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罪避り人  作者: 裏々正
12/14

喪失・愛憎紙一重(前編)

 

 

 ――どこで、狂ったのか。


 ……何が、おかしかったのか。


「――おい、酒を買って来い。三秒以内に」


 ……多分、最初からだ。


 当時一緒に住んでいた男が、いつものように、俺にそう言った。


「む、無理です。そんな早くは……」


 ――ドガッ!


「――あうっ!」


 蹴り飛ばされたという事実を、痛みと共に理解する。


「―――バカがっ! それぐらいの勢いで行けってことだよ!」


 その後、胸倉をつかまれ、投げ飛ばされ、殴られる。


 ――ドカッ! バキッ!


「――うあっ! あ……が……っ!」


「ホントに使えねえなお前は! それでも俺の子かっ! この役立たずが!」

 

 ――ゴガッ! バギャッ!


「が……は…………! ――す……すみま…………せん」


「――この“クズ”がっ!!」


 ―――メキャ……ッ!


「うわああああああああああああああああああっ!!」


 極めつけに、骨が軋むほどの踏み付けと、最悪の侮蔑。


「ちょっとあんた、そのへんにしときな。使い物にならなくなったら困るだろ」


 もう一人、一緒に住んでいた女がようやく止めた。


「そうだな、おかしな噂が立っても面倒だし、何より仕事に差し支える」


「そうそう、いたぶるなら骨が折れない程度にね」


 その女もまた、俺を庇ったわけではない。


 外部への体裁と、仕事の効率を気にしていただけだった。





 ――全てが、曖昧だった。


 記憶も、状況も、痛みも。


 物心がついた時から、こんな日々だった。


 酒とタバコを友とし、俺を殴ることを生きがいとする父親。


 鼻を刺激する、男がつけるような香水の匂いを常に漂わす、ホスト通いの母親。


 彼女の趣味は、俺を殴るというよりも、使い走りにすることだった。


 それでも、例え自分の都合の良い人間にするためでも、父親の暴力を止めてくれるのだがら、まだマシな存在だった。


 ともあれ、俺はこんな両親に育てられて、かろうじて生きていた。


 暴力と、奴隷のような扱い。そして剥き出しの殺意。


 俺という存在は、両親にとって忌むべき存在ということが、すぐに分かった。


 エスカレートした暴行で、何度も殺されそうになったからだが、どうしてかその直前に父は我に返り、何とか死は免れていた。


 父が俺を生かしている一番の理由は、おおよその見当はつく。


 自分でも言っていたように、仕事の手伝いをさせるためだ。


 当然、真っ当な仕事ではなく、詐欺、恐喝、盗み等、犯罪行為の手助けとして。


 子供だった俺には、何をさせられているかも分からなかった。


 でも、そんな俺だったから、相手も簡単に騙されるし、盗まれてくれる。


 万が一失敗して捕まっても、少年法に守られてそれほど酷い目には合わない。


 それがあいつらの算段だったが、俺はそんなことに気付く余裕がなかった。


 ただ、両親の役に立ちたかった。


 そうすれば、暴力も止めてくれるし、むしろ誉めてくれるとわずかに期待して。


 あんな両親でも、やはり自分の実の親なのだからと、信じていた。


 本当は、優しい両親だと。


 俺に暴力をふるうのも、それが彼らなりの愛情表現だと。そう思うことにした。


 ――そうでも思わないと、やってられなかったからだ。


 ……なのに、そんな想いは、ある日簡単に崩れ去った。


 両親に、とある家に盗みに入るよう言われた時のこと。


「……やっぱり、これは悪いことだ」


 自責の念か、罪悪感か、その感情の正体は分からなかったが、俺は盗みに入ることに抵抗を覚えていた。


 当たり前といえばそうだった。


 人の家の物を盗むことは、考えるまでもなく、悪いことだ。


 だが、あの両親に物事を教え込まれたことで、善悪の区別すらつかなくなっていたのだ。


 それが「悪いこと」だとは、教えてもらえなかったから。


 俺が盗みに入ることで、その家の住人が悲しむ。


 そんな当たり前の図式を目にしたことで、ようやくそのことを理解した。


 だから、盗みに入るのは止めた。


 そして、こんな馬鹿なことを止めさせるために、家に戻った。


 ……馬鹿なのは俺の方だったと、誰でも思うだろう。


 そんな言葉に耳を貸さない奴らなのは、俺自身が一番分かっていたはずだ。


 それどころか、どんな目に合わされるかすら、分かったものじゃない。


 ――でも……


「この馬鹿があああああああああああああああああっ!!」


 ――ベキャッ!


「―――――……………………っ!」


 信じたかった。信じさせてほしかった。


「お前は何のためにここに居ると思ってんだあ! 仕事のためだろうがあ!!」


 ――バキッ! ドカッ!


 もう、声も出なかった。


「――いいか! お前の役割は俺たちの代わりに仕事をすることだ! それ以外にお前の存在意義はねえんだよ!」


 ――ただただ、今の状況が嘘だと、夢だと、そう願うしかなかった。


「それが出来ないんならお前は何だ!? ただの役立たずだろうがあ!!」


「――ホントにアンタって子は! 今度こそは私も許さないわよ!」


 いつもは父の行為を止めてくれる母も、今回ばかりは一緒になって制裁を加える。


 母の望み通りにならなかった俺は、もはや父の言うとおり、何の役にも立たないのだ。


 やがて、父が息切れする程に俺を痛めつけた後、いったん攻撃の手を止め、


「――はあ……はあ……お前はなあ―――俺たちの本当の子供じゃねえんだよ!」


「………………?」


 ―――この時の、俺の心情は、どうだっただろう?


 案外、ショックは少なかった、かもしれない。


「…………」


 本当の両親じゃないということに、納得していたからだ。


 実の父親なら、俺にこんなひどいことをするわけがない。平気で犯罪などさせるわけがない。


 だから、むしろそれで良かった。


 こんな最低最悪の奴らが実の両親じゃなくて、ホッとした。


 だが次の瞬間、これで育ての父となった者が発した言葉には、動揺せずにはいられなかった。


「――お前の両親はなあ! お前を俺たちに預けたんだよ! あの野郎、自分が邪魔になったからって俺たちに押し付けやがって!」


「…………!」


 うそ……だ。


「昔のよしみと借りがなけりゃ、今すぐお前なんて放り出すところだ! ――ま、俺たちの都合の良いようにしていいとお達しがあったから、それに乗らしてもらったんだけどなあ」


「だけどゼンッゼンだめだったわ! 頭は悪いし言うことを聞かないし。挙句の果てには私たちに逆らって意見する! ――そんな役立たずは私たちにはいらないの! わかる〜?」


「――お前は俺たちのためならどんな汚い仕事でもして金を手に入れる! それだけがお前の存在意義だ! それが出来ないならお前は用済みだ!」


 再びその足を上げて、踏みつける。


「―――この役立たずが! ゴミがっ! カスがあ!!」


 ――ドギャッ!


「……ご…………は!」


「―――“クズ”がっ!」


 ――グシャッ!

  

 それは、役に立たない人間の例えとして使われる。

 

 不要だとか、生きている価値がないとか、塵同然だとか、そういう意味の、最低最悪の暴言。


「とっとと死になさいよこの役立たず! 屑!」


 ――視界が、かすんできた。意識も遠のいてきた。


「―――死にさらせ! ――この、塵屑があああああああああああああああああ!!」


「――――――――――――――――――――――――っ!!」





 ――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――意識が、飛んだ。


 全てが、真っ白になった気がした。


「………………………………」


 目を開けた……――いや、目蓋は開いたままだったが、視界が戻ってきた。


 次に見たのは、血溜まりを広げて横たわる、夫婦の死骸だった。


 何が起きたのかは、自分の手に握られているナイフが証明していた。


 その育ての父が大事そうに持っていた、切っ先が長い、鋭利なナイフ。それが真っ赤に染まっていた。





   *





 ――それから先は、しばらく記憶が曖昧になる。


 児童養護施設に入れられたということは覚えていたが、自分が何をしているのか、何を持ってこんなところにいるのか、理解できなかった。


 どうして、自分は生きているのか。何のために……


 その日も施設の一室で、廃人のように、考えていた。


 ―――すると……


「―――ワタルくんっ!」


「――――っ!」


 耳元で突然驚愕の一言を聴かされ、飛び上がりそうになった。


 突然、だった。


 一人の女の子が、そこにいた。


 それも、ただの女の子じゃない。


 俺に対して、今まで誰もしてくれなかった行為を、たったの一言で二つもこなしてくれた、女の子。


 ―――俺の……名前を呼んでくれた。


 実の両親が付けたのか、あの暴力に訴えるしか脳のない、育ての親が付けたのかは不明だが、確かに俺にはその名が在った。


 一度も、あの二人に呼んでもらえなかった名前。


 ―――そして、今俺に対して笑いかけてくれるという何気ない―――でも俺にとっては何よりも輝いて見える、笑顔。


「――ね、一人でくさってないであそぼっ」


 そのとびきりの笑顔のまま、手を差し伸べてくれる。


 ……どうして、これほどにたまらなく嬉しいことを、あの二人はしてくれなかったのだろう。


 名前を呼んで、笑いかけて、手を差し伸べるだけ。


 こんなにも、簡単なことなのに……


「どうしたの? どこか痛い?」


「――い、いや。大丈夫だよ」


「そう? ならいいんだけど、男の子がいつまでもめそめそ泣いてちゃだめだよ」


 ……この時、彼女も俺とほぼ同じ経緯でこの施設に来ていたらしい。


 どうしてそんなにも笑えるのかと理解に苦しみ、若干能天気なのかとも思った。


 しかし、今はそんなことどうでも良かった。


 両親に対して望んでいたことを、こんなにもあっさりと、この娘は叶えてくれた。


 もうそれだけで、十分だった。


 ――だから、何か報いたかった。


 何かを、してあげたかった。


 自分の存在意義を育ての両親に否定されて、自殺すら考えていた俺に「生きていて良かった」と思わせてくれた、彼女に。


 だとしても、これはないだろうと自分でも思ったが、


「一生、君を守ってあげるよ」


 その時の俺は、何を血迷ったか、そんなことを言ったのだ。


 全く――どうかしていたとしか思えない。でも、それは本心だった。


 彼女にプレゼントするお金も、喜んでもらうための物も持っていない俺には、こんなことしか言えなかった。


「―――うん、ある程度期待して、待ってるよ」


 彼女は悪戯めいた笑みで、何か引っかかる返答を返したが、「期待しないで待ってる」と言われるよりはマシだった。


 心なしか、彼女の瞳も潤んでいたから、嬉しかったのだと前向きに取ることにした。


 そのおかげで、頑張れたのだから。


 一刻も早く自立できるように、彼女と一緒にいられるように、努力した。


 勉強は苦手だったが、彼女のためなら、どんなことでもできた。


 ――そして、中学を卒業後、高校には行かずに働いた。


 彼女を、連れて。


 施設を出る際、何故か震える唇で、彼女はこう言った。 


「本当に、私と一緒に……居てくれる?」


「当たり前だろ。あの時の約束だ」


「……そう……よか…………た」


 涙が一滴、頬を伝って零れ落ちた。


 嬉し涙だと思って疑わなかった俺は、彼女を抱きしめた。


 背中に、暖かくて、力強い温もりを感じた。





 ――それからは、月日の経過が早く感じた。


 それほどに、楽しい時間だったから。


 彼女はおしとやかそうに見えて、実はかなり怖い娘だった。


 考えるより先に体が動くのか、料理のつまみ食いをしようとしたら、その土鍋が飛んできた。


 洗濯物の彼女の下着を干すとき、常に殺気を感じた。


 少しでもその布地に意識がいこうものなら、容赦なく刃物が飛んでくる。


 その後、にっこり笑顔を作って、

  

「――もう、次に同じことやったら、お仕置きだからねっ」


 ――包丁を構えながら、半ば脅すようにそんなことを言った。


 その禍々しい刃物がなければ、惚れ直していたかもしれない台詞なのになと、俺は苦笑した。





 ――それから長い年月が経ち、一つの決定的変化が訪れた。


 彼女が、今まで数度しか見せたことのない、真っ赤な表情で俺に告げた。


「……その、できちゃった、みたい」


 自分のお腹に手を当てて、微笑んだ。


 ――信じられなかった。


 天地が引っくり返るんじゃないかと思った。


 俺が――両親の指図とはいえ、犯罪行為を平気でしていた俺が――親になる。


 嬉しくはあった。しかし、


「……こんな俺が―――父親?」


 不安だった。


 育ての両親に言わせれば、「存在する価値がない」または「塵屑」の俺が――今でもその言葉を思い出すと、我を忘れて相手に襲い掛かることもある俺が――誰かの親になるなんて……


 ――そんな俺に、あの日と同じように笑いかけてくれて、


「大丈夫よ。現にあなたは、こうして私を幸せにしてくれてるじゃない」


 そっと抱き寄せられ、今この世で最高に幸せな言葉を聞かされて、我に返った。


 そうだ、不安なんて感じてる場合じゃない。


 守るべき者が、増えた瞬間なのだから。


 しかし、産婦人科に通うことになった彼女を送り迎えしながら、仕事をするのは困難だった。


 病院の診療時間と仕事の勤務時間が合いにくいのも原因の一つだったが、それ以上に両者を頑張りすぎたのがいけなかったのか。


 ある日、仕事中に倒れてしまった。


 それほど深刻ではなく、熱を出して倒れただけだが、同僚に送ってもらった後の自宅では、


「――もう! 心配させるんじゃないわよばかあっ!」


 ――パシン! バシン!


「――うおっ……おま…………病人にそれはないだろ……」


 彼女は心配しているのか病状を悪化させたいのか、俺に往復ビンタを食らわしながら怒鳴った。


「馬鹿は殴らなきゃ分かんないのよ! もう、ホントに心配……したんだから……」


 ――言うまでもなく、どうやら前者のようだった。


「ああ、悪かったよ。ごめんな……」


「もう、二度とこんな無理はしないで……私なら、一人で病院ぐらい行けるから」


「いや、でも……そろそろ陣痛もひどくなってんだろ? 車で行かないと」


 確かに体を休めることは大事だが、それとこれとは別だ。


「大丈夫よ。タクシーで行くから。今は体を休めることだけ考えて? ……あなたがいなくなったら、私もこの子も、どうしたらいいか……分からないじゃない」


「……分かったよ」


 一緒に病院に行けないほうが不安だったが、だからといって、この泣き出しそうな表情に反する気にはなれなかった。


「それじゃ、呼んでいたタクシーがそろそろ来るから私は病院行くけど、ちゃんと安静にしてなさいよ? 絶対だからね!」


「はいはいわかったよ。何度も言うな」


 苦笑しながら彼女を見送ろうとすると、その背中がふと止まり、


「……私ね、本当、今が幸せなんだけど。だからこそ、無くすことが、怖いの」


「……え?」


 その震えた口調と声色は、いつか、どこかで聞いたような、ものだった。


 ――そう、施設を出る前に、お互いの決意表明をしたときの……


「――覚えてる? 私が、初めてあなたに話しかけた時のこと……」


「忘れるわけないだろ……」


 絶望と虚無のどん底に在った俺を、たったの一言で這い上がらせてくれた日。


 その日を忘れようものなら、俺は脳手術を受けるべきだろう。それほどに、忘れられない日だった。


「あの時ね、私……どうしようか、ずっと迷ってたの。あなたにも、“余計なお世話だ”とか“とっとと消えろ”とか言われたら、どうしようって……」


 ――そう、彼女も、俺と同じだったのだ。


 彼女は、俺とほぼ同じ理由で、児童養護施設に入れられた。


 実の両親に捨てられ、親戚をたらい回しにされた挙句、ついには施設の前に置き去りにされたのだという。


 自分の存在を何とかアピールしたくて、家事手伝いをして、勉強も運動も頑張ったが、それでも引き取り先の両親は、誉めてくれなかった。


 むしろ、その両親の実の息子よりも出来た娘だったものだから、その息子と両親には憎むべき対象となった。


 無視され、食事も満足に与えられず、学校にも行けずに、息子には殴り蹴られる。


「誰かに、私を必要としてほしかった。笑いかけてくれなくてもいい。一緒に居てくれるだけでいい。話してくれるなら、それだけでいいのに、誰もそうしてくれない……」


 彼女は俺に背中を向けたまま、泣いていた。


「――だから、私はあなたに話しかけた。一緒に居てくれるなら、誰でもよかった。一人は嫌だったから……そしたら、あなたは想像以上に優しくて、こんな私に……“一生守ってあげるよ”っ……て……」

 

 ――ああ、誰だろうな、彼女を能天気と思った馬鹿は。


 俺は、彼女の気持ちを、何も分かっていなかった。


 彼女がどんな想いで俺と一緒に居るかも考えずに、俺は……


「――だから、もう私は一人じゃない。あなたが居る。ずっとずっと一緒。でも、あなたが居なくなったら……私はもう、どうすれば…………いいか」


 今すぐ布団から起き上がって、彼女を後ろから抱きしめたかった。


 でも、熱を帯びた身体は上手く動かない。仕方なく、念を押すに止めた。


「―――本当に、ごめんな。もう、二度とこんな無理はしない。お前を、絶対に悲しませたりなんかしない」


「――約束してくれる?」


「ああ、約束する」


「……うん―――うんっ! 分かったならよしっ! それじゃ、行って来るねっ!」


 若干、無理に作ったような笑顔だったが、涙を見せまいとする行為なのは見て取れた。


「ああ、気をつけてな」


 気付かないふりをして、俺も笑いかけた。


「――ありがとう。ワタルくん……こんな私を――幸せにしてくれて」


「……それは、俺の台詞―――っておいこら、いつの呼び方だよ」


「あははっ! この呼び方、好きだったからねえ、それじゃ、行ってきます、ワタルくんっ!」


「……まったく。いつまでも子供っぽいやつだな」


 ……そんなことばかりに気を取られて、約束の証である小指を絡ませることができなかった。





 ――どれほど、眠り続けていただろうか。


 体調の悪い身体は正直のようで、布団に入るとすぐに寝てしまったようだ。


 随分と楽になり、暇になったので起き上がってテレビでもつけようと、リモコンを手に取った。


 ――そして、電源ボタンを押すのとほぼ同時に、電話がなった。


 受話器を取ると、相手は男の声で、何かを大声で叫んでいた。


 突然デカイ声で言われても、訳が分からない上に聞き取れない。


 俺はもう一度よく聞き取ろうと、耳に神経を集中させた―――直前。


 たまたま視界が、テレビの方に向いた。


 何かの、事故現場が…………映っていた。


『…………シー運転…………が………………しました……』


 途中からだったのと、電話中だったのとで、よく聞き取れなかった。


 そこには、黒く、四角い物体が、谷底に落ちていた。そして、見覚えのある写真が、画面に映しだされる。

 

『繰り返しお伝えします。山道で落石事故が発生し、産婦人科へ向かう途中だった妊婦さんと、送っていたタクシー運転手が死亡しました』


 ――――………………は?


『この日は渋滞がひどく、大通りの交通が困難だったため、タクシー運転手が抜け道の山道を通ろうとしたのだと考えられます……』


 ………………何を―――――――――言ってるんだ、こいつは?


『また、この山は最近落石が多かったらしく……住民にも注意を呼びかけてたところでしたが……』

 

 ―――おい、ちょっと待てよ。


『他に考えられることとしては、妊婦さんの陣痛が始まったため、タクシー運転手がやむなく山道を通った、ということも有り得ます』


「――っ! 勝手に死んだって決め付けてんじゃねえええええええええええええええええ!!」


 持っていた電話の受話器を叩きつけ、家を飛び出して現場に向かった。


 ―――しかして、どういうわけか、冷静に分析できてもいた。


 そこに着いたとしても、全てが終わっていると。


 はっきりと、事故現場を映像で見せられたのだから。


 全力で現場に向かいながら、思い出していた。


 “――だから、もう私は一人じゃない。あなたが居る。ずっとずっと一緒”


 “でも、あなたが居なくなったら……私はもう、どうすれば…………いいか”


 どうやら、相手の気持ちを理解しないのは、彼女も同様だったらしい。


 人に説教しておいて、自分が約束を守れないのだから……いや、彼女は約束したわけじゃないのか?


 ホントウに、ずるい女だ。





 ――そして、あっという間だった。たった一瞬で、全てを失った。


 ありとあらゆる理不尽さ、誰に向けていいのか分からない憎悪。


 それらに苛まれる前に、一つの事実を突きつけられる。


 ―――これで、あっさりと、一人になった。


 彼女があれ程までに恐れていた、一人で、独りだった。


 どうやら、俺は人並みの幸せを望んでは、いけないらしい。


 はは……まあ…………いいか。


 これでもう、彼女に出会う前に考えていたこと、それを実行に移せるのだから。


 ―――さて、いつにしようか……な。


 ははは………………はは…………は……




このエピソードは、相当悩んだ末に今の形になりました。

その結果、予定より長い話になっていますが、もう少しで完結です。

もしよろしければ、もうしばらくおつきあいください。

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