原因を思い返すようです その2
いや、しかし、それもここまで全員が酔っぱらっていては難しかったのかもしれない。
仕方がない、誰を責めることも出来ないだろう。
やり直すには、全員が酒を飲み過ぎないようにするしかない。
いや、それよりも、やはり店選びから考え直すべきだったのかもしれない。
自分達の行きつけである食堂の『金熊亭』を打ち上げの会場に選んでいなければ。
金熊亭の店主の息子のダニーが、九歳という悪戯盛りのどうしようもない悪ガキでさえなければ。
ダニーが普段から店の客に軽い悪戯を仕掛けては叱られていることを誰かが覚えていて用心していれば。
その夜も店の給仕の手伝いをしつつ、悪戯を仕掛けるタイミングをダニーが探ってさえいなければ。
霊薬を荷袋から取り出して話し合っていたのを、ダニーが目撃してさえいなければ。
その霊薬を雑に戻したせいで、こっそり抜き取るのが簡単になってさえいなければ。
全員が夢中で話し込んでいる隙に、ダニーがサークの酒瓶と霊薬をこれまたこっそり入れ替えたりさえしなければ。
誰かがその悪戯を目撃していたか、あるいは悪戯を仕掛けられたことに気づいてさえいれば。
……だが、今となっては全てがたらればの話でしかない。
誰もがほんのちょっとだけ不注意だった。
それが積み重なって、この悲劇へと繋がってしまった。
まったく、運命というものはまさにそういう小さなことが幾重にも折り重なって作られる巨大な流れと言えるだろう。誰にも予測できず、ましてや動かすことも出来ないような。
サークは哀れなことに、為す術もなくそれに呑まれてしまった。
いや、正確には呑み干してしまった。
何を? 神に並ぶことが出来るとされる『秘宝』を。
世界で最も美しくなれる霊薬を。
「――プハァ!」
各々の酒を飲み干すと、四人は勢いよく自分の椅子に座り込んだ。急速に酔いが回ったのだろうか。
「おいおい、サーク。瓶を一気かよ、大丈夫か? また宿に帰る前にそこら辺でぶっ倒れても知らんぞ?」
アレクが空になったサークの瓶を見てそう声をかけてくる。
「大丈夫、大丈夫。つーか、この酒なんか抵抗なくスルスル入ってきたから一気に飲んじまっただけだよ。味も妙な感じだったしなぁ……」
鷹揚に手を振りながら、サークはアレクにそう返す。
「あ……?」
と、サークはそこでふと視界がやけにぼやけていることに気づいた。
いや、ぼやけているというより何か煙たい。
どうやら煙が立ちこめているせいで目の前がよく見えなくなっているらしい。
「おいおい親父ぃ! 一体何焼いてんだよ、店中煙だらけになってんじゃねえか! それとも手元狂って小火でも起こしちまったかぁ?」
呑気にがははと笑いながら、サークは厨房へ向かってそう声を飛ばす。
酔いが回りすぎたせいか、体も頭も妙にふわふわしている。
火事だったらそれこそ大事だというのに、確認のために動く気にもなれない。
「――ちっ、違うわよサーク!? 火事じゃない!」
「あぁん? じゃあ、何だよこの煙ぃ」
若干悲鳴じみたカルアの叫びに、サークはそう問い返す。
もはや煙は完全に視界を覆い尽くし、サークには仲間の顔すら見えない。
一体何が起こっているのか。その答えはすぐに飛んできた。
「アンタの全身から煙が出てんのよ!?」
「はぁ……? はぁぁあッ!?」
それを聞いて、ぼんやりしていたサークの頭もようやく自分に起こっている異常を感知した。
素っ頓狂な声を上げ、自分の身体を急いで確認しようとする。
しかし、当たり前だが煙のせいで何も見えない。
「――――ッ!?」
とにかく焦り、混乱するしかないサーク。
その内に、身体の異常に新たな症状が加わった。
身体が。いや、というよりも体中が。
髪の一本一本から、爪の先。あらゆる臓器。体を構成する全てのものが。
裏返る。サークにはこの感覚をそう表現することしか出来なかった。
自分を形作っている全てが最小単位で一つずつ、恐ろしい速度で上から下まで裏返っていく。
そうして、自分ではない別の何かになっていく。いや、されていく。
「…………っ」
あまりに異常かつおぞましい感覚。それによって思考をグチャグチャにかき乱される。
呻き声すら発することが出来ない。
そんな中で、お構いなしにその裏返りは進行し続けた。
同時に体から煙も立ち上り続ける。
「――――」
全てが終わるまでにどれくらいの時間が経ったのだろうか。
長かったような短かったような。それすらわからないくらいにサークの頭の中はぐちゃぐちゃに乱れている。
しかし、その奇妙な感覚は次第に薄れ、やがて消えた。
それと同じくして、全身の煙も吹き出ることをやめたらしい。
徐々にはっきりしていく視界に、自分を取り囲んでいる仲間達の姿が映った。
他の客や店の親父、悪戯小僧のダニーまでも。店の中の全員が遠巻きにサークを見ていた。
まあ、店の中でこんな異常事態が起こればそれも当たり前だろう。
サークは徐々に混乱から回復しつつある頭でぼんやりとそう納得する。
ふと、サークはカルアがバケツを振りかぶった姿勢で止まっていることに気づいた。
その中にはなみなみと水が張られている。
どうやら突如煙を吹き出した人間に対してとりあえず水をぶっかけようとしたらしい。
冗談じゃない。サークは水をかけられる前に異常が収まってくれて少しほっとする。
それにしても――。
「…………?」
自分を取り囲む者達の様子がどうもおかしい。サークはようやくそのことに気づいた。
全員が声を失っている。
バケツを振りかぶったまま固まっているカルア。他の人間もそれと同様、微動だにしていない。
まるで時間が止まってしまったように全員が動かない。
何故全員動かないのか。いや、動けないのか。
表情からその答えがわかった。
信じられないものを見るような目。
驚愕としか言い表しようのない、あんぐりと大口を開けた顔。
全員がそんな顔のままで、声も出せずに固まってしまっているのだった。
「……お、おい、なんだよ一体――」
流石にサークも全員のそんな様子を不気味に感じ、声に出してそう問いかけた。
「はっ……!?」
その瞬間、知らない声が耳に響いてきて、サークはまた混乱した。
いや、混乱のあまり咄嗟に出てきたその声すら知らない誰かのものだった。
少なくとも聞き慣れた自分の、野太いそれではない。
透き通るような美しいソプラノ。
「ちょっ、一体、何がどうなって――!?」
慌てて椅子から立ち上がろうとする。
しかし、足が空を切り、サークは床に転がり落ちた。
今までの感覚であれば絶対に届いたはずのところに足が届かなかった。
それ故の転倒だと即座に理解した。
だから、まず原因の確認のために足を見た。だが、足がない。
いや、違う。正確には、足がズボンに埋もれていて見えない。
足が存在している感覚は確かにある。痛みもない。
だが、足が衣服から突き出ていないのだ。
「――――っ」
次に、急いで手を確認した。
そっちは袖が短かったおかげで埋もれることなく外に出ていた。
だが、目の前に現れたそれは期待していたものとはまるで違っていた。
太く、大きく、ごつごつ荒れていた自分のそれとはまるで違う。
見る影もないほどに小さく、愛らしい手。傷の一つもない、白く嫋やかな指。
「なんだこれ……」
サークは呆然と呟く。
「何だよこれは!? 待て、待て、待て!?」
しかし、すぐに大声でそう叫び直して立ち上がろうとする。
だが、だぼだぼの衣服が邪魔で上手くいかない。
仕方なくサークは衣服を引きずり、這うようにしてカルアの方へと近づく。
「貸せッ!」
辿り着くと、どうにか立ち上がり、未だ固まったままのカルアからバケツを引ったくった。
水の入ったバケツがいやに重い。
普段であればこんなもの、小指一本で持ってもなお軽すぎるくらいなのに。
勢いよく引ったくったバケツに振り回されそうになる。それをなんとかこらえて床に置いた。
急いで水が張られたその中をのぞき込む。
何故ならば、そうすれば水面に映るはずだから。
見知ったはずの自分の顔が。
人からはよくジャガイモのようだと揶揄される、ゴツゴツとした厳ついそれが――。
「――――」
――そこには、映っていなかった。
代わりに映っているのは、見知らぬ人間。
これまで生きてきて一度も見たことも会ったこともない、女の子の顔。
それは、この世のものとは思えないほどに美しかった。
ああ、下手するとこれは世界で最も美しいかもしれない、そんな少女の――。
「――なっ、なんじゃこりゃあああああぁぁぁッッ!?」
サークの絹を裂くような、声までも美しい絶叫が店の中に響き渡った。




