山に籠もるようです
それを聞いたシュリヒテは、これまでの会話に疲れたのだろうか。
かけていた丸眼鏡を外すと、己の眉間を揉みほぐしつつ言う。
「……価値観が違いすぎるせいでまったくピンとこないんだが……。山に籠もって何か意味あるのか?」
「野山を駆け回って、そこで生活するだけでも立派な鍛錬になんだよ。野生の世界に身を置くことで感覚も研ぎ澄まされるしな。生き抜くための知識も身につく。戦士ギルド入りたての見習いの頃はオレもよくやらされたもんだ。何より、今のオレにとってはこれが一番重要なんだが……」
サークは美しい絹糸のような髪をぐしゃぐしゃとかきながら、溜息と共に言う。
「山奥なら誰にも邪魔されずに静かに、一人で鍛錬出来るからな」
「あー……まあ、確かにそれは……。今のお前の姿で一心不乱に身体鍛えてたら注目を集めるのは必至だろうな、色々な意味で」
シュリヒテも苦笑しつつ、サークの言葉に納得したような声。
「なるほど、それなら確かにしばらく身を隠すのは賢明かもしれん。またぞろ悪党共に捕まりかねんしな」
「その話はもう忘れてくれ……二度とオレの前で口にすんじゃねえぞ」
からかうようにそう言ってくるシュリヒテ。
それを聞いたサークは露骨に不機嫌な表情になってそっぽを向く。
今はそういう仕草までかわいらしくなってしまうのだが。
「ハハハ、わかったよ。お前さんの数少ない弱みとして俺が墓まで持っていってやる。都度利用しつつな……」
「オイ」
「冗談だ。そう睨むなよ、全然怖くないから。それにまあ、身を隠して鍛錬に励むために山に籠もる……それはわかった。わかったんだが……」
サークの渾身の睨みつけも全く意に介していない様子でシュリヒテはさらに問いを重ねてくる。
「お前、どうやって山に籠もるんだ? 着の身着のままってわけにもいかんだろう。道具や物資その他、今の身体でどう運ぶ? それも、しばらく山で生活するのに必要な量をだ。そもそもお前さん、それを用意できるような金を今持ってんのか?」
シュリヒテのその疑問はもっともと言えばもっともであった。
何せサークの今の格好は解析を進めやすくするために着替えたシンプルなワンピースタイプの術衣のままである。
それに、ここに来るまで纏っていた村娘の衣服はあまりにも無惨な有様だった。二度と着られそうにはない。
つまり、今のサークは所持品や装備等まったくゼロの状態である。
加えて、普段の生活ぶりから察するに蓄えがあるとも考えにくかった。
冒険者は常に危険と隣り合わせな以上、明日死んでもおかしくはない。
なので、宵越しの金は持っていてもしょうがないとして生活費以上に貯め込んだりしない人間も多い。
サークは本人の大雑把な性格も相まって、典型的なそのタイプだった。
ということで、今のサークに果たして山籠もりの準備を整えられるだけの持ち合わせがあるのかどうか――シュリヒテはそれを怪しんでいるようである。
「…………」
そして、シュリヒテのその疑念は見事に的中していた。
問われたサークはといえばその美しい顔を少し青くさせ、冷や汗をかく。
自分に蓄えがないこと。
パーティーを追い出される時に当座の生活費に充てろということで渡された金。それも攫われた時のゴタゴタでどこかに失くしたらしいこと。
今の自分の持ち物はといえば、金熊亭に預けてある昔の装備一式と替えの衣服くらいであること。
そんなことを全部シュリヒテの言葉で思い出したのであった。
これでは確かに山に籠もる準備は無理だろう。
いくらサークでも、裸一貫で山に踏み入るのが無謀だとは肌身で理解している。
「……あー……その……シュリヒテ……」
なので、サークは言いにくそうに切り出しつつも、
「お前の言うとおり、今のオレはほぼ無一文だ。だから、頼む! 準備のための金と、その他の道具、融通してくれ!」
意を決し、潔く頭を下げてそう頼み込む。
「ふーむ……どうしたもんかな、こりゃ」
それに対してシュリヒテはそう呟くと、考え込む姿勢。
その顔が少しいたずらっぽくニヤついていることを思うと、単に面白がって渋っているのだということは理解できそうなものだが。
「……ダメかぁ?」
サークの方は大真面目にそれを受け取ったらしい。
なので、シュリヒテの情に訴えるつもりなのか。
目を少し潤ませた不安そうな顔で、上目遣いに真っ直ぐ視線を向ける。哀しげな声も絞り出しつつ。
「――――ッ!?」
それが、以前の筋骨隆々とした岩のような大男の時であれば何の憐れみも誘えず一笑に付されたことだろう。
だが、今の〝世界で最も美しい少女〟の姿でそれを行うのはどうも洒落になっていなかったようだ。
「やめろッ! わかったッ! 出来る限りの手助けはしてやる! だから、そんな目と声を俺に向けてくるのはやめてくれ!」
それを向けられているシュリヒテが突然泡を食った様子でそう叫んだ。
それどころか、叫びながら顔を逸らし、両手を前にかざして何かを拒絶しようとしている。
「ど、どしたぁ? 急に……」
そう言われたサークの方も目を白黒させながら、とりあえずこれまでどおりの態度に戻す。
「……お前がさっき本気でこちらに媚び、願ってきた瞬間、何か本能的に抗えないものを感じた。言われるがまま、願われるがままに何でもしてしまいそうな気分になった……心底、怯えたよ」
哀れっぽくねだる仕草の全てが可憐で美しく、輝いて映り、不安げな声はやたらと甘く耳に響いた。
その全てに一瞬で心臓を鷲掴みにされ、頭にぽーっと熱が上った。
そうして〝目の前の少女に全てを捧げて従いたい〟という気持ちが突然どこからか湧いてきてしまった。
シュリヒテはそう話した。冷や汗をダラダラと流しながら、ついさっきまで悪夢を見ていたような顔で。
「お前さんがあのサークだと理解しているはずなのに、だ。お前、一体俺に何をしたんだ……?」
「何って……別に……真剣に頼み込んだだけだが……。まあ、いつも人に金を借りる時と同じ感じで……」
「お前は世界中の人間からあらゆる富でも巻き上げるつもりか」
シュリヒテはそんなツッコミをしてきつつ、深い溜息を吐いていた。
それから額に手をやり、何か考え込む顔になる。
「……もしかしたら、〝これ〟なのかもしれんな。お前に与えられた、世界で最も美しくなるという祝福――その、本来想定されている能力っていうのは」
シュリヒテはおもむろにそう呟いた。
「……? どういうことだよ?」
「その美しさであらゆる人間を魅了する。そうして、何でも言うことを聞く自分の手足のようにしてしまう。一種の洗脳に近いな、あの感覚。それが、お前に与えられた祝福の〝真価〟じゃないのかと思ったんだ」
「……つまり、さっきみたいに頼めば誰でもオレの言うことを聞く。それが、この姿に備わった能力ってことか?」
「頼めば……というよりは、『媚びれば』の方が正しい気もするな。もしそうなら、その祝福を授かった人間次第では最悪の事態が巻き起こりそうだが……」
そこでふと、シュリヒテはサークへと顔を向けてきた。
そのまま無言でじーっと見つめてくる。
一体何だ。サークも怪訝な顔で見つめ返すが。
「お前、ちょっとさっきみたいにもう一度媚びてみろ」
「は、はぁ!?」
「いいから。実験だよ。まだ残っていた解析の一環だと思ってやれ」
「わ、わーったよ。しかし……こ、媚びる、か……いざ言われると、どういう感じか全然わからねえけど……ええい!」
ブツブツ言いつつも、意を決してサークは挑む。
「お、お願ぁ~い……!」
やや引き攣り気味の笑顔。ちょっと裏返った声。妙ちきりんなポーズ。
「……全然、なんとも感じないな……。むしろ面白すぎて逆に醒める」
全てがまったく相手の心に響くことはなかったらしい。
シュリヒテはばっさりとそう切り捨ててきた。
「ふ、ふざけんじゃねえぞ! 人にこんなことやらせといて何だその言い種は!?」
「悪かった悪かった。その能力が強制的かつ常に発動されるものなのかどうかを検証してみたかったんだが……。どうやらその様子だと任意発動で、しかもお前では上手く意識して使いこなすことは出来ないようだ」
いやあ、本当に良かったよ。お前がこの祝福を悪用できるようなタイプの人間でなくて。
シュリヒテは心底胸を撫で下ろしているらしい様子でそう言った。
それに対してサークは朱に染まった顔で憤慨しながら叫ぶ。
「馬鹿にしてんのかテメエは!?」
「とんでもない、お前が〝人に媚びる〟ということから最も縁遠いタイプで良かったと思っているだけだ。素晴らしいと褒めてもいい」
「当たり前だチクショウ! そもそもオレぁ、媚びるってことが苦手だし嫌いなんだよ! この先もずっと人に媚びて生きていくなんて死んでもゴメンだってんだ!」
「宝の持ち腐れという言葉の見事な例を目の当たりに出来て感動するなオイ」
シュリヒテは本当に感心しているような声でそう言いつつ、怒るサークをまあまあとなだめてくる。
「この場合は実際マジで素晴らしいよ。是非ともその姿勢を貫いてくれ、世界の平穏のために」
「言われなくてもそうしてやらぁ! ったく……」
サークは未だ怒り冷めやらぬものの、努力してそれを抑えようとする。
そのまま何度か深呼吸して落ち着いた後で、
「……それで、話戻すが、どうなんだ? 本当にちゃんと融通してくれんのか?」
「そりゃあ……もちろん。自分でそう言ってしまったし、最初からそうするつもりでもあった。面白いものも散々見せてもらったしな」
睨みながら問うサークに、シュリヒテはあっさりそう答えてくる。
「ほう……そうかそうか。なら……面白いもんを散々見せてやった代償に、言ったもんは素直に差し出してもらうぞ」
シュリヒテの言葉にサークは満面の笑顔を作りつつ、そう返す。ただし、目だけはまったく笑っていないが。
それを見たシュリヒテの顔が少し青ざめた。どうやら相手をからかいすぎてしまったことに気づいたらしい。
「……いや、あまり貴重な道具類は……」
「媚びるぞ」
「何でも貸そう。……ただし、後できっちり埋め合わせてくれ」
がっくりとうなだれつつ、シュリヒテは降参したようにそう言った。
「心配すんな。借りた分はしっかり返してやるさ……しばらく先にはなるだろうけどな」
それを見て、サークは勝ち誇るようにからからと笑いながらそう返す。
そんな態度もまた憎らしいくらいに可憐であった。




