〔陸〕
島に渡る荷足船の底でサキは、猿ぐつわされたうえに両手両足を縛られ荷の間の狭い隙間に押し込まれていた。
幼い頃のサキは、父と母、姉の三体で山に隠れ住んでいた。あの日、父は里に出稼ぎに出て家におらず、残された母と姉には売人に抗う術が無かった……。
「せっかく逃げ出したのに、逆戻りかぁ……」
年に何度か、茶屋でも遊女が行方不明になった。やれ、駆け落ちだ。足抜けだと騒がれたが、おそらくこの自分のように売人に攫われたのだろう。
サキを売人に売るときアグリは言った。
「おめぇが売られるって、愛しい先生に教えてやるから安心しな。助けにくりゃぁ、船人足の獄鬼が食い殺してくれるだろうよ。まぁ、見捨てられるに決まってるがね」
サキを引き渡し金を受け取ったアグリは、慣れた段取りだった。いままで何体も雌体を売ってきたのが解る。
獄鬼を全部殺すとイキがったはずが結局、このざまだ。
もう自分の身など、どうなっても良かった。
ただ願う。
トウヤ先生、来ないでくれと。
「さよなら、先生……」
「サキっ! どこだ、無事かっ!」
目を閉じ諦めの涙を流したサキは、トウヤの声に目を見開いた。
嬉しい、ここにいると声を上げたい。しかし、この船には売人二人と獄鬼の船人足が数体乗っている。
トウヤに勝ち目は無い……。ここで一緒に殺されるくらいなら、トウヤだけでも助けたかった。
「うぁああああっ!」
渾身の力を込め、サキは腕を括る荒縄を引き千切った。そもそも力だけは強い惨鬼である。遊女となってからは客に傷を付けないよう無意識に抑えているだけなのだ。盛りを過ぎると力も衰えるが、いまのサキは気力も体力も絶好調の年頃だった
猿ぐつわと足の縄を解き立ち上がると、米や味噌が入った重い荷箱だろうと関係なく、軽々持ち上げ船の上から海に投げ込んだ。
「サキ! 助けに来た、逃げろ!」
桟橋に立つトウヤの背後に、赤銅色の肌を持つ醜悪な獄鬼が飛び掛かろうとしているのを見たサキは荷箱を投げた。汚い悲鳴を上げ足下に倒れた獄鬼をトウヤが斬り捨てる。
「せんせぇ~! ヒックぐすん、、怖かったよぅ!」
ベソをかくサキの身体を、荷の影から飛び出した売人が羽交い締めにした。サキは身を捻り、売人の鳩尾に肘鉄を入れ首を捻る。
ごつり、と、鈍い音。
「無事で良かった、昼間の事は謝る! 何も知らず、酷い事を言った!」
短刀を構え懐に入った獄鬼を紙一重に交わし、トウヤは鮮やかに首を刎ねた。水音を立て、首は海中に沈む。
「ううん、あたしこそ、ごめんなさい……先生は何も悪くないよ。でもこれだけは信じて。子種とか、もうどうでもいい。あたし本気で、先生の事が好き!」
凶暴な野猿のごとき鋭い牙を剥いた獄鬼がサキの首に噛み付かんと肩に飛び乗った。サキはその身体を鷲掴みし、膝でへし折る。
「サキ、聞いてくれ! おまえが言った噂、アレは本当だ。私こそ、その混ざり児……医師であった父が、一人の雌体を愛し出来た子だ。だが、素性を隠し生きるのは、親も私も辛い事ばかりだった。だから、おまえにあんな事を言ってしまったのだ」
最後に残った獄鬼が、トウヤの頭上に斧を振りかざす。その手首を斬り落とし、垂直に胴を寸断したトウヤは、急ぎ荷足船からサキを引き上げる。
「私も……おまえが好きだ。おまえの願い、混ざり児である私なら叶えられるかもしれない。私と一緒になってくれるか?」
「嬉しいよ……先生!」
累々と重なる獄鬼の屍の前で、二人は抱き合う。
最後に残された売人が、血糊に足を滑らせ桟橋から落ちて大きな水音を上げた。