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TAKE3   作者: 芙山 凪須
第1章 獣の苗
2/3

1-1 【苗浬らあゆは分かれない】

  



 「あーあ」

 


 苗浬らあゆ。

 読みは“ナワリラーユ”。ラー油ではないのであしからず。ちなみに、まだまだ現役JKの筈である。そう、現役JK、だったような気がする。

 多分、それは合っているのだ。きっと家族は居た。ある程度の友達も、居たんじゃないかと思う。

 ひと通り、自分を振り返って見たものの。分かること、記憶にあることはたったそれだけだった。もうおそらく、十数年間は生きているだろうに。


 何もかもがすっぽりと。

 少女の頭から抜けていたのだ。


 滑稽な話。ただの記憶喪失である。

 苗浬らあゆ、なんてものは本名でも何でもない。ぽんっと少女の頭に浮かんだそれを使っているだけだった。

 当たり前だ。気に入ってはいるけれど、こんな名前が本名だったら、恥ずかしくって堪らない。らあゆってなんだ、らあゆって。両ポケット、胸ポケット、尻ポケット、全てを確認しても身分証や保険証、さらには財布まで入っていなかった。どれだけ無謀な家出を決意したのだろう。挙げ句に記憶まで失っちゃあ意味もないだろうに。


 まずいぞ。

 このままではナワリラーユは住所、職業ともに不定の変質少女に成り下がってしまう。


「うーん、うーん、うぅん」


 趣味は溜め息をつくことだったかもしれない。


「いや、違うよ」


 違った。

 そう、彼女にはもう一つ、大きな悩みがあるのである。それは、おそらく昨日行われたであろう体育が辛くて、体中余すことなく筋肉痛に襲われているとか。運動不足をものすごく痛感しているとか。そういった悩みじゃなかった。それだったら良かったのだけど。彼女の()()は規模が違った。


「──ここ、どこ?」


 苗浬らあゆは分からない。

 現在位置すら分からない。


 来たことも無い町。

 全面窓で造られているような建物。歪んで幾重にも積み上げられたガラクタのような“家”。

 カタカタと揺れる大きめの洗濯ドラム。一心にこちらを見つめるだるま。それは、決して、西洋の住宅街の造りとは言えなかった。そして、和の心を追求している造りとも言えない。たとえ、記憶があったとしても、お目にかかったことは無いであろう造りなのだ。

 どこでも無い世界。どこにも無い町。まさしくこれは。


「異世界ってやつだあああ────っ!」


 だから何だ。


 どんなジャンルのどんな世界か1ミリも見当がつかないし。正直どうでも良かった。ラアユは首を回し、


「ウチ、そういうのあんま詳しくないんだけどなぁ」


 ラノベなどは一切読まないし、読むといえば漫画か雑誌だ。そんな事だけは頭の隅に残っているのだから不思議なものである。

 

「こーれからどうしよっかなぁ」


 ラアユは取り敢えず"学校"を探すことにした。

 薄れゆく記憶の底に、微かに残る学校生活。誰一人としてクラスメイトの顔は浮かばないけれど。制服を着て、それこそ漫画にでも描かれたような、女子高生をしていた気がするのだ。


 ないだろうか。

 ないだろうな。

 無駄なことは、とうに承知済み。ただ、することもないし、どうしたら良いかも分からないから、そうするだけ。どうせ、薄れるくらいどうでも良いような人生だったんだろう。ぼさっと冴えない黒髪も、甲乙付けがたい顔も。何もかもが、主人公の風格じゃあなかった。

 きっとヒロインでもない。モブとしてですら出演を見直されるんじゃないだろうか。それくらい、苗浬らあゆはどうでも良かった。目的もなく、呆然と、失くなっていく感覚にふらつきながら。


 そんなことばかり考えていたから。

 

 目が合ったのかも知れない。

 遭って、しまったのかもしれない。



「─────にゃあ」


 だから。 

 見られて。()()()()てしまったのかもしれない。コンクリで固められた塀に、背を屈めてラアユだけを見つめていたのは。


 一匹の、赤い猫だった。

 一匹の、赤い猫だった──?


 ()()()()


その猫は、全身血風呂に浸かったように、真っ赤だったのだ。頭からその長い尾まで、怖いくらいに周りの景色から浮き出ている。短い胴に引っかかっている紐には、真っ白い笛が付いていた。


 いや、居るはずもないじゃないか。こんな猫、絶対おかしい。なのに、


「に、ゃあ」


 と。首の辺りがかゆいのか、猫は小さく身じろぎをした。しかし、その視線はラアユから一秒たりとも逸れてくれない。猫がラアユを見ている分だけ、ラアユもまた、猫に釘付けになっていたんだ。


 ずっと。目が、離せずにいた。

 逃げないと、いけないのに。

 身体が、動かない。

 その冷たい夜に浮かぶ月のような瞳は、ラアユだけを捉え、


「にゃぁああぁ───っん!」


 突如、それは、肉を見つけた猛獣のように、高く鳴きながら飛びかかって来たのだ。

 直線距離にして、僅か1メートルあるかないか。


 駄目だ、とか。

 終わった、とか。

 猫ごときで、そんなことを考えて。


 今までハリボテだった"死"というものをうっすらと認識する。なのに、こんなに頭は落ち着いていて。考えられはしなかったけれど。落ち着いていて。ああ、異世界で、猫に。結局、何も分かれないまま。少女は抵抗もせずに、ゆっくりと瞼を受け入れた。そして、


「ごめ……ん、なさ──」



 呟いた。

 瞬間。


「──この、アホんだらっ! 勝手に諦めてんじゃねえっ!」

 

「ひ、ぃ、にゃあぁァぁっ──!?」


「ぎゃっ!! うわああぁあああっ」


 声。

 声変わりを迎えたばかりのような、むずがゆい低声。

 そして銃弾のような()()が、ラアユをさらった。ひっぺがされた猫は、くぐもったような嗚咽と共に弾き飛んでいく。

 ラアユを片手で掬い上げたその人は、片足で大きく屋根の上へと飛躍したのだった。群青のちゃんちゃんこが、重たそうにひらめいて。

 気づけば、ラアユは運搬されていたのだった。



 

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