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調査隊が送られるようです

 ここ半年ほど様々な噂が出てきて、大いにルアト国の辺境地域を賑わせていた鬼猿山。


 最近はその極めつけとでも言うべきか。今度は山についての不確かな噂話ではなく、誰の目にも明らかな異常が報告されるようになっていた。

 なんでも、山に棲む魔物や獣の数が激減しているのだという。山に入る様々な人間が体感し、口を揃えてそう話すレベルで。


 とにかく猟師なんかは獲物が取れなくなって大層困っているのだとか。

 山奥を探索する冒険者達も以前と比べて異様なほど魔物との遭遇率が下がっていると言う。


 それどころか、熟練の冒険者達からはオーガエイプとすら滅多に遭遇しなくなったという報告が上がっている。どれだけ乱雑に縄張りを踏み荒らし、わざとおびき寄せようと試みても姿を見せない。普通であれば何もしていなくても瞬く間にすっ飛んでくるというのに。


 明らかに、何らかの異変が鬼猿山で起こっている。

 それも、生態系のバランスを破壊するような何かが。

 あまりにも不可思議で不気味な状況に恐れをなし、山に入る人間の数まで減り始めた。


 事態を重く見たテイサハの冒険者ギルドは、ギルドに所属している冒険者達に募って独自の選抜調査隊を組み、山へと送り込むことにした。

 ギルド公式の任務として冒険者達に鬼猿山で起こっている異常を調査させる。そうして原因を突き止めようとしたのである。


 調査隊は冒険者としての実力よりも、山に関する知識や経験を十分身につけており、調査に適しているかどうかを基準に選抜された。

 その調査隊を腕利きの冒険者数人に護衛させ、万が一の場合にも備えさせた。


 とはいえ、それでも調査隊の戦闘能力はさほど高くはない。

 ほとんどが戦闘よりも斥候や後方支援に長けたメンバーで構成されることとなったからだ。


 故に、まずは山の入り口周辺から中程までを中心に調査を始めることとなった。

 並の獣や魔物であればこの調査隊でも十分対処出来るが、流石にオーガエイプを相手にするのは難しいとの判断であった。


 いずれにせよ、そこまでの範囲を調べても異常の原因が判明しなければ、それはさらに山の奥で発生しているものだというあたりもつく。

 その場合は山奥の調査に適した編成を改めて組めばいい。

 なので、最初に送られるこの調査隊の任務は比較的危険の少ないものであるはずだった。


 調査隊の一人であるクレムはギルド側にそう説明されたからこそ、任務を受けることにしたのだ。

 斥候職(スカウト)の彼女は山の知識に豊富だった。自身の戦闘力はさほど高くはないものの、鬼猿山の探索は山の中程までであれば手慣れたものであった。

 しかし、流石にオーガエイプの縄張りにまで踏み込んだことはない。それを目的としたパーティーに同行したこともない。

 冒険者としてそこまでの栄達も夢見ていなかった。彼女は細々とした素材採集や調査などの依頼や任務を請け負い、華やかではないものの堅実に生計を立てるタイプの冒険者であった。

 そこを見込まれて、今回の調査隊にも抜擢されたわけである。


 そんな彼女の同行した調査は順調だった。

 原因の解明には至らぬものの、この山に何かの異変が起きていることは調査を進めるほどに明らかになっていった。


 魔物も含めた、山に棲息する生物の異様な減少。

 それを手分けして確認し、報告書にまとめていく。

 異変のせいで危険な魔物や獣との遭遇が少ない分、普段の探索よりも楽で安全とすら言えた。

 オーガエイプのいる山奥へも踏み込むことはないので、それはますます確かなはずであった。さらに腕利きの護衛までついている。

 ギルド直々の任務である分、報酬もいい。

 安全かつ楽なのに実入りのいい、まさに〝美味しい仕事〟と言える。

 調査の途中までクレムはそう思っていた。

 そのすぐ後に、それが完全なる見当違いであったことを思い知るとも知らず。


 美味しい仕事が()()()()()()()()()()()()()()に変貌した原因は、突如空から降ってきた。


 調査隊が開けた山道を歩いている途中で、いきなりの轟音と共に地震かと思うほど地面が揺れた。


 それが地震ではないことにはすぐに気づいた。調査隊の進もうとしていた先に、もうもうと土煙が立ちこめていたからだ。

 そこに何かが空から降ってきた。それが原因なのだと即座に理解できた。


 ただ、それでも一つだけクレムには上手く飲み込めない事実がそこに存在していた。


 それは、空から降ってきて轟音と共に地面を揺らしたその何かが、()()()()()()()であることだった。

 どうやらそいつはこの山道の横合いにある樹々の間から木を伝ってここへやってきたらしい。


 オーガエイプ。直接見るのは初めてだが、そこにいる魔物が間違いなくそれなのだと直感した。


 しかし、それにしてもそいつは並の体格ではなかった。

 オーガエイプは確かに人間よりも大きい。それでも精々が二回りデカい程度である。

 だが、今目の前に降ってきたそいつは人間の二回りなどというレベルではなかった。

 そいつの全身を確認するために見上げなければいけないほどの大きさ。

 軽く二階建ての建造物くらいはあるだろう全長をした、明らかに普通ではない個体であった。

 よく見れば、その体つきも並のオーガエイプより数倍逞しく発達しているようだった。


 恐らく、それはオーガエイプの〝ヌシ〟。群れのボス。種の頂点に位置する異常個体。


 そんな推測がクレムの頭をやけに冷静によぎった。

 あまりの衝撃に、脳が目の前の光景を現実だと上手く認識できていないらしい。それ故の冷静さだろう。クレムは自分でそう気づいた。

 その証拠に、頭は冷静に回っているのだが、体が完全に硬直してしまっていて上手く動かせない。


 それは護衛も含めた調査隊の全員が同じ状態のようであった。

 予想外にも程がある状況に、誰もが一歩も動けない。声すら出せないままで呆然とそのオーガエイプのヌシを見上げることしか出来なかった。

 だが、調査隊の方が何もしようとしないからと言って、オーガエイプの方も黙ったまま立ち去ってくれるはずもない。


「~~~~~~~~ッッ!!」


 調査隊の存在に気づいたらしいオーガエイプのヌシは、思いっきりこちらに向かって吼えかかってきた。空気がビリビリと震え、鼓膜が破れるのではないかと思う程の音量で。

 思わず全員が反射的に耳をふさぐ。

 その吼声は数十秒ほどで止まった。その間、調査隊は耳をふさいだまま動けなかった。


 オーガエイプが吼えるのをやめてからも、酷い耳鳴りで全身の感覚が麻痺している。すぐには通常通りに動けそうにない状態。

 しかし、そんな甘えたことを言っている場合ではない。


「――逃げろぉッ!!」


 誰かが叫んだ。それは護衛についていた冒険者の一人だった。


 それを聞いた全員が急いでオーガエイプに背を向けて駆け出した。恐怖と麻痺で上手く動かない自分の体に何とか鞭を打ちながら。

 逃げないとやられる。この場の誰もあのヌシには太刀打ち出来ない。誰の目にも明らかだった。

 果たして逃げきれるかどうかも怪しかったが、戦うよりは遙かにマシな選択だった。


 しかし実際、その気になればすぐにでもヌシは逃げ惑う調査隊を追撃して全滅させることが出来ただろう。

 だが、ヌシはそうしなかった。おかげで調査隊はその大半が無事に逃げおおせられた。


 ヌシがそうしなかった原因の一つは、護衛の一人が残って足止めを図ったからだと思われる。

 護衛は数人いたが、流石に腕利きの冒険者。

 恐怖と衝撃で思考まで麻痺しきっていた調査隊と違い、それよりも早く回復して目配せだけで連携を決めていた。

 一人が足止め。残りが調査隊と一緒に逃走しつつ護衛を続け、追いつかれたらまた一人が足止めを繰り返す。

 要は全員が順番に捨て石となる作戦であった。

 そんな、命懸けで足止めをするという護衛の覚悟と気迫にヌシも多少怯んだのかもしれない。


 あるいはもう一つの原因。

 恐怖で腰が抜けてしまい、一人だけその場にへたり込んだまま動けないクレムの存在。そのせいでもあったのだろうか。

 クレムも勿論一目散に逃げるつもりであった。しかし、体に全然力が入らない。しばらく立ち上がれそうにない。

 故に、逃げられなかった。逃げる機会を逸したまま取り残された。

 ヌシはそんなクレムにひとまず狙いを定め、調査隊の方は後からゆっくり追いかけるつもりなのかもしれなかった。


 いずれにせよ、この場には護衛の一人とクレムが残る形となり、オーガエイプのヌシは先にこの二人を相手取ることに決めたようである。


「…………!!」


 クレムは恐怖のあまりガタガタ震えながら、声も出せなかった。

 相変わらず腰が抜けてへたりこんだまま、オーガエイプの巨体を見上げるしかない。


 全員が逃げたあの瞬間、誰もクレムのことを助けてはくれなかった。

 それも仕方ないのかもしれない。他人のことまで気にする余裕のない緊急事態であるし、みんな自分のことだけに精一杯で気づかれなかったのかもしれない。

 クレム自身も逃げられる状態だったらこの状況で腰を抜かした他人なんてわざわざ助けなかっただろう。

 それは納得している。自分は逃げ遅れた。取り残された。自分が悪い、仕方のないことだ。それでも自分を放って逃げた調査隊のことは少しだけ恨むけども。


 それに、まだ真の孤立無援というわけではない。

 護衛の冒険者が一人残ってくれている。

 向こうもこちらが逃げ遅れたことには気づいているらしい。

 剣を構えてヌシと対峙しながら、ジリジリとクレムを背後に庇う位置へと移動してきていた。

 さらに、チラチラと目配せをして早く逃げろと訴えてきている。


 クレムも護衛の促すように足止めを彼に任せてありがたくそうさせていただきたい。それは山々なのだが、やはりどうにも腰が抜けたまま立てそうにない。

 体に力が入らない。先ほど吼えかかられた時に陥った感覚の麻痺がまだ尾を引いているようだ。

 なので、もはやクレムはその護衛が奇跡的にヌシを倒してしまうか、互角に渡り合って引きつけている間にどうにか体が動けるようになることを祈り続けるしかない。


 お願いします。奇跡を起こしてください。

 そんな願いを込めた熱い眼差しでクレムは護衛の背中を見つめる。


「――――っ」


 しかし、その背中がいきなり目の前から消えた。

 いや、正確にはクレムから見て右方向へと吹き飛ばされたようだった。


 オーガエイプのヌシが腕を横薙ぎに、ただただ乱雑に振った。

 そのたった一撃を受けただけで、護衛は恐ろしい勢いで吹き飛ばされたらしい。


 剣でそれをどうにか防御したおかげで、即死ではなかった。

 護衛はただの怪力に吹き飛ばされただけで済んだようである。

 しかし、その勢いは凄まじく、吹き飛ばされた先にあった木の幹へと護衛は(したた)かに体を打ち付けたのだろう。

 そのまま地面に倒れ伏し、ピクピクと痙攣している。


 その姿がクレムからも見えていた。まだ生きてはいると思う。

 ただ、あまりの衝撃に気を失ってしまっているらしい。

 ……とは、一向に起き上がってこないその様子から察せられた。


 つまり、クレムにとって最後の頼みの綱であった護衛はたったの一撃でなんの足止めにもならずにダウンしてしまった。


 あの護衛だってギルドから選抜されるほどの、相当の腕利きであったことは間違いない。

 それが何も出来ないままあっけなくやられてしまった。

 それだけでも、目の前のオーガエイプのヌシがとんでもないバケモノであることがクレムには理解できた。

 いや、その異様な巨体を見るだけでも十二分に伝わってくることではあるのだが、見かけ倒しということも少しは期待してしまっていた。

 しかし、そんな諸々の淡い期待は脆くも崩れ去った。


「…………」


 もはやクレムにはどうしようもない。

 まだ足に力も入らないし、みっともなく泣き叫びながら這って逃げる気にもなれない。


 圧倒的な絶望を前にして、消極的な諦めの境地にクレムは達してしまった。


 全身は震え、涙がとめどなく溢れてくる。

 力を入れていないと失禁すらしてしまいそうだ。

 だけど、これ以上はもうどうにも出来ない。絶望の運命を受け入れるしかない。


 こちらを睨みつけてくるオーガエイプのヌシが、拳を振りかぶる。その動きがいやにゆっくりと見えた。

 次の瞬間にもそれが自分に向かって何の容赦もなく振り抜かれるだろうことは明白であった。


 クレムはぎゅっと目をつぶる。それが迫ってくる瞬間まで開き続けられそうになかった。

 せめて苦痛が一瞬であることを祈りながら、全身を強ばらせる。


 さあ、それだけでも吹き飛ばされそうな風圧と共に、今すべてを諦めて受け入れようとした衝撃が――。


「…………?」


 ――いつまで経っても伝わってくることはなかった。


 クレムが実際にそれを待っていた時間は数秒のことである。

 だが、さっき感じた風圧から察するに、ヌシの攻撃はその間に確実にクレムに届くはずであった。

 なのに、クレムの体は痛みも衝撃も何も感じていない。

 祈ったとおりに苦痛があまりにも一瞬過ぎて感じることがなかったのだろうか。それで自分はもう死んでしまったのかもしれない。


 しかし、それにしてはどうもまだ自由に体が動きそうである。

 クレムは状況を確認するために、閉じていた目を恐る恐る開いてみる。


 まずは、何者かの背中が目の前に見えた。

 すぐにその背中だけでない、全身のシルエットが目に入る。


 それは、荒れてボサボサの長い金髪を垂らした少女の姿であった。

 そんな少女が自分の目の前に、背中を向けて立っている。


 次にクレムはその少女がただ立っているだけでなく、妙な姿勢をしていることに気づいた。

 それはまるで何かの武器を自分の前に構え、腰を落として両足で思いっきり踏ん張っているような姿勢だった。


 さらに、ボロボロに薄汚れた女物の衣服をまとっているその少女が、そんな姿にまったく似つかわしくない武器を持っていることにも気づく。

 それは少女の身の丈よりも大きな大戦斧(バトルアックス)であった。その柄から両側に広がる刃の影に少女の体がスッポリと収まってしまう。それ程に巨大な戦斧。

 それを少女は盾のようにして自分の前面へと構えているのだった。


 そして、クレムは最後にもう一つ気づく。

 少女が盾として構えているその大斧の向こうに、オーガエイプのヌシがこちらに振り抜いてきたはずの拳が見えることに。


 それは、少女の大斧にぶつかる形で完全に動きを止めていた。


 いや、より正確に表現するのであれば、それは恐らく少女が構えた大斧によって見事に受け止められてしまっていた。

 腕利きの護衛冒険者を一撃で吹き飛ばすような怪力と衝撃を、傍目にも華奢な少女の体一つによって。


 クレムはようやくそんな状況の全てを理解して、これは夢かと疑った。

 それくらいに信じ難い、とても現実とは思えない光景であった。


 だが、夢ではない。それは紛れもない現実であった。

 その証拠に、ゆっくりと全てが動き始める。

 そんな異様で奇妙な少女の、小鳥が歌うかのように美しい声で紡がれる言葉と共に。


「……オイオイ、相手間違えてんじゃねえぜぇ? ボス猿さんよぉ」

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