9 女神さまが見てる ~はっぴーえんど~
前半、マニ。後半、執事。
念のため。マニと話し終わった後に、第二王子とアンダロだけが執事に話に行ってます。
「隠し扉なんて、知らないわ。
今さら王子様たちが来て、何になるの?
お父さんは死んで、商会は潰れたわ。
王太子直轄領だなんてお父さん、喜んでたけど、王家が何をしてくれたっていうの?」
顔を上げたマニは、膝で両手を握りしめ、今度は第二王子を睨みつけた。
「……ヤンとチャーンが鉄棒を小窓から差し入れた時、音がしないようにと祈ったわ。
食事の用意をしてるフリしながら、テーブルクロスを被ってる時、振り返らないでって祈ったわ。
鉄棒を構えて背後に忍び寄った時、気づかないでって祈ったわ。
願いは、全部叶えてくれたのに!
どうして神様は、最初のお願いだけは、叶えてくれなかったの!?
お願いだから、お父さん無事でいてって、一晩中祈ったのに!
どうして、どうして誰もお父さんを、助けてくれなかったの……?
きらい、きらいよ、王家も、神様も、みんな大っ嫌い!」
悲痛な声で叫びを上げるマニに、誰も何も言えなかった。
ただ一人、リリアムを除いては。
「ええ、ひどいですね。
どんなに祈っても、どんなに願っても、神様は見守るだけで、何一つ、助けてはくれないのですから」
リリアムが、マニの膝で握りしめられた手を取った。
細長い指が固く握られた拳を掬い上げ、親指から人差し指と、一本一本解いていく。
暖かい指が触れるたびに、傷がつくほどきつく握りしめられた手の、痛みが引いていく。
「……え」
――癒し手様……?
声もなく、マニは口の中で呟いた。
念じれば、傷を癒し。
望めば、病を祓い。
祈れば、祝福を与えるという。
尊き神の慈悲の体現者。
神の奇跡をこの世に顕現させる、神に愛されし癒し手。
「弟を質に取られ、お嬢様に利用されても、何一つ、助けてはくださらなかった。
だって、神様は見守る以外、なにもできないのですから」
こうやって力をお貸ししてくださった所で、直接助けてくださることはありません、と。
マニの目の前に座り、リリアムが視線を合わせ、頬に手を添わせる。
「神様なんて、気が済むまで詰って、怒って、恨んで、良いのです。
そうやってあなたがどれだけ嫌いになっても。
――ほら、大丈夫、何があっても、見守ってますから」
手と頬、触れた所から伝わって来るのは暖かさと。
言いようのないほどの、心振るわせる祝福だった。
雲を貫いて遍く照らす陽の光のごとく、暗く淀んだ恨みつらみに、祝福が惜しみなく無慈悲に降り注ぐ。
――眠る赤子を守る木陰、干天に振る舞われる慈雨、闇夜の月明かり。
無力な神の、無償の眼差しが降り注ぐ。
「許せなくて怒ったのですね――悲しむ前に。
悲しみを糧に憎しみを燃やしたから。燃やしてしまったから。
悲しみ方が、わからなくなってしまいましたか?」
マニは、目の前の、黒の瞳で思い出す。
夜、眠る前、家族全員におやすみなさいと言ったこと。
次の日にはまた会えると、疑うことすらせず、安心して眠ったこと。
――会えなくなる日が来るなんて、思ってもいなかった。
「怒りも憎しみも、悲しみを紛らわしこそすれ、癒しはしません。
怒るなとは言いません。
憎むなとも言いません。
でも。
幸せになることも、忘れないで下さい」
楽を請い苦を払う聖句が胸に木霊する。
打ち寄せるさざ波のように、何度も、何度も。
だからマニは。
マニ=シィロックは。
小代官を殺しても。
商人を、護衛を殺しても。
――二度と会えないのだと。
ようやく、それを理解した。
一滴、二滴、それからは堰を切ったように、次々とマニの頬を途切れることなく滴が滑り落ちる。
悲しむことから目を逸らし続けていた哀れな娘の。
やっと流すことができた哀惜の涙だった。
そうしてリリアムがマニの頬を滑り落ちる涙を受け止め、落ち着くのを待って。
しばらくして、第二王子が前に出た。
涙に濡れる瞳に少々困った表情を浮かべながらも、第二王子はしっかり目を合わせて口を開く。
「これを今、君に言ったところで、だからどうした、と言われるかもしれないが。
王太子直轄領の小代官、王太子の名代が、王太子の宝物である領民を騙した上に、殺しまでした。
王太子の名誉を汚した上に、宝物をその掌から奪ったのだ。
これを裏切り、謀反と言わずして何という。
君は、謀反人をわが身の危険を省みず、立ち向かったのだ。
仇を討ち、謀反人を打ち倒した、君は立派な英雄だ。
言い訳にしかならないが、王家の内部事情のせいで、目が行き届かなかった……助けが、間に合わなかった。
彼らに下される刑は、縛り首を下回ることはないはずだ。
もちろん後任の小代官が詳細を調べて、シィロック商会や他の件も、弁償、保障、名誉の回復へも手を回す。
直接の仇討ちを認めることはできないが。
これで許してもらえないだろうか」
◇ ◇ ◇
問われて、執事は陳述する。
どこか晴れ晴れとした表情なのは、隠すことがなくなったからか。
「思惑も何も。
小代官様を亡き者にした事の始まり。
それは私めの罪科でございます。
そもそも、私めが雇い入れさえしなければ、あの娘は殺しなどせずにすみました。
小代官様の横暴を止められなかった贖罪にと、望むならばと雇い入れ。
水汲みにと求められ、一瞬よぎった懸念を気のせいだと思って鉄柵の一本を渡さなければ。
あの娘は、小代官様を殺すことはできなかった。
私めにできたことは、泥で汚したというつたない言い訳を受け入れ、テーブルクロスを誤魔化して孤児院へ隠し、花瓶の入れ替えを許し、せめてと思い、あなた様方からあの娘を庇うために証言することだけでございました」
言って、執事は書いていた帳簿を指し示した。
「引継ぎの資料を作っている所です。
見返した所、帳簿も間違いはなさそうなので。
どうか、あの娘はただ鉄棒を振り下ろしただけございます。
お膳立ては私めが。
真実、小代官様を殺したのは、私めでございましょう。
どうぞ、お連れ下さい。覚悟はできております」
執事は穏やかすぎる表情で、いっそ笑みさえ浮かべてそう言ってみせた。
第二王子はそれを、手を上げて遮り。
「兄上からは、名誉を守ってきてくれと頼まれた。
報告書で、小代官が汚職に塗れていそうなのが分かっていたからな。
屋敷内を取りまとめるだけの執事に、できることは少なかっただろう。
兵士長の報告書、魔法官の訴状、補佐の告発書、それらを小代官の目を盗み、上へ回すしかできなかった。
代官、執政官、そして最終的には王太子の目に届くように、祈るしかできなかった」
第二王子は一旦、言葉を区切った。
自身の言葉を、執事が咀嚼する時間を与える。
案の定、執事は話が思っていた方向へ転がらず、理解が追い付いていないようだった。
「王太子直轄領――その小代官、王太子の名代が、王太子の名を汚した。
王太子殿下の名誉を汚した謀反人を、よくぞ許さず、自らの手で正そうとしてくれた。
代々、王太子直轄領に仕えてくれた役人の一族。
そなたの声は、王太子殿下に届いたぞ」
たかが一つの小さな田舎町の小代官、それに仕える小役人。
ただただ真面目に、仁を、義を、礼を、忠を捧げてきた。
一生、王族が来ることも、それこそ領主たる王太子が来ることもない小さな町の役人の。
その働きを、見てもらえた。
捧げた勤めが、返ってくるはずのない応えを得たのだ。
「……王家に、忠誠を。
私めの生涯、一族の忠誠は、今、報われました」
深々と礼をすることで、執事は誰からも見えないよう、顔を隠した。
隠しながら、授かった言葉を子々孫々、語り継ぐことを決意する。
「そうだ、マニ嬢なんだが。
学園に復学してはどうかと思っている。
そして、ゆくゆくはキーパー侯爵家のメイドにどうかと」
「それはようございますな。
私めからも、学園の費用、ささやかではありますが、出させてもらっても?」
この小代官屋敷で勤め続けるより良いでしょうと、執事が二つ返事で返す。
「それと、ヤンとチャーンなんだが。
あの二人、学園にある聖リリィ礼拝堂の庭師見習いに、口利きしようと思っている。
この屋敷にいれば、いずれ自らの行いの意味を、自らが何を為したかを、知ることになるだろう。
俺は、それは望まない。
きっと、あの娘も望まないだろう。
あの子らは何も知らなくて良いと思っている」
話を通してもらえるかと、第二王子が執事に問う。
かしこまりましたと、執事が返す。
「よし、これですべてが丸く収まった。
ここしばらく、兄上も思うように動けなかった。
今、派閥の再編にお忙しくされてるが、領地からの報告にはちゃんと目を通されてる。
誰もが安心して暮らすことができる、平穏な日常は守られるべきものである。
そう、兄上はお考えだ。
この町での皆の働き、必ず伝えると約束する。
これからも、よろしく頼む」
「拝命致しました。
心から、感謝いたします」
皆のことをよろしくお願いしますと、執事は深々と礼をした。
◇ ◇ ◇
これは内緒でもなんでもない、ただのお話。
今、太陽が、真昼の空の上から堂々と見ている光景です。
ここに来るまでは、仕事が終わったら、と思ってたんだが。
さすがにあの後で、旅行気分にはならんな。
うん、俺が甘かった。
せっかくこっそり計画していたのに、悪いな、ロサ。
それで、俺は王城へ兄上に報告しに行かないといけないが。
アンダロ、おまえもマニのことを宰相殿――キーパー侯爵に頼まないと、だろう?
一緒に王都だよな。
もう、四人一緒に王都で王城でいいんじゃないか。
それで、だ。
ロサは俺と一緒に、王城。
俺が兄上と話している間、庭師の爺さん、そう、俺の祖父さんとお茶してもらってていいか。
内々にはokもらって……うん、わかってる。
母上に頼んで、王も王妃も絶対に来ないように足止めしておくから。
母上も会いたがっていたが、うん、王の唯一の愛妾ってなると、ちょっとまだ、なんだよな。
わかってる。
ただ。
兄上が突撃してきたら、すまん。
ええと、その時は……庭師の娘のその息子、つまりは恋人の俺の母親違いの兄ってことで、一つ、頼む。
いやほんと、前の時、事件のことを根掘り葉掘り……。
今回も、ロサからの話も聞きたいとか言い出したら、一応、自分の領地の事件のことだから、大義名分があるような、無いような。
兄上、ものすごく口が回るんだ、さすがは王族、王太子で。
口で勝てたことが無くてな。
だから、できるだけ止めるつもりだが。
突破されたら、すまん。
先に謝っておく。
で、アンダロとリリアム嬢。
一緒に宰相殿に会いに行ったらどうだ。
それでな。
ちょっと見てたんだが。
二人とも、石像と木彫り人形じゃないんだから。
会話しろ。
目と目で会話するな。
口に出せ。
今も!
二人で顔を見合わせて!
話してますよね、みたいに頷き合うんじゃない!
目と目で通じ合う夫婦か。
……ちがう、夫婦みたいだと褒めたわけじゃない。
そこで照れるな、頬を染めただけで終わるな、二人とも!
第九話 「女神さまが見てる」
~はっぴーえんど~ end.
事件解決までお立会いいただき、ありがとうございました。