『諦めなければ叶う、と言いますが。』2
夢を見た。中学3年の冬。雪がちらつく図書室の窓辺を見ながら本を返そうとした、私が初めて津村先生に出会った時の夢だ。
俗に言う進学校に通っていた私は「制服のデザインが可愛いから」という理由で、地元から車で40分かかる中規模な高校の【中高一貫コース】に入学した。
中高一貫コースでは何事においても“学力が全て”で、とりわけ“英語”に力を入れていた。
しかし、学力がとりわけ高くもなく低くもない、英語の成績も平均で、
唯一成績が良かったのは国語と美術だった私は、
クラスから浮いていた。悪い意味で。
スクールカーストの上位は、言いくるめが上手くて両親の勤め先が地元の有名企業で主張が激しい生徒が占めていて、
さらにその上には“本当に頭が良い生徒”が神格化されていた。
そんなカーストの中に、「言いくるめることもできない」、「両親は農家」の私が、
クラスの中で輝けるはずがなかった。
半ば友達を作ることも諦めて、同級生と人間関係を結ぶことも放棄した私は、
結果的にスクールカーストにすら入っていなかった。
担任の英語の先生からは「貴方は英語の成績が悪いから部活に入るな」と命令され、
放課後は部活に行く同級生を横目に1人図書室へ宿題と課題をこなすために足を運ぶ毎日。
そんな私を見た担任は「もっと同級生と仲良くしなさい」とアドバイスをした。
今思えば、あまりにも矛盾している。
その日は宿題も課題も全て終わっていたので、久しぶりに本でも読もうかと図書室へ足を運んでいた。
階段を降りて左へ曲がり、中高一貫コースの職員室と生徒指導室を通り過ぎれば図書室だ。
『今日は何を読もうか』と、以前借りてた「漫画でわかる!源氏物語」を抱えて足を進めると、生徒指導室から誰か出てきた。
私の頭2つ分高い、間違いなく髪型から男性と思しき人には、他人を寄せ付けないオーラが放たれていた。
しかし、日本人というより英国人のようなホリの深さに一瞬目を奪われ、目が合ってしまった。
「ぁ…………こんにちは」
と彼の威圧感にビビりながらなんとか挨拶をすると、その人は眉間に刻んでいた皺を解き少し微笑んで「こんにちは。」と言った。
その声は彼の見た目通りな声をしていたが、まるでアナウンサーのような、
ナレーターのような、聞いたことがあるようで聞いたことのない、聞き心地の良いテノールで、
再度耳を疑った。
思えば、これは俗に言う『一目惚れ』だったのだろう。
驚きを隠せず足が止まり、口をポカンと開けている私を見た彼は
「おや…」
と半ば澱んでいた目を一瞬輝かせた。
「確か、リボンを身につけている方は中等部の方ですよね。お名前は?」
「はい……私は………」
ジリリリリリリ!!!!!
鼓膜をつんざくスマホのアラームが響く。
「――っ!」
今日は私がデザインを担当するVtuber配信者の方との打ち合わせだ。
絶対に遅れるわけにはいかない。
条件反射でカッと目を開いた私は、急いでスマホの時刻を確認する。
現在時刻は『9:30』。打ち合わせまで2時間。
初めての大手企業からの案件で、緊張と興奮でものすごく早く目が覚めてしまったようだ。
ここで二度寝をしたら半日目が覚めない自信があるので、しかたなくベットから出る。
それにしても9時代に起きたのは2ヶ月ぶりだった。カーテンから漏れる朝日が眩しすぎる。
2時間。中途半端な時間だ。30分のアニメ4話分。国内ドラマ2話分。映画0.5〜1本分。地味に時間を潰すのが難しい時間だ。
「散歩するのも怠いし朝ごはんは食べたく無いし…どうしようかな……いや…そうだ!」
部屋着のまま寝室の扉を開けた先に、有名パソコンメーカーのゲーミングPCと3つのPCモニターと液タブなどのゴツいガジェットが陳列した「女気のない部屋」つまり私の作業部屋がある。
流れるように電源を付け、YouTubeとピンタレストを開く。
「えっと………これでいいかな、『ごじろくじ_切り抜き』。………おぉ…めちゃくちゃ出てくるな…」
私は打ち合わせの時間まで、キャラクターデザインの参考資料を漁り始めることにした。
営業の菅沼さんからお話をいただいたその日から、
古今東西のVtuberの立ち絵を見たりTwitterでバズっている一次創作のイラストを漁ったり、
【ビジュがいい_とは】とネットを漁ってみたり。
とにかくこの3日間、インプット尽くしだったが、やはり打ち合わせ当日も不安だった。
何せ、「1年間“新人”という音沙汰が無かった“ごじろくじ”」、
「“ライバーの打ち止め”と噂をされている中、水面下で動く“1年ぶりの新人デビュー”」。
この看板を私が担当するライバーさんと背負おうとするのだ。
不安しかない。
私は広義の意味では有名なイラストレーターではない。
担当するライバーさんに関しては、当然のように“前世”も知らない。
まるで「暗闇でモナリザを超える名画を描け」と言われているようなものだ。
まずい、胃が痛くなってきた。
ジリリリリリリ――
打ち合わせ10分前のアラームが鳴る。ネットの深海から急浮上して、web会議の準備をする。
相手は男性とは伺っている。相手はどんな絵柄が好みなのだろうか。相手はどんな性格なのだろうか。相手はどう変わりたいのだろうか。それとも変わりたくないのだろうか。相手はどんな声をしているのだろうか。低いのかか。高いのか。中性的なのか。年齢はどれくらいなのだろうか。どのターゲット層に受けたいのだろう。そもそもどうやって……いけない、余計な考えが渦巻く。
手元に置いてあったエチゾラムの錠剤を1つ飲む。
深呼吸を1つ。
時刻を確認して、web会議のURLリンクをクリックする。
『今さら動揺しても、あまり意味はない。とりあえず相手の思想を絞り切る勢いで要望を聞き尽くすんだ。』という思考で頭の中を落ち着かせた。
20秒ほどで画面が【待機中】から【通話中】に切り替わった。
それを皮切りに私は、
「もしもし、こちらのお声は届いておりますか?」
と、地声より2オクターブ高い声で音声確認をする。
「――はい、少々お待ちください。」
ヘッドフォンからは落ち着いた低めの男性の声がくぐもって聞こえる。
「――えぇ…これを…こうして。はい、大変お待たせいたしました。私の声も届いていますでしょうか?」
今度はクリアに聞こえる。
とても落ち着いて、優しいテノールで、どこか聴いたことのある安心できるような声。
……聴いたことのある?
「あ、はい、聞こえております。本日はよろしくお願いいたします。紫苑と申します。」
「こちらこそよろしくお願いいたします。
その……すみません、打ち合わせ前にご確認したいことがございまして、紫苑さん。」
思わぬ質問に「ふぁいっっっ!」と変に勢いのある返事をしてしまった。
「もしかして、遠藤士織さんですよね?」