5.上達
夜明けと共に農民は起床して朝食を済ませて早々に作業へ取りかかる。町もやはり、夜明けと共に動き出す。レオンは頭を照らす朝日の暖かさと、トカゲ車の車輪の音で目が覚めた。
農家の生活に慣れているレオンはこの時間になると腹が減るので、空腹を抱えて酒場に入ると、まだ鼾をかいて眠りこける者どもを邪魔者扱いしながら床掃除をしている女店員に睨まれた。この感じでは料理を注文しても断られるに違いないと思い、その判断が実際に正しいかを確かめる勇気もなく、背を向けて店を出る。
ちょうど朝市の準備をしている屋台が見えたので、食糧品を並べている中年の店主に「討伐隊だが何か食わせてくれるか?」と聞いてみたが、「酒場に行け」と笑われた。王宮で軍服を着ていたときは、お忍びで市場に行くと手を伸ばせば何でもタダで食えたのだが、討伐隊であることはそこまでの神通力がないようだ。
「仕方ない。練習にでも行くか」
訓練場に足を向けると、後ろから「レオンだよな?」と声をかけられた。聞き覚えのある声に振り向くと、竜騎兵の鎧を装着して兜を手に抱えているトオルだった。
「お前も指導者で来ているのか?」
「来ているというか、今来た。交代でな。レオンは、散歩か?」
「食探しだよ」
「職探し? こんなところで? 討伐隊はどうした?」
「やってるよ。腹が減っては訓練が出来んからな」
「……そっちの食かよ」
トオルがニヤッと笑って、拳でレオンの左肩を突く。
「そうだ。剣術のコツを教えてくれないか?」
「いきなり?」
「そう。事は急を要する」
「ははーん。ボコボコにされてるな」
「短期間で鍛えるために、指導者が必死でな」
「一朝一夕で上達するコツなんかないぞ」
「でも、上達しないと、烏合の衆の一員として魔人と相対したら速攻で殺されるだろ?」
「そんときは戦略的撤退を勧める」
「おいおい……」
「当然だ。討伐隊みたいな戦争の素人に『魔人を殲滅せよ』なんて命令を出す方が馬鹿だ。殲滅は俺たちに任せろ。お前らはヒットアンドアウェー方式でいい。魔人を攪乱させれば十分だ」
レオンは渋い顔をする。
「トオルの目から見て、討伐隊はド素人か?」
「まだ見ていないが、聞いている話ではそう判断している」
「プロから見るとそうだろうけど……」
「お前の目から見てもそうじゃないのか? やっぱり、中にいると気づかないものか?」
「自分が弱すぎるからだと思うが、ド素人には見えない」
「それは意外」
「俺の剣術はずぶの素人だぞ。小隊の奴らからは、俺が真っ先に死ぬと言われている。だから、少なくとも自分の身は守れるようにしたい」
「そんなにひどいのか……」
「なんか、グサグサッてきたんだけど」
「二度も刺してはいないが……。じゃあ、見てやるから訓練場まで案内してくれ」
レオンはトオルを連れて訓練場へ案内した。
「だだっ広いな」
「小学校のグラウンドの倍はある。素人には贅沢な施設さ」
レオンは自分の木剣を手にして、もう一本をトオルへ差し出す。
「これはトオルの木剣」
「要らん」
「え?」
「俺は、本物の剣を使う」
「冗談だろ?」
「実戦は本物の剣だぞ」
「そうだろうけど、今は訓練――」
「本物の剣を持った奴と対峙したことないだろ? 誰もいないから、ちょうどいい。どんな感じがするか見せてやる」
シャリーンと音を立てて鞘から太めのロングソードが抜かれ、朝日を受けて刀身が光ると、レオンは背筋がゾクッとした。
「木剣を使うのは訓練中に肉を切らないためだが、そんなものに慣れると実戦ではビビって何も出来なくなる」
「理屈は分かるが、この状態でやれと言われても」
「やれ」
「…………」
「いいから、かかってこい」
「腕を切り落とさないだろうな? 治癒魔法を使える魔法使いはいないぞ」
「心配するな。寸止めは得意だから」
そうは言われても、恐ろしくて立ち向かえない。手加減するのが分かっていても、何かの拍子に刃先が身体に当たったらどうしようと不安になる。
『あっ、そういうことか』
これはもう、本物の剣が目の前にあるというだけで気持ちが負けている。腕も足も震えて動けない。今の自分は、地面に突き刺さった杭みたいなものだ。
「こっちから行くぞ。いいな?」
それは、本当に良いのかというニュアンスだった。レオンは、つばを飲み込んで、勇気を振り絞り、木剣を振りかぶって飛びかかった。
「遅い」
振り下ろされた木剣は空を切り、鎧が重いはずのトオルの体はすでに右方向へ移動していた。
「なんて言うか、剣にハエが止まる遅さ」
「この速さで止まらんだろ」
「そのくらい遅く見えるって事。遅いから、動きが見え見え。だから、躱されて体ががら空きになった隙を狙われる」
「どうすればいい?」
「大振りになるな。遅くなるから。コンパクトに腕を振れ」
「どうやって?」
「見てろ」
トオルが素速い動きで本物の剣を振りかぶり、すぐに振り下ろす。剣が体の近くで風を切る音を立てるので、レオンは「うわっ!」と叫んで後ろへ逃げた。刃が当たらないと分かっていても、恐怖心で体が退避するのだ。
「今、討伐隊用に剣と防具を製作中とのことだ。おそらく、剣は軽いものになると思う。鋼が不足しているからな。防具は肩当てと鉄の帽子しかないと思った方が良い」
「結構な時間が掛かるんじゃないか?」
「そうなるみたいだ。訓練が出来て良いじゃないか」
「かえって有り難い」
「俺の剣を持ってみるか? 配給されるのはこれより軽いはずだが」
「貸してくれ」
レオンがトオルから剣を受け取ると、想定より重いことに驚いて目を見開く。
「でも、それ、3キロくらいだぞ。もっと長いものは5キロ以上ある」
「小さめの米の袋を持っているようだ。こんなに重いんだ」
「金属だしな」
「振り回せるかな?」
「振ってみろ」
レオンは何度か振りかぶって振り下ろしてみたが、手首が痛くなる。
「かえって大振りにならなくていいかもな。重いと振り回せないし」
「そうだな。木剣に持ち替えると、おもちゃみたいだぜ」
今度は、木剣を握ってグルグルと振り回す。
その後、レオンはトオル相手に素速く剣を振る練習をした。
「なんだか、主役級の役者が見事な殺陣をやっているみたいで、格好良いぞ」
トオルに褒められるとレオンも嬉しくなって、もっと上手くやってみようと考えるようになった。
トオルと別れてから、一人で練習をしていると、イーヴォがやって来た。
「なんだか、動きが昨日と違うみたいだが?」
「朝練で鍛えたからな」
「あされん?」
「まあいい。ちょっと相手をしてくれないか?」
「こりゃ驚いた。負けるのが分かっているのに自ら進んで挑むとは」
嘲笑うイーヴォだったが、いざ始めてみると顔つきが変わった。レオンの動きに隙がなくなっていたからだ。
「ちょ、ちょっと待て」
「待たねーよ」
レオンがイーヴォを圧倒し始めると、イーヴォの顔に焦りの色が濃くなり、逃げ腰になる。
カーン!!
イーヴォの木剣が彼の手から離れて、空中でクルクルと回転する。
「一日でここまで上達するとは、どんな魔法を使った?」
「使っちゃいねーよ。俺の魔法回路はぶっ壊れているからな」
「信じられねえ……」
「なあ、俺に背中を預ける気になったか?」
「……ちっとはな」
イーヴォはニッと笑った。




