災厄を助けるようです その4
カティは生きていた。
どうしてなのか。どうやってなのか。それはわからない。
間違いなくスタルカの魔術は直撃していた。無防備な生身で耐えられるはずがない。
あまりにも異常な事態。
だが、とにかくカティは生きている。
それはスタルカにとって信じがたくも喜ばしいことのはずであった。
しかし、あまりの衝撃にその感情がまだ追いついてきそうにない。
声を失ったままカティの姿を眺めることしか出来ない。
「さて……」
そんな状況の中で、カティがそう呟きながら体の向きを変えた。
男達の方へと。
その瞬間、どうしようもない悪党だからこそだろうか、男も鋭敏に察したらしい。
自分の危機を。
「――おっと、動くんじゃねえ! 動けば、スタルカがどうなっても知らねえぞ!」
男が咄嗟にそう叫んだ。
スタルカと同じく驚きに固まっていたはずの状態からいち早く抜け出して。
「…………!」
男のその言葉を聞いて、カティの方も男達に向かって踏み出そうとした動きを止めたようだった。
「お前が一体どういうカラクリであの魔術を耐えられたのかはどうでもいい。だが、どうやらただ者じゃねえってことはわかった。だけど、俺達に手出しは出来ねえぞ。お前がそこから俺達に襲いかかってくるより先に、俺はスタルカを殺すことが出来る。死ぬほどの苦痛を首枷を通して与えることでな」
「…………」
「どうだ、動けねえだろう? お前はスタルカの解放を要求していた。ってことは、少なくともスタルカにいくらか情が移ってる。自分を魔術で撃たせてもいいって程に。そうだろう? だったら、そんな可愛いスタルカを失いたくねえはずだよなぁ?」
男は焦りを覗かせつつも、勝ち誇るようにそう言った。
しかし、その推測と行動はどうやら間違いではなかったらしい。
「……そうだな。テメエの言う通りだ」
カティは溜息を吐くと、肩を竦めてそう認めた。
それを聞いて、男はますます余裕を取り戻した態度で傲慢に要求する。
「ヒャハハハ、やっぱりなぁ! だったら、大人しくしてろ! 俺達に手を出すな! 少しでも変な動き見せやがったら――」
「――だから、先にそっちをどうにかしておくことにするか」
カティはそう言うと、歩き出した。
男が喋っているのもまったく意に介さない様子で。
「おっ、おい!? 聞こえてねえのか!? 大人しくしてねえと……」
男が再び狼狽えた口振りになる中で、カティはすたすたと近づいていく。
男達に向かってではない。むしろ逆だった。
「あっ……」
カティは、両膝を突いた姿勢で未だに呆然としていたスタルカの目の前までやってきた。
どういうつもりなのか。
男達にもまるでその意図が読めないから、スタルカという人質を使うべきか判断がつかないのだろう。
もちろん、スタルカにもそれはわからない。
一体どうしてカティが自分の方へとやってきたのか。
そして何故、さっきと変わらず真っ直ぐな、優しい目で自分を見下ろしているのか。
「…………」
スタルカは思わず目を逸らしてしまう。
カティと目を合わせていられなくて。カティを真っ直ぐに見ることが出来なくて。
自分にそんな資格はないと感じていた。
何故か傷一つなく無事であるとはいえ、自分は我が身かわいさにこの人を撃った。
裏切ったも同然だ。この人から向けられた気遣いと優しさを。
合わせる顔なんてない。
それなのに、スタルカが目を逸らしてもまだ、カティの方は真っ直ぐに見下ろしてきながら動こうとしない。
「スタルカ、こっちを見てくれ」
さらにそう呼びかけられて、スタルカの心臓は驚きに跳ねる。
どうするべきか。一瞬迷った後で、恐る恐るその言葉に従うことにした。
「なぁ、大丈夫だったろ? オレはこのとおり、傷一つねえ。ピンピンしてるよ。だから、お前が気にすることなんて何もないんだ」
「……っ、でもっ」
「そうだな、もしそれでもお前が罪悪感を拭えないのなら、代わりに今からオレがすることを受け入れてくれ」
その言葉にきょとんとした顔を向けるしかないスタルカ。
一方、カティはスタルカの首筋に両手をそっと添えてきた。
そして、その両の手でガッチリと、スタルカの首枷を掴んでくる。
「今から、お前のこの首枷を外してやる」
そうしながら、ハッキリとそう言った。まるで宣言するように。
「――――!?」
それを聞いて、スタルカはもちろん驚く。声も出せないほどに。
「ハッ……ハハッ……おい、ガキぃ! 何馬鹿なこと言ってんだ!」
驚いているのはスタルカだけではなかった。
その言葉をバッチリと聞いていた男達もまた驚いてそう叫ぶ。
「力づくで外せるわけねえだろ! 最上級の契約魔術がかけられた魔道具だぞ!? どんな道具を使ったってビクともしねえよ! 傷一つ付けられねえ! ましてや素手でやろうってか!? 馬鹿も大概にしとけよ!」
しかし、その驚きはすぐさま男達の中で嘲笑へと変化したらしい。
カティを揶揄するようにそんな言葉を重ねてきた。
「まあ、外そうとすること自体は止めやしねえよ。当たり前の話だけどよぉ、そいつを外そうとするだけでも痛みが走るようになってんだぜぇ? 外そうと挑む時間が長ければ長いほど、その間スタルカに痛みは与えられ続ける。俺達がやるまでもなく、お前がスタルカを追い込むことになるってわけだ、ガキィ!」
男達の言葉は真実であった。
スタルカ自身も何度か外すことを試みては、それを防止するための苦痛に襲われた。
無理にそれを続ければ最悪死に至るであろう、そんな痛みだった。
それを今から味わうことになるのかもしれない。
カティが本当にこの首枷を外そうとするつもりであれば。
思わず痛みの記憶が甦って、スタルカは身を強ばらせる。
「――スタルカ」
しかし、その瞬間優しくそう呼びかけられた。
その声につられて顔を上げると、カティと目が合う。
こちらに向かって安心させるように、穏やかに微笑みかけてくる。
そんなカティの美しい顔と。
「オレを信じてくれ。ちょっと痛い思いをさせちまうかもしれねえが、我慢してくれるか?」
「…………っ!」
その言葉を聞いて、スタルカは再び気力を取り戻した。
カティを撃つまいと必死で痛みに耐えようとしていたあの時の強い気持ちを。
カティの優しさを、気遣いを、裏切りたくないという思いを。
だから、スタルカは胸に湧き上がってきたその思いに素直に従うことにする。
それに、一度はカティを撃ってしまった自分だ。
どんなことをされても文句は言えない。受け入れるのがせめてもの償いだろう。
「…………」
スタルカは無言でこくりと頷いた。
覚悟を決めた瞳でカティを見つめながら。
それを受け止めたカティもスタルカを見つめて頷きを返してくれる。
それが合図でもあった。
「――――ッ」
スタルカはぎゅっと目をつぶり、息を止めて痛みに備える。
カティが今から首枷を外そうとすることで襲い来るだろうそれを耐えるために。
首枷が本当に外せるのかどうか、それはスタルカにもわからない。そこはまだ正直半信半疑である。
しかし、カティが自分にすることを全部素直に受け入れる覚悟が出来ていた。
痛くても構わない。カティを信じているから。
そして、確かに一瞬だけスタルカの体に首枷を外そうとした時に感じる痛みが走り――。
「――フンッ!!」
バキンという、何か固いものが割れ砕けるような音が響いた。
それと同時に一瞬だけ走った痛みがスッと消える。
チクリと細い針が刺さった時のように、瞬間だけの痛み。後には何も残っていない。
スタルカはその感覚に驚いて、急いで目を開く。
一体何が起こったのか、確認するために。
「…………ッ!?」
そして、絶句した。
もう何度目になるかはわからないが、言葉が出てこないほどの驚愕。
それは一人を除いたこの場の全員が同じ状態であるようだった。
スタルカの目の前で、カティは両腕を軽く開いたポーズで止まっていた。
その両手は何かを強く握っているらしい。
それが一体何なのか、よく見なくてもわかる。
首枷だった。長いこと外れることのなかった自分の首枷。
それが二つに割れて、カティの両手に握られていた。
その状態から察するに、首枷はどうやらカティによって引きちぎられたようだった。
思いっきり強引に、力任せに。
ありえない。そんな言葉を頭に浮かべざるをえなかった。
男達が先ほど言ったように、強力な契約魔術で強化された首枷を物理的に破壊することは不可能に近いはずであった。
ましてや素手で、力づくでだなんて絶対に無理だ。
しかも、外す時の苦痛を一瞬しか感じさせないで。
しかし、それは今現実に行われてしまっていた。
なんたる怪力――などという言葉で片づけられるものではない。
次元が違う。異常と表現してもまだ足りないほどの腕力だった。
スタルカはそこまで考えて、思わず背筋に寒気を覚えてしまう。
カティの人間離れした強さや頑強さは先ほどから目撃し続けてきたが、まさかこれほどとは。
いや、目の前にいるのは本当に人間なんだろうか。思わずそんな疑念まで浮かびそうになる。
スタルカですらそうなのだから、男達も当然同じように感じているだろう。
ましてや先ほどからカティと真っ向から対立している分、それはもはやとんでもない危機感に変わっているのかもしれない。
そう思われるほどに、固まったまま動けないでいる男達の表情は驚きの中に恐怖が入り交じったものになっていて――。
「――さぁて」
カティがのんびりした声でそう言うと、両手に持っていた首枷の残骸をぽいっと放り捨てた。
それから、その声と動作にビクッと身を震わせた男達の方へとゆっくり振り返る。
スタルカに向けていたそれとは正反対の、優しさの欠片もないただ威圧だけを込めた笑みを浮かべながら。
「次はテメエらだな」
 




