4.いきなり最強
レオンが入った部屋は広さが小学校の教室くらいで、何も置かれてはおらず、壁も天井も床も全て白く塗られていた。照明が見当たらないので、部屋全体が白く光っていることになるが、実に不思議な話である。しかも、石造りの神殿の中よりも、この部屋の方が空調が効き過ぎているくらい肌寒いのは解せない。
扉が閉まる音がしたので後ろを振り返ると、ひとりでに閉まるのが見えて、さては幽霊のドアボーイでもいるのかと寒気がした。
「自動ドアかよ」
扉の向こうにいるエンマを念頭にツッコミを入れてみたが、返ってくるのは自分の声の反響だけ。
「それとも、さっきのお喋りの精霊さんかいな?」
音が消えると静寂が支配し、寒いのも相まって肝が冷える。怖いときは冗談でも言うに限るが、気の利いた文句が浮かばない。
両腕をさすりながら、どこから指導教官が現れるのかとキョロキョロするも、一向に姿を見せないので、さては小さな穴から覗き見をして召還された人物を監視し、どんな性格かを見定めているのではないかと思えてきた。
エンマ相手に軽口を叩いたり色々質問攻めにしたり戯けて見せたりしたのは、本当は異世界転移の不安から逃れたかったため。だから、話し相手がいないと無性に心細くなり、心のバリアが剥がれ落ちて寒心せざるを得ないが、びくついていることがバレてはいけないと思って、堂々と胸を張ってみせる。そして、深呼吸をし、
「誰かいませんかー!!」
大きな声を出したのは、恐怖を打ち消す意味もあった。これも自分の言葉が広い部屋に木霊するだけで、相手の反応はない。
「いないなら返事をしてくれー!」
わざと間違って受けを狙ってみたが、クスリとも笑い声が聞こえず、派手にスベった芸人の気持ちがよくわかる。いつまで監視しているのだと苛立ちを覚えるが、ここは我慢のしどころだと思っていると、
「計測不能だな」
「おわっ!」
太くて低い女性の声が天井から降ってきたので、ギョッとする。
「ビックリしたぁ……」
だが、見上げてみても姿はなく、スピーカーの類いも見当たらない。相手が分からないと、どんな言葉遣いをしていいのか見当も付かないが、とりあえず神殿での態度を貫いてみる。
「どういうこと?」
「お前の魔力が測定できないということだ」
「なんかそれ、ダメ人間みたいな言われようだな」
「その意味に捉えたか。逆だ」
「逆? つまり、すげーってこと言ってる?」
「それしかないだろ」
「えっ? それ、期待しちゃっていい?」
「なんだか、軽い奴だな。こっちは期待外れだぞ」
と、その時、部屋全体が揺れて立っていられなくなり、レオンは床にしゃがみ込んだ。異世界にも地震があるんだと感心していると、白い部屋が急激に縮んで扉の方の壁がなくなり、そこから外に放り出されて尻餅をついた。部屋が急速にシュリンクしていく様を見ていると、白猫が前に突きだした右手の中へ収まっていくのが見えた。
「えっ? ここどこ?」
辺りを見渡すと、今度は先ほどより狭い石壁の部屋で、壁に沿って机が並び、フラスコやらビーカーやら実験器具やらが所狭しと並べられている。天井には、大きめのランプがぶら下がっていた。もちろん、赤い魔石を用いたランプだ。
キョロキョロするレオンに向かって、床に香箱座りした白猫が金色の目を細めて口を開いた。
「こんな魔力は初めてだ」
「おお、しゃべる猫、登場! 待ってました!」
「何をはしゃいでいるのだ?」
「いや、お話とかアニメとかによくあるけど、実物を見るのが初めてなんで」
「あにめ?」
「いや、何でもありません。続きをどうぞ」
「我が名はドロテア。お前の名は?」
猫相手ならこのまま軽口を叩いても大丈夫そうだと安心し、咳払いをして、
「閻魔もそうだけど、人を召還するなら、事前に名前を調べろよ」
「いいから名乗れ」
「俺か? 一杯あってな――」
「生まれたときに付けられた名前だけで良い。それなら一つであろう」
冗談が通じない相手のようだ。
「……レオン。レオン・マクシミリアン。なあ、先に訊いていいか?」
「何だ?」
「あんたが指導教官か?」
「そうだが」
彼は立ち上がって尻をパンパンと払い、数歩近づいてしげしげとドロテアを眺めてみたが、普通の猫にしか見えない。
「人間が猫に化けているとか?」
「これが真の姿だ」
「それはそれは、お見逸れ失礼」
「その顔、詫びているようには見えん」
「別にいいじゃん。で、さっきの白い部屋、あんたの手から出たのか?」
「そうだ」
「すげー」
「あれが魔力を測定する空間だ」
レオンは真後ろを振り返るが、実験器具の置かれた机が見えるだけだ。
「神殿とあんたが出した空間が繋がっているって、手の込んだ歓迎の仕方ちゅうか、うまいこと誘導されたっちゅうか」
「効率を重視しているからな」
「それはそうと、俺の魔力って、そんなに凄いのか?」
「ああ、その通りだ。試しに、この水晶玉に触れてみよ」
ドロテアが軽々と机の上に飛び移り、水晶玉まで歩み寄るとレオンの方へ振り向いた。レオンが水晶玉を指差して、
「それか? なんか、占い師が使って未来でも映し出しそうな代物だな」
「これは、その類いとは違う。特別製だ」
「なんか、占い師が安物使っているように聞こえるんですけど」
「否定はしない」
「占い師に謝った方いいっすよ」
「これは魔力に反応し、その強度に応じて光るのだ」
「へー」
水晶玉の前でレオンが後ろに手を回して腰を屈め、顔を近づけると、水晶玉の奥が小さく橙色に光った。顔を上げると光は消え、近づけるとまた光る。
「触れなくても光るみたいだぞ」
「信じられん」
「そんなに凄いんだ」
「普通は触れると光るのだが」
「なあ。そんなに凄いってことは、まさか、手で触れたらピカーって輝いて爆発しないよな?」
「そんなことはない」
「本当か? もし想定外で爆発して怪我でもしたら、魔法で治してくれよ」
そう言って、ドロテアから視線を水晶玉に向けて左手を近づけると、いきなり水晶玉全体が輝き始めて、ビシビシッと音を立ててひび割れ、欠片が周囲に飛散した。慌てたレオンは、手を引っ込めて仰け反る。
「あっぶねー! おい、触れてもいないのに壊れたぞ!」
「…………」
呆けているドロテアの顔の前でレオンが手を振った。
「もしもしー、大丈夫かー?」
「あり得ない……」
「なあ。これ壊した奴って、過去にいるのか?」
「聞いたこともない」
「ってことは、最強なのか?」
「間違いないだろう」
「おお! 異世界に来ていきなり最強! チート魔術師、現るだな!」
「魔術師ではないが」
「なら、チート魔導師」
「ちーとの意味が分からんが、そちらの異界の言葉で最強という意味なら、そうだな」
レオンは自分の手が震えていることに気づく。本を読んで想像力を逞しくし思い描いていた最強の力を、今自分が手にしていることに対して、感極まって涙が出そうだ。
「なあ、どのくらい凄いんだ? 押し寄せる軍勢を一撃で倒すとか? 山一つ吹き飛ぶとか?」
「町一つ二つは一回で壊滅させられるだろう」
「マジでか……」
「これは上に報告せねば」
「上って誰?」
「皇帝だ」
「おお! いきなり俺、皇帝の片腕になるとか、出世コース歩んだりして!?」
「それはないな」
「なんでだよ! 最強だぞ、この俺は!」
「召還されて早々にはない」
「まあ、それも一理あるか……。でも、あんたが俺に教えることってないよな? 最強なんだし」
「ある」
「えっ、なんで?」
「なら、そこの壁に魔法で穴を開けてみろ」
「弁償せいなんて言うなよ」
レオンは、左側の壁に向かって左手を突き出した。
「あっ……。詠唱の仕方がわかんねえ」
「ほれみろ」
「いや、無詠唱でイメージだけで出来るはず。本で読んだ」
「ほう。では、やってみろ」
「腰抜かすなよ」
だが、左手を伸ばして目をつぶっても力んでも、何も起こらなかった。
「教わることは多いぞ」
「みたいですねぇ……」
左の掌を握ったり開いたりしながら、レオンは大きな溜息をついた。