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罪避り人  作者: 裏々正
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宣誓・悲劇と報いと決意

ちょっと分かりづらいかもしれませんが、視点が変わっています。



 ―――怖かった。恐ろしかった。畏怖の念を抱かずにはいられなかった。


 それが、娘に対して持つ感情だった。


 娘は、妻に勉強を教えられることを発端に、独学で知識を吸収していった。


 それは、自分から見たら、あらゆる知識を巨大な吸引機で無差別に吸い込んでいくようなものだと感じた。


「――ねえ、パパの会社って凄いんだね。ここ数年の損益計算書とか貸借対照表を見たんだけど、営業利益と経常利益が半端じゃないよね。これが儲かってる値なわけでしょ?」


 ある日を境に、娘との会話は、政治経済やら環境問題やら、大人が考えるような話題ばかりになった。


「中でも今回は特別利益が多いんだね。どうして? 臨時に土地でも売ったの? それとも株かな?」


 ――挙句の果てには……


「――パパ。ここに行く所の写真でも撮られた日には、もう破滅だね〜」


 テレビ画面に映っている場所を指差しながら、そう言った。


 そこには、ラブホテルや風俗店だとか、そういった場所が映し出されていた。


 何やら、大物芸能人が、一般人とこういうところに入る前に写真を撮られて、スクープになったとかのニュースのようだった。


「全く、バカだよねえこの人達も。どうせヤるなら自宅に連れ込めばいいのに。こんな、それ以外に何をやるんだって場所に入るからこういうことになるんだよ。自宅だったなら、目撃されてもせいぜい熱愛報道されるぐらいだろうに。そんなに我慢できなかったのかなあ? クスクス……パパはどう思う?」


 そんな話題を振られて、自分にどう答えろというのか。


 その少し前までは、確かに「幼稚園で竹馬に乗った」とか、「お芝居が上手だったから金メダルをもらった」とか、そんな当たり障りのない話をしていたのに。


 いきなり政治経済やこんな話題を出されたら、自分でなくとも恐ろしくなるのは無理もないだろう。


 まさに巨大な吸引機で、余計な知識まで吸い込んだことを理解した瞬間だった。


 いまだかつて、こんな家庭があっただろうか? この当時、六歳の娘とこんな話題で会話する家庭なんて……


 しばらくすると、流石にこの話題は妻に注意されたようでしなくなったが、娘に対する恐怖は消えることもなく、そんなことを知らない娘はなおも話しかけてきた。


 自分の気を引きたいのか、何も答えないでいると、さらに多くの知識を披露して見せたが、娘に対する畏怖を強めただけだった。


 そして、自分は娘を避け、聡い娘もまた避けるようになった。


 ……だが、やはりそれは、あってはならないことだった。


 どんな人間になろうと、たった一人の、自分と妻の娘。


 その娘を、自分は拒絶したのだ。


 仕事に行くと嘘をついて家を出て行くとき、一度だけ振り返ると、そこにいたのはどこにでもいる、幼い少女の泣き出しそうな表情だった。


 目が合うとすぐに逸らし、不満そうな顔をして「とっとと行けば?」とでも言いたげにそっぽを向いた。


 このままではいけないと思っていた。


 しかし、一度できた溝は、そう簡単に埋まるものではない。


 娘の認識も、変えられはしない。


 それでも、妻の助力もあって何度か娘と話すことを試みたものの、その度に娘は突き放した態度をとり、取り合ってはくれなかった。


「――ねえ、どうせ(・・・)明日の運動会には来れないんでしょ? お仕事、頑張ってね」


 ……パパと呼ばれることもなくなり、自分も娘の名前を呼ばなくなった。


 ――い、いや、仕事を早く終わらせて、お前が走るクラス対抗リレーには絶対間に合わせて……


「無理しなくていいよ。その日は残業もあるんだから、帰るのは十時以降なんでしょ?」


 ……っ! あ、ああ……


 実はこの日は仕事が休みだった。


 運動会も、保護者が来れるようにと土日に開催されることが多いので、自分も行くことは出来た。


 ここ最近、娘と会いたくないがために、土日に会社へ行くことが多くなったため、その日は忙しいと娘に思われてしまったのだ。


 ――いや、娘のことだから、それが嘘と分かってて言っているのかもしれない。


「……出来もしないことを言わなくていいよ。ウザイから」


 そうやって反発するのは無理もない。先に拒絶したのは自分なのだから。


 が、娘の態度は、関わろうという自分の意志を粉々に打ち砕くほどの威力を持っていた。


 それでも、何とかしたくて再び関わろうとし、その度に打ち砕かれ、堂々巡りとなって三年の月日が経ってしまった。

 

 そして、昨日……


『……大丈夫だから。あなたの気持ちを――ちゃんと伝えれば』


 妻が、会社に一本の電話をかけてきた。


 ……今度こそ、娘と本当の家族になれると思っていた。


 絶対にそうすると、決めていた。


 しかし―――――


「―――ね、ねえ……嘘だよね…………ママが……し…………死………………」


 その言葉を口にしたくないのか、そこで思いとどまり、自分の返答を待つ。


 娘とて本当は分かっているのだろう。


 それが分からない程娘は馬鹿ではなく、むしろその年にしては頭が良すぎるくらいなのだから。

 

 だが、それを認められる程、娘は大人でもない。まだ九歳の幼い少女なのだ。


 豊富な知能を持ってはいても、こんなことに対しては年相応の対応しかできないのだなと、自分は場違いにそう思い、どこか安心もしていた。


 しかしその知識と理解力は本物なので、自分もはぐらかさずに娘の問いに答えようとした。


 ――ママはね……死んでしまったんだ。もう、二度と会えな……


「――――嘘だあああああああああああああああっ!!」


 突然娘が大声をあげて遮った。


 ――嘘じゃないんだ。もう、ママには会えないんだよ……


「―――何で!? 何であなたはこんなときだけ正直に言うの!? いつものように私の問いかけなんかごまかせばいいじゃない! “天国に行ったんだよ”とか“いつかまた会えるよ”とか、そんな無責任な言葉だって今の私には必要なのに!」


 ――そんなことを言っても……お前は納得しないだろう? 


 いつか会えると言ったなら、“それはいつなの?”と言うに決まってる。


 そして、私はその問いに決して答えられない。


 だから、そんな曖昧なこと、お前に言えるわけがない……


 そろそろお前との付き合いも長いんだ。それぐらいは私にも分かるさ。


 その言葉には何も言い返せなかったのか、娘は俯き、涙を流して床を濡らし、呻き声を上げた。


 やがて顔を上げると、涙ながらにその表情に負の感情を宿して、訊いた。


「……あなたは、ママが殺されたとき、どこにいたんだっけ?」


 ああ、分かってる……会社、だよ。


「そうだよね。私とママが買い物に出掛けたとき、あなたは日曜日だというのに会社だった。…………ソウダヨネ?」


 ……ああ。


「……あなたは、私の何? この家の何?」


 そうだな……お前の、父だ。


 そして、この一家の世帯主であり……大黒柱だ。


 それを聞いた途端、娘は鼻で笑い、負の感情――憎悪を色濃く宿して静かに告げた。


「……無力だよねえ、あなたは。一家の大黒柱だっていうのに、ママが殺された時は会社だったわけだ。笑えるよね? 大黒柱っていうのは、家族を守るのが何よりも大切な役目なのに……ああ、所詮一家の(・・・)大黒柱でしかないわけか。ママが殺されたのは、家の外だもんねえ、本当、笑えるネ……クスクス……」


 そうだな。それについては、もう謝ることしか出来ないな。


 ……本当に、済まなかった…………!


「――だったらママを――――返せええええええええええええええええっ! お前がいたらママは死なずに済んだのに! ママを返せ! いや、それ以前に何でお前なの!? どうしてお前じゃなくてママなのよおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 それは、言い換えると「代わりにお前が死ねばよかったのに」という意味だった。


 それでも、自分は怯まなかった。


 娘の悪態に慣れていたということと、ある決意のおかげでもある。


 娘を、何があっても守ると。


 ……自分が、至らなかったから。


 娘が恐ろしくなって、家に帰るのも怖くなって、わざと日曜日に仕事を入れるようにしていたからだと。


 全ては自分の責とした。


 賢い娘のことだ、本当は分かっているだろう。


 父親である自分のせいだけではないと。


 だが、こうして他人にあたることでもしないとどうにかなってしまい、精神に異常をきたしていただろう。


 理屈と感情は、時に相反するものとなり、自身を迷わせ、結果次第では自分を酷く傷つける。


 故に、こうして大声で他人のせいにすることも、今の娘には必要だ。


 ――だからこそ、その叱責を受け入れよう。


 今までお前を省みず、その罵倒すらされないほどに、ないがしろにしてきた報いだ。


 しかし、この出来事のおかげでこの決意を持てたのかと思うと、あまりに皮肉で苦笑いをするしかなかった。


 ……せめてもの罪滅ぼし、いや、自己満足と思われてもいい。


 妻にも頼まれていたことで、元々自分自身でも強く願っていたことなのだから。


 どんなに拒絶されても、罵倒されても、娘と関わろうと、守っていこうと、心に誓った。





 ――もう、二度とお前を――拒絶したりなどしない!






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