バトンタッチのようです
スタルカの目にはそれが真っ直ぐに見えていた。
カティ。大好きな、私のお姉ちゃん。
どうやら、その人に空中で受け止められたらしい。いや、〝抱き止められた〟と言った方が近いのか。
腰を抱き寄せられ、向かい合うようにして。
それどころか、二人の体は少し上昇する軌道上にある。
恐らく、地面からここまでカティは跳び上がってきたのだろう。思いっきり、渾身の力で。
そして、落下する途中だったスタルカの体を抱き止めた。
その跳び上がりの勢いが、スタルカを抱き止めた後もまだ続いている。
それ故の緩やかな滞空状態なのだと思われた。
今更だが、一体どんな身体能力だというのか。スタルカは目を丸くするしかない。
「……でもっ、わたし……!」
しかし、その顔はすぐにまた泣き出しそうなそれに歪む。
カティと顔を合わせたことでさらに罪悪感が増してしまった。
こうして間一髪助けてもらえたことに対する安堵や嬉しさも感じているはずなのに。
それに対して、自分はまた何も出来なかった。恩を返せなかった。
お姉ちゃんを助けることが出来なかった。
そんな後悔ばかりが募って、目を伏せる。
「ヒビしか入れられなかった……! あの竜の鱗を砕くって、そう、決意したのに……! あの鱗には魔術しか通じないから……っ! だから……私が、って……! そのために……みんなに……!」
嗚咽混じりで、途切れ途切れにスタルカはそう事情を話そうとする。
だけど、感情が昂ぶりすぎて上手く言葉にならない。
気持ちばかりが先走る。自分に全てを託して、送り届けてくれたみんな。助けたかったみんな。その人達に顔向け出来ないという気持ちが。
「……そういうことだったのか」
道理で、どれだけぶん殴っても効かねえはずだ。
カティはそれを聞いて、感心したようにそう呟いていた。
スタルカの拙い説明をちゃんと理解してくれたらしい。
その後で、カティはこう語りかけてくる。相変わらず優しい声で。
「いいや、ヒビさえ入りゃ十分さ、スタルカ。ありがとう、よくやってくれたな」
驚いて顔を上げるスタルカ。
その目を真っ直ぐに見つめてきながら、カティは言ってくれる。
「助かったぜ」
スタルカが一番求めていた、その言葉を。
本来なら、飛び上がって喜ぶべきなのだろう。
だけど、スタルカはどうしても信じられない。素直に受け止められない。
そうする資格がないと思ってしまう。あんな結果では。
「でもっ――」
「――いいや、お前は十分やった。オレをしっかり助けてくれた。誰もそれを否定しないさ。そして、否定もさせねえ」
反射的に否定しようとしたスタルカ――それを遮って、カティはそう言った。
こらえきれず涙を流すスタルカの頬に、優しく手を添えてきながら。
「だから、ここから先はオレの仕事だ。オレに任せてくれ。スタルカの頑張りを、オレが成功だったことにしてみせる」
オレを信じてくれよ、スタルカ。
そう言って、カティはにかっと笑った。花が咲くように。
本心からスタルカを安心させようとしてくれている。そう思える笑顔。
「――――」
それを見て、スタルカも頷きを返す。どうにか涙を止め、鼻を啜り。
自分もぎこちない笑顔を作ってみせようとしながら。
「それに実際、あのヒビが突破口になるぜ。ヒビさえ入ってりゃなんとかなる。鱗を砕いて、あの竜に引導渡してやるよ。だから――」
その返事に満足したらしいカティ。
次にそう言いながら、ぐるんと強引に身を捻った。
抱き合っている二人が空中で回転する。
いい加減そろそろ落下軌道に入りつつあった中で、
「少し下がっててくれ、危ねえからな。頼んだぞ!」
回転の勢いを乗せて、カティがスタルカを放り投げた。
互いの位置を入れ換えるようにして、背後へと。
突然のことに驚き、固まるしかないスタルカ。
しかし、どうしようもないままその体は落ちていく。
投げられた勢いを乗せて、結構なスピードで。
離れていく、カティとの距離が。手を伸ばしても届かない。
お姉ちゃん。叫んでも、背を向けたその人は振り返ってくれない。
今更〝行かないで〟なんて言うつもりはない。ただ問いたかっただけだ。
……私、いま魔力切れですっからかんなんだけど、どうやって着地したらいいの!?
己の背後に地面が急速に迫りつつあるのを感じる。
明らかに無事では済まなさそうな勢いなんですけど。
いくら自分と結晶鎧竜との戦いから距離を取らせたいからと言って、こんな方法で――!?
先ほどまでの乱れた感情は全部どこかに吹き飛ばしながら、スタルカは落ちる。地面に――。
「うおおおおぉいっ!? いくら俺がいるからってこんな風に投げ渡してくるかよ普通っ!?」
落ちた先は、地面ではなかった。柔らかくもないが、固すぎもしない。
そんな誰かの体の上。そこに落ちた。というよりは、受け止められたらしい。
多少の衝撃はあったものの、痛みはまったくない。どうやらかなり上手に受け止めてもらえたようだ。
とはいえ、タイミングは相当ギリギリだったらしい。
スタルカは受け止めてくれたその人を下敷きにしてしまっていた。
大急ぎで走って滑り込んできながらキャッチしてくれたのだろう。
自分の下にいるその誰かは、肩で息をしながら悪態をついていた。
その顔を確認して、スタルカは目を見開く。
「クロウシ!? 生きてたの!?」
「生きとるわ、当たり前に。あれくらいで死んでたまるかよ」
スタルカを受け止めてくれたのはクロウシであった。
驚きのあまり、スタルカは急いで体ごと振り向く。クロウシを下敷きにしたままで。
どすどすと踏まれてクロウシは呻いていたが、気にする余裕はない。
「どうやって――」
あの状況を切り抜けたというのだろう。確実に死んでるパターンだったのに。
だからこそ、その死を悼んで最後に見直したというのに。あの気持ちを返して欲しい。
スタルカの胸にそんな複雑な感情が一気に押し寄せる。無事を喜ぶ気持ちも多少はあるはずなのだが、それより大きな困惑によって流されてしまった。
「一々説明してる暇ないっての。それより、いい加減どいてくんない!? カッさんに言われたとおり、早く逃げ――」
相変わらず憎まれ口でそう返してくるクロウシ。
だが、カティの名前を出されたことでスタルカはハッとなる。
「――ごめん。どくけど、逃げるのは待って」
クロウシの言葉を遮ってスタルカはそう言うと、その場で急いで振り向いた。カティの向かっていった方へと。
「見なきゃいけない……見届けなきゃいけないの。お姉ちゃんの戦いを」
それを確認したい。この場に留まって確認しなければいけない。
そんな、使命感のような何かにスタルカは突き動かされる。
その気持ちが逸るあまり、どくことも忘れて。
「……はぁ~……ったく、わーったよ」
クロウシが盛大な溜息を吐き、仕方なさそうにそうこぼした。
仰向けになっていた上半身を起こすと、スタルカをひょいっと持ち上げて強制的にどかしてくる。
その扱いに文句も言わないくらいにスタルカは集中していた。カティの戦いを見届けることに。
恐らく決着は近い。その瞬間を見逃すわけにはいかない。
何故なら、自分にはその責任があるから。
自分が本当にカティのことを、みんなのことを助けられたかどうか。
その結果を確認する責任が。
「一緒に見ようぜ。俺達の主君の戦いを」
いつの間にやらクロウシが隣に並んで、そう言ってきた。
その言葉に同意してなのか、スタルカの懐深くに隠れて怯えていたネズミも再び顔を出す。
スタルカも黙って頷きだけを返した。
二人と一匹で見届けよう。いや、ネズミの目を通じて見ている人達も合わせて。
自分達の命運が託された戦いの決着を。




