15.錬金術師の思惑
練習場でレオンがニナと一緒に自主練で汗を掻いていると、ハンスが渋い顔をしてやって来た。
「討伐隊の志願者がサッパリ集まらない」
「もうあの事件のことが広まっているのか?」
「そうだ。討伐隊の中にも動揺が広がっている」
「離反者が出ているとか?」
「ポツポツとな」
「でも、戦いだから犠牲者が出ることくらい分かっていての志願だったはず」
「現実を知って目が覚めたんだろうよ。それより、お前、知り合いか誰かを討伐隊へ志願するよう説得するって、前に言っていなかったか?」
レオンは、ハンスがわざわざここにやって来た理由がこの言葉で分かった。
「よく覚えているな」
「そいつは志願しに来るのか?」
「ちょうど交渉中だ。しばらく待って欲しい」
「強いんだろうな?」
「実際に戦っているところは見ていないが、本人の言葉からは一騎当千だと思う」
「なんだ、そのいっきとうせんって?」
「千人力ってことだ」
ハンスは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
「そんな奴がいるなんて、噂でも聞いたことがないぞ」
「まあ、とにかく説得して連れてくるから、そいつが嘘をついているかどうかはあんたの目で確認してくれ」
翌朝、起床したレオンがベッドの上でストレッチ体操をしていると、窓の外でバサバサと羽ばたいたりコツコツと窓を叩いたりする音が聞こえてきた。もしやと思って窓を開けると、いきなり白フクロウが部屋へ飛び込んで来てレオンを驚かせ、床に寝ているニナの顔へ薄紫色の角封筒を落として飛び去っていった。
「何これ?」
上半身を起こして目をしょぼしょぼさせながら封筒を手にしたニナは、ジークリンデからの手紙と気づき、レオンが伸ばした手を払って自ら開封した。紙の上を指でなぞるニナは、顔がパッと明るくなった。
「昼に竜車で迎えに来るって」
「よし! まずは交渉の席に着いてくれたってことだな」
ガッツポーズをするレオンを見て、ニナもそのポーズの真似をして破顔する。
昼食の後、約束通りジークリンデが迎えに来たので、彼女が御者を務める竜車に乗り込み、一路ドリッテシュタットへ向かう。
道中、ニナは終始無言で、車窓からの景色を眺めつつ物思いに耽っている様子だった。沈黙が耐えられないレオンは、世間話をして彼女を振り向かせようとするも、話に乗ってこない。仕方なく、退屈な景色を眺めながら、ハロルドをどうやって説得させようかと思案する。
沈みゆく太陽が空を茜色に染める頃、いよいよ竜車はドリッテシュタットの門をくぐり、レモンイエローの石造りで二階建ての建物――ハロルド・ズルツェンバッハの家に横付けとなった。
「頼んだぞ」
真顔のニナはレオンに声をかけて車から降りていく。期待を一身に受けたレオンは背筋を正し、緊張の面持ちで降車する。
ジークリンデに案内されて入った広い部屋は窓がなく、天井に吊り下げられた魔石のランプが辺りを煌々と照らしている。灯りが浮かび上がらせているのは奇妙な形の実験器具の数々で、それらが所狭しと並ぶ机が部屋の四方の壁際に置かれていた。床にも何に使うのかよく分からない器具が転がっているが、おそらく、机の上に乗らないからだろう。
部屋の中心に小さな角テーブルがあって、案内されたときは木製の椅子が一脚しかなかったが、ジークリンデが他の部屋から二脚用意してきて、テーブルを挟んで向かい側になるように配置した。ニナとレオンは、用意された二脚にそれぞれ腰掛ける。
とても機巧人形とは思えない滑らかな動きに感心していると、正面に見えていた開けっぱなしの扉を通って白衣を着た小柄な白髪の老人が音もなく現れたので、レオンはギクッとした。
もじゃもじゃの白髪は四方に撥ね、顔に深い皺を無数に刻む。まん丸な目はギラギラと輝きを放ち、薄ら笑いを浮かべている。そんなハロルドを見て、レオンはマッドサイエンティストを連想した。
ニナがスッと立ち上がって一礼する。
「ハロルド・ズルツェンバッハ先生。先日は大変お世話になり、ありがとうございました」
先にニナが挨拶したので、レオンは慌てて立ち上がり、「その節はニナが大変お世話になりまして」と言って最敬礼する。
「よいよい。さあ、座ってくれ」
しわがれた声でボソボソ言うハロルドは、前歯が数本しか見えなかった。ニナとレオンは同時に着席するも、レオンの椅子は立ち上がった拍子で位置がずれていて、座り損ねて床に尻餅をつく。だが、誰も笑うものはいなかった。
「話はこいつから聞いた」
ゆっくり後ろを振り向いたハロルドが指差す先にいるジークリンデは、壁際に立って控えていたが、ハロルドが「お茶を頼む」と言うと部屋を出て行った。
唾を飲み込んだレオンは、ジークリンデが扉を閉めた直後に言葉を切り出した。
「単刀直入に申し上げて、是非ともジークリンデさんに討伐隊へのお力添えをいただきたく参りました」
異世界に来て珍しく丁寧語を使ったので噛みそうになったが、何とか言い切ると、ハロルドが首を傾げた。
「なぜ領主様ではなく、お前さんが頭を下げるのかね?」
意外な返答にレオンがしどろもどろになる。
「それは……その……」
「お前さんは領主様の代理とは思えぬが」
「はい。確かに代理ではありません」
「それなのに、なぜここに来たのかね?」
「先日の討伐隊の悲劇はご存じと思いますが、十人中、私とニナだけが生き残りました。ニナがいなければ私は確実に死んでいたと思います。これで討伐隊の間に動揺が広がっていて、離脱者が出ています。ですので――」
ハロルドが深い溜め息を吐いて、レオンの言葉を遮った。
「一兵卒が危機感を抱いて、わしの所へ頭を下げに来ておるのに、上官、いや、領主様は何をのんびりしておるのか、理解できぬ」
「領主様はジークリンデさんのことはご存じなのですか?」
「この領内へ移住したとき、戦闘型機巧人形を売り込んだが、興味は示してくれたものの額が折り合わず商談は不成立になった。だが、『機会があれば一度使って欲しい』とは伝えた」
「金額はいくらだったのですか?」
「3000タレル」
円換算で3億円だ。辺境伯が躊躇するのもわかる。
「緊急事態ですから、もう一度売り込んではどうですか?」
「いや、緊急事態なら先方から頭を下げに来ないといけないと思っておるが」
「それを待っている間に魔人の襲撃があると、お金に換えられない貴重な人命が失われます。ここは、ジークリンデさんに討伐隊へ入っていただき、その活躍ぶりを見てもらってから交渉してはいかがでしょうか?」
だんだん丁寧語に慣れてきたレオンは、淀みなく話を続ける。
「お前さんはジークリンデを入隊させるように上手く誘導しておる」
「それは……」
「お前さんの目的はあいつの入隊だからの。しかし、わしは商売が目的。タダであいつを渡すわけにはいかない」
「入隊にいくら必要なのですか?」
「3000タレル」
レオンは天を仰いだ。
「それは売るのと同じですね。いや、もしかして、手放したくないとか?」
「それはない。あいつは初号機で、今、2号機を組み立てておる」
「初号機? ……もしかして、ハイリゲンヴァルト公国のフェルテンの町で、500タレルで売っていませんでしたか?」
ハロルドが動揺したのは素振りですぐにわかった。
「お前さんはフェルテンへ行ったことがあるのかね?」
「行っていませんが、そこで今のジークリンデさんと同じ格好の機巧人形を売っているのを見たという人から聞きました」
その話は『聞きました』の部分が嘘である。実際は、マリア・アイーダが残した日記を修道院で読んだとき『メイド服を着たマネキン人形があったのには驚いた。なんでも、ハロルド・ズルツェンバッハという錬金術師が作ったオートマトンで、人間と同じ動きをするという。500タレルという巨額に驚く』という記述があったのを思い出して、半分創作したのだ。
ハロルドは目が泳ぎ、握った両手の親指をクルクルと動かしている。
「その話は内密に願いたい」
どうやら、マリアが町で見かけたのはジークリンデだったようだ。その機巧人形は見上げるほど背が高くて、さぞ驚いたことだろう。彼女がそれを思い出しながら日記を書いている姿を想像すると、興奮まで伝わってくる。
「ええ、もちろん。500タレルに値下げしては、なんて言いません」
「とにかく、今は金が必要なのだ」
ハロルドの本音に、レオンはさほど驚かなかった。むしろ理解を示す。
「あれだけ高性能な機巧人形に巨額な費用が掛かるのはよくわかります。そんな中、ニナの治療も無料で行っていただいて心の底から感謝しておりますが、何分農民なのでお金がありません。対価をお支払いできず、心苦しく思っております」
「それは人道上見捨てておけないから治療したまで」
「今回の討伐隊への参加も、人道上の理由からお願い出来ませんでしょうか? 領主様への費用回収の交渉は参加の後で行っていただくとして」
腕組みをしたハロルドが俯いたままウンウンと唸っていると、ジークリンデがお盆に三人分のお茶を運んできた。ソーサーに乗った上品なカップが三人の前に置かれ、芳醇な香りのお茶がティーポットから静かに注がれる。彼女が戦闘型機巧人形なら、この優雅な立ち振る舞いがどんな変貌を遂げるのだろう。
ティーポットがテーブルの上に置かれて、お盆を持ったジークリンデが部屋を立ち去ると、ハロルドが顔を上げた。
「わかった。討伐隊に参加させることと3000タレルを三日以内に一括払いすることを交換条件としよう」
「ありがとうございます。大変感謝いたします。ですが、交渉はお願いできますでしょうか?」
「もちろんだ」
「それと二つお願いがあります」
「何かね?」
レオンがこれから提示する注文に、ハロルドは警戒する。
「ニナの調整をジークリンデさんに引き続きお願いします。それと、今後はこちらの指示に従うようジークリンデさんに伝えてください」
「お前さん達の指示に従うようにする、でよいな?」
「はい」
「一緒に行動する保証はあるのかね?」
「同じ小隊へ配属されるようにお願いしておきます」
納得した様子のハロルドが、お茶をすすってホッと息を吐く。
「この後、お前さん達を送っていくと、ジークリンデの帰りが明日の明け方になる。今日は、近くの宿屋で泊まっていくが良い。明日になったら、わしと一緒にみんなでミッテルベルクまで行けば一度で済む」
「ありがとうございます」
レオンとニナは深々と頭を下げた。