1.レオン、召還される
シュヴェルトブルーメ帝国は、大小256の領邦国家が覇権を争った長い戦役の後に、多くの国家を吸収して成立した初めての帝国である。敗戦国の領地を自ら獲得するだけでなく、8つの同盟国には功績に応じて周囲の敗戦国を吸収させて国境の新たな線引きを行い、7つの中立国を除外して中央集権制度を確立させた。
元々は小さな村が集まって領主が小さな国を作り、それが領地の境界争いで少しずつ膨れ上がって国家の形を成していき、256もの領邦国家になったのだが、戦役で広大な空間が一気に統合されたため、文化も習慣も宗教も魔法も違う人間、亜人の坩堝のような国家がいくつも出来上がった。過去の蟠りを水に流して互いに手を取り合う者も多かったが、反発を強める者もいて、人々の生活は必ずしも平穏ではなかった。
各国に散らばる不平分子は帝国転覆を狙い、ネットワークを作って非合法活動を展開するも、摘発を受けて帝国の掃討作戦で地下に潜る。すると、この残党を利用して密かに天下を取ろうと画策する国が現れた。それが、グーテンクヴェレン公国、ハイリゲンヴァルト公国、ローテカッツェン公国であった。いずれも帝国の同盟国だが、互いに協力して一斉蜂起する密約を結ぶ。なお、老獪な三君主は、それぞれがその後の計画を思い描いていたのだが。
一方、掃討作戦が完了して当面の問題はなくなったと安心しきった帝国は、同盟国が密約を結んでいるとはつゆ知らず、内政に力を入れる。特に、シュヴェルトブルーメ帝国の領地内にだけ存在する5つのダンジョンに生息する魔獣から得られる魔石は、照明の灯り等に使われる赤の魔石、万能の薬に使われる青の魔石、魔力の補給に使われる緑の魔石があり、それらを独占して他国へ売ることで多大な利益を得た。
このダンジョンで狩りをするハンターは魔法や剣の達人で、回復役のヒーラーとともに二~五人で行動するのが通例だが、彼らの死亡率は四割近くで、人員の枯渇が課題になっていた。
また、戦闘にはしばしば魔法使いが先頭に立って戦局を左右することが多かった経験から、その人員をたくさん抱えておく必要があった。
つまり、魔法使いが大量に必要だったのだ。
ところが、長い戦争で魔法使いが減少し、人口も簡単には増えず、育成にも時間がかかる。そこで、ある学者が古い文献に解決方法を求めたところ『異界の人間を召還して神殿にある聖なる石に触れさせると魔力を身につけることが出来る』との記述を見つけ、試しに実践してみたところ、記述通りであることが分かった。
これで魔法使いを効率的に補充すべく、帝国から見て『異界』の人間が何人も強制的に召喚された。実際に召還された人間は、地球の世界各国からであったが、どういうわけか――東洋の神秘とは無縁と思うが――東洋人が多く、帝国の世界には黒髪、黒目、東洋人の顔つきの人物がいないため、レオン達が自分と同じ特徴を持つ人物が非召還者だと考えた訳である。
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「ん? ……ここは……どこだ?」
神殿の中央にあるだだっ広い部屋の中央に、直径5メートルはある金色に輝く魔方陣の中央で、一人の少年が全裸で四つん這いになり、呻いていた。
「眩しっ……。なんだこれ? 床が光っているんだけど?」
彼は目を細めて床を見回し、見たこともない文字が無数に描かれた魔方陣であることに気づくまで数秒かかった。
「俺、テレワークで会議中だったよな? それがどうして……」
今度は、自分の腕、胸、足を見る。ついでに股間も見えてしまい、ギョッとする。
「おいおい、なんで裸なんだ!?」
「驚いておるようじゃな、異界の者よ」
「おわっ!?」
老婆のような声がいきなり左の耳に飛び込んだので、驚愕した少年が声の方を向くと、まだ目が慣れないので闇にしか見えない。
「そこに誰かいるのか!?」
目が慣れてくると、仄暗いロウソクの色をした光のランプが見え、その左横に白くてゆったりした服を着ている人物が床に座っているのが見えた。パッと見た感じでは、男か女かは分からないが、声からは女のようだ。
「我が名はエンマ」
「日本語……だよな? 日本人か?」
「にほんご、とは意味が分からぬが、この世界の住人は異界の者とは言葉が通じるので大丈夫じゃ」
「そりゃ便利で有り難いが、あんた誰?」
「だから、エンマじゃ」
「閻魔って聞こえたんだが」
「そうじゃ。エンマじゃ。何度も言わせるでない」
「ここは地獄か!?」
「なぜ地獄になる? 神殿じゃ」
「神殿? じゃあ、巫女か?」
「召還師じゃ」
「週刊誌?」
「しゅうかんし、って何じゃ? 召還師と言っておるのに、耳は大丈夫か?」
正座した少年は、右手で股間を押さえ、左手で耳を掻く。
「耳鳴りがするし頭痛もするし、一体どうなっているんだ?」
「お前はこの世界に召還されたのじゃ。おそらく、その衝撃じゃろう」
「召還!? ってことは、ここは異世界か!?」
「お前の世界から見れば、ここは異界じゃ。ところでお前の名前は何じゃ?」
「召還しておいて、誰だお前、はないだろう!?」
「名前を調べて召還はしないのでのう」
「ひでー奴だな。えっと……えっと……えっ?」
少年は、自分の名前を思い出せないことに愕然とした。それどころか、直前の記憶も断片的でうまく思い出せず焦燥感に駆られた。
「えっ? どういうこと? 俺は……俺は……おれ、おれ、れお、レオ!」
「レオか?」
「いや、レオン! レオン……マック、いやマクシミリアン!」
「レオン・マクシミリアンとな?」
「そうそう」
適当に思いついた名前を名乗って、少年はフーッと息を吐く。それから、短距離走でスタートを切るような格好をし、やおら立ち上がった。
「何じゃ、その格好は?」
「いや、外国映画で観たんだが、全裸の男が未来から来て、確かこんなポーズで立ち上がったはずで……違ったかな……まあ、いいか」
「意味が分からぬ」
「一度やってみたかったんだ。召還されたから。……あっ、あっちは未来から来たんだっけ」
「変な奴よの」
すると、両手を床に着けたエンマがよっこらしょと腰を上げて立ち上がった。割と背が低い老婆で聖職者のような服を着ている。
「あー、真似したー」
「違うわ。普通に立ち上がっただけじゃ」
それからエンマは、近くに置かれて畳まれていた複数の白いローブの中から、一番小さい物を手に取り、広げてから少年に差し出す。
「その格好で恥ずかしくないのか?」
「十分恥ずかしい」
「なら、ほれ」
「俺の服はどこだ? 脱がしたんだろ?」
「脱がしてはおらぬ。勝手に脱げたのじゃ」
「ひでー召還の仕方だな」
「いいから、ほれ」
「そんな小さい服は着られないぞ」
「何を言う。お前の体は、この服で十分じゃ」
「えっ? マジかよ?」
もう一度胸から下を見ると、何となく胴体も足も短いように思えてきた。
「体が縮んだのか!?」
「そのようじゃな」
「おいおい、召還しておいて、無責任過ぎないか? 服まで脱げて体まで縮んでって、ありなのか?」
「知らぬ」
「なんで?」
「知らぬものは知らぬ」
「何だと! 無責任ババア!」
「何がババアじゃ!」
少年はひったくるように白ローブを受け取ると、着方が分からず難儀するも、何とか着終えた。
大分目が慣れてきた少年は、魔方陣の光で照らされる神殿の内部構造を眺めた。装飾のない太い石柱が何本も見えて石壁が見え、照明のない石の天井が見える。シンプルすぎる内装だが、一つだけ壁際に大きな黒い石が台座に置かれているのが見えた。
「それはそうと、俺はついに異世界に召還されたのか……」
レオンは、辺りを見渡しながら感慨深げに吐息を漏らす。
「アニメとかラノベの世界を実体験するなんて、思ってもみなかった。すげーなぁ……」
「また意味の分からぬことをブツブツ言っておる。いいから、付いてこい」
「これ、異世界転移ってやつだよな。本当にそんなことが起こり得るんだ……」
「付いてこい!」
「なんだよ。一生に一度かも知れない出来事に感動したって、いいだろうがよ」
「そんな暇はない! さっさとやることをやるのじゃ」
「何を? 服は着たぞ。おお、次は靴のサイズを測るのか?」
「違うわ! 魔法の伝授じゃ!」
「おっ! 魔法!」
石の床をペタペタと音を立てながら、レオンはエンマの後に従う。二人の行くところは台座に置かれた黒い石の所だ。
「この石に利き手を触れるのじゃ」
「触れるとどうなる? まさか、ビリって来ないよな? 俺、静電気嫌いなんだけど」
「いいから――!」
エンマに右手を掴まれたレオンは手を引っ込めて、代わりに左手を差し出す。
「左手か」
「人の利き手を勝手に決めつけるなよな」
「すまぬ」
「たまには素直なんだな」
「たまにとは何じゃ!」
「あっ、掴まなくていいぞ。触れればいいんだろ?」
「たまには素直なようじゃ」
「あのねぇ……」
レオンが黒い石に左手を近づけると、耳がキーンと鳴った。手を離すと、耳鳴りが治まる。
「なんか、イヤな予感がするんですけど」
「恐れることはない」
「騙してないよな?」
「誰が騙すか!」
「召還だって、一種の騙し討ちだろが。こっちの承諾も得ずに――」
「いいから触れるのじゃ!」
「へいへい」
再度左手を伸ばすと、また耳鳴りがし始め、近づけるともっと酷くなった。顔をしかめるレオンが、
「閻魔さんが先に触れてくれないか? なんか、これ、変だぞ」
「変なことはない」
「いや、絶対、変」
レオンは左手でエンマの右手を掴む。
「何をする!?」
「いいっていいって。ほれ」
掴んだエンマの右手を石に触れるも、耳鳴りは治まらないが、エンマには何も起こらないようだ。
「大丈夫そうだな」
「人で試しおって!」
「怒るなって」
そう言って、耳鳴りを我慢してレオンが石に左手をペタッと付けた途端、
「うわあああああああああああああああぁぁ!!」
全身に電流が流れて、しかも左手が石に張り付いて離れなくなった。
「ななな、なんだこれ!!」
レオンは目の前が真っ暗になり、痺れたまま意識が遠のいていった。