3.異世界の不思議
「あのランプ、あそこに置いたままじゃ、火気点検上アウトじゃね? 倒れて火災にならないか?」
レオンの言葉に後ろを振り向いたエンマが、彼の指差す先に視線を送って苦笑する。
「らんぷ? ああ、あの灯りのことか。お前の異界の言葉はいろいろで訳が分からんが」
「言葉が通じて部分的に単語が通じないって、ストレスなんですけど」
「すとれす、も分からん」
「そっか。外来語的なのはみんなダメっぽいな。ラノベなんか読むと、普通に通じてたりするんだが。時には四文字熟語とか諺とかも」
「異界同士は、文化も習慣も伝統もまるで違う。全て通じる方が奇跡じゃろうて」
「じゃあ、閻魔さん、質問」
レオンの挙手に、エンマが首を傾げる。
「らんぷのことは、もういいのかの?」
「そうでした。何せ、異世界転移なんて初めてなんで、聞きたいことが山ほどあって、つい」
「あれは、中にある赤の魔石が光っておるだけじゃから大丈夫じゃ。燃え移りはせん」
「ほうほう。魔石とな」
レオンがランプに駆け寄り、手に取って中の魔石を眺める。
「お前は、チョウチョが飛んでいたら、そっちにすぐ惹かれて行ってしまう子供じゃの」
「体は子供ですー。頭ん中は大人だけど。でも、すげー。鏃みたいな格好して中から燃えているように光っている。石なんだよな、これ?」
「地面に転がっている石とは違うて、それは魔獣の体の中から取り出すのじゃ。他にも青、緑、稀に金色もある」
「なるほど。魔獣のグレードに応じてゲット出来るアイテムが異なるという訳か」
「何を納得しておるのかサッパリ分からんが、納得したなら、さあ、それをさっさと置いて付いてくるのじゃ」
ソッと床にランプを置いたレオンが、エンマのそばに駆け寄る。
「魔獣をやっつけたら、キラキラーって光の粒となって消え、魔石がゴロリと地面に転がる、って感じ?」
「馬鹿を言うでない。退治しても光の粒になりはせぬ。お前のいた異界では、牛や豚を食するために屠殺したら、キラキラ光って消えるとでも?」
「えっ? 何? 魔獣って、死んだらそのまま?」
「当たり前じゃ。戦いの後で死体を片付けるための処理班という部隊があるくらいじゃ」
「嘘……。世界観が崩れていく……」
「どんな世界を想像しておったのか知らぬが、よほど空想が好きのようじゃの」
「で、さっきの質問」
「ちっ、覚えておったか」
「なんか、舌打ちしなかった?」
「気のせいじゃ」
しつこいレオンを置き去りにエンマが先を行く。
「俺もあそこで召還されるとこ見学していい?」
「ダメじゃ。気が散るのでの」
「ケチぃ」
「お前も集中しているときに人がそばにいるとイヤじゃろう?」
「わかるわかる。仕事がリモートで助かったし――って意味分からんって言われそうだが」
「先に言いおったか」
エンマが早歩きになったので、レオンも遅れまいと足を速める。
「まだ、質問がある」
「これ何あれ何とうるさい子供じゃ」
「召還するのは日本人だけ? それとも世界各国の人?」
「にほんじん? ……ああ、いろいろな国の人種を召還するのかと訊きたいのじゃな?」
「いえーす。いや、はい」
「黒髪も金髪も赤髪もおる。黒い目も青い目も灰色の目も」
「なるほど。それを踏まえて肝心な質問を一つ」
「何じゃ?」
「俺たちの世界は言葉が一つではない。互いに隣り合う国は、方言のレベルを超えるほどちんぷんかんぷんだ。そいつらとこの世界の人間と言葉が通じるのか?」
「通じる」
「マジで……。なぜ通じるのか分かったら、ノーベル賞ものだな」
「何じゃ、そののーべるしょうとやらは?」
「解説すると日が暮れそうだからやめる」
「これ以上の質問もやめてもらえると助かるわい」
レオンが頭を掻いて俯きながら歩いていると、エンマが立ち止まったので危うくぶつかりそうになる。
「ん? どうした?」
「ざわめきが聞こえる」
「俺には聞こえんぞ」
「精霊の声じゃ。しかも、かなりの数がおる」
「その声、どこから?」
エンマは天井を指差すが、真上を見ても冷たい石の天井が見えるだけだ。
「今日の昼は何を食べようかって相談しているとか?」
「こんなことは初めてじゃ」
「じゃあ、昼飯の相談じゃなさそうだな。なんて言っている?」
「聞き取れぬ」
「召還の師匠がダメなら仕方ないな」
「何かの予兆にも思うが、よからぬ事が起きなければと良いが」
「あのー、この寒い神殿の中で、それ言わないでくれる? この廊下の所々に魔石のランプがあるからって言っても、お化け屋敷くらい怖いんですが」
首を傾げながら歩みを再開したエンマは、それから右へ曲がり左へ曲がりとどこまでも歩いて行く。
「あのー、まさか、道に迷ったなんて言わないよな?」
レオンの不安をよそに、先導するエンマがまた右に曲がったかと思うと、今度こそ立ち止まった。
「ここが指導教官の部屋じゃ」
正面を向くと、石壁にはめ込まれている焦げ茶色の扉が見え、両脇に魔石のランプが吊り下げられていた。光量が少ないのでボンヤリと見える程度だが、扉の質感は木ではなく鉄とかの金属のようだ。厳重に警備された部屋であることがこの扉から想像が付く。
「なんか、鬼教官がお出迎えって感じが扉からひしひしと伝わるぜ」
「そう言う割に楽しそうじゃの」
「ああ、異世界にワクワクして胸が躍るからな」
「召還した途端、『元の世界に返せ』と泣きわめく者どもが多い。家族がとか仕事がとかぬかしよる。じゃが、たまにお前のような奴が混じるから面白い」
「なんか、召還を楽しんでない?」
「神経をすり減らす魔法を楽しめるわけがなかろう」
「今まで何人召還したんだ?」
「数えてはおらぬ」
「フン。本当は極秘で言えないんだろ? 泣きわめく者どもが多いという以上、かなりの数とみた」
「勝手に想像せい」
エンマが扉に向かって右手を差し出すと、扉の中央に直径1メートルほどの金色に輝く魔方陣が出現した。すると、扉が真ん中から割れて重い音を立てながら内側に開いた。中は今レオン達がいる場所よりも明るいが、眩しいほどではない。
「お前のその精神力なら、心配せんでもいいじゃろ」
「こわーい鬼教官に食いつかれる心配?」
「それもあるが――」
「あるんだ。不安になるじゃん」
「自分が魔法を使えることに両極端の反応を示すからの」
「俺TUEEE!とか、その反対の俺YOEEE!とか?」
「そんなところじゃ」
「通じるんだ、この言葉」
エンマが扉に向かって指差す。
「さあ、行くのじゃ」
「一緒に来ないのか?」
「何、付き添いが必要とでも? さすがに怖れを成したか」
「いや、ちがくて、俺を紹介するのかと思って」
「自分で自分の事を紹介すれば良いじゃろうが」
「わかった。自己紹介って奴ね。なんだか、採用面接みたいで緊張するな」
「お前ともここでお別れじゃ。達者での」
「ああ、婆さんも達者でな」
「誰が婆さんじゃ!」
「え? もしかして、俺とは反対に、体が年寄りで中身が若いとか?」
「気持ちはまだまだ若者には負けぬ」
「そういう意味の『若い』ね。気ぃ悪くさせてわりぃ。達者でなお婆姉さん」
「変な言葉で煙に巻かれたみたいじゃ」
左手を振りながら唇をほころばせたレオンは、ひんやりする部屋の中へ足を踏み入れた。