。なら、ひとつ頼みたいことがある。夏の大祭りが終わったら、遣いに出て欲しいのだ」

 「構わないっす。まあ、コレ次第っすけどね」


 指で輪を作って笑ってやると、トールの人見知りしているときのように強張った顔が、綻んだ。


 「さて。引きあげるか。マルト」

 「あいあーい」

 「その愚物をここに」

 「あーい」


 マルトの指が、ぴんと何かを弾くように動く。

 途端に悲鳴と血を撒き散らしながら、男の身体は宙に舞い、トールの横に叩きつけられた。


 「俺は、しろに危害を加えるなと言い、お前はわかったと答えた」

 「ひ、な、なんもしてねえ!傷一つ付けてねぇえ!」

 「動きを奪い、声まで封じたことは十分に危害だ」

 「しかも、あの石くれ人形の前に放り出すつもりだったようですなあ」

 

 見ていたようにウー老師が追加する。

 不思議そうなしろの顔に、トールの視線がまた少し泳いだ。


 「その、お前に貸したマントの留め具にな。集音の魔導が仕込んである」

 「集音したものは、別の魔導具で同時に聞けます。それを聞いて、しろ君に危害が及ぶようなら、すぐに突入せよとの御命令でした」

 「おっさんが止めちゃったけどね」

 「本来は、星龍君のみに危険が及ぶ事はあらば、すぐに援護するためのものだったのですがなあ」

 「俺よりも、援けが必要なのはしろだろう。お前らも俺が危機に陥るなど、微塵も考えておらんだろうが」

 「しろちゃんには俺がついてたんだけどねえ~。殿下、心配性」


 なるほど。それで無理やりにでもマントを押し付けたのか。

 どこかで聞いていたウー老師たちは頭を抱えたのか、それとも想定していたか。


 「それに、どうやって入ってきたんすか?マルトにーさんはともかく」

 「あれだけあちこち案内されたからな。転移陣をばら撒くのに問題なかった」


 あっさりと答えられたが、それが普通にできる事なのか考えることはやめにした。そもそも、転移陣自体あっさり構築できるものではない。

 できるのはトールくらいなら、トールの基準で「普通」が普通で良いのだろう。たぶん。


 「契約を守るようならば、その首刎ねて終わりにしようと思ったが」

  

 立ち上がり、男を見下ろす目に、先ほどまであった揺らぎや不安感…そして温もりは、ない。


 「歯を全て引き抜き、鼻を削ぎ、目を抉り出す。途中で死ぬことは許さぬ」 

 「書き付けますで、少々お待ちを」


 袂から手帳と鉛筆を取り出し、ウー老師はさらさら一太子の要望を書き連ねていく。


 「そのうえで、お前の首をヒチアジ家へ届ける。伝来の宝物を盗み、それを追った俺の密偵に危害を加えた大罪人だが、存じておるか、と」

 「そ、そ…」

 

 男の閉じることすらできないほど震える口から、泡状の唾液があふれて絨毯に染みを作る。

 

 「ヒチアジ家は、知らぬ存ぜぬで通すだろう。お前は、何処の誰でもない骸となって」


 そんな状態だと言うのに、男の目は一太子の顔から視線を離せない。


 美の神が苦心の末に作り上げたと言われても納得できる貌。 

 その中でも特に吸い寄せられる、満月色の双眸。


 怒りも、憎しみも、もちろん愉悦さえもない。

 ただ、硬質な無表情を湛える双眸は男を見据え、薄く形良い唇が最後の命を下す。


 「朽ち果てよ」


***


 違法な闘技場が星龍親衛隊によって制圧された、という話は、夏の大祭(ナーダム)の準備に沸く大都の隅々にまで、あっという間に広まった。

 

 なんでも主催者は、あの「黒涙屋敷」の主らしい。

 ああ、あの、随分と汚い遣り方で人を商ってたって噂の。

 しかも、お手入れの為に運ばれていた、一太子の装身具を奪ったんだと。

 内々に済ませるために密偵が追ったが捕まっちまって、一太子様自ら騎士隊を率いて乗り込んだよ!

 流石は一太子様!!

 

 アラの目立つ設定だが、大都の住人たちはお構いなしだ。


 何せ、討たれたのは極悪人共である。

 そして悪党を成敗したのは、一太子様。


 盛り上がるには、それだけあれば十分だ。

 大都のあちこちでは「一太子様、悪党共をばったばったと成敗する」絵図が売りに出され、あそこの店は出来がいい、あっちの店は色付きだ、と、大都の住人たちは我先に買っていく。


 トールからすれば、「生きるのに全く必要ない物」を楽しそうに買う民の余裕を喜ぶところであろうが。


 「なんで誰にも会ってねぇのに、引きこもっているんすか」

 「そ、それはだな。うむ…多くの民が、俺を噂しているのかと思うと、は、恥ずかしくて…」

 「いつもの事っしょ」

 「さよう。凱旋なされたあとなどは、いつもこうである」

 「まあ、しろちゃんがお菓子もいーっぱい買ってきてくれたしねえ。しばらくは、お部屋でお仕事だねえ」


 幸いに、というか、あの「黒涙屋敷」の客たちの中…顧客名簿から、当日いなかったものも把握された…に、高官や将軍などはいなかった。

 貴族や大商会の傍流、当主の甥の子だとか、大叔父だとか、又従兄弟であるとか、そのあたりの無碍には扱えないが、自身は無位無官の身という連中で、一掃したところでアスランの政治や軍事に影響はでない。


 ただ、身内には当然ながら様々に関わるものがいて、ウー老師は「ふひひひ♡」と悪い笑みを浮かべていたが。


 その為、後始末はそれほど複雑なものではない。しかし、全くないわけでもなく、トールがおとなしく引きこもっているのをいいことに、今回の件に関わりない仕事も山のように持ち込まれていく。


 「うう、そうだ。しろよ。お前に頼む仕事があると言っただろう」

 「ああ、何すか」

 「弟に、手紙を届けてもらいたい」

 「え…」


 弟、つまり、今は隣国にいる二太子に。

 その傍には…あの人が、いる。


 「ほれ、これぞな」

 「分厚いっ!?」

 「これでもねえ~。すっごい薄くなったんだよお。この十倍はあったねえ」


 ウー老師が差し出してきた箱の高さは、しろの掌ほど。その箱の縁ぎりぎりにまで、手紙は積み重なっている。


 「お、弟への想いは、こんなものではすまぬ!!」 

 「また流し読みされちゃうねえ」

 「一応は全て目を通してくださるとは思うがの。ほれ、あすこに置かれておるのが旅の荷物よ。アステリアとの国境、サライまでは転移陣で行くがよい。サライからアステリア王都までは、馬車が用意されとる」


 ウー老師の示した先には、しっかりとした造りの背負子が置かれていた。持ってくるには重かったのだろう。


 「その手紙には、お前の事も書いてある」

 「…」

 「望むのであれば、弟の一党に加えてやって欲しい、とな」


 分厚い手紙の束のどこら辺にそれが書いてあるのか。

 それを見つけ出そうとするように、しろはじっと束を見つめる。


 「末将としては、他に頼みたい仕事もあるんで戻ってきて欲しいがのお」

 「俺もねえ。しろちゃんには戻ってきて欲しいけどさあ。まあー、道々考えたらいいよお」

 

***


 考えるまでも、ないはずだった。

 大切なひと。仕えるべき主。自分のぜんぶと引き換えにしても、守りたかった、助けたかった。


 その人と、一緒にいられるのなら。

 当然、その道を選ぶ。


 なのに。


***


 「あそこが、樫の木亭だよ」


 アステリア人の商人にしか見えないが、アスランの密偵である馭者は、お世辞にも「良い宿」とは言えない建物を指差した。

 趣がある…を通り越し、今にも倒壊しそうな古い建物は、庭へと入る門扉からして壊れている。

 

 「ありがとさんっす。行ってくるっす」

 「ああ。俺は商工所に顔を出してくる。今、後二刻だから、後三刻になったら、東門で落ち合おう」

 「うっす」


 馭者台から飛び降りて、しろは懐から時計を取り出した。馭者の腕にはまる時計と同じ時間を指しているのを確認し、頷く。


 壊れた門扉を通り抜け、傾いた玄関へと至る。一応扉はついているが、中途半端に開いていた。

 そこから中へ入るかどうか、やや迷う。


 「動いちゃだめだ!ヤクモ!」

 「!!」


 聞こえた声に…いや、その声が呼んだ名に、身体は勝手に動いていた。

 建物に沿って、表からは見えない裏庭へと駆ける。


 「そのセミ!シーツに止まってるセミ!もしかしたら、セグロオオゼミとアシアカセミの混雑種かもしれない!セグロオオゼミは三年、アシアカセミは五年周期で羽化するから、十五年に一回可能性がある!」

 「え~…じゃあ、さっさと取ってよう。シーツ、取り込めないじゃん」

 「おい、その虫けら止まってるの、俺のシーツじゃねぇよな?」

 「お前のだな!わはは!」


 そーっと干されて乾いたシーツに手を伸ばす長身の青年が、きっと二太子だ。惜しげもなく朝日の髪は日に晒され、満月の双眸は一心不乱に蝉を見ている。

 他にも二人。不機嫌そうに顔を歪めている刺青だらけの青年と、大口開けて笑う青年。いや、こちらはまだ、少年と言うべき年齢か。


 そして、そんな三人の様子を、生温かく見守る少年。

 ぴんぴんと跳ね散らかした黒髪に、蘇芳色の瞳。


 どくり、と心臓が跳ねた。

 

 「あ…」

 「おい、冗談じゃねぇぞ!!あの虫けら、小便ひっかけていきやがった!」

 「蝉は飛ぶとき、確かに体内の水分を輩出していくけど、その成分は樹液なんかがほとんどで、老廃物は含まれていない。つまり、排尿とはやや違ってだな…」

 「虫の尻から出た水ってだけで充分嫌なんだよ!」

 「もっかい洗ったらいいじゃん。暑いから、すぐ乾くよう」


 生きて、いる。

 

 「あああ…」

 「こんな落ち込んだファン、初めて見たかも」

 「前にもこうなったな!蛾を捕まえてくれと言われたから捕まえたら潰れた時、こんな顔をしていた!」

 「あ、そーだ。ファン。あっちにさあ、蝉の抜け殻あったよ。さっきの蝉のかもよ」

 「見てくる!」


 膝から崩れ落ちて項垂れる体勢から一気に体を起こし、二太子は猛然と駆けだした。その背中に、またあの人は生温かい視線を送っている。


 「あれ?」


 二太子の向かった先は、建物のほう。つまり、しろがいる方で。

 満月の色の双眸が、しろの姿を捉えて若干戸惑いを浮かべた。


 「あの、ちょっといいですか。貴方の右足の横を確認したいので…」

 「え、あ、はいっす」


 横にずれて空間を空けると、その場に這いつくばって何かを見ている。かなり声をかけにくい。


 「これは…ニセタマゴタケ!アカマツがある場所にしか生えないはずなのに…は!この建物がもしかしてアカマツを使っている?そして老朽化に伴い、菌糸が休眠していた場所が晒されて、十分な水分を補給して成長した、とかか?!」

 

 蝉の抜け殻はどうでも良くなったのか。

 いきなり這いつくばって小さな茸を見ながらブツブツ言うのは相当な奇行だと思うが、そんな奇行子だとは聞いていない。いや、もっと聞こえ善く言っていたか。周囲の目よりも好奇心や探求心、知識欲を優先させる御方だ、とか。


 「あの…二太子ナランハル?」

 「へあ?!」

 「…一太子の遣いっす。これを」


 背負子を降ろし、差し出す。中には、あの分厚い手紙が収められた箱も押し込めてある。

 しろの旅の荷物もあったが、他はほとんど日持ちのする食料や、茶に石鹸、アステリアの銀貨などだった。そのまま渡しても問題はない。自分用のものは、別の鞄に移して馬車に乗せてある。


 「あー、ありがとうございます」


 泥のついたままの膝や手を気にした様子もなく、二太子はにこにこと笑って背負子を受け取った。


 「兄貴には、元気にしてるから心配ないと伝えて」

 「承知したっす」


 蝉に逃げられて落ち込んだとか、茸見つけて興奮してたとかは言うべきか。


 「あ、貴方、もしかしてシラミネの人なのかな?うちの一党にもシラミネ人がいるんだ。もしかしたら知り合いかも?会っていきません?」

 「…そう、っすね」


 庭の奥からは、三人分の声がする。明るい、生気に満ちた声。

 この夏の日差しのような。


 眩しくて、強くて、キラキラと、輝くようで。


 「いえ。たぶん、知り合いじゃねぇっすから。俺はこれで」

 「そう?なら、気を付けて。アステリアの夏は、アスランよりずっと暑いから。暑気あたりや、脱水になりやすい」

 「夜になっても上着がいらねぇんすね。吃驚したっすわ」

 「うちの連中なんて、布団蹴飛ばして寝てるよ。涼風の魔導具もないからなあ」


 裏庭から聞こえる声が、大きくなった。なにやらケンカしはじめたらしい。ヤクモがやる気のない声で止めている。少し声が小さいのは、巻き込まれないように離れたからか。


 「まったく、アイツらは…じゃあ、俺はちょっと、アイツら叱ってくるんで。暑いからイライラしてるのはわかるんだけど」

 「御身も恙なく」

 「ありがとう。紅鴉の導きが、貴方の前にあるように」


 アスランで広く使われる別れの挨拶を告げ、二太子は踵を返して駆け去った。すぐに、「こらあ!」と言う声が響く。


 「…ヤクモ様。まだしばらく、お側を離れることをお許しください」


 きっと、二太子らとともにいるのなら、大丈夫。

 奇行には驚いたが、その兄だって十分におかしな行動をとるのだし。


 それに、二太子もいつまでも遊学してはいない。冬至にはアスランに戻ってくると聞いた。

 その時、きっとヤクモも共にアスランへ来るだろう。


 シラミネにヤクモを連れ帰ることを、しろは早々に「ない」と断じている。

 次こそ命をとられるかもしれないし、単純に今後の事を考えれば、アスランで暮らした方が選択肢がずっと広がる。


 なら、その下地をしろがつくっていた方が良いだろう。


 そろそろ、買い込んだ菓子が切れて泣いているかもしれない。

 もしくは、しろを送り出したことを「余計なお世話だったか…」とか悩んでいるかもしれない。


 金払いは良いし、借りもある。

 だから。


 「さて。任務完了っと」


 アスラン王国と言う、大陸屈指の大強国の一太子様で。

 隠していてもお姐さんに見初められるほど顔が良くて。

 石起動兵が相手にならないほど強くて。

 菓子を通して、民の安寧を確かめて喜ぶような人で。


 まさに完全無欠。

 なのに。


 「あのヒト、変なトコで悩みすぎっすよねえ。堂々としてりゃいいのに」


 人見知りで、妙なところで気が小さくて。

 悩み多き、あのへんてこ一太子。


 「ま、いっか。サライでなんか菓子買って帰ってやるっすかね」


 人気の菓子屋は、既に押さえてある。

 夏の大祭限定の菓子詰め合わせを見せたら、どんな顔をするだろうか。


 いや、その前に、待ち合わせまでは時間もある。

 アステリアに菓子屋はなさそうだが、蜂蜜が名高いと同行した密偵は言っていた。売っていないか、見て回るのもいい。


 蝉の声が、賑やかに降りそそぐ中。

 シラミネの忍から、一太子トールの雇われ密偵となった少年は、足取りも軽く帰路へと踏み出した。


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