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一太子様は重大な決断をするらしい

 良い感じのヒトがいるみたいだよお、とマルトが伝えてきたのは、それから三日後。

 親衛隊長のラーシュらも明日には帰還するという報告が入った日の、昼前だった。


 「おお!どのような者だ!」

 「俺もまだ会ってないんだあ。今日の夜に会うことになってるよお」

 「む、そうか。どこで?」

 「カララ通りのお店だよお」


 カララ通りは、大都にいくつかある歓楽街のひとつだ。規模はあまり大きくはなく、高い店も少ない。いわば、庶民の為の歓楽街である。

 裏通りでは夜鷹が壁にもたれかかって足を広げ、その隣に息絶えた鼻のない躯が転がる…などという事もなく、女郎男娼を置かない酒場や飯屋も多い。

 大都の歓楽街の中では最も「初心者向け」と言われており、やってくる客も、顔を強張らせた十代から、男女混合の団体客まで幅広い層という通りだ。


 「なんでえ、今日俺はそっち行くからさあ。せんせーは、殺されないように気を付けててねえ」

 「それなら、末将も行くかのう。面接が終わったら、馴染みの店にいくもよし、新規開拓するもよしじゃろう」

 「んー、別にいいよお。そだねえ。せんせーにも会ってもらった方が良いよねえ。来てもらってから、せんせーが嫌で辞めたら、かわいそーだし」

 「それはどっちが可哀想なのであるかな!?」


 マルトがそりゃあもちろん…と口を開きかけたが、トールが片手を上げたのを見て口を閉ざした。

 なんだか、すごい真剣な顔をしている。


 「…俺も、行こう」

 「ええ~?知らないお店だし、知らないヒトばっかりだよお?」

 「カララ通りは…最近、甘味の店が多いのだ」


 これから万を超す大軍に突っ込むような顔で、トールは低く呟いた。

 

 「なんでも、酒を飲んだ後の〆の甘味と言うものが…流行りだしておるそうでな」

 「酒の後はしょっぱいものの方が良いですがなあ」

 「たぶんねえ。でろでろに呑んでから食べるんじゃないんだと思うよお」

 「うむ。俺も詳しくは知らぬが、これを見よ」


 す、と座卓の上に差し出されたのは、栞がたくさん挟まれた本だった。

 てし、とベンケの手が動く本の頁を叩いて、少し破れたが。


 アスランにおいて、本とは専門書や聖典のように何かを学ぶ為の教本だけでなく、ただ読書と言う娯楽を味わうためのものでもある。

 トールが差し出してきた本は、その中間にあると言えるだろう。


 「ほうほう…『大都のイチオシ☆甘味を食べよっ!』ですか。甘味処を紹介する指南書ですな」

 「良く買いに行けたねえ。俺、頼まれてないよお」

 「母上に頼んで、買ってきてもらった。俺が頼んだのは『大都の甘味!ココがおすすめ☆』と言う本だったのだが、まあ、載っている店は被っているであろうし…」

 「ものすごくどっちでも良いですな」

 

 開かれた頁には『禁断の味、夜甘味の誘惑』という文字と共に、五つばかりの甘味の絵と説明が乗っていた。

 絵と言っても、映写の魔導具で拵えた精密なものだ。どれもこれも食事の後に食べては胸やけを起こしそうなほどの甘さが、紙面から漂ってきている気さえする。


 「そこに紹介されている甘味屋のうち、二店舗がカララ通りにあってな…」

 「ふむ。買って帰るのではなく、食べて帰るのですな」


 頁を捲ると、『こんな甘い夜はいかが?』という題名と共に酒場が二軒と甘味屋が二軒紹介されている。

 一件目の酒場で食事を取り、二件目で高めの酒を一杯やった後、甘味屋でしめる、という行程だ。

 載っている食事は肴程度の量で、皿の横に置かれた酒は自慢の麦酒であるらしい。


 「最後の甘いの要らないから、もっと呑みたいなあ」

 「この程度の食事で足りますかな?」


 トールは見た目はともかく、肉体は野を駆け草に眠る軍人のそれである。

 最近脂がきつくなってきた…などとは言っているが、食事量は多い。肴と酒だけでは満腹には程遠いだろう。


 「その通りに廻らねばならんと言うわけでもあるまい。他の店で存分に飲んで食ってから赴けばよかろう」

 「つまり、我らにこの甘味処までお供せよ、と?」

 「うむ!」


 にこにこと笑顔を浮かべ、トールは頷いた。

 ウー老師とマルトは、黙って紙面に視線を落とす。


 「可愛い、というような店内ではなかろう?」

 「可愛くは、ないけどお」


 黒と白の二色で統一された店内は、絨毯の上に座るアスラン式ではなく、卓と椅子を使う西方式を取り入れている。

 倒れそうに細い脚をした黒い円卓と、椅子であるらしい白い円筒は、余計な装飾を一切取り除き、洗練された簡素さを追求したような内装によく似あっていた。

 つまり、胡散臭い中年と猫背の不審者はものすごく浮く。


 「待て。マルトよ。もう一店舗あるぞよ」

 「うん、そだね…」


 ウー老師の指が破けた頁を摘まみ、捲る。

 現れたのは、白い毛足の長い絨毯の上に、淡い色の円座がいくつも散らばる店の様子に、『雲の中で夢気分!あま~い夢をめしあがれ♡』と書かれた文字。

 

 「…そちらは、お前らには厳しいと思ったのだが。なんでも、天上の小鳥が食べにくる甘味処、と言う設定らしくてな。そこは持ち帰りで済まそうと思う」

 「星龍君わがきみなれば、何の違和感もございませんがなあ…」

 「その最初の店、甘味だけでなく酒も出すようだから!」


 店内は無駄な装飾を取り除いている割に、提供している甘味はごつい。やたら大盛りである。


 「な、その揚げパン(ボールツォグ)山、実に美味そうだろう?」

 「そーですなー…」


 ボールツォグはアスランの遊牧民が良く食べる朝食であるが「朝から家畜を移動させ、乳を搾るという重労働をこなす遊牧民が」食べるものだ。けっして、都市部にすむ人間が一日の〆に食べるものではない。

 まして、山のように盛られた小さめのボールツォグの隙間からは、ウルム…牛乳を熱してできる膜を集め、練ったもの…が顔を出し、果物で皿の縁は埋められている。

 このようなものを、文官の中年が夜間に食べるのはもはや責め苦と言えた。


 「三人ほどで分けると良い、と書いてありますなあ…」

 「であろう。ゆえに、一人で頼むと、店員に胡乱な目で見られてしまうやもしれぬしな。案ずるな。俺一人で食うから、お前たちは無理に食さなくて良い」

 「そこまで気を遣っていただくのは、恐縮しきり…諦めて店にいかないという選択肢はないんですかなっ!」

 「ない!」


 ふんすと鼻息を噴き出すトールの横で、ベンケも何故か胸を張っている。


 「…あきらめよ、せんせー。俺たちにできるのは、殿下が恥をかかないように私服を選ぶことぐらいだよう」 

 「ぬぬ…まあ、実際店に入る前に怖気づくこともあろうしな」


 お洒落な店に入るのは、大抵お洒落な人間だ。

 トールに洒落っ気などと言う機能は備わっていないが、自分が「お洒落ではない」自覚はある。

 店に入って行く客を見て、ここは自分がいるべき場所ではないと逃げる可能性は十分にあった。

 何せ、服は衣服官スクルチが作成した正装や騎士服でなければ、母が買ってきた服しか持っていないという二十八歳である。


 「弟よ、兄は頑張ってくるからな。美味かったら、弟が帰ったら一緒に行こう…」

 「若君はそれより黄麺シャルミンを食したがると思いますがなあ」


 諸々の事情により、現在は西の隣国アステリア聖王国で暮らしている二太子は、甘味を嫌う事もないが酒の後に食べたがりもしない。

 だが、トールの脳内では兄弟仲良く甘味を貪っている妄想が生まれているらしく、口許がむふむふと緩んでいる。


 「若ならさあ。こないだのお手紙で、でっかい蜥蜴が美味いって書いてあったんでしょお?」

 「うむ。何やら、かの国には牛ほどにもなる蜥蜴がいるのだとか。まあ、芋虫やら蜘蛛やらに比べれば、食べられそうなものではあるしのう」

 「若、そこの人が食べてるものなら何でも食べちゃうもんねえ」

 「それも博物学の研究なのであるとおっしゃってはおられるが…末将それがしムリ」

 「俺は行けるかなあ。でも、生は嫌だなあ」


 三者三様でしばし遠くに暮らす二太子を想う。おそらく今頃、大きなくしゃみをしているだろう。


 「では、さっさと仕事を終わらせて、往くぞ!」

 「はーい。じゃあ、俺、それまで寝てるねえ」

 「さっさと行っても店が開いてないと思いますがなあ。まあ、星龍君がやる気になっておるのは大変によろしい。では、この件でござますが…」


 ここぞとばかりに急ぎでもない仕事をやらされていることにも気付かず、トールは黙々と仕事をこなし、結果昼食を摂るのを忘れ、母にしこたま怒られたのだった。


***


 夜と言うには些か明るく、夕暮れと言うには青すぎる時間。

 三人の姿は、大都の南西部にあるカララ通りにあった。

 

 まだ魔導燈の灯りも点されていないが、すでに歓楽街は目を覚ましている。

 食堂や酒場が夜の営業を始め、客引きたちが値段や売り文句が書かれた看板を持って通りに出始めていた。

 

 「まずは、その、紹介されたものに会おう」

 「そだねえ。甘味のお店はまだやってないみたいだし」

 「今、後六刻過ぎ…店は後八刻からと書いてありましたな」


 うんうん、と頷きながら『大都のイチオシ☆甘味を食べよっ!』を見ているトールは、麻布で作られた胡服デールと羊革のマントを纏い、頭と首元には布を巻いてやや顔を隠していた。

 一目見て「オドンナルガ様!」と叫ばれるほど顔が売れているわけではないが、身分がばれなくても人が寄ってくる顔をしている。

 ましてここは歓楽街。自分の欲望に素直になりたい人間が集う場所だ。難は避けておくに越したことはないだろう。

 

 「こっちねえ。地下のお店だよお」

 「階段が膝に来る年なんじゃが」

 「担いでやっても良いが、担ぎ方に文句を垂れるなよ?」

 「摘ままれて運ばれるのは、御免こうむりまする」


 マルトが案内したのは、同じような店が立ち並ぶ一角だ。

 煉瓦で組み上げられた、三階建てから五階建ての建物が並び、ひとつの階に二軒ほどの店が入っている。

 大抵、一階か地階は酒場、二階から上が一夜の快楽を楽しむ店のようだ。


 階段は狭く、急な造りになっており、しかも薄暗い。

 マルトを先頭にウー老師が続き、最後にトールが階段を降りていく。

 万が一、ウー老師が落ちてもすぐに襟首をつかめるよう、トールは本を肩掛け鞄にしまい込んだ。


 「はーい。到着だよお」


 古いが頑丈そうな扉を押し開け、マルトは中へと滑り込んだ。


 中は、ごく普通の酒場に見える。

 座敷は衝立で仕切られ、五つほどの空間に別けられていた。

 模様がわからなくなっている絨毯には、おそらく元の厚さの半分になってしまっている座布団と、色褪せた座卓が無造作に置かれている。

 時間が早いせいか、それとも貸し切りにしたのか。客の姿どころか店員の姿はない。


 アスランの開祖クロウハ・カガンの父、大祖と崇められる人物は、異界の地より雷帝が遣わしたと伝承されている。

 その大祖は「家の中では靴は脱ぐ」という習慣も持ってきた。

 カーラン人や西方人からは不思議がられるが、アスラン人は大祖が齎した習慣を今も続けている。カーラン式や西方式の店ではない限りは、座敷に靴を脱いで上がり、座布団に尻を据えるのが一般的だ。

 

 その為店の造りは、まずは靴を脱ぐ場所がある。この店のように靴を入れる革袋が籠や箱に入っておかれており、客は自分の脱いだ靴を持ち運ぶ。

 高い店なら、まずは靴を脱ぐ小部屋が用意され、靴を預かる下足番がいるものだが、さすがに裏通りの地下の店に、空間も人も、余裕のあるわけがない。

 マルトの先導で、一行は一番奥の座に進んだ。衝立は装飾も何もなく、所々色の違う木端によって修繕されている。

 どこをどう好意的に見ても王族を迎える店ではないが、トールは気にした様子もなく薄く禿げた座布団に腰を下ろした。


 それを見計らったわけでもないだろうが、奥にぽっかりと開いた出入り口から、布をまくって男が一人現れた。

 この世のすべてが面白くない、と言っているような不愛想な顔には、客の到来を歓迎する様子は微塵もない。むしろ、嫌がっているようにすら見える。

 

 男は無言のまま、座卓に酒が入っているらしい瓶子と、色も形も揃っていない椀が乗った盆を置いて、また引っ込んでいった。


 「あのねえ、このお酒不味いからねえ。飲まなくてもいいよお」

 「蒸留酒アルヒか」

 「うんー」


 不味いよおと言いながら、マルトは椀をひとつ取り、中身を注いだ。途端に、裏通りの路地裏を思い起こされるツンとした匂いが立ち上る。


 「強いだけの安酒じゃなあ」

 「強くもないの。水で薄めてるから」

 「良いところが一つもないのう…」

 「呑みに来る店じゃないからねえ。逆に、ふつーのお客さんがいっぱいきたら、困っちゃうからねえ」

 「そういうもんかいな」

 「そだよお、あっちのさきが別の建物に繋がってて~、紹介される人がくんの」


 そんなやり取りをする二人を見ながら、トールも自分の椀に酒を注ぎ、口に運んだ。

 匂いが口いっぱいに広がり、咥内と咽喉を刺激しながら滑り落ちていく。


 「…不味いな」

 「だから言ったじゃない~」

 「不味い不味いと言われると、試したくなるものではないか…」

 「ふむ。しかし、人柱…いえ、先人知恵に習って回避する、というのもまた、ひとつの手段でござりますなあ」


 つまり、ウー老師は飲まないらしい。

 だが、まずいから飲まなくていいと言われていたのに口にしたのは自分である。舐めるように不味い酒を味わっていると、再び布が動く気配がした。

 視線を向ければ、そこから出てきたのは先ほどの不機嫌そうな男ではなく、もっと年若い…十代の少年だった。


 短い黒髪に、こちらを見据える双眸は柘榴の色。

 古びた服はお世辞にも上等なものとはいえず、体型にもあっていない。古着を端折り、むりやり着ているのだろう。


 アスランは遊牧民の国であり交易の国である。それらによって齎される羊毛や綿、絹、麻を紡ぐ紡績の国でもある。

 そのため、衣服は他国に比べて割安で、材質やどこの店のもの、といった名牌ブランドにこだわらなければ、古着しか買えないという事はない。

 そんな中で古着を纏うのは、明日を生きるために今日の食事を優先する経済状況の者か、敢えて使い古した感を好む者だけだ。

 

 艶のない黒髪や、袖口から覗く割れた爪を見るに、少年は間違いなく前者だろう。

 それでも、垢じみ、薄汚れているような印象がないのは、不潔にはならないようにしているせいか、整った顔立ちのせいか。そのどちらも、か。


 「…アンタっすか。俺を雇いてぇってお人は」


 柘榴色の双眸が、トールを見つめている。

 そのことに、トールは内心大きく頷いた。別に人見知り過ぎて、知らない少年相手に声が出なかった、というわけではない。


 この三人の中で、誰が主か、と考えた時、大抵のものは一番年嵩のウー老師をそうだと見做すだろう。見た目で一番若く見えるトールだと思うものはそうはいない。

 身形からしても、トールが今着ている胡服は、母が「安かったから~」と買ってきた量産品だ。庶民が普段使いにするようなものである。

 

 それでも、この少年はトールを「自分を雇おうとしている相手」と見做した。

 奥で三人のやり取りを観察した結果だとしても、正解に辿り着いている。


 「うむ」

 

 今度は実際に声を出しながら頷く。自分より一回り年下相手であれば、兄属性のトールとしてはやりやすい。人見知りも多少は軽減された。


 少年も軽く頷き、一行の傍に腰を下ろした。完全に胡坐をかくのではなく、踵を立てて座っている。何かあれば、一瞬で動ける姿勢だ。

 つまり、当然乍ら雇い主とは言え信用はしない、という事だろう。


 「で、俺に何をやらせたいんすか?やれと言うならなんだってってきますけど」

 

 コレ次第でね、と少年は指で輪を作る。ニヤリと笑ってはいるが、その顔は疲れ果てているように見えた。


 「これ、マルト。おぬし、どんな条件で紹介を頼んだのだえ?」

 「ん~?可愛いとこいっても浮かない感じでえ、腕がいいヒトお願いしますって」

 「間違ってはおらぬが…」

 「言ったじゃない~。怪しいとこだよおって。でもさあ、条件にぴったりじゃない?この子なら、ふわふわほよほよなトコ行っても、衛兵さんコイツですされないよう?」

 「…ふわふわ?」


 少年の眉が怪訝そうに寄る。業務内容がはっきりしなくては諾も否も判断できまいと、トールは鞄から本を取り出した。


 「うむ。こういう店だ」


 開いた頁には、森を模したらしい店内と、可愛らしい動物に扮した店員、さらに切り株や花を象った甘味がこれでもかと載っていた。


 「…アンタ、この店の誰が邪魔なんすか?」

 「いや、誰も目障りではないが…」

 「じゃあ、恨みがあるとか?」

 「この店の店主も店員も、会ったことすらないが…」

 「…じゃあ、なんで俺を雇おうと…」

 「この店の菓子が食いたいからだ。菓子を買ってきてもらうのに、それ以外に理由があるものか?」


 少年はしばしトールを見つめた。

 柘榴色の双眸には、困惑がくっきりと浮かんでいる。


 「あのねえ。暗殺そっちなら俺がいるからいいの。ほんとーにね、お菓子買ってきてもらいたいだけなんだあ。口入屋さんにも言っておいたんだけど、聞いてないのお?」

 「仕事の内容までは聞かねぇっすから…。菓子買うだけなら、なんで暗殺者おれをわざわざ雇おうとしてるんすか?いくらでも小間使い雇えばいいじゃねぇっすか」

 「いろいろあってねえ」


 少年はなおも何か言おうとして、言うべきことが見つからなかったようだ。口を閉ざし、むしろ薄気味悪そうにトールを見る。


 「まあ、警戒するのも無理はない、と思うがの。逆に考えてみい。言われたとおりの菓子を買ってくる。それだけで十分な報酬が手に入るのであるぞ?」

 「逆にそれが胡散臭ぇんすよ。美味い話は本当に美味かったためしはねぇっすから…」


 口調からすでに何度か騙されて苦渋を飲まされた様子が伺えた。

 大都は鮮やかな大輪の花だ。しかし、誰もが花の蜜を吸える場所に入れるわけではない。根の下で、血肉を啜られて朽ちていく躯の上に咲いている。

 

 「…お前は、シラミネの民か?」


 不意にトールが口にした言葉に、少年は目を大きく見開く。

 顔中にへばりついていた疲労の泥がはじけ飛び、年相応になったように見えた。


 「何故…そう思うんすか」

 「うむ。俺の弟が…俺の!愛する!大切な!弟がな」

 「星龍君わがきみ。今は話がややこしくなります故、抑えて説明をしていただきたく」

 「む、大事な事だが…まあ、よい。その弟が新たに得た友がシラミネの民でな。黒髪と赤い双眸が特徴なのだと手紙に書かれていた」

 「…」

 「なので、そう思っただけだ。お前がシラミネの民であろうとそうでなかろうと、特に意味はない。いや、そうであったのなら、弟の友人の同国人だ。是非、雇いたいと思うが」


 弟からの手紙には、シラミネ国の説明も書かれていた。

 数百年前、トールたちの祖母の母国であるヒタカミから争いを避けて移住した人々が、ひっそりと暮らす山国。他国との行き来すらなく、謎に包まれている。

 だから独特の風習とか文化とかありそうだし、生物相も調べてみたいんだよねえ!!と手紙の文字が躍っていたのを思い出して、トールは胸が温かくなった。弟が楽しそうなのはとても良いことだ。


 しかし、そんな国であるため、生活は豊かではない。また、一部の民には「角」が生えることがあり、隣国ではシラミネ人の子を攫って「飼育」し、角が生えるか競うという醜悪な遊戯があるそうだ。  

 生えても生えなくとも、人として育てられない子供の末路は悲惨である。だが、それに抗議し、民を取り戻すだけの力もない。もはや、国として成り立っているかも危うい。そんな国なのだと。


 そんな国から大都までやってきたという事であれば、何か目的があるか、もしくは攫われて「飼育」されていた子供なのだろう。

 民の総数が少ないのであれば、弟の友人の知己かもしれない。

 そう思ってしまうと、明らかに生活そのものに苦しむ少年を、なんとかしてやりたかった。

 

 「哀れまれているようで惨めだと言うのであれば、そんな相手を利用して金を稼いでやればいい。俺は菓子を食いたい。お前は金を稼ぎたい。利害は一致していると思う」

 「そうっすね。まあ、俺が喪うものなんて…もうなんもねぇし」


 再び少年の顔に、疲労と諦めが戻ってきた。


 「アンタが美味い話で釣って、なんか企んでるんだとしても、俺から奪えるもんなんざない」

 「いや、お前は生きておるから何もないわけではない。自分をあまり安く見積もるな」

 

 少年は答えず、薄く笑った。生きていることに疲れている。いつ終わってもいい。そんな顔で。


 「では、交渉成立という事で良いんだな」

 「良いっすよ」

 「報酬言ってないよお?」

 「菓子買ってくるだけなら、片手間っすし。どうせたいした金じゃないでしょ」

 「な、何を言うか!片手間など!この店など、開店の一刻は前に並んでいなければ買えないのだぞ!片手間にされたら困る!」

 「そっすか」


 返答は素っ気なく、やる気は一切感じられない。

 しかし、朝は朝議や政務軍務で自分で買いに行く事はできず、マルトもそんな時間には動いてくれない。真面目にやってくれなければ一生口にすることはできないかもしれない。


 「一回につき、銀貨五十枚。成功報酬で百枚。これでどうだ」

 「は?」 

 「む…足りんのか」


 大都で最低限の暮らし…共同の大部屋に寝泊まりし、飢えて死なない程度の食事をとるならば、銀貨五枚程度は必要になる。

 つまり、一回買いに行くだけで、目的の菓子を手に入れられなかったとしても、十日は生きていける金額だ。

 そんな最低限の暮らしで考えるなと言うならば、個室に寝泊まりしてまともな食事をするのに、銀貨五十枚あればおつりが出る。

 

 「無論、菓子を買う金は別に渡すぞ?毎日働けとは言わん。三日に一度…いや、二日に一度くらいで」

 「三日に二回くらいにしといたほーがいいよお」

 「まあ、そのだ!こき使うというほどは頼まぬ!安心してくれ!あと、小銭で渡されると重いというのならば、中銀貨で渡そう。そうなると、中銀貨五枚と十枚だな」

 

 市井で暮らすには、銀貨が一番使い勝手がいいと弟は言っていたが、ジャラジャラと何百枚もあっては重いだろう。それならば中銀貨の方がよさそうだ。


 「いや…別に重いとか、そーゆーんじゃなくってすね…あー…」

 「わかるう。でもねえ、このヒト、そーゆーヒトだから」

 「うむうむ。それに、素性と身元はこれ以上ないほどしっかりしとるしなあ。未払いの危険はないぞえ」


 床を彷徨う視線は、「本当に菓子買いにいくだけで銀貨百五十枚?」と「やっぱりなんか怪しい」の間で躊躇っている証拠だろう。

 いくら自分には奪われるものはないと思っていても、やはり美味しすぎる話には裏を疑ってしまうのも無理はない。


 「疑われるのは致し方ない。では、ひとつ。策など献上させていただきましょうかのう」

 

 そんな様子を見て、目を細めたウー老師が指を立てる。

 胡散臭さが二段階くらい上がった顔に、少年はさらに引いた様子だったが、その程度で怯む中年ではなかった。


 「この後の甘味処、我らではなくこの少年と同行しては如何?」

 「あ~。それいいねえ。ほら、仲良くなるには同じご飯食べるのが良いっていうしい」

 「さよう。さすらば、この少年も星龍君の甘味愛を知り、疑いをはらすことでござりましょうぞ」

 「む…」


 正直なところ、トールとしてはいくら少しはマシでも、初対面の相手と食事は避けたい。緊張しすぎて、甘味も辛く感じるかもしれない。

 しかし、確かに疑うならば実際に一緒に甘味を食す、という事は有効に思えた。


 「ならば、お前らも共に…」

 「何をおっしゃる!ここで星龍君と少年!二人だけで過ごすことで二心なき様を見せることが肝要にござります!我らと共にでは、余計に警戒されてしまいまするぞ!」

 「そ、そうか?」

 「そだよお。知らない所に、知らないおっさん三人に連れてかれて囲まれたらさあ。怖いじゃない?」

 「む、むむ…」


 それもそうか、と言う納得と、やけに推してくるなと言う疑いがトールの中でせめぎ合い…そして、納得が僅差で勝った。

 

 「では、この店に…まだ開店までに時間はあるが」

 

 本の頁をこれから行こうと考えている店に返ると、少年は遠くから覗き込んだ。

 紙面を彩る「お洒落!」を前面に押し出した内装と、その割にえげつない量の甘味に身を引く。


 「…ここに、俺と、アンタが行くんすか?」

 「うむ。むろん、飲食代は俺が出す」

 「行って、食うだけ?」

 「甘味処でそれ以外何をするのだ?」

 「いや、この店の後に…」

 「ああ。甘味だけでは食った気にならぬか。案ずるな。この店は飯も出すようだ」

 

 ほらほらと、食事の紹介部分を指差すトールを、少年はまじまじと見つめた。

 そして、何度も瞬きを繰り返す。

 

 「…いや、このツラなら、わざわざ騙して連れ込む必要もねぇか…」

 「む?俺の顔の事か?何を騙すのと言うのか」

 「ある意味騙してるよねえ」

 「この顔で、アレであるからのお」


 頷きあう二人にも視線を巡らし…少年の肩から、力が抜けた。


 「変なやつら…」

 「変わっているのは悪い事ではない。誰かに迷惑を掛けたり、不快に思われるような奇妙さでなければ、問題はないのだ」

 「そっすか…」


 口から洩れた溜息は、なんだか少し、明るく感じられた。

 

 「名は、何という?」

 「必要っすか?」

 「必要だろう。俺は、俺のもとにいる者の名は、すべて覚えることにしている。決して忘れん。兵士一人であってもな。まあ、そこのスットコドッコイの教えなのが癪に障るが」


 恭しく一礼するウー老師に一瞥を送り、トールは少年に向き直った。

 

 「己を数としか思わぬような将の為に、命を懸けて戦うことはできん。

 そして、一人の人間としてあろうとすればこそ、どのような場所であっても人としても矜持を保つことが出来る。

 俺はそれを軽んじぬ。だから、名を覚える」

 「…しろ」

 

 小さな声は、消え入りそうなほどなほどであったが、しっかりとトールの耳に届いた。ふむ、と頷く。


 「しろ、か。不思議な響きだ。シラミネの言葉か」

 「そうっす。タタル語(こっちのことば)に直した方が良いっすか」

 「いや。お前の名はしろ、なのだろう。ならば、そのままにすべきだ。俺も他所の国に行ってノネコと呼ばれるのは嫌だし」


 トールの真面目な顔で繰り出された返答に、少年…しろは、今度こそ笑った。

 

 「やっぱり変っすね。アンタ」

 「まあ、気にするな」


 やや打ち解けたらしい二人に、ウー老師とマルトもニッコリと微笑んだ。

 これで、あの確実に浮きまくる店に、人見知りして店員とも話ができない主と共に放り込まれるという苦行に耐えなくて済む。

 

 それで、しろが「やってらんねーっす!」と契約破棄したら、その時はその時。


 (せんせーに、可愛いお店に突撃してもらえばいいよねえ)

 (なんだかんだでマルトは星龍君に逆らえぬからな)


 にっこりとそんなことを考えている二人。

 そんなことは露ほども思わず、トールは甘味処の開店までどうするか、という事に頭を悩ませ始めたのだった。


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