解析を依頼するようです
「……お前さんが何やら大変なことになってるらしい、というのは知っていた」
まずはシュリヒテがそう口を開いた。
滅多に工房の外に出ることはないくせに、この男は何故かやたらと情報通であった。
少なくともこの街とその周辺で起こった出来事で知らないことはないようだった。その情報も常に最新のものを仕入れている。
とにかく、自分のものか他人のものかはわからないがよほどいい〝耳〟を持っているらしい。
まあ、その集めた情報で大したことを企むような男でもないので、何を知られても特に問題もないといえばなかった。
単にこの男は病的な程の〝知りたがり〟なだけである。
それを思うと、その言葉も嘘ではないのだろう。
「ただ、ここまで愉快なことになっていたとは知らなかったが……」
感服しているような、それとも呆れかえっているような。
微妙な声色でシュリヒテがそんな感想をもらした。
「何一つ愉快じゃねえよ」
それに対して、サークは不機嫌全開の声でそう返す。
ついでに「ふん」と鼻を鳴らしながら顔を背けた。
シュリヒテから視線を逸らしたことで目に入った〝工房〟の景色。それは相変わらず心が落ち着くようなものではなかった。
分厚い書籍の並ぶ本棚。それでも足らずにそこからはみ出した本の山。紙束。
様々な何らかの実験器具。怪しげな素材や標本。
とにかくそこら中乱雑に、ところ狭しと色々なものが散らかっている。
照明も不気味に薄暗い。おまけに地下にあるせいで窓もなくかび臭い。空気は淀みきっている。
地上にある、周りにとけ込んだ何の変哲もない民家は擬装に過ぎない。
本命はその地下、それこそが錬金術師の〝仕事場〟であった。
とはいえ、ここにこんな工房が存在することを知る人間はほとんどいない。
ましてや工房にあがり込めるまでとなると片手で数える程である。
そんなだから、当たり前のようにこの工房は応接という機能を備えていない。
サークとシュリヒテが向かい合って座っている椅子と机。そこにもさっきまでは色々なものが整理されないまま山と積まれていた。
それを適当にどかしてようやく作ったスペースである。
出された茶も真っ当な茶器ではなく、奇妙な実験器具を用いて淹れられた怪しげなものだった。
飲んでいいものかどうか相当迷ったが、疲労と喉の渇きには逆らえない。
サークはごくごくと飲み干し、さらにおかわりまでもらっていた。
「まあ、聞いてたところで俺もこうしてこの目で見るまでは信じやしなかっただろうがな……。まさかあの筋骨隆々、〝岩山が人間になったような〟と言われるほどの戦士、サークが女になっただなんて。しかも、こんな可憐で愛らしい女の子の姿になんて……なぁ」
未だに信じられていないような声でそう言いながら、シュリヒテはしげしげとサークを眺めてくる。上から下までじっくり観察するように。
「いやはや、世界にはまだまだ不可思議な現象が起こり得るものだな。いいものが見られたよ、変な意味でなく。一介の学者として探求心が大いに刺激された。礼を言う、ありがとう」
わざとらしくそう感謝を述べてみせるシュリヒテを、サークはジトっとした目で睨みつける。
「別にお前を面白がらせてやるためだけにここに来たわけじゃねえんだが」
「ほう、じゃあ何で来た?」
シュリヒテがそう尋ね返してくる。大して興味もなさそうな声で、だが。
「〝助けてくれ〟とか言っていたが、お前のそれが呪いだとしたら俺にしてやれることはないな。お前のところの聖職者、あれが匙を投げたんだとしたら尚更だ。ありゃ街一番、下手すりゃ国でも何本かの指に入る。蛇の道は蛇、高位の聖職者で解呪できないようなものを本職でない俺にどうこう出来るはずもない」
鋭い視線を返してきながら、シュリヒテはそう言った。
にべも無い態度である。
「……いいや、お前に頼みたいのは解呪じゃねえよ」
しかし、サークはそんな対応に落胆するようなこともなくそう言った。
落ち着いた、静かな声で。
「オレが今回お前に頼みたいのは『解析』だ、錬金術師」
「はぁ……?」
サークの言葉に怪訝な顔となるシュリヒテ。
だが、サークはそれに構うことなくキョロキョロと何かを探す。
やがて、散らかった机の上から目当てのものを見つけだすと、手に取った。
それは小ぶりの刃物だった。ペーパーナイフか何かか、とにかく雑多で細々とした用途に使っているらしい文房具的なもの。
それをシュリヒテへ見せつけるように構えてから、
「――――っ」
いきなり自分の手のひらへと突き立てた。
文房具的なものとはいえ刃物は刃物。当然肌は切れ、肉に刺さり、血が滲み出る。
「おいっ、いきなり何を――」
流石のシュリヒテも面食らった様子で声を上げる。
だが、サークは構わずに突き立てたその刃を動かして深く一本の線に切る。
それどころか、再度刃を突き立て直して更にもう一本の線を手のひらに切って刻む。
それによって出来た、十字型の切り傷。
血がどくどくと流れ出てくるそれをシュリヒテへと突きつけながら、サークは言う。
「オレの体がどうなっているのか……一体、オレの身に何が起こっているのか。それをお前の手で徹底的に調べてみちゃくれないか」
そう言いながら見せつける〝十字に切られた手のひら〟で、驚くべきことが起こった。
裂けた肉が、開いている傷口が、まるでそうなった手順を逆に行うようにして閉じていく。
あっという間に傷は塞がり、完璧に元の状態に再生した。血も止まっている。
自然治癒では到底ありえない異常な速度での回復。
それを披露してみせながら、サークは真剣な顔で真っ直ぐにシュリヒテを見つめる。
「――ほう……これはこれは……なるほどな。ますます、本気で面白くなってきた」
一方、シュリヒテはそう呟いていた。目を細めてしげしげと、完全に再生した傷口を眺めながら。
冗談めかした風でもない、本当に面白がっている声色で。
「お前さんが俺を頼ってきた理由にも得心がいったよ。確かにこれは、俺のような〝錬金術師〟の領分かもな。いいだろう。興も乗ったし、調べてやるよ」
そんな快諾の後に「ただし」と付け加えて、シュリヒテはくっくと笑う。怪しい笑顔で。
「やるなら徹底的にやらせてもらうぞ。様々な技術と手段を用いて現在のお前の身体を隅々まで解析し尽くしてやる。どんなことをされても文句を言うなよ? 途中で止めるのもなしだ」
「…………っ」
それを聞いて、サークは言葉に詰まる。
昨夜の苦々しい記憶が脳裏に浮かんでしまい、思わず自分の身体をかき抱いた。
怪しくニヤニヤと笑うシュリヒテから隠すように身体を逸らし、狼狽えた声で言う。
「あ、あんまり変態みてーなことするのはダメだからな……!」
それを聞いたシュリヒテはニヤニヤ笑いから一転、眉をひそめた渋い顔となっていた。
「言っておくが、俺はそんなまだまだガキで通じるような年頃の女の身体にも、ましてや元が〝男〟の相手にも性的興奮を覚えるような趣味は一切ないぞ……。何を誤解したのかは知らんが、お前が危惧するようなことをするつもりはまったくない。やる気が削がれるようなことを言うのも、そういう反応をするのもやめてくれ。まるで俺が悪いような気がしてくる」
「だ、だってよぉ……」
「はぁ……何というか、ずいぶん〝その姿〟の方に精神が引っ張られつつあるようだな……。いつもの細かいことなんぞ気にしない大雑把で豪快な態度はどうしたよ」
呆れた様子でそう言ってくるシュリヒテ。
それに対して顔を逸らし、サークは溜息を吐く。
「まあ、その……こっちだって色々あったんだよ……」
それからもごもごと、言いにくそうにそうこぼした。
「……? まあいい、深くは探らんさ。とにかく、解析の準備だ。今から始めて……そうだな、今夜は寝かさんから覚悟しておけ」
「……や、やっぱり変なことする気だろ!?」
「お前もうやめろその反応!? 一々やりにくいわっ! こっちもやめるぞ、いい加減!」
心底うんざりした様子でそう怒鳴ってくるシュリヒテ。
サークはそれに誤魔化すような苦笑いを返すしかなかった。




